理解出来ない事への苛立ち(侯爵視点)
「シェレンベルク侯爵、お手紙が届いております」
「ああ、ありがとう」
いつものように執務をしていると、俺に手紙が届いた。
そんな事はあまりないから少し警戒しながら確認すると、それは令嬢からの手紙だった。
「うわー、ここ3日くらい帰ってないからねー。催促の手紙かもよ」
「かもな」
そんな手紙を寄越すような感じではないのだが、女というものはわからない。
それに帰って来いという催促だとしても、今日あたり帰ろうと思っていたところだ。問題はない。
そう思いながら心底楽しそうに手紙を覗き込むアルを睨んで手紙を開けると、そこには丁寧な字で簡潔な文章が書いてあった。
ディートハルト・ヨアヒム・シェレンベルク様
お加減はいかがでしょうか?
執事のクリストフがこちらへ着いたので連絡致しました。
お時間がよろしい日にでも顔を合わせて頂けると嬉しいです。
それではお身体に気を付けてお過ごし下さい。
リリア・エアデール・ヴァイスハイト
「…これ、本当に婚約者からの手紙?」
「ああ、そうだ」
「あ、あー、わざとそっけない感じを出して逆に構ってもらおうってやつ?」
「さあな。正直俺も性格を掴み切れていない」
用件の他には体のことしか書いていない、簡素な手紙。
どうみても婚約者に充てるにはそっけなさ過ぎると思うが、俺は別に気にしない。
それどころかどこが用件なのか探さないでいいだけ楽だ。
それにアルは気を引こうとしていると言っているが、そんな面倒でアグレッシブな事をあの令嬢がするとは思えない。
「悪いが今日は帰っていいか?」
「いいけど、頑張るねぇ」
「最初が肝心なのはお前もわかっているだろう?」
顔合わせならば夕食の時間に合わせて帰っても構わないのだが、俺は今すぐ帰ることにした。
ただでさえ令嬢が連れてきた使用人なのだ。俺の印象はよくないだろうし、片手間に扱ってこれ以上悪い印象を与えたくない。
下の者に嫌われていると、いざという時の連携が上手くいかなくなるものだ。慣れ合う必要はないが、いい印象を抱かせるに越した事はないだろう。
幸い持ち運べる書類も溜まっているし、今から帰ってもそんなに執務が滞る事もない。
いいタイミングに感謝しながら茶化すアルを無視して帰る用意を済ませると、俺はそのまま屋敷へと向かった。
「だ、旦那様でしたか!お帰りなさいませ、旦那様。今、中の者に知らせて参りますので…」
「いや、いい。俺が自分で行く」
馬車に乗るほどの距離でもないと歩いて来たのがまずかったのか、至近距離になるまで門番は俺だと気づかず、いぶかしげな視線を向けていた。
歩いて侯爵家へ近づいてくる男など、不審でしかないので当たり前だ。だがさすがに数メートルの距離まで近づけば俺だと分かったらしい。
慌てて中へ向かおうとする門番を、俺は止めた。あまり大きくない屋敷なのだ。自分で行った方が早い。
「すみません」
「いや、引き続き門番を頼む」
恐縮している門番を背に、俺は屋敷へと向かった。
さほど広いわけでもないからすぐに着いたのだが、そこで足を止める。ノックをするべきなのか、そのまま開けてもいいのか少し迷ったからだ。
ここは俺の屋敷なのだからそのまま開けてもいいのだが、あまり帰りもしないし、愛着のない屋敷をそう思うのは難しかった。
どちらかというと令嬢の屋敷という思いの方が強い。そうなるとノックをせずに入るのは失礼になる。
どうしようか少し迷ったが、屋敷には今日来たという執事を含めて7人しかいないのだ。丁度良く玄関に誰かいるはずもないだろうと判断し、俺はそのままドアを開けることにした。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「…ああ、ただいま」
誰もいるはずがないと思っていたのに、何故か執事が玄関に立っていた。そしていきなり開いたのにもかかわらず、少しの動揺もなく俺に挨拶をしてくる。
その対応に俺の方が少し動揺してしまったが、突拍子もない事を言われているわけでもないからすぐに立て直すことが出来た。
言葉少なに上着を受け取ったりしてくれているが、今日着いたのだからこの執事も色々とやることがあるだろう。
そう思って声を掛けた。
「着いたばかりでやることがあるだろう?正式な顔合わせは夕食の後でいいから、俺の事は放っておいてくれていい」
「…いえ、私が着いたのは一昨日ですので、そういう気遣いは無用です」
「一昨日…?」
令嬢の手紙には今日着いたと書かれていたはずだ。
「リリアの手紙には今日着いたと書かれていたが?」
「旦那様は忙しいでしょうし、今日か明日には帰って来られるから連絡は不要だと奥様がおっしゃいました。
私もそれには納得したのですが、さすがに2日も旦那様が不在のまま居座るのは良くないと思ったので奥様に連絡して頂いたのです」
「…………」
その言葉を聞いて、俺はただただ不快な気持ちが沸いてきた。
今まで俺は令嬢の事を気遣っている方だと思っていた。実際俺なりに令嬢には気を裂いてきたつもりだ。令嬢はそれを感謝し、あまり表情は動かなかったけども与えられる事を受け入れていると思っていた。
俺たちの関係は俺が一方的に与える側、令嬢が一方的に受け取る側だと認識していた。
それは当たり前だと思っていたし、内心そうやって与えられるだけの令嬢をかなり下の存在と思っていた。
だが、俺が気付かぬうちに令嬢は俺を気遣っていた。それが受け入れがたいものだったのだ。
例えば、子が父に感謝の気持ちと称してプレゼントを贈るのはほとんどの父親は微笑ましく受け入れるだろう。
だが自分の娘が母親のような心で自分の至らぬ点を容認していたら?そんなことをされたら、きっと居た堪れなく思うに決まっている。
今の俺はそれに似た思いを感じていた。
「そのような気遣いはいらない。だから次からはすぐに連絡してくれ」
「はい、わかりました」
心の奥からは不快な感情が沸いてきていたが、それを表情に出さず隠すのは得意だ。
俺の気持ちなど少しも出さずそう言えば、執事も了承の意を示した。どんなに不快な思いをしていても、他人に悟られさえしなければないと同じだ。
この嫌な気持ちは自分でけりを付けて行こう。そう気持ちを整えているところに唐突に令嬢の主治医が顔を覗かせた。
「クリス、お姫様の昼食だけど…。旦那様、いらしていたのですね、お帰りなさいませ」
「ああ、それは誰の昼食なんだ?」
令嬢の主治医のはずなのに、その医師は手に昼食の乗ったプレートを持っていた。
その昼食の量は俺から見たら普通だが、食の細い令嬢なら食べきれない量はある。増してや小鳥のエサほどしか食事をしないリリアが食べられる量とは到底思えない。
「それはリリアの食事か?」
「…はい、そうです」
それならば令嬢の主治医が食べるのだと判断するのが普通だが、あまり会った事のない俺でも子爵が連れてきた使用人たちが主より先に昼食を取るようには思えなかった。
だから半ばはったりで確信したようにそう言ってやると、主治医は観念したように首肯した。
この量を令嬢は食せるのか?
