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ほころぶ口元(侯爵視点)

「今日はもう上がらせてもらう」

「あ?ああ、あっちに戻るの?」


いつもならば遅くまで執務室で仕事をしている俺が早く帰ることを訝しく思ったのか、アルは怪訝な顔をしてこちらを見た。だが俺が雑務全般の書類を整えている事に気付き勝手に納得した顔をして笑う。

俺としては雑務の書類は重要書類の間に頭を休めるために挟みたいのだが、そんな事をしていたら令嬢のところに行っている間することがなくなってしまう。

だが子爵と言えどヴァイスハイト家を敵に回したくはないらしく、結婚の話はほぼなくなったのは僥倖だった。

その手間が無くなった時間で頭を休めるなりすればいい。

雑務の書類は大体2、3日で溜まるから、溜まったらあちらに行く。そうやって基本行動が整えば、休憩時間に令嬢攻撃をされることもなく、中々いいペースで仕事が出来ていると言えた。


「ディー、カードは?」

「ああ、書かなければな」


持ち帰るものを整えていた俺に、アルはニヤニヤと楽しそうに聞いてきた。

屋敷に行く時にはいつも花束を持って行くのだが、俺はいつもそれにカードを付けている。

まだ令嬢が子爵家にいた頃に毎日花束を贈っていたのだが、その時からの習慣だった。元はと言えばアルが花束にはカードをつけるべきだと煩いから始めたものだ。

だが会っていない頃はいつも手紙でお礼を言われていたし、この前手渡しした時は渡してすぐ花束からカードを抜き取って眺めていた。あまり感情を示さない令嬢としてはかなりいい反応だろう。さすが色んな令嬢と遊んでいるアルが言う事だけはある。

俺がもらったら白けてしまいそうな歯が浮くような言葉だが、令嬢が気にいるのであれば書くことを止める事もないだろう。

そう思いカードを取り出して、アルに顔を向けた。


「早く何か思いつけ」

「うわー、それが人に物を頼む態度?まあいいけど。この前はなんて書いたっけ?」


テンションの高いアルをスルーしながらこれまでに書いた言葉リストを渡すと、それを眺めながらアルはコツコツと机を叩いて考え始めた。

そしてあまり時間を置かずに顔を上げた。


「君はこの花束よりも美しい」

「わかった」


こんな言葉をすらすらと思いつけるアルは本当にすごいといつも思う。見習いたいとは少しも思わないが。

言われるがままの言葉をカードに書いていると、アルは何を思ったのか一人で笑い出した。


「うはは、男二人しか居ない執務室でこんな言葉吐くなんて考えただけで笑えてこねぇ?」

「別に」


何がそんなにおかしいのか、アルはけらけらと笑い続けている。

きっと俺が帰るから羽が伸ばせるとでも思っているのだろう。出ていく前にノルマも決めてってやろうと強く思った。


「でもさー、もうちょっと令嬢の容姿的なものわからないとこれからは辛くなってくるよ?

