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戻りつつある日常

「失礼します。お嬢様、ごぶさた…「マルティン!!」

「うわー、熱烈歓迎ー。俺にもある?」

「俺は別にいりませんので」


何もすることのない昼下がり。アンは意外とやることが多いらしく、忙しそうに部屋を出てく事が多かったから話し相手もいない。

アンが出ている間は気を抜くなと言われてるから大人しくベッドの中で本を読んでいると、ノックの音がした。

別にやましい本を読んでたわけじゃないんだけど、思わず私はベッドの中に本を突っ込んだ。

エロ本かよと自分に突っ込みを入れながら返事をすると、アンに連れられて顔を出したのは待望のマルティンだった!


「お嬢様、他の誰かがいたらどうするんですか」

「マルティン!マルティン!会いたかったよー」


マルティンを見た瞬間、私はベッドから出て思いっきり飛びついた。

アンは呆れた顔をしながらドアを閉めるけど、マルティンを私の前に連れてくるときにアンが他の誰かを連れてくるような愚は犯さないってわかってたからね。その辺は信頼してるから私は心の赴くまま行動した。

結構な勢いで飛びついたはずなのにマルティンの巨体はほんの少ししか揺らがない。さすがだよ、マルティン!おいしい料理を作れるだけあるよ!

そんな訳のわからない事を考えるくらい、私のテンションは上がっていた。

これで!これであのまずい料理とはおさらばできる!!


「俺たちの事お嬢様には見えてないのかな?」

「見えてないんじゃないのか?」

「お嬢様にはお嬢様なりの事情があるのです。少し多めに見てあげて下さい」

「レオンもベルトルトもわざわざありがとね」


目を白黒させているマルティンから離れて、やっと庭師の二人の方へ歩いていくと、「あ、見えてたんですね」と嫌味を言われた。

相変わらずベルトルトは口が悪い。そう思いながらも領地にいた時のような会話にちょっと嬉しくなってしまった。

ほんの少しの時間しか経ってないはずなのにもう懐かしく感じるよ。まあこれが日常に戻ったらイラつくだけなんだけどさ。


「後はクリストフだけだね」

「クリスさんは執事ですからもう少し引き継ぎに時間がかかるそうです」

「そっかあ」


家の事からお父様の補佐まで、クリストフって何人いるんだろって思うくらい頑張ってる人だもんね。変わりを見つけるとなると結構な時間がかかっちゃってもしょうがないだろう。

そう考えるとやっぱりクリストフはいいよって言いたくなったけど、それはぐっと飲み込んだ。

お父様とお母様は最大級の好意でみんなを私に付けてくれたんだ。それをありがとうって受け取る事が私からの最大級の好意だろう。


「…クリストフがくればメイドも執事も来なくなる?」

「ええ、私たち5人以外いなくなるので、屋敷中騒ぎまわっても構いませんよ」

「わかった。ぎゃーぎゃーいいながら騒ぎ回るね」

「…冗談だったんですが」

「私もだよ」


一体アンは私を何だと思ってるのか。冗談に冗談を返したら、引き気味に否定された。

さすがに叫びながら屋敷中を走り回るなんてしないよ。まあ、やれと言われたらやっちゃおっかなって思えるほど今のテンションは高いけどさ。


「ああ、でも夜はどうします?」

「夜?」

「俺とベルトで交代して夜も警護してもいいんだけどさ」

「何で?夜は二人とも寝なよ」


向こうの家にいた時は、二人とも夜は寝ていたはずだ。

こっちに来たからと言って、張り切る必要はないよ。どうせ侯爵はそうそう帰って来ないんだし、帰って来た時だけ見張りでも何でもやってるふりだけしてればいい。

そう言うとベルトルトが呆れたようにため息を吐き出した。


「辺鄙な場所にある子爵家と王宮近くにある侯爵家を比べないで下さい。

 それに侯爵は王の側近で実力のある方なんですよ。侯爵としての歴史はないですが、見目もいいですしあなたの場所に納まりたい輩はたくさんいるでしょう」

「…何その本になりそうな設定は」


別に変りたかったら侯爵さえ説得してくれれば喜んで変わるよ。

そんなにも侯爵の嫁になりたかったんならさ、私が来る前に色仕掛けでも何でもしてさっさとものにしちゃえばよかったのに。

頑張れば令嬢でも酒に酔わせて既成事実を作るくらい簡単に出来るでしょ。

テンプレ行動ばっかりする侯爵だからさ、裸で同じベッドにでも入ってれば責任とってもらってくれるよ。


「あははは、そんな事するよりもお嬢様が来たらさくっと殺しちゃった方が簡単じゃん。侯爵って隙少なそうだし」

「…何笑いながら怖い事をさくっと言っちゃってんの?っていうかそんなレベルなの?」


てっきり嫌がらせとか、最悪でも怪我くらいさせられて脅されるとかかなと思ってたのに。

何のアプローチもない内からいきなり命狙われるの?私の命ってそんな軽いものなの?


