始めの一歩…?
「うー、…うーーーん」
侯爵が来なくなって5日。そろそろやばいんじゃないかという焦燥感から私は唸っていた。
今までは3日置きに帰ってきていたのに、これは不測の事態と言っていい。
クリストフの顔合わせに帰ってきてもらった日、まるで使用人を物みたいに表現する侯爵に私は思わずキレてしまった。
あれはない。マジで。そうは思うんだけど、やらかしてしまった感は否めない。
あの後の侯爵はチャンネルを変えたように普通に戻った。そして何事もなかったように顔合わせをして、いつも通り私が知らない間にいなくなっていた。
そうやって行動を思い出してみると普通だけど、あの侯爵は普通じゃなかった。
あの、びっくりする位にいきなり普通に戻った感じとか、その後の仮面をかぶったみたいに表情を動かさない感じとか、思い出すだけで焦燥感に駆られてしまう。
否定されたんゃない。だけど突き放された。少しも感情の滲まない冷えた瞳を見ればそれはわかった。
「うううーーーん…」
「どうされました?お嬢様」
「あ、クリストフ…」
どうすればいいかわからなくてうんうん唸っていると、クリストフが話しかけてきた。
手には紅茶を持っている。きっと私が悩んでるのを見て、わざわざ入れて来てくれたんだろう。
「あまり根を詰めて悩んでいると、悩み事が何であったかさえ分からなくなってしまいますよ。
これを飲んで気を落ち着かせてみたいかがですか?」
「うん、ありがと」
紅茶を飲みながら、確かにクリストフのいう事も一理あるかもと思った。
悩み事が何なのかわからなくはなってないけど、考えが同じところをぐるぐるしてるのは自覚してるからだ。
「ねー、クリストフ」
「はい」
「やっぱり私が謝った方がいいのかな?」
「お嬢様が悪いと思っているのであれば、謝った方がよろしいかと」
「悪いなんて全然思ってないよ」
クリストフのどっちつかずの言い方に腹が立ち、私はクリストフを睨みつけながらそう言った。
もうね、これは宣言してもいいよ。私は絶対に間違ってない。
「だけどさ、立場上こっちが下なんだから、怒らせたのなら謝った方がいいのかなって」
「旦那様は怒っていらっしゃったのですか?」
「怒ってたじゃん!っていうかスネてた?とにかくむかつくけど面倒だから黙っててやるよって感じがひしひしと伝わってきた」
それはそれでむかついたけど、しょうがないとは思った。考え方の違いでああなったんだから、円満に気持ちが納まる事なんてない。
「ただね、だったらむかつきながらもちゃんと2、3日おきに戻って来てよって思う訳!!」
「ならば帰ってきて欲しいと手紙を書いてみたらどうですか?」
「ちっがあう!!」
クリストフの微笑ましい笑顔と共に吐き出された言葉を私は力強く否定した。そんな私の気持ちとして帰って来て欲しいんじゃないんだって!
私の気持ちとしては、マルティンが来てくれた今、侯爵には出来るだけ長くお城にいて欲しいと思ってるよ。
でも、侯爵は義務としてここに2、3日に1回帰って来ていた。それを義務として私は受け入れていたんだ。
私たちは義務でしかつながってないんだから、その義務をいきなり放棄されたら焦りもする。私の方が弱い立場なんだから尚更だ。
「極端な話、もうお前とは結婚できん!!合わないから出てけとか言われるかもとか思っちゃうんだよね」
「それはさすがにないと思いますが」
「だから極端な話だって。
…大体考え方が違うのってむかつくけどしょうがないよね?」
熱くなってきた頭を紅茶を飲んで冷まし、ため息をつきながら私は愚痴った。
私は侯爵のように使用人を物みたいに扱う事なんて絶対に出来ない。クリストフ達はもちろん、アンだけの時に世話をしにきてくれた執事やメイド、コックに護衛の人たちだって少し嫌な事があったくらいで辞めさせるなんて出来ない。
