気持ちの変化
結婚の日取りは3か月後に決まった。といっても当たり前だが結婚式とかはない。
最低侯爵はなるべく早く来いと言ってるらしいが、なぜ結婚もしていないのに好きでもない男のところに急いで行かなきゃならないんだ?
絶対嫌だ。当日に着けばいいじゃんと思ってたんだけど、お父様が言うには最低でも2週間前には着いていなきゃいけないらしい。
何にもすることもないのに、意味わかんないよね。
「ねー、アン?私最低侯爵のところに行ったら何すればいいのかな?」
「もー、旦那様に叱られますよ?行くまでに名前を覚えるように言われてますでしょう?」
「ディートハルト・ヨアヒム・シェレンベルグでしょ?そん位覚えたって」
私が最低侯爵のところに行くにあたってしなければいけないと言われたことはたった二つ。
侯爵の名前を覚える事と、持って行くものを整理すること。
持って行くものといっても、服とかは全部メイドのアンが用意してくれるし、ベッドとか大きなものは全部向こうが用意してくれるらしい。
それ以外に私の持ち物なんてそんなにないよ?トランプとか、かっこつけて出来もしないチェス盤でも持って行くか?名前だってそんなに長くないからすぐに覚えられたし、用意を始めたその日に私のすることはもう終わってしまった。
だから私は何をするわけでもなく、いつも通りゴロゴロするしかなかった。
「でもさー、ここは好きだし、結婚を取りやめるって言われたら嬉しくてでんぐり返しを披露するくらい喜ぶけど、引っ越しってちょっとわくわくするよね」
「…取りやめにはなりませんし、披露もして下さらなくて結構ですが、本当にお嬢様ってわけがわかりませんね」
あんなに嫌がってたのにとアンは言うけど、それはそれ、これはこれだ。
元の世界なら友達と離れたり、新しい人間関係を築いたりと大変な事ばかりだけど、リリアは基本人に会わない。侯爵はリリアの体を気遣ってどんなところに住みたいかを私に聞き、その通りの屋敷を用意してくれたらしい。
部屋ではなく屋敷と聞いてちょっと引いたが、侯爵は何と王宮に住んでるらしいのだ。
なんだそれ!王族なの?!と思ったけど、なんてことはない。元の世界でいう独身寮みたいなものらしい。
だから好きな屋敷を用意すると。
「最初はなんだよそれって思ったけどさ、ポンポンと無駄なく効率的に動いていく所為でいまいち結婚するって実感がわかないんだよね」
「何をおっしゃられてますのやら」
大きすぎず、静かで最低限の人しかいない屋敷。庭が広く散歩が出来たら嬉しい。
どんな屋敷がいいかと手紙に書いてあったからそう答えると、侯爵は私が言ったままの屋敷を用意した。
王都からも近く、でも静かでここよりほんの少し大きいだけの屋敷。庭には花を植え、散歩もできるようにしました。
書いた3日後にそんな手紙の返信があり、その手紙を読んだ私は少し気まずくなった。
普通ならこの手紙に何かしらの感情を持つはずだ。
わざわざ屋敷を用意してくれた感謝とか、こんな事しても好印象なんて抱かないぞとかいう怒りとか、とにかく何か心を動かしたりするだろう。
だけど、それがない。不動産屋に部屋探しを頼んだだけのような薄い感謝の気持ちくらいしかわかない。
体の気遣いから屋敷の話、季節の話から早く会いたいという気持ちの吐露。そんな決して短くない手紙にこんな事務的な感情しか抱かせない侯爵が逆にすごいわ。
「お嬢様、お花のお届け物ですよ」
「ほうら、来た」
「…………」
そんな事を考えていると、クリストフが綺麗な花束を持って微笑みながら近づいてきた。
「カードでございます」
恭しく差し出されたカードには、
親愛なるリリアへ 早く会えることを願って ディートハルト
と書いてある。
「こんな花束とカードが毎日届くのに、実感がわかないはずないじゃないですか」
「うーん」
