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恩返し(領民視点)

領主のお嬢さんが結婚する。その知らせを聞いたのは夜も更けた頃だった。

騎士団の見習いに入った次男が、急いで帰ってきて伝えてきたのだ。


「わざわざ帰ってきて何を言うかと思ったら…。確かにおめでたい事だが、手紙で知らせでもしてくれれば十分だ。

 さっさと帰って…」

「おめでたい事なんかじゃないよ!」


その後、説明を聞いてしまった俺は眠気を吹っ飛ばして夜通し考える羽目になった。





「皆忙しい中すまない。今日集まってもらったのは他でもない。領主様のお嬢さんの事なんだ」

「ま、まさか、亡くなられたとか…?」

「縁起でもない事を言うな!お嬢さんが結婚するらしいんだ」


俺がそう言うと、集まってもらった村人たちは一様に安心した顔をした。

身体の弱い領主様のお嬢さんは領主様の一人娘だ。そのお嬢様が結婚をしない限り、今度の領主は領主様の妹の息子になる。そんなことになればこの村はおしまいといったも同然だ。

お嬢さんが結婚をすることは俺たち領民にとって望むべく事だから、その話を聞いて皆の顔はどんどん明るくなっていく。

だが俺はそんな皆と同じ顔をすることはできなかった。


「それはめでたい!何か贈り物をせんといかんなぁ」

「倉庫にある小麦を少し売って、お金にするか?」

「…皆、聞いてくれ」


さっきまでの心配顔が一変し祝福ムードになった皆の顔を見て、一瞬これから話すことをためらってしまう。

だけどいつまでも黙ってるわけには行かなく、俺は重い口を開いた。


「お嬢様は…、俺たちのために犠牲になって結婚するんだ…」

「…はぁ?何だ、それは!」

「詳しく話してくれ」


そして俺は昨日の夜、息子に聞いたことを短く話していく。

喜びにあふれていた皆の顔は、話が進むにつれひきつって行った。


「式や披露宴をしなくてよくて、かまう時間もかからないからお嬢様と結婚する?!

 そんな最低な奴とお嬢様は結婚せんといかんのか?」

「何でそんな結婚を領主様は受けたんだ?」

「…結婚相手は侯爵様らしい。もし、今の領主様が亡くなられても、侯爵家へはあのがめつい妹夫婦も手出しは出来ないだろう。

 相手の方もお嬢さんと結婚したら、領地の面倒もみると約束したらしい」


その言葉に全員が黙り込んでしまった。

領主様が亡くなった後の事は、この村にとって一番の懸念材料だったからだ。

もしお嬢さんが結婚してその相手が領地をしっかりと管理してくれたとしても、今の領主様が亡くなられたら妹夫婦は黙っていまい。

きっといろいろな手を使ってこの地を手に入れようとするだろう。誰と結婚するのかはわからないが、そのすべてからお嬢様と領地を守れる人などほんの少ししかいないだろう。

そしてお嬢様のお相手はそのほんの少しの方だ。領民としてはこれ以上いい話はない。


「俺たちが何を言おうが、きっとお嬢さんの結婚は変えられないだろう。

 下手に騒ぎ立ててお嬢さんの気持ちを乱してしまうより、このまま静かに行ってもらった方がいいのかもしれん」

「………」


それがいい、というか俺たちが騒いだところでどうにもならないのはわかっているのだ。

ここで黙って見遅れば、この村で俺たちはずっと穏やかに暮らしていける。そのかわり、領主様の事を考える度に苦しくなるだろうが。


「…陳情しましょう」


衣擦れの音も響く静寂の中、その声はとても大きく響いた。

発したのはこの集りの中では一番年下の若者だ。


「俺の姉ちゃんは領主様が紹介してくれた伯爵家のメイドとして働いていて、今度結婚することになりました。

 弟も15になったら子爵様に騎士団見習いとして推薦をしてもらえるように今必死で勉強してる。

 家を継ぐ以外の働き口が少ない領民に仕事を用意してくれたのは領主様だ。

 そのおかげで長男以外の子どもも希望が持ててる。俺も俺だけ家を継いで仕事を持てることに負い目を持たずに済んだ。

 俺たち子どもが皆幸せになってるのに、領主様のお嬢さんだけが不幸になるなんて、そんな不義理な事しちゃいけないです」

「…そうだな」

「だな。俺らの事だけを考えて、お嬢様を不幸にしてしまったらきっとばちが当たる」

「お嬢様は明後日ここをでる。その時に旦那様に陳情しよう」


きっと俺たちが何をしても状況は変わらない。お嬢さんはその侯爵のところにお嫁に行き、俺たちはただ子爵との関係を悪くするだけ。それに万が一、いや億が一に子爵が考え直してくれて結婚が取りやめになっても、お嬢さんは幸せにはなれないかもしれない。

でもこのまま黙って見送って一生後悔するよりはいいじゃないか。皆もそう思ってるようで、その顔には苦いながらも笑顔が浮かんでいた。


そして2日後、俺たちは罰を覚悟でお嬢さんの乗った馬車を止めた。


「領主様!どうかお願いします!考え直して下さい!!」

「だから何度も言っているように、もう変えられることじゃないんだよ、ビアホフ」


完全に馬車が止まる前にひらりと馬車から飛び降りてきてくれた領主様は、馬車を止めたこと自体はそれ程咎めなかった。だけど案の定、結婚の事については少しも耳を貸してくれない。

とにかく言葉を重ねようと思い、考えるために少し逸らした視線にそれは入ってきた。


音もなく開いた扉の前。そこに女の子が立っていたのだ。

少し動いただけで軽やかに舞う綺麗な黒髪。遠くからでもわかる大きな目に、赤すぎず薄く色づいた唇。


「?…っリリィ!」


俺たちの様子がおかしい事に気付いたのだろう。領主様は馬車へと振り返り、焦った声を上げる。それもそのはずだ。たった一段の階段を降りようとしただけでお嬢さんの体はフラリと揺れたのだから。


