落ち込みと開き直り
「お嬢様、そのようなところでお待ちにならなくても、来られたら声をおかけしますよ」
「うーん、もうすぐっぽいし、待ってるよ」
階段の上に座り込んだ私を見て、クリストフは困ったように笑ってそう言うが、私は曖昧に答えながら首を振った。
ちょっと前までちゃんと部屋でうずうずしてたんだけど、日が暮れ始めてもう勘弁ならんと階段まで出て来てしまったのだ。
少しでも早く侯爵に会って、本を読む許可をもらいたい。だけどさすがに玄関前で待つのは我ながら犬みたいだと思うから、階段の上でストップしている。
ベルトルトは「階段の上でも十分犬みたいですよ」とか嫌味を言ってくるが、そんなの無視だ。
私は階段の上でも椅子の上でも座ってる事には変わりないし全然平気なのだが、クリストフは気になるらしく、さっきから何度も優しい言葉をかけて来てくれている。
だけど私はそれをやんわりと断り続けていた。
だってさー、クリストフの言い方って、大みそかの日に眠そうな子どもに「起こしてあげるから寝たら?」って言うお母さんみたいな言い方なんだもん。
おいおい、起きたら朝じゃん!みたいな感じで、おいおい、来たら侯爵もういるじゃん!って事に絶対なると思うんだよね。
それならクリストフの言葉を流しながらここにいた方がマシだ。…困ったみたいな顔にちょっと罪悪感は沸くんだけどね。
だけど幸いそれ程待つことなく、3回同じような声を掛けられたところで侯爵は帰って来てくれた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ただいま」
「おかえりなさいませ、旦那様」
さすがにクリストフより先に言葉を発したり、侯爵に言葉を被せるのはみっともないと思ったから我慢したけど、侯爵が返事を返した後、速攻でクリストフと同じ言葉を言って階段を下りた。
駆け降りたい気持ちを我慢していつも通りゆっくりと下りていると、後少しのところで侯爵の方から駆け寄って来る。
「どうしたんだ?リリア」
…上から飛び降りるのは出来るけど、さすがに下から階段3段を一気に上がるのは私には無理だな。
ひょいっと特に無理した感じもなく上がれるのは、その体の半分くらいある無駄に長い脚のおかげだね。と僻み半分に考えたけど、今はそんなコンプレックスよりも本だ。
だけどはやる気持ちを抑えて本を読んでいいかと尋ねた私に、侯爵は無言を返してきた。
え?え?え?まさかだめなの?
尋ねといて何だけど、簡単にOKを出してくれると思って私は、侯爵の無言にそれは焦った。
でも確かに明らかに手書きみたいな本があったり、ちょっと重苦しい感じがしたりはしていた。
も、もしかして私が読みたいと思ってた本の続きは絶版だったりしてめちゃくちゃ価値があるものとか?
「…あの、あそこは入ってはいけませんでしたか?」
「いや、構わない」
「触ってはいけないと言われた本は触りませんので、読ませてもらってはいけませんか?」
「あそこには読んでもつまらない本と、俺が昔読んでいた本しかないから、どれも読んでも構わないよ」
「ありがとうございます」
入っても構わないなら読んでも構わないじゃないか。
いや、そんなのは暴論だと思うけど。だけど私もよほどのことがない限り引く気はない。最悪あの続きだけでも読む権利を勝ち取ってやると気合を入れて質問を重ねると、さっきまでは無言だったくせに今度はあっさりといいと言う。
何だよー、さっきの無言は何だったんだよーとは思うけど、嬉しい。
読みたかった本の続きは一番に読むとして、その近くにあったおどろおどろしい題名の本はきっと怖い系の話だと思う。
お父様の屋敷にはそんな本はなかったからてっきりそういうジャンル自体ないと思っていたんだけど、あるんならちょっと読んでみたい。
その次は…いや、今決める必要はないよね。時間はたっぷりあるんだから本を眺めながらゆっくりと決めればいい。
侯爵に食堂へと促されながら、私の気持ちは半ば図書室へと飛んでいた。
だけどその気持ちを元に戻したのは、目の前いっぱいに広がった花束だった。
「渡すのが遅くなってすまない。リリア、これを」
「ありがとうございます」
そう言えば本の事に夢中で花束の事を忘れていた。
いつもの流れでカードを探すけど、昨日と同じように花束にカードは付いていなかった。
すぐに尋ねようと思ったけど、侯爵の流れるようなエスコートであれよあれよと言う間に食事が始まってしまう。
まあ、カードよりもまずはご飯だ。しっかりとお腹を満たして、ゆっくりと本を読む。
といってもランプの明かりで本を読むのは目が疲れるからしっかりと読むのは明日からだけど、さわりだけでも早く読みたい。
途中自分がほいほいと図書室まで歩いていける身体じゃない事を思い出してひやひやしたけど、幸い今日本を取りに行くことを許可してくれたし、一安心だ。
侯爵はレオンかベルトに取りに行かせればいいと言うけど、わかってないなー、侯爵は。
最初に読む本は確かに決まってるけどね、やっぱり違う本も色々眺めたいじゃん。だけどそんな軽口は叩けるはずもなく、侯爵には適当な事を言って切り抜けた。
それにしても、自分の気分がいいせいか、今日は無表情の侯爵まで穏やかに見えるから不思議だ。
でもそんな和やかな雰囲気を、侯爵はたった一言で粉砕しやがったのだ。
「そう言えばもうそろそろ、結婚の書面を出しに行かないといけないのだが、王宮まで馬車に乗るのは平気か?」
………結婚の、書面…?そう言えばそういうの書いた事なかったけど、書面を出しに行くのに私は付いていかなくちゃダメなわけ?