アンの言うとおり婚約の話が決まってから毎日、最低侯爵から花束とカードが届くようになった。カードの内容も日によって違って、あなたの幸せを願いますだったり、今日もあなたにとって良い日でありますようにとかだったりまちまちだ。
なんてまめな人だとアンは感動しているが、私はそれにも今日は赤色を持ち歩くとラッキーとか、図書館がラッキープレイスとかいう占いを見た時のような気持ちしか沸かない。
この花束とカード、長めの手紙攻撃によって、私の中にあった最低侯爵の印象はするすると消え、全く無害な生活と居住場所を提供してくれる人となりつつあった。
結婚式をあげたり、かまったりする手間が省けるからという理由だけでリリィを選んだ最低侯爵なのに、今では戦意を喪失しつつある。
案外この人こうやって戦争に勝ったんじゃないの?会った事がないとはいえ、こうやって手紙とかでやり取りしてるのにここまで感情を抱かせない人も珍しい。
「アンはさ、このカードもらったらやっぱり嬉しいの?」
カードをペラペラと振りながら尋ねると、アンは満面の笑みで頷いた。
「それはそうですよ。婚約者から毎日花束とカードが届くなんて、ほとんどの女の子の夢じゃないですか」
「そうなの?」
「私は女性ではありませんので…」
何となく信じられずクリストフに確認すると、苦笑して一歩下がられた。
そのいまいち乗り切れない私とクリストフにアンは鼻息荒く詰め寄る。何でこんなに必死なのかわからないんだけど…。
「毎日自分の事を思ってカードを書いてくれて、自分の事を思って花を選んで送ってくれる。それが嬉しくない女の子はいませんよ」
「それだ!!」
「ですよねぇ!」
私の叫びを肯定だと思ったのかアンは嬉しそうに手を握ってくるけど、私はアンに同意したわけじゃない。アンが言った婚約者の気持ちが全くない事に気付いたからだった。
多分最低侯爵は婚約者に送るにふさわしい言葉を何も考えずにカードに書き、花束に入れて送っているだけなのだ。
女の子が婚約者に言われたら嬉しい言葉を何も考えずに書いてるだけだから、当たり前だけど今の私と侯爵の関係にはまったく当てはならない。
だって侯爵は私を奥さんにするために結婚するんじゃなくて、結婚攻撃からの防波堤にしようとしてるだけなんだから。
それでも書きようはあるだろうに、それに気付きもしないほど最低侯爵は少しもリリィの事を考えていないのだ。侯爵がしているのは贈り物ではなく作業。
会いたいなんて思った事もないだろうし、あなたの幸せを願ってと書いてる間でさえリリィの事を思い出してもいないんだろう。
「お父様は最低侯爵の事すごいみたいに言ってたからすごい人なんだろうけど、こんなミスするくらい本当にリリアの事どうでもいいんだねぇ」
「…………」
「…………」
何でこうも心に響かないかに気付いた事が嬉しくてまくし立ててしまった。
いやー、すっきりすっきりと思ってアンたちを見ると、私とは対照的に苦い顔をしていた。
「否定…出来ないのが、その、申し訳ございません」
「嫌だ…。すごい綺麗だと思ってた花束がいきなりごみみたいに見えてきた。これ捨てちゃいます?」
「やめてよ。最低侯爵の気持ちがこれっぽちも入ってなくたって、花束は花束だよ」
毎日届く花束で玄関を花畑みたいにするのがマイブームなんだ。
5日を過ぎた頃から本当に花畑みたいになって、今では届いた花を見て色合いを考え、より綺麗に見せる事に力を注いでいる。
お父様もシェレンベルク様からのプレゼントを大切にしてると喜んでるし、一石二鳥だろう。
「そういえば全部違う色の花束だし、きっと『今日は赤、明日は白、次は黄色』って選んでるんだろね」
「やめてください!そうとしか思えなくなっちゃいますから!」
実際高確率でそうんだろうと思うけどなあ。そんな事を考えながらぶうぶうと文句をいうアンと玄関に向かう。
実感なんてまったくわかないけど、ゆっくりと確実に最低侯爵と結婚する日は近づいていた。




