無自覚な惚気(侯爵視点)
「……………」
「どうした?今日は何か機嫌悪いじゃん」
「この状況で機嫌よく仕事など出来るか」
不思議そうに聞いてきたアルを睨みつけると、アルはたいして苛立ってない顔で「まあね」と苦笑した。
そこで計ったようなタイミングで嬌声が上がり、その不快さにまた眉をしかめる。
「何故執務室の下でお前の妹が遊んでいるんだ?」
「ベアが今日執務室の下でお茶会を開きたいって言うんだもん」
「何故断らない?」
この城にはお茶会を開くための場所などいくつもある。どこから見ても美しく見えるように整えてあり、茶菓子やお茶などを持ってきやすいように道も整っている。
だがここの下はそのようにつくられた場所ではない。どう考えてもお茶会を開くのに適しているとは思えなかった。
この重要な時期に遊ぶなとは言わないが、遊ぶのなら余所でやってくれ。
「お兄様ー!」
国の事など何も考えてない浅はかさを不快に思っていると、姦しい話し声ではなく、アル個人を呼ぶ声が上がった。
俺たちが仕事をしているのはわかっているはずなのに、下で煩くするだけでなく、明確な邪魔までするのか。いっそここまで来ると呆れを通り越して感心する。
さすがにこれにはアルも一瞬不快さを顔に出したが、次の瞬間には完璧な笑顔を貼り付け窓から顔を出し、手を振る。
きゃああと一際煩い声があがり、俺は我慢できずにアルに詰め寄った。
「何故そんなに甘やかす?」
「あのなあ、あれでも一応未婚の王女だぞ?相手が決まってもないうちになめられちゃ困るんだよ。
ただでさえ高くない物件なのにこれ以上安くなるようなことしてたまるか」
「ならばさっさと売り払ってしまえ」
決して楽しい事を言ったわけではないのに、そう言うとアルは意地の悪そうな笑みを浮かべてこちらを見た。
「いやあねぇ、俺もそう思ってるんだけど、本人はどうもこの国の英雄で俺の信頼の厚い右腕のような人のところにしかお嫁にいかないとか言ってるんだよねぇ」
「俺にはリリアがいるから無理だ」
「それを回避するために無理やりバルのおっさんから愛しの娘を奪ったんだもんなあ」
「…………」
確かに結婚の申し込みの多さに辟易していたという事もあるが、俺がリリアとの結婚を決めたのは相手がいなかったらアルの妹と結婚させられそうな雰囲気になったからなのが一番の理由だ。
アルに限って俺の意志を無視して結婚させることはないと思うが、そんな可能性たとえ万が一でも潰しておきたかった。
「そう言えばお前の結婚って明後日だったじゃん?」
「ああ、だが手が空かないから遅れるかもしれないと伝えてある」
「怒った?」
「リリアが?何故だ?」
底意地の悪そうな顔でそんな事を聞いてくるアルに、心底疑問を感じながらそう返すと、アルは虚を突かれた顔をして止まった。
だがリリアが怒るなんてそんな事想像できない。いや、使用人を変えると言った時は怒っていたな。
そう言えばあの出来事があったからリリアも今みたいに話すようになった気がする。
当初は何を考えているのかわからなくて苛々としてしまったが、結果的にはあのことがあってよかった。
「あー、楽しそうに想像してるとこ悪いけど、戻って来てくれる?」
「意味の分からない事を言うな。何だ?」
「顔合わせの話だよ。やっぱりあれ予定通り明後日にしねぇ?」
「俺は多分大丈夫だが、お前は大丈夫なのか?」
「どうせ完全に手が空く時なんてないんだし、婚約じゃなくてさっさと結婚した方が周りも落ち着きそうだし」
そう言って窓の方を軽く見たアルを見て、俺は頷いた。
確かにアルの妹によるこんな嫌がらせが俺が正式に結婚するまで続くのだとしたら、早く結婚してしまうに越した事はない。
「ああ、わかった」
