気持ちのいい職場環境(ベルトルト視点)
俺の人生は流されて決まったものだと思う。
何となく騎士団の試験を受けて受かって、幼馴染に流されて庭師になった。
そもそも何にでも執着することなんてなかったら、騎士団見習いの試験を受ける事も、騎士団に入隊せずに庭師になる事も特別な感慨もない。
親はせっかく騎士団に受かったのにと残念そうだったけど、お世話になっている領主様の庭師だ。おおっぴらに文句も言えず、俺を領主様の屋敷へと送り出してくれた。
ただそこで会ったお嬢様にはさすがに何の感情も沸かないとはいえなかったけど。
「私の警護なんて必要ないない。体裁が整わないっていうならさ、侯爵が帰ってきた時だけ護衛してる振りすればいいよ」
「………」
ケロリと何にも考えてなさそうな顔でそう言うお嬢様は、実際に何にも考えてないのだろう。
ただのバカなら見限って適当に返事をしてればいいのだが、これで教養があるのだから始末が悪い。
考えられる頭があるのならしっかり今の状況を考えろよと思う。
だがお嬢様が何にも考えていない事は予想出来ている。端的に今の状況を説明すると、お嬢様は心底嫌そうに顔をしかめた。
「別に侯爵と結婚したいのなら、侯爵さえ説得してくれればいつでも変わるよ。
大体そんなに結婚したいなら、さっさと既成事実でも作っちゃえばいいのに。酔わせた後裸で同じベッドにでも入ってれば責任取るとか言って結婚くらいしてくれるよ、あの人」
「………」
箱入り令嬢では考えもしないだろうことを平然とお嬢様は言うが、女性が言うには過激過ぎないか?
普段アンと二人でいる時はこんな下世話な会話をしてるのかと思ってけど、横にいるアンも居心地悪そうに身動ぎをしている。
こういう時お嬢様が別の世界から落ちて来たという話は本当なんじゃないかと信じてしまいそうになるが、それは俺の中で保留にしているのだからと考えに蓋をすることにしている。
とても信じられる話ではないが、嘘をつく意味もない。それにそれが本当でも嘘でも、俺の仕事は変わらないのだ。
庭を整えながらお嬢様を守る。…今は逆か。お嬢様の身を守りながら、庭を整える。
「話がずれていますよ、お嬢様。
もしお嬢様がいいのであれば、夜は雇の護衛の方をつけてはどうですか?
朝レオンとベルトが起きた時にその護衛と変われば、二人の負担も減りますし」
ついお嬢様のペースに巻き込まれて気が緩んでしまった。
さっきアンに会った時にお嬢様のペースに引っ張られるなと注意したところなのに、俺がこの様だ。改めて気を引き締めていると、お嬢様はアンの提案にすぐに頷いた。
「いい?二人とも?」
そして決定権は俺たちにあるかの様に尋ねてくる。
そういう方向にしようという話し合いをレオともしていたし、お嬢様も特別反対はしないだろうと思ってはいたが、これには少し笑ってしまう。
きっとここで俺が嫌だと言ったら、お嬢様は怒りもしないで他の案を考えるのだろう。嫌だと言う意味がないので言わないが。
「はーい、それじゃあそういう事で話つけますね」
ガシガシとお嬢様の頭を撫でながらレオがそう言うのに合わせて、俺が気を抜きすぎないよう注意する。
使用人がするには気安すぎる行動と言葉なのにお嬢様は嫌な顔をしたことはない。
それどころかこれからよろしくと笑顔で頭を下げた。
本当に、何でああやって頭を下げる事が出来るんだろうと思う。
尊敬と畏敬はほとんど同じだと俺は思っている。気安い態度をとるお嬢様に俺を含め使用人の誰も畏敬の念を抱いていない。
気安い行動や言葉を咎めもせず、頭を下げさせるどころか自分で下げる雇い主に畏敬を抱けるわけもない。
なのに尊敬に近いものは感じているのだ。
その微妙なラインを保てるお嬢様はすごいと思うけど、本人どころが口に出してその事を言おうとは思わない。
そんな事を言ってもこの能天気な幼馴染と性格がひねてるメイドに笑われるだけだからな。
「さて、さっさと話し合いを終わらせてしまいましょう。
部屋ではお腹を空かせて気が立ってる小熊みたいなお嬢様が待っていますし」
「うははは、全然怖くないな、小熊って」
「怖くないですけど、哀れにはなってしまいますよ」
「さっさと終わらせるのに異論はない。屋敷も見て回りたいしな」
「庭もだろー。チョロっと見た分には手入れなんて必要ないくらい整ってたけど」
「庭より先に屋敷の把握からだ」
「はいはい。んじゃさっさと挨拶しちゃおうぜ」
アンは話し合いという言葉を使っているが、実質はレオが言う通り挨拶をするだけだ。