何か他の目的があってこの量を作ったのか?
コックが何が好きかを確かめるためにこれだけの量を作ったのか?
複数の考えが浮かんだが、どう考えても最初の考えを覆すことは出来なかった。
それならば、それならば俺がいた時に食べていた食事は何だったのか。いや、雇っていた護衛がいた時までは、令嬢は俺が帰った時と同じ食事をしていたはずだ。そう報告を受けている。
ならばあの食事の少なさは何だったのか。
「クリストフ。…旦那様?」
混乱していた頭にソプラノの声が響く。
メイドの声かと一瞬思ったが、そこにいたのは令嬢だった。
その姿を目にした瞬間、俺は荒々しく令嬢に近づき、手を引いた。
「リリア、こちらへ」
その手を引いた瞬間、後ろに控えていた護衛兼庭師という訳のわからない二人や主治医、執事までも体を強張らせたのがわかった。
「お前たちは付いてくるな」
「そこで待っていて」
その敵陣へ入ったような感覚に思わずそう言うと、驚くべきことに令嬢からは敵陣の長のような声が上がる。
お世辞にも優しいとは言えない行為なのだから、てっきり誰かに助けを求めるものだと思ったのだが。その態度にも苛立ちしか感じられず、俺は使用人たちが見えなくなるところまで令嬢を連れて行くと、上から威圧するように詰問した。
「主治医がお前の昼食を持っていた」
「………」
「それはお前のものだという」
「…はい」
「俺と夕食を共にした時、お前の食事の量はあんなにも多くなかったはずだ」
「………」
「何故今はあんな量の昼食になるんだ?」
「すみません」
自分でもひどく厳しい態度だったと思う。甘やかされて育った令嬢なのだから泣き出すかと肝を冷やしたが、幸い令嬢の言葉は少しも潤んではいなかった。
だがそうなると、何故か不満が沸いてくる。
泣いて謝れば反省している。そうじゃなくてももう少し感情を表せば気持ちを推し量る事が出来るのに、令嬢はただただ目を伏せてやり過ごすだけだったのだ。
その姿に焦燥を感じて、さらに俺は言葉を続けた。
「お前が答えないのなら、メイドやコック、さらには前のコックも呼んで質問をするのだが」
「わっ私は本来食の制限はないのです」
「………」
「ですから調子のいい時は普通の方と同じくらい食べる事が出来るのです」
「ならば何故今まであんな少ない量しか食べなかったんだ?」
脅すように尋ねると、やっと令嬢は動揺したように瞳を揺らしながら言葉を詰まらせた。
少し酷いとは思ったが、食事ひとつでここまで考えさせられるのはもう御免だ。
「前のコックが私に良かれと思って量を減らしていてくれていたのです」
蚊の鳴くような声でそう言った令嬢に、俺は呆れてしまった。
この令嬢は甘やかされて育っただけに、勝手にご飯の量を減らすコックに文句を言えなかっただけなのだ。
そんなもの、俺が不便はないかと尋ねた時に言えばよかったのに。そうすればコックの10人や20人、変えてやる。
「そんなコック、私に言えばすぐに変えました。今の使用人でも、不満があればすぐに変えますから言って下さい」
やっと令嬢の行動の意味が理解でき、ほっとしながらも俺は優しく令嬢に声を掛けた。
確かに食事制限がない事は聞いていた。だから本当に普通に食事は出来たのだろう。
不満を言いだすことも出来ないなんて余計面倒だと思ったが、これからはより気を付けていけばいいし、俺が変える力があることを示していけば令嬢も頼る様になるだろう。
彼女が連れてきた使用人だって、不満があるのならもっと能力のある者をすぐに用意する。
その力と財力はあるし、それを令嬢のためなら喜んで使う。俺は令嬢を安心させるためにそう言った。
だが令嬢から返って来たのは射抜くような視線と言葉だった。
「あなたは使用人を何も考えない人形だと思っているのですか」
その視線を受けた後、俺はどう行動したのかを覚えていない。
ただ、それから一週間、俺は屋敷へ帰ることは出来なかった。