ちゃんと言われた通りにしっかり書くから、それを出しに行くのは侯爵一人でいってくれないかな?
でも侯爵の尋ね方は私が行く事は決定事項のようだ。どうせ平気じゃないって言ってもどうせ連れてくんでしょうに。
「はい、大丈夫です」
「当日は見物しに結構な人数が来ると思うのだが、…大丈夫だろうか?」
そうは思ったけどそんな事は言えるはずもなく、ちょっと間が開いてしまったけど私は返事をすることにした。
王宮まではすごく近いし、リリアならともかく私にとって馬車は体に障るものじゃない。
そう思ったのだが、侯爵からは重い連続攻撃のような言葉が投げかけられる。
結構な人数って、どのくらいなんだろう…。でも侯爵って言ったらそうとう高い位だろうし、そう考えるとかなりの人数が来ると考えて間違いないよね。
そもそも大丈夫じゃないって言ったってどうせ来れなくするようになんて出来ないんでしょ?
「はい、大丈夫です」
「そして国王自ら祝辞を頂けるそうだから、予定していた日より少し遅れてしまうかもしれないが、構わないだろうか?」
そう思って返事をした私に、とうとうKO級の攻撃が飛び込んできた。
国王の祝辞なんて少しもいらないってば!大体祝福されるような結婚じゃないじゃんか。感情が少しも入らないビジネスライクな結婚に祝辞なんて嫌味にしかならないし。
でもどうせどんなに嫌がってもなしにはならないんでしょ?こんちくしょう!!
だから私はせめてもの抗議として、聞こえるか聞こえないかくらいの声でしか返事をしなかった。
だが、しかし!!!
「…旦那様、私歩けるようになったのも最近で、令嬢の礼儀など何一つわからないのです」
「ああ、そうか…」
私は病弱で床から出れなかったって設定なんだからね!
こっちもそんな不便な設定守って生活してるんだから、そっちが忘れるなんてやめてよ!
はっきり言って私は貴族の礼儀なんてれの字もわからないよ。
そう逆切れ気味に心の中で主張してみても、私が礼儀を知らなくていい事にはならない。
しかも本物のリリアならともかく、私は礼儀を覚える時間がたくさんあった。それを何もしなくていいというお父様の言葉に甘えて、本当に少しも努力していなかった。
しかも侯爵との顔合わせの前にも少しは礼儀を覚えておけばよかったと思ったのにも関わらずだ。これじゃあ学習能力がないと言われても仕方ない。
別に誰に言われてるわけじゃないのに何故か不利な気分になってきた時、不意に少し前にブルージ先生に言われた言葉を思い出した。
『どうしようもなくなったらね、目を伏せて悲しそうに『無作法で申し訳ありません』って言えば 大丈夫だよ、お姫様。
それで大半の男は何も言えなくなるから。お姫様の容姿なら特にね』
あざといと言われても構わない。今がそのどうしようもない時だと思うし、ブルージ先生の言う事は半信半疑だけど、状況が悪くなる事はないだろう。
「無作法で申し訳ありません」
「アン、貴族の礼を知っているか」
「はい、存じております」
「……………」
半信半疑ながらも少しいい方向に転がってくれと期待して言った私の言葉は侯爵によって華麗にスルーされた。
ちょっ!スルーするにしても無反応過ぎるでしょ、これ!
別に!別に本気で何か私の都合のいい方向に転がるなんて思ってはいなかった。そもそもこの状況でいい方向ってどっちかせわかんないし。
だけどまさか反応なしだとは思わなかったよ!ちくしょう!