「何をしている!!早く馬車の中に戻りなさい!」


さっきまでは声を荒げているのは俺たちで、領主様は穏やかに言葉を発していた。だけど今はここにいる誰よりも焦って声を荒げている。

そんな領主様に怯みもせず、お嬢様は一歩一歩ゆっくりと俺たちの方へと来ていた。


「……………」

「お初にお目にかかります。バルドゥル・コルト・ヴァイスハイトの娘のリリア・エアデール・ヴァイスハイトです」

「あっ頭を上げてください!お嬢様!!」


目の前まで来たお嬢さんは、俺たちに対して深々と頭を下げる。

そんな事を貴族にされたことなどなく、俺たちは思いっきり狼狽してしまった。

何とか頭を上げてもらったお嬢さんは、遠目でもわかった通りとても愛らしい顔をしていた。だが身体は小さく、触れたら壊れてしまいそうなくらい華奢だった。確か今年で17だと聞いていたが、俺の12の娘と大きさはそう変わらない。体格でいったら俺の娘の方が勝ってしまうだろう。

これは領主様のお屋敷から一歩も出られないわけだと胸が痛くなる。


「今まで領主の娘としての役割を務められず、申し訳ありませんでした。

 ですがこれでやっと務めを果たすことが出来ます。どうかこれからは心穏やかにお過ごしください」

「お嬢様…」


まるで自分の娘と同じくらいだと思ってたせいか、あまりに大人な物言いに完全に飲まれてしまう。体つきも服装も髪型も大人の女性とは言い難いが、お嬢様の瞳には年相応の、いや年相応以上の理知的な輝きがあった。


「お嬢様、務めを果たすなんて考えんでいいです。俺たちは領主様からたくさんの恩恵を受けてきました。

 今度は俺たちが返す番です。お嬢様を犠牲にしてまで今までの生活を続けたいとは思いません。どうかお屋敷に戻って今まで通り過ごしてください」

「ふふふ…」


さすがは領主様のお嬢様だ。とても素晴らしい。そんなお嬢様を不幸になんてしたくない。

飲まれてる場合じゃないぞと自分を叱咤し、俺は直接お嬢様を説得することにした。

俺たちの事を考えなくてもいいと分かれば、本当は結婚などしたくないであろうお嬢様は屋敷へと帰るかもしれない。領主様も体の弱いお嬢様を無理矢理引っ張ってはいかないだろう。

そう思ったのだが、お嬢様は俺の言葉を聞いて不安がったり泣いたりするのではなく、ふわりと笑われた。

ひゅっと周りの誰かが息を飲む音がする。それも納得できるほどお嬢様の笑顔は暖かく、鮮やかに空気を変えたのだ。


「父はあなた方にとってよい領主ですか?」

「も、もちろんです!」


狼狽しながらも頷くと、お嬢様は悲しそうに笑った。


「父はあなた方に恩恵を与えていたのかもしれません。ですが私は違います。

 私は反対にあなた方に恩恵を受けてきたのです。あなた方の作った野菜を食べ、穀物を食べ、ここまで生きてこられました」

「そんなのっ!」


そんなもの、領主様の娘なのだから当然だ。そう伝えたのだが、お嬢様は首を振った。


「いいえ、その恩恵は領主の責任を果たしている父や母が受けるものであって、何もしていない私が受けるものではありません。

 あなた方が父に恩を返す番だというのなら、今度は私があなた方に恩を返す番です」


そうしてお嬢様は俺の手を取り優しく握った。

あまりに華奢な手過ぎて引き抜くのも怖く、固まった俺にお嬢様は優しく語りかける。


「あなた方は父に恩を返せるなら自分たちの生活はどうなってもよいとおっしゃいました。ですがそれは私もそうです。

 あなた方に恩を返せるのなら、私の生活などどうなってもかまいません」

「お嬢様…」

「この手が今まで私を生かしてくれてきました。…本当にありがとう。

 これからも父をよろしくお願いしますね」


そう言ってほほ笑んだお嬢様に俺たちは何も言えず、ただ頭を下げるしかできなかった。

よろしくお願いするのはこっちの方なのに、それさえも言えない。周りで聞こえる嗚咽やすすり泣きにつられないように我慢するだけで精いっぱいだ。


「ビアホフ、娘の気持ちは伝わったか?このままでは娘の体に障る。道を開けてくれ」


お嬢様の肩に手を置き、領主様は穏やかにそう言った。それを聞き、俺たちは急いでふさいでいた道を開ける。

自分たちの気持ちを軽くするためだけに道をふさいだ形になってしまったのに怒ることなく穏やかに接してくれる領主様。

領主の娘なら当たり前の事なのにそれに感謝し、頭まで下げてくれたお嬢様。

俺はこのときほどここの領地に生まれてよかったと思った事はないだろう。

領主様がこの方でよかった。

お嬢様がこの方でよかった。


「さあ、農作業に戻るぞ、皆!今年はお嬢様のところにも作物を送らにゃならん!」

「「「おう!!」」」


馬車が見えなくなるまで頭を下げ、俺はそう声を上げる。皆同じ気持ちだったのか、我先にと自分の畑へ駈け出して行った。

こんな傷だらけの汚い手を取り、お礼を言ってくれたお嬢様。そのおかげで親の後を継いだだけで農作業以外何も出来ない自分を少し誇りに思える。

これからはお嬢様のためにももっと頑張って行こう。そう新たに決意し、俺も皆の後を追うのだった。


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