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少しの歩み寄り(侯爵視点)

「あれ?ディー、そう言えばお前最近屋敷に帰ってる?」

「…………」


俺が屋敷に帰らなくなって一週間。とうとうアルがそう聞いてきた。

忙しいのだから俺の事なんて考える暇もないだろうと思っていたのだが、相変わらず嫌なところまで目を配ってくる。

少しだけ誤魔化してみようかと考えたのだが、アルの記憶力の良さは俺もわかっている。意味のない事だと判断し、俺は視線を逸らして無言を貫いた。


「え?何、何?何かもめ事でもあったの?」

「何故そんなに嬉しそうなんだ?」


視線を逸らした時点で俺が話したくないと言う事はわかったはずなのに、アルは先ほどよりも楽しそうに身を乗り出してきた。本当に理解できない。


「いや、執務執務の単調な日常なんだから少しくらい潤いがあってもいいじゃん?」

「もめ事が潤いか?」

「人の不幸は蜜の味なんだって。んで?何があったの?」

「別に何もない」


何もないのは本当だ。

あんなにも鋭い視線を向けてきたのに、令嬢はあの後そんな事などなかったかのようにいつも通りに接して来た。

夕食が始まってからもいつもより多い量の食事を淡々と口に運ぶだけで変わった様子もない。

変えると言われて怒った使用人達と仲良さげな行動や会話をする事もないし、反対に素っ気なくする事もない。

使用人たちも使用人たちで突然連れて行かれた令嬢を心配する素振りなども見せず、通常通りの動きをしていた。

まるで何もない事にすると示し合せた様な対応に居心地が悪くなったが、こっちが取り乱している姿を見せるのも癪だ。

いつもは何を思っていても顔に出ないと言われるが、あの時上手くできていたかは自信がない。

もしも俺が必死に取り繕っている事をわかっていながら普段通りに接せられていたのだとしたら、それはとても情けない。

そんな事を考えながら執務に追われているうちに、一週間が経ってしまっていた。

そろそろ家に持って帰る為に溜めておいた書類も処理しなければならないのだが、間が空いただけに帰り辛い。


「何にもないんなら手紙くらい送った方がいいんじゃないの?新婚なんだしさ」

「…いや、今日帰る」


アルの言葉に飛びついて手紙でも送って場を濁そうかとも思ったが、そんな事をしたらどんどん帰り辛くなっていく。

ならば少しくらい無理をしてでも今帰っておいた方がいい。

そう心に決め、俺は帰るために執務に没頭することにした。




「アル、そろそろ俺は帰るぞ」

「ああ、お疲れー」

「明日俺が来るまでに最低でも今やってる書類だけはまとめて置いてくれ」

「はいはい。それはそうと、ディ。カード忘れてるぞ」

「………そうだな」


自分の仕事に何とかきりをつけ、俺は屋敷に持って帰るための書類をまとめる。

一週間きっちり溜めていたこともあり、書類は俺の気持ちと同じように重かった。これだけ持って帰っても処理できるかはわからないが、手持無沙汰になるよりはよっぽどかいい。

アルに声を掛けて立ち上がると、アルはにやりと笑ってカードの事を言いだした。

いつも花束と共に渡すのだから今日もないと不自然なのはわかる。だが花束はともかく、今の俺には歯の浮くような言葉が書かれたカードを令嬢に渡す気持ちにはなれなかった。

上手くいっていないときにこんなカードを渡すなんて、ただのバカだ。といっても上手くいってないと思っているのは俺だけで令嬢の方は何とも思ってないのかもしれないのだが。