 絵師でも読んで肖像画でも書いてもらったり出来ねぇの?」

「出来る訳ないだろう。通いのメイドでもほとんど姿を見ないくらいなんだ。いつも部屋で大人しく過ごしているらしい」

「へー、本当にバルのおっさんとは似ても似つかないな」


俺が戻らなければ夕食も部屋で取るらしいし、一応つけている護衛も姿が見えなくて心配になるくらいだと言っていた。

庭くらいは歩くと聞いていたのだが、それもしていないらしい。

まだこちらに来たばかりだから本調子ではないのかもしれない。そういえばこの前夕食を共にした時も、小鳥のエサほどのおかゆしか食べていなかった。

さすがにあの量はないだろうと内心でひどく驚いたものだ。あれだけしか食べられないのであればあんなに細いのも頷ける。

というか、あれで生命活動を持続させる分のエネルギーを補えているのか疑問だった。


「もう少し物を腹に入れなければ治る病気も治らないと思うのだがな」

「令嬢は食べられないものとかあるのか?」

「特にないと思うが?」


屋敷に呼ぶ前に食べてはいけない物や欠かしてはいけない物などを聞いたが、両方とも特にないと医師から言われている。


「なら女には甘いものだ、ディー。甘いものを出すと女は延々としゃべりながら食べてるからな。

 口も手も称賛するほど止まらないんだぞ」

「ふむ」


アルのいう事なのだから正しいのだとは思うが、あの令嬢が食べる手も話す口も止まらない姿など想像できない。

もう少しわかりやすいと楽なのだがと思ったが、今のままの方が煩わしくなくていい。アルの言葉は保留にしておき、俺は屋敷に行くために席を立った。


「ではもう行く」

「いってらー」


気の抜けた言葉と共に手を振ったアルは、この後とてもじゃないが真面目に執務をやるとは思えない。

そんなアルの前に俺は俺に割り振られた書類を混ぜ込んだ束を目の前に積み上げた。


「これが今日のノルマだ。明日俺が来る前までに終わらせておけよ」

「はぁ?!出来る訳ないだろ?こんな量!重要書類ばっかだし!」

「俺は持ち出せる雑務の書類を終わらせて来る。だからお前が持ち出せない重要な書類を終わらせる。合理的だろう?」

「んじゃあ、俺がそっちの書類終わらせるつーの!」

「屋敷に行くのは俺なのだから仕方ないだろう。適材適所だ」

「ふざけんじゃねぇ!」

「それでは失礼いたします」


まだ騒いでいるアルを無視し、俺は慇懃に頭を下げ執務室を出た。

そして花束を買い、そう遠くない屋敷へと向かう。




「おかえりなさいませ、旦那様」

「ああ、リリアを呼んでくれ。食事を共にする」

「かしこまりました」


そう言うと通いのメイドは令嬢の部屋へと向かって行った。


「食堂でお待ちになられますか?」

「いや、そんなにかからないだろうからここにいる」


そう大きくない屋敷なのだから、令嬢がどんなにゆっくりと歩いてもそうはかかるまい。

実際執事に上着を渡しているうちに令嬢は階上に姿を見せた。

まだこうして会うのは少ないから仕方ないのかもしれないが、未だに令嬢の姿はどこか浮世離れして見える。

屋敷では初めて会った時のように化粧をしていないのだが、俺にはこちらの方が好ましく思えた。確かにどちらが美しいかと言われたら化粧をしていた方が美しいのだが、化粧をするとまったく人間味が感じられなくなるのだ。

それならばそこまで変わるわけではないのだし、化粧などしない方がいい。


「ただいま、リリア。体調はどうだい?」

「おかえりなさいませ。おかげさまで変わりありません」


ゆっくりと俺の前に立ったリリアにとりあえず挨拶をすると、定型文のような返事が返ってきた。だがそれは悪い事ではないだろう。それ以上の会話など俺は望んでいないし、令嬢もきっと望んでないだろうから。


「これはお土産だよ。もらってくれるかい?」


それに定型文のような会話は次につなげやすい。持って帰ってきたのは雑務全般の書類で簡単に処理できるものだが、量が量だ。さっさと花束を渡し、夕食を食べ、処理に取り掛かりたい。