「んじゃあ令嬢にもよろしく言っておいてね」
「…!待ってくれ」
深く考えずに返事をしてしまったが、アルにリリアの事を言われて気付く。
昨日リリアは令嬢の礼儀を知らないと顔を曇らせていた。昨日は明日から覚えると言っていたが、リリアの場合体調が悪ければ習う事も難しいだろう。
昨日の落ち込んだような顔など二度とさせたくない。
「何?あ、令嬢体調悪い?」
「いや、そうではないが。…リリアは今までほとんどベッドから降りたことないらしい。
だから貴族の礼儀など少しも知らないんだ。今日から覚えると言っていたが、体調が悪ければそれも難しいだろう」
「ああ、そうだっけ。そっかあ。すぐに人がいないところに移動するからそんなに覚えなくていいけど…。最低でもお辞儀位は出来ないとねえ」
「そうだな」
他の貴族がいないところまで来れば構わないのだが、真に意地の悪い貴族の中で礼儀通り国王に頭を下げられないとなれば嘲笑の的になるのは避けられない。
「全く礼儀を知らない令嬢ねえ…。体調考慮すると覚えるまで半年くらいかかるんじゃね?」
「そんなにかかるか。…今日屋敷に帰ったら出来るだけ早く覚えるように言う」
「俺も他の日に調整出来るようにしてみるわ」
アルの中ではほぼ3日後は無理だと判断してるようだが、リリアならば頼めば覚えてくれるだろうと俺は思っている。
逆に必死になり過ぎて体調を崩さないか心配なくらいだ。
「ディートハルト様ー!」
くれぐれも無理をしないようにと釘をささなければと思っていると、唐突に俺を呼ぶ声が上がって反射的に眉が寄ってしまった。
どうやらアルだけでは飽き足らず、俺まで遊び道具にするようだな。
「頼むよ」
「…わかっている」
どんなにしょうもない人格でも、先の国王の未婚の娘と言うだけで重要なカードには違いない。その価値をなるべく下げたくないというアルの気持ちは理解出来る。
だから俺は苛立ちを顔に出さないよう意識しながら窓により頭を下げた。
そして悲鳴のような声が上がった瞬間、すぐに机へと戻った。
「ご苦労さん」
「本当にな」
「こんな事が続くと仕事にならないぞ」
「さすがに次声が掛かったら注意するよ」
そう言うとアルはすまなそうな顔を突然輝かせた。
「な、な、俺の妹も含めて下の三人って中々美人じゃん?」
「少ししか見ていないからわからない」
「嘘つけ!お前ならあれだけ見れば個人識別つくだろうが」
「…だったら何だ」
「ディーの一番好みの顔は誰だった?」
くだらない。
心底そう思ったから俺は珍しく感情を隠すことなく顔に出してやった。
「そんな顔すんなよな。仕事の合間のフラットな会話だろうが」
「そんな暇はない。さっさと進めろ」
「いや、聞くまで俺は仕事をボイコットする」
「子どもか、お前は」
さっきまで書いていた書類を脇に除け、アルは本当に子どものように机に覆いかぶさってこちらを見てきた。
どうせ困るのは自分なんだからこのまま放置してやろうかとも思ったが、アルが困ったら間接的に俺も困ることになる。
本気で苛つく気持ちを抑えながら俺はアルの質問に答えてやった。
「お前の妹が一番美人なんじゃないか?」
「えーそう?」
客観的に見て一番整った顔をしているのはアルの妹に間違いない。
アルもアルの妹も母親似で、その母親は国で一番の美人だと言われていた。そんな二人より整った顔をしているものなどそうそういまい。
「でも俺は好みの顔を聞いてるんだって」
「ならばあの中にはいないな」
「えー、じゃあそこに子爵令嬢を入れたら?」
そんなもの。
「リリアだな」
考えるまでもなく答えは決まっている。
「うわー、いきなり惚気るのやめてくれる?」
「惚気とかではなく、真実だ」
「へえ、令嬢ってそんなに美人なの?」