「ならばリリア。調子のいい時にアンから貴族の礼を習うといい。
それだけ出来れば後は俺のいうように動いてくれれば問題ないから大丈夫だ」
「わかりました」
もうブルージ先生の言葉は絶対に信じないと心に決めながら、さらに落ち込んだ気持ちをあまり出さないようにしながら残りのご飯を喉に流し込んだ。
せっかくならこの攻撃が効く人と結婚したかったよ。何か超恥ずかしい…。
「リリア、食事も終わったし、書庫へ行こうか」
そんなちょっと和やかだなと思ってたのに一変して重苦しく変わった食事も終わり、部屋に戻る雰囲気になった。
さっきまでは本!本!!と思ってたけど、今はそんな場合じゃない。部屋に帰ってちょっとだけでも貴族の礼ってやつをアンに教えてもらわなければ…。
私そんなに覚えがいい方じゃないしね。
だけどそんな私の健気な気持ちなんて歯牙にもかけず、侯爵が図書室に行こうと言いだした。
っていうか、この言い方はなんとなくついてくるっぽいぞ?侯爵がついて来ちゃったらニヤニヤとゆっくり本を見る事なんて出来ないじゃん。
「いえ、今日は部屋に戻ります。アン、礼を教えて」
「はい」
「リリア、そんなに根を詰めたらせっかくいい体調が悪くなってしまうよ。
習うのは明日からにして、今日は好きな本を選んでリラックスして眠るといい」
「…はい」
しょうがなく言外にアンに礼儀を習うから本はいいですという気持ちを含ませながら断ると、何故か侯爵は図書室に行くことを大プッシュしてくる。
本を読んでいいかって聞いたときは黙ってちょっとひやっとさせたくせに、今度は半ば強引に図書室に引っ張っていこうとしている。本当に侯爵はわけがわからない。
だけどこんなに押されたら突っぱねる事も出来ず、私は言われるがまま侯爵と図書室に行くことになった。
「………」
そんな場合じゃないと言いつつも、やっぱりここに来るとテンションが上がる。
図書室に着き、「選んでおいで」と言われた途端、私は犬のようにお目当ての本のところに走りたくなる気持ちを抑えて歩き出した。
本当はいろんな本を眺めたりしたかったけど、侯爵を待たせている手前そんな事も出来ず、さっさと本を抜き出して侯爵の元へと戻る。
図書室は逃げないし、結婚の書面を出し終わったら侯爵も今ほどはここへ戻って来なくなると思う。そうしたらゆっくりとこの部屋を堪能すればいい。
「お待たせしました」
「いや、それは二巻だけど、一巻はいいのか?」
「はい。最初の話は父の屋敷にあったので。続きが出ているとは知らなかったので嬉しいです」
「そうか、では部屋へ戻ろう」
「はい」
そう自分を励ましつつ侯爵に声を掛けると、壁に背を預けて長い脚を誇示するようにクロスさせていた侯爵は否定するように首を振った。そして私の持っている本が二巻だと指摘してきた。
尋ねてきた割にあんまり興味がなかったらしく、侯爵はさっさと帰る様に促してくる。
別に興味がないなら尋ねてこなくたっていいし、時間が惜しいならついて来なくてもいいのに。
まあ真面目そうな侯爵の事だ。部屋に私を戻すまでが役割とでも思ってるのかな?
さもありなんと心の中で頷いていると、そう遠くない私の部屋に簡単に着いてしまった。
侯爵は自然なエスコートで私をベッドに座らせてくれる。
さっき侯爵は令嬢の礼を習うのは明日からにして、今日はリラックスして寝ろと言ってきたから、そのお言葉に甘える事にして、今日はこの本をちょっとだけ読んで寝ようかな。
明日からアンがどのくらい張り切って私に令嬢の礼を叩きこんでくるかはわからないけど、それは自業自得と割り切ろう。
そう思いながら侯爵の退場を待っていたのだが、あろうことか侯爵は部屋から出て行かず、ベッドの前の椅子に腰を掛けた。
え?何で?何で座る訳?
「リリア、俺に何か聞きたいことはないか?少しでも不安な事があるなら何でも尋ねてくれ」
「いえ…」
そう地味にパニックに落ちいていると、侯爵は無表情を崩さず私に質問することを強要してきた。
いやいやいや、不安だらけだけど今のところ侯爵に聞くことなんて何一つないよ。
礼儀のれの字もわからない私にとって、今はわからない事がわからない状態だ。だからアンに一から教えてもらおうと思ってるのに。
もしかしてさわり位なら知ってるとか思ってるのかな?そうだとしたら病弱をなめるなと言ってやりたいね、うん。
いや、病弱設定に甘えて本当にだらだらしてた私のものぐさな性格をなめるな、かな?