今はお嬢様が人見知りという事で2階への唯一のアクセスポイントである階段下と、お嬢様の部屋の下に2人ずついるらしいのだが、俺たちはお嬢様についていられるのだから2人で十分だ。
だから引き継ぎの挨拶をして、夜の警護の話をする。
特別に雇われた人員ではないそうだから、受けなかったら別を探せばいい。
そう思っていたのだが、そんな簡単な話じゃなかった。
雇われていた護衛たちが必要以上にお嬢様に肩入れしていたからだ。
「軟弱そうなお前たちに奥様を守れるようには思えないが」
「はあ?!守れるに決まってるだろ!こっちは騎士団出身だぞ!」
「レオン!落ち着いてください」
「そんなモン、コネさえあれば誰でも卒業出来るんだよ」
「それじゃ、ここで実力を試してもらっても全然構わな…」
「ベルトも黙っててください!」
というようなやり取りを階段下とお嬢様の部屋の窓の下で交わして、さすがの俺も疲れてしまった。嫌味に嫌味を返すのは得意だが、引き際を知らない奴とやると延々と続いてしまう。
アンが何とか話をまとめ、明日にはコックと護衛の引継ぎが行われることになった。
勝手に去ってくれ。必要以上に会いたくないと思ったが、お嬢様も顔を見せに行くみたいだし、その側にいなければまた揉めるかもしれない。
それに気に入ってるのにあいつらはお嬢様の側に寄れない。そのお嬢様の側に俺たちが寄れば、さぞかし痛快だろう。
そう思う事で溜飲を下げ、俺は眠りについた。
「うっわー、ホント性格悪いな、ベットって」
「うるさい。とにかくあいつらが寄れないところまでお嬢様の側に寄って、羨ましがらせてやる」
「でもあんまりくっつくとアンに怒られるだろ?」
「バカか。後ろに立つだけで十分だから。触るんじゃないぞ」
触ろうものならあいつらを羨ましがらせるどころか、俺たちが護衛を下されてしまう。
お嬢様はその辺りは全くと言っていい程気にしないからキョトンとしてそうだが、あれでも一応侯爵夫人だからな。お嬢様が許しても周りが許さないだろう。
それをこの幼馴染はわかっているのかいないのか、「触らないよ」と暢気に言っている。
当たり前のように返してきたけど、お前お嬢様の頭をガシガシ撫でるのも本来ならアウトなんだからな?
「人がいたら俺だってさすがに撫でないって。あ、お嬢様の部屋だ!お嬢様、用意いいですか?」
「返事が来るまで開けるなよ?」
「開けないって!」
「俺を何だと思ってるんだよ」とか言ってるけど、俺はお前を一部の常識がすっぽりと抜けた間抜けだと思っているよ。
「いいよ。もうみんな集まってる?」
「…………」
「わー、お嬢様かわいい!」
お嬢様の用意はもう出来ていたらしく、レオが声を掛けるとすぐに部屋を出て来た。
アンより先に出てくるなよなと思って咎めようとした言葉は、お嬢様の姿を見るなり引っ込んだ。
いつもはアンの方が上等な物を着てるんじゃないのかと思ってしまうほど質素な服を着てるくせに、今はコルセットこそ着けていないがそこそこめかし込んでいたからだ。
「いやいや、私の本気…っていうかアンの本気はこんなもんじゃないよ」
「何変な事に胸を張ってるんですか?」
「本当に驚くくらい変わるんだって!ベルトルトだってあれを見たらお前誰だよって突っ込むと思うよ」
「そんな失礼な突っ込みしませんよ。せいぜい『あなたは誰ですか?』くらいだと思います」
「丁寧な言葉に変えたって、失礼さ加減はまったく変わらないからね?」
「それに『あなた誰ですか?』は姿じゃなく、今からのお嬢様の態度を見たら出て来ますからね。
お嬢様の猫かぶりはほとんど憑依レベルです」
「そんな事ないって。そうやって言われると病弱令嬢の振りしにくくなるからやめてよ」
「お姫様たち。話はそれくらいにしないと、元々あんまりここを去りたくないコックと護衛に根が生えちゃうよ?」
「あ、そうですね。お嬢様、そろそろ行きましょう」
「はーい。今日のお昼ご飯のために頑張りますか!」
身体を使う訳じゃないのにぐるぐると腕を回しながらそう言うお嬢様は、とてもじゃないが病弱な令嬢を演じられるようには見えない。
まあお嬢様も頭が悪いわけじゃないから、ある程度の演技は出来るのだろう。
と、思っていたが、甘かった…。
「…………」
「ああ、奥様、お加減は大丈夫なのですか?」
「はい、大丈夫です」
「…………」
集まっている使用人たちの前に出たお嬢様は、立ち姿からしゃべり方まですべてが別人だった。
これは憑依レベル、ではなく憑依だろう。
普段のお嬢様の要素は全くないし、間違ってもさっきまで腕をぐるんぐるん回していた人物とは思えない。