だけどね、侯爵の考え方だって否定する気はないんだよ。いきなりクリストフ達を変えてもいいなんて言われてカッとなっちゃったけど、侯爵の考え方は侯爵の考え方で理に適ってるとは思う。
自分と合わないから変えるっていうのはやられる方は最悪だけど、対価を払ってる方としては当然だと思う。お金払って尚且つ我慢するなんてただのバカだ。
物みたいな扱いといっても、侯爵はアンたちに無理強いや酷い言葉を投げたりはしてないし、当たりはむしろ優しいと言っていい。
もしもこれからクリストフ達をどうでもいい物みたいに手酷く扱うのなら許せないけど、今までのままなら私は侯爵の考えを否定しようとは思わなかった。
私がどんなに侯爵の考え方を押し付けられても変えられないように、侯爵もきっとそうだと思うし。
「だから私としては割り切れるんだけど、侯爵が何か怒ってるっぽいし」
そう思うと謝った方がいいのかもという最初の考えに戻ってしまう。
ここ最近はずっとこの一連の考えを繰り返していた。
「…お嬢様はとても大人な考え方をするんですね」
「知らなかった?私、見た目よりずっと大人なんだよ?」
「存じております」
なんたって、実年齢はもう20歳だ。この前久しぶりに自分の歳を考えてみてびっくりしたよ。17でこっちに来て3年経ってるんだからそりゃ20歳になったのは当たり前だけどさ、完全引きこもりニート生活をしてて、自分の中ではせいぜい18になったかな?くらいの感覚しかなかったからね。精神年齢なんて歳をとるどころか、甘やかされて後退してるだろうし。
そう言えば侯爵も20歳だったよね?同い年のはずなのにとてもそうとは思えない。まあ国の中枢でバリバリ働いてる侯爵と、引きこもりニートの私を比べるのは間違ってると思うけど。
「もー、侯爵も若いんだから、もっと感情的に詰め寄ってくれればいいのに。お父様みたいにさ」
「…そう思うと、お嬢様と旦那様は似ていますね。前旦那様と奥様も似ていらっしゃいましたが」
「へ?え?お父様とお母様が?!」
少し考えてから微笑ましそうに笑って言ったクリストフの言葉に、私は驚いて食いついてしまった。
突っ込みどころはたくさんあるけどね?まずは私と侯爵は全然似てないし。私はあんなに老成していない。
でもそんなことよりも、お父様とお母様が似ているって事の方が聞き捨てならない!!
「全然違うじゃん!お父様がどんなに怒っても、お母様は動揺しないし」
「今は、ですね。結婚した当初は奥様もお若かったですし」
「何その面白そうな話!詳しく聞かせてよ!」
「………」
ぶっちゃけ今の私の令嬢の振りはお母様を真似ていると言っていい。なのにそのお母様が私くらいの頃は違う感じだったなんて!
興味津々で体を乗り出した私に、クリストフは笑って黙ってしまった。
「ね、ね、お願い!!絶対誰にも言わないから!」
「前旦那様や奥様には特に内密にお願いしますよ?」
ここで黙られたら気になって夜も眠れなくなるよ!そう思って畳み掛けるようにお願いすると、クリストフは苦笑して話し出してくれた。
私は皆のこういう半分は使用人だけど半分は素みたいな時がすごく好きだ。
本当ならいくらお父様やお母様の事とはいえ、前の主人の話とかはしちゃいけないと思う。クリストフは真面目だから、そういうルールはしっかり守るだろうし。
だけど私にこうやって話してくれるのは、大げさな言い方をすれば私への信頼だ。
私はクリストフが不利になるような事は絶対しない。それをクリストフも信じてくれている。そういうのってすごく嬉しい。
そう言う信頼を受けたいって、侯爵は思わないのかな?