そんなくだらない事を考えてる間も、侯爵の無言の圧力は終わらない。
ど、どうしよう!侯爵に聞きたいこと~侯爵に聞きたいこと~~…。
「あ」
とりあえずなんでもいいからと頭をフル回転させていると、ふと今日の花束の事を思い出して思わず小さく声を上げてしまった。
まずいと思ったけど、もう侯爵は聞く体制に入っている。
今から考えても他の疑問なんて出てこないだろうし、それにカードがない事は聞いてみたいと思ってたからね。丁度いい機会だ。
そう思って私は思いついたことをそのまま聞くことにした。
「今日は花束のカードはないのですか?」
「いや、今日は時間が取れなくて書けなかったのだ。すまない」
「そうですか。催促するような事を言ってしまってすみません」
「いや…」
その言葉を聞くと、侯爵は一瞬虚を突かれたみたいに体の動きを止めた。
きっと考えてもいない事を聞かれたからだと思うけど、すぐに元の無表情に戻って返事をくれる。
もしかしたら昨日と同じで胸のポケットに入ってるんじゃないかなあと思ってたんだけど、今日は本当にないらしい。
ただその質問をした後はさっきまでの質問ばちこーい!という空気を止めてくれた。
こいつホントに何もわかってねえなと呆れられただけかもしれないけど、無い袖は振れないのだからしょうがない。
いつ侯爵の気が変わって「他に質問は?」とか言われるかもわからないし、この空気に飛びついて私は別れの挨拶を切り出すことにした。
侯爵も逆らう事なく席を立ってくれたし、何とかこの場は切り抜けられたっぽいのでほっとする。
「リリア」
「っはい」
だからドアの前で止まって名前を呼ばれたときには、思わず吐き出しそうだった息を呑み込んで少し詰まってしまった。
ちょっとやめてよ?!ほっとさせといてやっぱり質問しろとか言いだすのは!
そんなフェイント攻撃は反則だよ!
だけど私の予想に反して侯爵はカードがない言い訳をし始めた。
「今日は…カードを切らせていていつものカードがなかった」
「はい」
「それに考える時間も取れなくてあまり上手い事が書けなかった」
「はい…」
わ、わ、わ、ちょっとそんなに説明してもらわなくてもいいってば!
大体カードだってそんなに欲しかった訳じゃないし、その場しのぎで聞いただけだし。
何ならカード自体渡すのをやめてもらったって構わないよ。そろそろネタも尽きる頃だしね。いや、今まで続けられてたのがすごいよ、と心の中でフォローしつつも、そんな事口に出せるはずはない。
どうやって気にしないでいいという方向へ持って行こうかとおろおろしていると、侯爵はゆっくりと胸ポケットからカードを取り出した。
「それでもよければ…」
「あ、ありがとうございます」
あ、何だ、カードがない言い訳じゃなくて、カードを渡すための言い訳してた訳ね。
っていうか、いつもは上手い事書けてると思ってたのかと思いつつ、ほっとして頬を緩ませながらカードを受け取る。
「…………」
どんな事が書いてあるだろうと少しワクワクしながらカードを見ると、そこにはたった一言の言葉しか書いてなかった。
いつもはどんな顔で書いてるんだろうと疑問に思うほど恥ずかしい言葉が書かれてるのに。
しかもここで渡すには不似合いな言葉が書いてあるし。
「リリア、やはりカードを…」
どういう事だろうと顔を上げると、侯爵はいつもより少し早い動作でカードに手を伸ばしてきた。
普段はきびきびしてるんだけどどこか優雅な動きなのに、今はその優雅さがまったくない。
反射的にその手を避けて、もしかしたら焦ってるのかなという考えが浮かんだ途端、私は何故かとても楽しい気分になってしまった。
普段何考えているかわからない顔をしてるし、侯爵って感情があるのかなとか思ってたけど、花束を渡すのを忘れたり、こんなカードを今渡すところを見ると、案外侯爵も抜けているのかもしれない。
出来るんなら侯爵の肩でも叩いて「ドンマイ」とか言いたい気分だ。
それはさすがに無理だけど、ほんの少しなら気を緩めてもいいかな?
「おかえりなさい」
そう思って私はここで言うには少し間抜けな言葉を口にする。
それを聞いた侯爵は、珍しく笑って、カードに書いた言葉を返してくれた。