「お前は誰が好ましいか聞いたんだろうが。誰が美人かと聞かれたらリリアが入ってもお前の妹を選ぶぞ」
だが今聞かれているのは美醜でなく俺個人の好みだ。
アルの妹のように輝くような金の髪もきれいだと思うが、リリアの腰のある艶やかな黒髪はそれに負けないくらい美しい。
明りの下でだと一瞬濡れているのではないかと思うほど美しく輝くし、歩くたびにさらさらと揺れる様はいつまで見ていても飽きないと思える。
肌はどこか黄色掛かった色をしているが、そばかすや血管が浮くこともなく、驚くほど細かい肌理をしていた。
そしてこれはついこの間知った事だが、リリアは笑うと頬にうっすらとえくぼが出来るのだ。
ふっくらとした頬に出来るくぼみはリリアの少し幼い顔にとてもよく似合った。
「…お前言ってて恥ずかしくなんない?つーか、ディーって結構惚気る方だったんだな」
「だから惚気ではなく事実を言っているだけなのだが」
「はいはいはいはい。んじゃあさっさと今日のノルマを終わらせて愛しの婚約者に会いに行って下さいね」
「お前はどうやって俺がリリアを選んだのか知ってるだろうが。愛しの婚約者ではなく令嬢除けの婚約者だ」
「はー、それマジで言ってる?」
当たり前だろうと返すと、アルは綺麗な金色の髪をバリバリと掻きながら「すげえ性格だな」と呟いた。
意味は分からないがその呟きを機にアルは書類の整理に戻ったので、俺も言及する事無く書類整理に戻った。
「そろそろ俺は帰るぞ」
「もうそんな時間かあ。わかった、じゃあね」
「ああ、アル。カードの言葉を考えてくれ」
「そっか。そう言えば昨日は忘れてたもんな。昨日はどうしたの?」
「…渡さなかった」
「ふーん」
本当は自分で考えた言葉をカードに書いたのだが、そんな事言えるはずない。
しかも苦心して考えた割につまらない事しか書けなかったから尚更だ。
リリアはカードを心待ちにしているのだから、少しでも喜ぶことを書きたい。最近は忘れる事も多く、アルに思い出させてもらっていたが、これからは自分でも気を付けようと思っていたのだ。
「頼む」
「はいよ…『君は僕の太陽だ』」
「…リリアは俺の婚約者であって、太陽ではない」
「ばか、違ぇーよ。太陽のように必要不可欠な存在って事だって!比喩表現なの!」
「だったら尚更違うだろう。俺はリリアにそんな感情など持っていないからな」
「…そう?」
「ああ」
わかってるだろうにそんな冗談を言ってくるアルを諌め、次の言葉を待つ。
今度はふざけないだろうと思っていたが、次に出てきた言葉もあまりいいものではなかった。
「じゃあ『君は太陽のように美しい』は?」
「…何故太陽ばかり出てくるんだ?」
「気分」
「………」
気分ならば仕方ないが、もう少しましな言葉を考えて欲しい。
大体リリアは太陽と言うよりはどちらかというと月と表現した方がしっくり来る気がする。
少しづつ違う表情をみせるところとか、静かで落ち着いたイメージとかぴったりだ。
「それじゃあインパクトが足りないだろ?」
「別に足りなくない。それに美しいという言葉はリリアにあまり合う言葉じゃない」
「女の子にそれは失礼だろー」
「けなしているわけではなく、リリアはどちらかというと愛らしいとかそちらの方が合うと思っただけだ」
「じゃあ『君は太陽のように愛らしい』とか書いとけよ」
「太陽を愛らしいと思ったことなどないのだが」
「あー、うるせーな。…じゃあまぶしいは?」
「ちゃんと聞いているのか?リリアは黒髪だぞ?まぶしい要素などない」
「外見じゃなくて、内面は?笑ってるとことか見て目細めたくなるときとかないの?」
「……そうだな、それならいいかもしれない」
「………ごちそう様」
「訳の分からんことを言うな」