「貴族にとって平民の命なんて軽いものに決まってるじゃないですか」

「私は平民じゃないからね。一応子爵令嬢だからね」

「子爵令嬢様なら男爵家くらいになら同じ事が出来ますよ」

「しないしっ!」


笑って怖い事を言うレオンに代わって、今度はベルトルトが真顔で怖い事を言う。

目的もないのに何で顔も知らない男爵家の命を狙わなきゃいけないのか。そんな無差別殺人なんてしたくないし、したらお父様に私が殺されるよ。


「話がずれていますよ、お嬢様。

 もしお嬢様がいいのであれば、夜は雇の護衛の方をつけてはどうですか?

 朝レオンとベルトが起きた時にその護衛と変われば、二人の負担も減りますし」

「ああ、そうだね。そうしよう。いい?二人とも」


前の世界では普通に夜も遊んでたけど、この世界に来てからの私は超朝型になっていた。

だって蛍光灯みたいな明るい電気がないんだもん。夜になったら家の中が真っ暗っていう訳ではないんだけど、どうしても薄暗くなる。

明りをつけない庭なんかは、月のない夜に出ると本当に自分の手さえ見えなくなるくらいなんだよ。

そんな暗いところを無理矢理明るくするよりも、太陽と一緒に生活した方が何倍も楽だ。

だから夜に違う護衛が付いていたとしても、私に影響は全くない。せいぜいぐうぐういびきが響いてないか心配するくらいだ。


「はーい、それじゃあそういう事で話つけますね」

「まだクリスさんは来てないんですから、気を抜きすぎないようにして下さいね」

「わかってるよ」

「それではお嬢様、私も席を外します」

「はいはい。マルティン、私今日の夜ご飯はお肉がいいなぁ」

「…すみません、お嬢様。私の実働は明日からとなりますので…」

「えぇえ?!」

「鬼ですか、あなたは。マールさんも来たばかりなのですから、荷物の整理くらいさせてあげて下さい」

「ううう、そうだよね。…ごめん」


マルティンに会えてテンションの上がった私は、今日の夜ご飯に思いを馳せていた。

今まで食べられなかった分、お腹いっぱい食べてやると思ってたけど、そうだよね…。マルティンも今来たばっかりなんだ。慌ただしかったんだから、普通なら2、3日お休みを挟むのが普通だ。


「いえ、明日から頑張らせていただきます」

「ううん。疲れただろうし、2、3日お休み入れても大丈夫だよ」


今まで我慢したんだ。あと2、3日くらい死ぬ気で我慢してやる。

そう思っていると、レオンが笑いながら私に頭をがしがしと撫でた。


「そう卑屈になる事ないって。今日はともかく明日からはマールさんに頑張ってもらおうぜ。

 俺もまずい飯食べるの嫌だし」

「いえ、まずいのはお嬢様のご飯だけで、私たちのご飯は普通ですよ」

「マジで?んじゃあ2、3日くらい休みやれよ」

「レオン!!」


なんというダブスタ!!

レオンは昨日までおいしいご飯をたべてたんでしょうが!だったらもし賄もまずかったとしても一日くらい我慢しろよ。

そう怒ると、マールさんは苦笑しながら「今日だけで大丈夫ですよ」と言い、アンはクスクスと笑った。ベルトルトも呆れたように笑っている。

そのちょっと前まで当たり前だった顔を見ると、怒りはどこかに消え、楽しい気持ちになってきた。

場所が代わっても、アンたちがそろっていれば不満だって笑い飛ばせる。

まだクリストフはいないけど、そう確信した私はみんなに向かって勢いよく頭を下げた。


「まだクリストフは来てないけど、これからもよろしくね、皆」


「はい」と笑って返事をして、アンたちは私の部屋を出て行った。

さっきまでは静かで退屈だった部屋の空気は、みんながいなくなった後でも明るく暖かくなっている。

ちゃんと私の好きだった日常が戻って来てよかったとほっと胸をなで下ろしながら、私はぐるぐるとなるお腹を無視してさっきまで読んでいた本の続きを読むことにした。

後1日。あと少しだけ我慢してね、私のお腹ちゃん。

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