「では頼む」

「そーだなー…」


とにかくカードを書いても渡す気に俺はなれない。だがここで断ってアルの質問攻めに合うのも嫌だ。渡すか渡さないかはともかく、とりあえず書けばいい。

そう思ってカードを書く準備をすると、少し考えたアルはニヤついた顔を上げた。


「『いつも君の事を思っていたよ』だな!」

「…………」

「ほら、一週間も会ってないんだから、忘れてたわけじゃないよって事を伝えなきゃ!」


メッセージを書き出さない俺を見て、渋ってると分かったアルは、ニヤついた顔をもっと緩ませてそう言ってきた。

別にそんな事伝えなくても構わないし、忘れるどころかいつもよりも令嬢の事を考えていた。

事実に掠っているから余計、こんな能天気なメッセージは書けない。

そう思い当たり障りのない事を書こうとしたが、俺自身でそんな言葉を思いつけるはずなかった。

しょうがなく言われた通りの言葉を書き、余計重くなった足を無理矢理動かし、俺は屋敷へと向かった。



「お帰りなさいませ、旦那様」

「ああ」


短い距離なのだがしっかりと馬車に乗り屋敷に着くと、この前会った時と変わらない態度の執事が俺を出迎えた。


「…おかえりなさいませ、旦那様」


上着を脱いだタイミングで令嬢が来るのも変わらない。

だが俺の気持ちは大きく変わっており、令嬢を見るのに半拍時間を有した。

ゆっくりと時間をかけて階段を下り、令嬢は俺の前に立った。その姿からは一週間前の表情など微塵も感じさせない。相変わらず人形のようだった。


「ただいま、リリア。これを」


いつも通り目の前に来た令嬢に花束を渡した。その目はあるはずのカードを探していたが、見つかるはずはない。最後まで付けるかどうか迷ったが、結局付けずに胸ポケットへとしまったからだ。

一瞬、困惑した令嬢へ言葉を掛けようかとも思ったが、カードのない理由を令嬢に言えるはずもなく、俺は黙るしかなかった。

幸い令嬢も何も言ってこず、ほっと胸をなで下ろしたのだが。


「……旦那様」

「何だ?リリア」

「夕食が済んだら少しだけお話させて頂いてもいいですか?」

「…ああ、わかった」


令嬢は緊張を滲ました目でそう俺に言って来た。

いつもとは違う反応に俺は少し焦りそうになった。女特有のくだらない話や、百歩譲ってカードの事くらいならすぐに解決できる。

あまり話す事に慣れていない令嬢だから、いっそのことカードを取り出して渡し、話とやらを無理矢理それにして終わらせてやろうかとも思った。

だがそんな事をして後になってあの時話を聞いてくれなかったと泣かれても困るし、話の流れの検討がつかないから流してしまうのもこわい。

後になってあの時聞いて置けば楽だったのにと思っても遅いのだ。

そう思い、俺は半拍置いた後に返事をし、いつも通りリリアを連れて食堂へ向かった。


「今日は何をしていたんだい?」

「お部屋でゆっくりとさせてもらっていました」

「そうか、不自由なく過ごせたか?」

「はい」


先程の表情は何だったのか、食事をする令嬢の表情はいつも通り何の動きもなかった。

俺の質問に対する返事も、一言一句いつもと変わりない。

ただ量が多くなったので、ゆっくりとしか動いていなかった手は俺と同じくらいのスピードで動いている。

前の時はそんな事さえも気づかないくらい取り繕うのに懸命だったが、今日はそのくらいを見れるほどには落ち着いている。

その事に少し安心しながら、俺はあまり味のしない夕食を咀嚼した。




「さ、着いたよ、リリア。ここに掛けなさい」

「ありがとうございます」


夕食が終わり、俺はリリアをエスコートしながら令嬢の部屋へと向かった。

令嬢の体調を慮ったというのもあるが、話を打ち切りたい場合の対策でもある。令嬢を退室させるよりも自分が部屋を出た方が何倍も楽だ。

部屋に着き、令嬢をイスに腰掛けさせると、俺もベッドの前に置いてあるイスに腰掛けた。


「それで、話というのは?」

「はい…」


話を長引かせるのは元々好まないし、部屋に帰ればきっちりと一週間分溜めた書類が山になっている。さっさと切り上げて手を付けなければ終わらせることなくまた持ち帰る羽目になるだろう。

