理想の婚約者(侯爵視点)
「なあなあ、お前俺の妹と婚約するんだって?」
「………しない」
楽しそうに瞳を輝かせたアルは、そう言うと堪えきれない笑みをこぼした。
その顔に腹を立てながら言葉少なに答えるとアルは驚いた声を上げながらだらしなく背もたれに預けていた体を起こした。
「ええぇ?!マジで?よく断れたな。王女との婚約だぜ?普通拒否権なんてないだろう」
「俺には婚約者がいるんでな」
「はぁ?!」
他人事だからだろう心底楽しそうな顔に辟易しつつ、俺は端的に答えた。
こんな事なんて話してないで、さっさとその溜まった書類を片づけて欲しい。だがそんな俺の心を知ってか知らずか、アルは積み上げられた書類を押しのけ俺に顔を近づけた。
「初耳なんだけど!何で言わねーんだよ!ていうか、誰?」
「リリア・エアデール・ヴァイスハイト」
別に隠すつもりもない。聞かれるがまま昨日婚約したばかりの令嬢の名を俺ははき出す。
婚約者だとはいえ当たり前だがその名を口にしても何の感慨も沸かなかった。
「ヴァイスハイト、ヴァイスハイト…って、バルのおっさんのとこじゃん?」
「ああ、そうだ」
「へー、ってあそこの令嬢って確かすっげぇ重い病に罹ってるんじゃなかったっけ?」
「今はそれほど重くないらしい」
「でも治ったわけじゃないんだろ?そのせいでおっさん領地にこもりっきりじゃん」
「ああ、よくなってはいるが治る見込みは薄いらしい」
「そこまで俺の妹と結婚したくないかねぇ」
わかっているくせに酷い酷いと肩を竦めるアルを睨むと、アルは降参するように両手を小さく上げた。
わがまま王女との結婚も嫌だが、このような大切な時期に結婚などという貴族の連中にもほとほと愛想が尽きている。
「それもこれもお前が俺に候爵の位を与えるからだろう」
「お前に褒美与えなかったら今度は俺が責められるじゃん」
「そんなもの、金一封とか名誉騎士団長とか適当に障りのないものをくれればよかったんだ」
「ムリムリ。今の俺には金一封でさえ惜しいし、名誉騎士団長なんて適当なもん与えたら騎士団がお前を引っ張ってっちまう。
名誉騎士団長はともかく、金一封は後1年くらい待ってね」
「いらん」
そんなものが欲しいのではなく、俺が欲しいのは集中してこの書類の束を片づける環境だ。
侯爵となってから今までの比ではないほどの婚約の打診が届くようになった。山のように積まれた肖像画はまだ捨て置けばいいが、直接会わせようとする面倒な輩もいる。
貴族の令嬢だけならまだ「いらん」で済んだが、さすがに王女となるとそうはいかない。
かといって消極的に断っているだけではいつの間にか婚約者にされてしまいそうな王女の態度に、俺は慌てて婚約者を探す羽目になったのだ。
存在感を放つ肖像画の中から選ぶつもりは元よりない。侯爵や伯爵令嬢も省いた。
子爵や男爵の中からなるべく大人しそうな令嬢を選びたいと思ったが、令嬢の性格などわかるはずもない。こればっかりは運になるだろうと思った矢先、その名が飛び込んできた。
リリア・エアデール・ヴァイスハイト。
父であるバルドゥル・コルト・ヴァイスハイト子爵には騎士団にいた頃にアルともどもお世話になった。その頃にも娘が病弱で心配だと言っていたし、その少し後、なるべく娘とともにいたいと領地へと行ってしまった。
確かその娘は俺より2つ3つ年下なだけだったはず。年齢も丁度いい。
それに喜ばしい事にといっては失礼だが、ヴァイスハイト子爵は領地の問題で頭を悩ませていた。何があっても領地と娘の面倒を見ると攻めれば、子爵も突っぱねる事は出来まい。
あつらえたかのような好条件に俺は早速子爵と連絡を取り、会う約束を取り付けた。
「シェレンベルク様!」
「お久しぶりです、ヴァイスハイト子爵。様はやめてもらえると嬉しいのですが」
「何を言っておられる。先の戦での功労と、侯爵という爵位を持つあなたに敬称をつけるのは当然の事ですよ」
そう言いながらも笑って敬語をやめてくれた子爵を見てこのまま近況を語り合いたい心境にもなったが、それでは何のために領地から出てきてもらったかわからない。
この空気を壊してしまう事を申し訳なく思いながら、俺はさっさと本題に移ることにした。
「わざわざ王都の近くまで出て来ていただいてありがとうございます。
御息女のお加減はいかがですか?」
「…ああ、最近は調子がいいようで、私も少し安心しているよ」
調子がいいと言いながら、子爵は少し顔を曇らせた。本当はあまりよくないのかもしれないと思い謝ると、子爵は大きな身振りで手を振った。
「いや、本当にリリィの調子はいいんだ。最近は庭などを歩けるようになったしな」
「そうですか、それは良かったですね」
領地に戻ってから、子爵はよっぽどの事がない限り王都へも来なくなった。
さぞ加減が悪いのだろうと思っていたら、そうでもないらしい。
「では行商などを呼んで買い物など楽しまれるといいかもしれませんね」
「いやいや、とんでもない。そんなものを呼んでまた寝込んでしまったら元も子もないからな。
庭を歩いて景色を楽しむくらいが今のリリィには丁度いいのだよ」
それはまさに俺が求めていた条件だ。
行商さえ呼べないのなら、式や披露宴などとてもじゃないが出来ないだろう。引っ越しや部屋を整えるのに少し時間を割かなければいけないだろうが、そんなもの王女の婚約を断る時間と煩わしさに比べたら微々たるものだ。