「奥様は今より…少しプライドが高く、感情的でした。旦那様は今よりも熱く行動的な方だったので、喧嘩が絶えませんでした」
「へー、お父様がお母様に熱く求婚してたの?」
今よりも暑苦しいお父様に結婚を迫られてたとしたら、お母様はかなり鬱陶しかっただろう。
「いえ、旦那様たちはお嬢様と同じ政略結婚ですよ」
「ええーーーっ!!」
知らなかった!何だかんだ言って仲がいいから、てっきり恋愛結婚だと思ってたのに。
「…何か裏切られた気分。政略結婚ってあんなに上手くいくものなの?」
「初めは強制された絆だろうと、その方たちの努力次第で関係は変わっていくものですよ」
何だろ。どうせ無理矢理させられた結婚だし上手くいかなくて当たり前だと思ってたのに、そうじゃない事を見せつけられると…意外とヘコむ。
「お嬢様は別の事情もおありですし」とフォローを入れてくれるけど、それがなくたってきっとあんまり上手くいってないと思う。
基本的に私と侯爵って性格が合わないし。
そう半分スネ気味に漏らすと、クリストフは口元を押さえて笑い出した。
「旦那様と奥様もそうおっしゃられてましたよ」
「そうなの?」
「ええ、特に旦那様はキツイ言葉と共によくそうおっしゃられていました。
見かねて私たち使用人が止めに入るほど強い言葉で怒鳴りつける事もありました」
「へええー。まあ何となく想像つくけど。でもよくお母様がそれを許してたよね」
「奥様も…そう変わりない言葉で返答をしていたので」
二人ともクリストフが言いよどむくらいキツイ言葉で言い合いをしていたのか。
お父様はともかく、お母様が感情的に怒ってるところは一度見てみたい気がする。
「当時はいつ決定的な亀裂が生じてしまうか心配していましたが、少し流れが良くなったら、本心で会話していた分、簡単に上手くいきましたね」
「そりゃお父様とお母様は何だかんだ言っていい人たちだし」
「私には旦那様とお嬢様も人柄がいいと感じていますよ」
クリストフのにこにこと朗らかな顔は邪気がなくて、私は居た堪れない気分になってしまう。
いっその事ベルトルトとまでは言わないけど、少しくらい嫌味を混ぜてくれた方が話を誤魔化しやすいのに。
「何?じゃあクリストフはさ、私と侯爵も上手くいくと思うの?お父様やお母様みたいに」
「ええ、きっと。お嬢様も初めから上手くいかないと決めつけずにもう少し本心でお話しされてみたらどうですか?」
「…無理だよ。いっぱい隠し事があるんだから」
「おや?夫婦間には何も隠し事がないとお思いですか?夫婦間でも知らせなくていい秘め事はどこでもあるものです。
見た目よりずっと大人なお嬢様ならお分かりになるでしょう?」
「いえ、そっちの方向は年相応以下なので…」
全くわかりません。だけどそういう考えがあるのは知ってるし、理解できる。まだ全然恋心がないからかもしれないけど、私自体、侯爵に隠し事があっても全然構わないし。
「お嬢様が言ってはいけない事、言いたくない事は言わなくていいと思います。
ですがそれ以外はお嬢様が思う通りの事をされていいいですよ。前旦那様からもそう言付けられております」
「うそ。あそこで文句を返してたら、お父様はきっと白目向いて怒ってたと思うよ」
「怒りはしますでしょうが、許してはくれたと思いますよ」
「微妙なところだと思う」
でもクリストフと話して、少し頭の中が整理できた。
侯爵はリリアと結婚したのであって、私と結婚したわけじゃない。別にはっきりとそんな事を思ってたわけじゃないけど、私の気持ちはそんな感じだった。
だから緊張はしたし、変な焦燥感も感じたけどどこか他人事として過ごして来れた。
だけどクリストフは私がリリアじゃない事さえばれなければ、私の好きにしていいと言う。
まあ別に少しの我も出さずにずっと過ごしていこうとは思ってなかったけど、そうやってクリストフに言われると少し気持ちが楽になった。
「……ずっとこんなぎくしゃくするのも嫌だし、侯爵が帰ってきたらちゃんと話してみる」
「それはいいと思います。それではお手紙でも書きますか?」
「それはムリ!!」
「そうですか…」
クリストフはどこか残念そうな顔をするけど、帰って来て的な手紙はさすがに出せないよ。
いきなりそんな歩み寄るような事したら、侯爵だって気持ち悪がるだろうし。
「手紙は出さないけど、侯爵が帰ってきたらちゃんと話すよ。
…ありがとね、クリストフ」
「いえ、お役にたてたのなら光栄です」
クリストフはにっこり笑うと、私が飲んだカップを持って部屋を出て行った。
もしかしたらやることがあったのに、わざわざ私と話してくれたのかもしれない。時間を割いてまで私の愚痴に付き合ってくれたクリストフのためにも、ちゃんと話をしようと私はもう一度決意した。
………ううう、でも話すとなると緊張するなぁ…。