「ベルトルト達にあなた達が夜の警護をしてくれると聞きました。これからもよろしくおねがいしますね」
「もったいないお言葉です!」
ただ、ここまで心酔されるような性格だろうかと思う。
この容姿ならむっさい護衛が好感を持つのもわかる。だけど自分が去った今後を心配して残りたいと言うほどいい性格だとは思えない。
まあ普段のお嬢様よりは愛らしい性格をしてるだろうけどなと冷静に判断していると、お嬢様は護衛たちにふんわり笑って泣き出さんばかりの顔をしているコックの方へ歩み寄った。
「今までご飯を作ってくれてありがとうございました」
「いえ、本当に…っ奥様が無理なく過ごせればいいと…」
「ええ、あなたの気持ちはとても伝わってきました」
味がない、まずい、量が少ないと言っていたというのはおくびにも見せず、お嬢様は「ただ…」と品よく眉を寄せて笑った。
「もう少し、あなたの他の料理も食べてみたかったです」
「無理はせずとも、具合が悪い時は食べなくてもいいのです!」
「ええ、ですから無理ではなく、あなたの他の料理も食べてみたいと思ったんですよ。
アンにおいしいと聞いていたから、食べられなくて残念です」
あなたの、はともかくお嬢様が本当に他の料理が食べたいと思っていた事は言葉からにじみ出ている。コックはお嬢様の言葉を噛み締めるように黙ったのだが、お嬢様は信じられてないと思ったのか、寄せていた眉をもっと深くして「本当ですよ」と言った。
わかっていますよと言い返したかったが、ここで言える訳もなく口をつぐむと、唐突にこの場の空気が軽くなった気がした。
「…人見知りで部屋から出なかった私も悪かったのですが、今度からは食べられる方の話も聞いてみるといいかもしれません」
「…はい、はいっ!わかりました、奥様!」
普通は聞くまでもなく気に入らない物を作ったら文句を言われるし、下手すれば辞めさせられる。お嬢様だってそうすればよかったし、聞かないのならさっさと辞めさせればよかったのだ。
侯爵夫人であるお嬢様にその権利はある。
なのにお嬢様の頭にはそんな考えは少しもなかったみたいだ。
「………今自分で言って思ったんだけど、私が自分でコックに言いに行けばよかったんだよね」
他のメイド達に急かされるように部屋に帰らされた後、お嬢様は部屋に帰るなり難しい顔をしてそう呟いた。
「そうですね。頑なに私に言いつけるので、そういうゲームかと…」
「そんなわけないじゃん!!何でか私、よっぽどの用じゃなきゃこの部屋を出ちゃいけないと思ってたんだよ」
「まあそれに越したことはないですが」
「あー!!何で思いつかなかったんだろ!そうじゃん!自分で言いに行けばこんな飢餓寸前にならなくて済んだのに!!」
「というか、さっさと首にしてしまえばよかったんじゃないですか?」
そう叫ぶお嬢様にさっきまでの面影は少しもない。それにほっとしたような呆れた気分になりながらそう言うと、お嬢様は顔をひきつらせた。
「ええ?さすがにそれは横暴でしょ」
「横暴じゃありません」
「ベルトルトは極端過ぎるね」
「話は終わったかな?若人たち。この時間はお姫様の定期検診の時間だからね。アンはともかく男2人は出てくれるとありがたいんだが」
お嬢様の苦笑いで話のきりがついたと思ったのか、さっきまでのんびりと俺たちを眺めていたブルージ先生がそう切り出した。
「あ、すみません」
「私も他の仕事があるので行きますね」
「うん、ありがとね」
別に心からの感謝という訳ではない、軽い挨拶。
だけどその軽い一言で、お嬢様は空気を変える事が出来るのだ。
さっきだってコックへの一言でその場の空気を明るく変えた。あえて気持ちの悪い言い方をすれば、お嬢様はその場の空気を優しく出来るのだ。
「私、お嬢様のああいうところ、結構好きですよ」
「…知ってる」
俺だって、嫌いじゃない。
俺は使用人なのだから雇われれば誰の警護だってするし、誰の庭だって整える。
金さえもらえればどんな雇い主だって仕事はする。きっとここに雇われてる使用人も同じ気持ちだろう。
だけど、やっぱり嫌な雇い主よりはいい雇い主の方がいいじゃないか。
ほとんどの貴族は俺たちの事を空気か八つ当たりの道具にしか思ってないから、お嬢様みたいな気持ちよく仕事が出来る雇い主は珍しい。
だからお嬢様はこんなにも好かれているのだ。
「さて、お仕事しましょう」
「ああ」
気分よくそう言って階段を下りて行ったメイドを見送りながら、俺は改めてお嬢様の護衛でよかったと本気で思った。
まあそんな事口に出しては絶対に言わないのだけど。