「ああ、私の娘の事ばかり話してすまないな。そういえばシェレンベルク殿の用とは?」
「いえ、私の用件もあなたの御息女の話なのです」
話を切り出すと子爵は疑問を顔に浮かべて無言で話を促した。
それはそうだろう。これから俺が言う事は子爵にとって思ってもみなかったことだろうから。
「御息女と結婚させていただきたいのです」
「は………ははは、…何を言っておられるのだ、シェレンベルク殿」
「確か御息女が15歳になったら婚約をなさると耳にしたのですが、もう結婚はお済になられらのですか?」
結婚していないことは知っている。だがあえてそう聞くと、子爵は苦い顔で首を振った。
「いや、最近リリィは調子がいいからな。私もまだ領地の管理くらいはできるから、保留にしている」
「ではその婚約者、私では務まりませんか?」
「……いや、とても光栄なことだが、シェレンベルク殿にはもっとふさわしい方がいらっしゃるだろう」
俺の真意がわからないのだろう。子爵はやんわりと断りながら俺の考えを読み取ろうとしている。隠しても子爵が調べれば簡単にわかってしまうと思い、俺は自分で話すことにした。
「まだ正式ではないのですが、私には王女との婚約の話が上がっています」
「ほう…それは、また…」
「ですが国王にも正式な王妃が決まってもいませんし、私には…少々荷が重いのです」
子爵も王女の事はよく知っているから、言葉を濁しても俺の気持ちは存分に伝わったようだ。
王女と結婚するのは嫌だが、決まった相手もいないのに断れば角が立つ。
「それならばリリィでなく、もっとふさわしい相手が山のようにいるぞ。
バウムガルデン侯爵やベックマン伯爵の所にはとても器量のいい御息女が…」
「ヴァイスハイト子爵」
聞きたくもない名が上がる前に、俺は子爵を止めた。
俺はこれまでたくさんの令嬢を紹介されてきたが、今のところ本当に器量のいい令嬢になど会ったことがなかった。
「今、この国はゆっくりとですが再生しようとしています」
「ああ、本当に国王や貴殿はすばらしいよ」
「正直私は今、この国を立ち行かせようとしている国王を支えるので精一杯なのです。結婚など、まだまだ先でいいと思っている」
「…ああ、シェレンベルク殿はまだ若い。それでいいじゃないか」
「ですが私がそう思っていても、周りはそうは思わないらしい」
「………」
「私が結婚しない限り、これからもたくさんの結婚の話が上がるでしょう。
今でさえ執務に支障が出るほどの数なのです。私は関係のない事に煩わされることなく執務をしたいのです」
「…ならばその考えに賛同してくれる方と婚約でも結婚でもすればいい」
「ヴァイスハイト子爵、そんな方がいたとして、式を省くことが出来ますか?披露宴をしないで済ますことが出来ますか?」
「……何を言っているかわかっているのか?結婚の義務を煩わしいという者のところになど、娘をやれるものか!」
「ならば、あなたは御息女の婚約者をどう選ぶおつもりですか?」
怒りにまかせて席を立った子爵だが、ここで帰られては困る。俺は子爵が懸念しているだろうことをぶつけることにした。
「あなたの領地と爵位を望んで結婚を申し出る方と、私とどのような差があるというのです?
まだ候補も決まっておられないようですが、その間に御息女に不幸があったら?」
「リリィの病はよくなってきている!その心配は無用だ!」
「ならば反対に健やかに生きられたとして、その後の事はどうなさるのですか?」
「だからその間に後継者を…」
「その後継者とやらはあなたの亡き後も御息女と領地を守り抜けるのでしょうか?」
「………」
子爵の妹の家族は子爵の領地を虎視眈々と狙っている。
子爵のいる間は令嬢も心穏やかに過ごせるだろう。だかもしも子爵や奥方よりも長く生きれたら?子爵にとってそれは喜ばしい事だろうが、子爵がいなくなれは妹一家は黙っていまい。
そんな中、その後継者は重体ではないが体の弱い令嬢と領地を守り抜くことが出来るのか?
「私にならば出来ます」
「シェレンベルク殿…」
「もしあなたが大切な御令嬢を私に下さるのなら、私はあなたの領地の民と御息女を守ることを誓います」
これは本心だ。子爵の大事な御息女を俺の勝手でもらうのだ。
彼女が健やかに過ごせる環境を与えるのは当たり前の事だし、国が安定さえすれば領地の管理へも積極的にかかわっていこうと思っている。
子爵が亡き後もし子爵の妹の家族が領地を奪いに来たとしたら、全くいらなかった侯爵の名をもって叩き潰してやる。
「子爵、御息女と結婚させてください」
「…………」
「…………」
「…わ、わかった…。妻にも話したいし、娘にも話さなくてはならない。詳細はまた後日連絡する」
「ありがとうございます、子爵。では婚約したと話させてもらってかまいませんね?
時間が空き次第、領地へも伺わせていただきます」
「いや、それはいいよ。そんな事をするくらいなら滞った執務を少しでも進めてくれ」
握手をしながらお礼を言うと、子爵は苦笑いをしながら言葉を詰まらせた。
「もしも、…」
「はい?」
「もしもリリィがあなたと同じくらい生きたとしても、大切にしてくれるか?」
「?もちろんです」
よくわからないながら頷くと、子爵は一つ息を吐き領地へと戻って行った。
それを見届けてから俺も大分重かった肩の荷を下して王都へと踵を返した。