なので単刀直入に本題を切り出すと、令嬢は返事をしたきり言葉を詰まらせた。

滅多に感情を表さない瞳は、珍しく焦ったように揺れている。

令嬢がこちらを見ないのをいい事に、俺は凝視しないように注意しながら令嬢の顔を観察した。

一般的に美人と言われる顔とは違うが、令嬢の顔は整っている。

身体は驚くほど細いのに、頬はふっくらとしていて柔らかそうだ。愛らしいと言うよりは幼い顔つきだから、こうして焦っているところを見ると、妙に罪悪感が沸いてくる。


「ゆっくりでいいから、焦らないで」

「…はい」


だから柄にもなくそんな言葉が口から出た。こんなところをアルが見たら、大笑いして一か月はネタにされるに違いない。


「…先日はすみませんでした」

「リリア、顔をあげなさい。君が謝ることは何もない」


やはり、あの日の事か。

俺と令嬢がわざわざ話をする事など他に思いつかない。だが予想をしていながら、俺はあの時の気持ちを上手く表現出来なかった。

ただ怒ってるわけではなかったので、頭を下げている令嬢の顔を上げさせた。


「あの後一週間も帰って来られなかったので、どれほど怒らせてしまったかと心配していました」

「たまたま仕事が忙しかっただけで、怒ってたわけではないよ」


自分の気持ちを整理できていないながら、この話の流れは有り難い。

このまま令嬢の言葉を聞きながら、仕事が忙しかったから帰れなかっただけで怒ってなどいないと言い続ければ、切り抜けられるだろう。

そう思って話をそう持って行こうと、顔に笑みを張り付けた。

笑みさえ浮かべれば女との会話はほとんど自分の持って行きたい方へ持って行ける。

そう思ったのだが、令嬢はそんな俺の顔を少し見つめ、頬を染めるどころか目を逸らした。


「旦那様は表情も言葉もお優しいので、本当は怒らせたのではないかと心配です」


令嬢の呟きを聞き、俺はまた自分でも整理のつかない感情が沸いてきたのを感じた。

大体優しいと感じたのなら素直に喜んでおけばいい。なのに何でそんな少しも嬉しくなさそうな顔をする?