外見にまぶしい要素はないが、リリアが笑った時などはまぶしいと表現しても差し支えないと思う。
それにそろそろ城を出ないと夕飯にも遅れてしまうし、俺はすぐさまその言葉を書くと足早にドアへと向かった。
「それでは失礼いたします」
「可愛らしい婚約者と仲良くね」
ドアの外に出てからそんな事を言うアルを睨み、俺はいつもの通りの順路で家路に着く。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ただいま」
もうドアを開けたところに執事が立っているのに疑問を感じなくなってきているので、そのままの流れで上着を渡した。
昨日はすぐに現れたリリアに驚いたが、今日はいつものようにゆっくりとした動作で降りて来る。
リリアは昼に見たアルの妹たちと同じ性別とは思えないほど落ち着いていた。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「ああ、ただいま。リリア、これを」
「ありがとうございます」
忘れない内にと花束をリリアへ渡すと、いつも通りリリアはカードに目を通す。
カードを読んだら昨日のように笑ってくれると思っていたのだが、今日のリリアは特に何も言わずに顔を上げただけだった。
やはりアルの気分で太陽を使ったのが良くなかったのか。だがそれでも昨日のカードよりは数倍いいと思うのだが。
そうは思ったのだが、リリアが笑わなかったのはしょうがない。
俺は切り替えてリリアの体調を聞くことにした。
リリアの体調が良くて令嬢のお辞儀さえ覚えられれば、結婚の日は予定通り明後日になる。
だがそれを先に言ってしまえばリリアは無理をしてお辞儀を覚えるかもしれない。こんな事で気落ちしていてリリアの態度を見落とたら、またリリアを落ち込ませてしまうのかも知れない。
「今日の体調はどうだった?」
「はい、よかったです。あ、旦那様」
どう切り出そうかと思案していると、リリアは何か思い出したように声を上げ、持っていた花束をメイドに渡した。
その後横に並ぶのではなく、俺の前に向かい合う様に立つ。
どうしたのかと疑問に思った時、リリアはゆっくりと令嬢のお辞儀を俺にして見せた。
「…どうですか」
「ああ、上手に出来ている。今日練習したのか?」
「はい。私の体調と相談しながら、ですが」
お世辞ではなくリリアのお辞儀は様になっていた。
本当に体調と相談しながら練習したのかと思いリリアの様子を窺うと、心なしか少し疲れた顔をしている。
ついこの間までベッドで寝ている事しか出来なかったリリアにはとても大変な作業だったのだろう。
だがこれならば3日後に予定通り届を出しにいける。
これだけ形が出来ているのなら後は体調を整えることにだけ集中してもらえばいいし、他の面倒な作業はすべて俺が受け持てばいい。
リリアの努力に比べたらそんなもの造作もない事だ。
だが3日後に届を出しに行く事を伝えると、リリアの顔は少し曇った。きっとお辞儀を覚えても上手く行くか不安なのだろう。思えばたくさんの人間に会うのもこれが初めてなのではないだろうか?
それでは緊張もする。
「リリア、それさえ出来れば後は俺に合わせていれば何とかなる。わからない事があったら俺を見てくれれば何とかするから」
「…はい。迷惑を掛けますが、よろしくお願いします」
そんなリリアの気持ちを少しでも軽くしたいと思い、顔を覗きながらそう伝えると、リリアは曇った顔に少しだけ笑みを張り付けて頭を下げた。
迷惑ではなく俺がフォローするのは当然の義務だ。
だがリリアのそんな遠慮深いところは嫌いではない。
リリアを食堂に促しながら、明日アルに予定通りでいいと伝える事を考えると、今日の疲れが少しだけとれたような気がした。