令嬢との会話はお互い一文が多いから、話は早く進んだ。


「ありがとうございます」


やはりというか令嬢は最初にカードを眺めた。

そしてほんの少し雰囲気を柔らかくした。喜んでいる、というには少し疑問を感じるが、きっと喜びを隠しているとこんな雰囲気になるんだろう。

何故隠さなければならないのかと問われたらわからないが。

そんな理由などどうでもいい俺は早く食べるために急かさないように気を付けながら令嬢を食堂にエスコートした。



「それではいただこうか」

「はい」


今日はこっちで夕食を食べると伝えておいたから、俺たちが席に着くとほどなくして夕食が運ばれてきた。

俺は普通の夕食なのだが、やはりというかなんというか令嬢の食事は夕食とは言えないほど少ないものだった。


「……朝や昼もこれと同じ量を食べているのか?」

「朝は同じでしたが、お昼はおかゆでした」


当たり前のように返されたが、この量では満足に体も動かせないのは道理だろう。

食事というのは体を動かすのに重要なものだ。食事の量を増やせば病気が治るとは思わないが、もう少しは体力がつくんじゃないだろうか。

そうは思ったが、それは俺が考える事ではないと思い直した。連れてきたメイドも、主治医もいるのだ。俺の考えが正しければ誰かが変えているだろう。

いらない事を言ってもっと体調を崩されても困る。そう思い俺は食べるのに集中することにした。


「デザートでございます」


当たり障りのない会話をしながら、俺と令嬢はほぼ同じタイミングで食事を終えた。

量は俺の方が何倍も多いのだが、令嬢の食事は本当にゆっくりだからだ。

待たせるのは悪いと少し早いペースで食べているのだが、それにしても令嬢の食事は遅すぎる。

だから量が入らないのではないか?…いや、これもいらぬ世話か。

そう思いフォークを置くと、執事がデザートを持ってきた。

俺は甘いものを好まないから、初日に出されたケーキは下げさせた。

今日も下げさせようと思ったのだが、皿に乗っていたのは果物だった。これならば食べてもいいかと思いながらふと顔を上げると、令嬢は俺の目の前に置かれた果物を凝視していた。

普段の令嬢は何かを注視することなどあまりなかった。

花束もカードも見はするが、そんなに喜んだ態度や視線は見せていなかった。

だが今は一心に果物に視線を向けている。表情は変わらないが、これは珍しい反応だった。


「……………」

「……っ」


その視線に何か感情は見受けられないかと、俺も令嬢を見つめていたのだが、表情の変化は見られない。だが花束を渡した時のようにどこか違う雰囲気は読み取れた。

何とか読み取れないものかと令嬢を見ていると、唐突に令嬢は顔を上げた。そして驚いたようにいつもより少し目を開いた。

普段の令嬢からすれば驚くほど大きい表情の変化だが、何故そんなに驚いたのかよくわからない。


「フルーツは好きなのか?」

「……すみません」


ただ果物を見ていたのだから果物関連だろうと当りをつけ尋ねたのだが、返ってきたのは謝罪の言葉。

質問の答えになっていないし、なぜ謝るのかもわからない。

普段なら確実に苛立っただろうが、目の前にいる令嬢は何故かこっちが申し訳なくなってしまいそうなほどに委縮している。

一体どうすればいいのかと匙を投げたくなったが、俺の頭にふとアルとの会話が蘇ってきた。



  女は甘いものが好き。



その言葉が反芻された瞬間、俺は果物の乗った皿を令嬢に差し出した。


「食べれるのなら、食べてみないか?」

「………」

「前の時も思ったのだが、君は少し食が細すぎる。もう少し食べてみたら体力もつくのではないかと思う」

「…………」

「無理にとは言わないが、どうだ?」

「…………」


差し出してしまった手前、すぐに引くことが出来ず言葉を続ける。だが無理にとは言わないと言いながら、これでは無理に食べろと言っているようなものだ。

何故よく考えもせずに出してしまったのだろうと後悔しながら手を引こうと思った時、ゆっくりと令嬢の細い手が上がった。


「…ありがとうございます。頂きます」


俺が片手で軽々持てる皿を両手で重そうに受け取り、令嬢は恥ずかしそうに感謝を述べた。

そしてメイドが置いたナイフとフォークで果物を切り、口へ運ぶ。

俺の前に置かれたときは一口サイズだったのに、令嬢の前に移った途端、果物は1.5倍くらいにサイズになっている。

本当に彼女はどこも小さい。


「おいしい…」

「……っ」


そして呟きと共に上がった口元に、俺は息を詰めてしまった。

笑顔というにはあまりにも控えめな表情の変化。注視していなければ気付かないくらいくらいなのだが、確かに令嬢は少し笑ったのだ。

少し口角を上げただけなのに。なのに人形のような印象はまったくなくなるのだな。


「それはよかった」


震えないように注意しながら俺はそう言うと、出されたコーヒーを飲みながら何故か揺れている心を落ち着けることに専念した。


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