それに感情が読めないのはお互い様だ。自分こそ表情を変えずにいて何を考えてるのかわからせないではないか。

質問にも予想通りの言葉しか返してこない上に返事も短い。

内心で何を思っているかなど、俺の方が知りたい。


「…それを言うなら君も同じだろう。俺の質問にも決まった返事しか返さないし、内心何を思っているかわからなくて不安なのはお互い様だ」

「………」


蓋をしなければいけない事はわかっていた。沸き上がった気持ちを押し込めて、微笑み、俺の気持ちは言葉通りだと言えばいい。

だけど俺はそうはせず、考えのままとはいかないまでも自分の気持ちを言葉にした。

公の場での話し合いならば絶対にしない事だが、ここは自分の屋敷で、目の前には令嬢しかいない。そしてその令嬢は自分を棚に上げ、俺の気持ちがわからないと言う。

ならばリクエスト通り、少しくらい俺の気持ちを言っても構わないだろう。

そう思ったのだが、言ってしまった後の令嬢の驚いた顔を見て少し後悔した。

言った事自体には後悔はないが、この後どう事態を穏便に済ませるかを考えると頭が痛くなる。

万一泣き出されたりなどしたら、この後書類処理どころではない。

元からこれ以上追撃するつもりもなかった。だからフォローに回ろうと口を開きかけたところで、一寸早く令嬢が口を開いた。


「…今日は、気分がよかったので少しお庭を歩きました。その後ブルージ先生の検診を受けてお話をしました」

「何故、聞いたときに答えなかったんだ?」

「あまり動けるようになってしまったら、旦那様の結婚の条件を外れてしまうから止められてしまうかもと思って…」

「そんな事しない」


一度した婚約はそう簡単に反故になど出来ないし、そもそも少し庭を歩いたくらいでは動けるようになったとは言わない。

それに前よりも歩けるようになるのなら、それに越した事はないだろう。ヴァイスハイト子爵もそうなればきっと喜ぶ。

そんな事を気にして言わなかったのかと思うと、肩の力が抜け少し笑ってしまった。


「動けるようになるのなら、それに越した事はないじゃないか。体調のいい日は無理をしない程度に運動をすることは俺も賛成だ。

 それに元気になって披露宴も結婚式も君がしたいと望むなら開いてもいい。…もちろん俺の執務があまりない日になってしまうが」

「いえ、それは望んでいません。たくさんの知らない人と会うのは遠慮したいです。

 あ、もちろん旦那様がそうしろと言うのなら会いますが」


正直披露宴も結婚式もしている暇などない。だからリリアを選んだのだ。だがもしも彼女が元気になってそれをしたいと望むなら、日取りを調整してもいいと思えた。

もしも元気になったときに仕事が忙しくても、彼女なら我を通す事なく待ってくれると思える。それならば絶対にしないと思う事ではない。

だが彼女は首を振ってそれを否定した。表情はあまり変わっていないのだが、いつもと違って何故か信じられた。

それにいつの間にか言葉も一言ではなく文章になっている。


「明日は何をしようと思っているんだ?」

「明日…ですか?体調が良ければ屋敷の中を見て回りたいと思っています」

「ああ、それはいい。俺の部屋の物はあまり動かさないでいてくれると有り難い」

「ふふ、旦那様のお部屋へは入りませんよ」


今ならば質問を文章で返してくれるだろうと思い適当な質問をしてみると、令嬢は案の定普通に返事を返した。

屋敷を見て回る前に庭を回るのはどうかと思ったが、屋敷を把握するのはいい事だ。俺の部屋も重要なものが置いてある訳ので入られても構わない。

だがインクなどを大きく動かされてしまうと探すのが骨だ。

だからあまり物を動かさない様言うと、令嬢は不意にふわりと笑った。

この笑みは一度見た事がある。俺が渡した果物を食べた時にした笑みだ。だが俺に向けられたのは初めてだった。


「明日…」

「はい?」

「まだここでする書類が残っている。もし体調が悪くなければ明日、屋敷の中の事を聞かせてくれ」

「はい。それではまた明日」


ここで処理しなければいけない書類などない。ただ今日持ってきた分を今日中に処理できるとはとても思えないし、ならば置いて帰って明日また処理しに来た方が効率がいい。

ならば明日するという屋敷の把握を明日来た時に聞くのは当たり前ではないか。

誰にしているのかわからない言い訳を心の中で考えていたら、俺の考えなどあまり気にしていなさそうな令嬢の返事が聞こえた。

そして話を切り上げられる流れになったところで、俺は腰を上げた。いい加減、持ち帰った書類の処理に取り掛からなければならない。


「ではそろそろ失礼する。…リリア」

「はい。…あっ」


それはわかっているのだがなんとなく立ち去り難く、俺は胸ポケットに隠したカードを取り出した。

渡さないでおこうと一度は決めたものだし、今渡す必要もまったくない。

何となく手持無沙汰から出してしまったものだから、何ともなしにまたしまって適当な事を言って去ってもよかった。

だがリリアはそのカードを見て何だかわかったようで、小さく声を上げた。

そうなるとまた仕舞って誤魔化すような事は出来ない。自分の行動を苦々しく思いながら俺はカードをリリアに差し出した。


「何となく渡しそびれてしまっていたのだが…」

「はい」


渡すたびに令嬢は目の前でカードを読んでいたし、それを見ていても何も感じたことはなかった。

だが今日のカードは令嬢が文字を目で追う度に居心地が悪い気持ちにさせられた。


「皮肉ではなく、この一週間本当にいつもよりも君の事を考えていた。

 …他意はないのだが…」


そしてとりあえずで発した言葉は何だか懸想していた相手に伝えるような言葉になってしまった。

これ以上言葉を重ねても、満足する事を言えるとは思わない。

恥の上塗りをするよりはと黙った俺を、カードを読み終えたらしい令嬢は微笑んで見つめた。


「はい。私もこの一週間、いつもより旦那様の事を考えていました」

「…そうか」


先程よりも深くなった笑みに、少しだけ気を抜いた笑みを返す。

俺は今日、久しぶりに女の笑顔を好意的に受け取った。

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