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親子の絆(侯爵視点)

「リリアの部屋は二階に用意したよ。使用人の部屋は一階だが、リリアの部屋の隣に使用人が常駐する部屋があるからね。先生やメイドは普段そこにいるといい」

「はい」

「後は使用人の部屋ですが、本当に六人だけでいいのですか?せめてもう少しメイドや警備を増やした方がいいんじゃないですか?」

「いや、知らない人間が出入りするとリリアの心に負担が掛かります。それが体にすぐに出てしまうので、なるべく慣れた者だけにしてやって欲しい」


あの後若干の空気の重さを意識しながら、俺は屋敷の部屋割りを話すことにした。案内をしないのは体の弱い令嬢が屋敷内を歩き回るのは大変だろうという配慮だ。

令嬢に部屋の説明をしながら疑問に思っていたことを思い出し、いい機会だから俺は子爵に尋ねてみることにした。話を聞いた時から屋敷に対して使用人の数が絶対的に足りないと思っていたのだ。

常駐の人数もそうだし、通いでさえ年に数回の大きな掃除のとき以外入れないで欲しいという。

俺はそんなに帰ってくる事はないだろうが、体の弱い令嬢の面倒を見るのにメイド一人では負担が大きすぎるだろう。

だが子爵は使用人を増やしてはという提案に首を振り、逆に増やさないで欲しいと頭まで下げる。横では「すみません」と令嬢まで頭を下げるものだから、俺は意見を下げるしかなかった。

別に強く押し通そうと思っていた訳でもないし、ただ疑問に思ったから尋ねてみただけなのだ。


「屋敷は大体こんな感じです。リリアは無理かもしれませんが、子爵はもう少し詳しく見て回りますか?」

「いや、十分だ。リリィも休ませてやりたいしな。君も王都へ行った方がいいだろう?私も王都に寄る用があるから一緒に出よう」

「…………はい」


屋敷の案内は令嬢があまり歩き回るわけには行かないから口頭での説明が多く、すぐに終わってしまった。それでは子爵は安心出来ないかもしれないので、奥まで案内しようとすると子爵は苦笑して首を振った。そして当たり前のように俺を王都へと誘った。

さすがに婚約者と会ってその日に王都へ戻れるとは思っていない。今日一日はここに留まるつもりだったが、子爵だけでなくメイドや医者、令嬢でさえそれが当たり前だという空気を醸し出していた。

戻れるのなら戻りたいというのが本当のところだ。返事をした後に令嬢の様子を見て本当に戻るか決めようと思っていたが、承諾の返事をした後も令嬢の様子は一切変わらなかった。

まるで本当に人形のようだと思う。


「それではブルージ先生、アン、リリィを頼む」

「任せて下さい」

「はい」

「リリィ、…体に気を付けて元気に過ごすんだぞ」

「はい、お父様もお元気で。お母様にもよろしくお伝え下さい」


そう言うと子爵は令嬢の体を抱き寄せゆっくりと頭を撫でた。それに答えるように背中に回された令嬢の手に、俺は少し驚いてしまった。

親子なのだから別れの抱擁くらい当たり前だ。だが俺は今までの令嬢の態度から、令嬢は感情表現の薄い娘だと判断していた。

なのに今は子爵の顔を覗き込み、別れを悲しんでいる。

俺の前では出さなかった表情を見て、俺は何だか勝負に負けたような気分に陥った。まだ成人してそう経っていない少女の印象を掴みきれもせずに王の側近をやっているなんて片腹痛い。


「ではまたな、リリィ」

「……はい」


子爵は最後にもう一度令嬢を見つめると、俺の方へ足早に近づいてきた。


「お待たせしました。行きましょう」

「…もういいのですか?」

「ええ、どれだけ時間をかけようと寂しいのは変わりないので」


苦笑してそう言い、子爵はまたも俺を促す。令嬢はもう少し一緒にいたいんじゃないかと視線をやると、ほんの一瞬目が合った後、静かに頭を下げられた。


「いってらっしゃいませ」

「…ああ、いってくる」


目が合った一瞬、少し罪悪感を感じてしまうほど令嬢の顔は寂しさを滲ませていた。だがメイドのように丁寧に下げられた頭が上がった時にはもうさっきまでの人形のような表情に戻っていた。

その顔から少しでも感情を拾おうと試みたが、まるで本物の人形にでもなってしまったかのように何も感じられない。

人の表情を読むのは得意ではないが、苦手でもないと思っていた。押し付けられるように会わされた他の令嬢からは、嫌になるくらい感情が透けて見えていたというのに。

またも正体不明の敗北感に陥りながら俺は令嬢から目を逸らし、玄関ホールへと向かう。

最後にともう一度令嬢を振り返ると、令嬢は医師に支えられながらゆっくりと部屋へと向かっているところだった。



「いってらっしゃいませ」

「ああ、他の使用人が来るまでは通いで人を雇ってある。足りない場合は言ってくれればすぐに手配する」

「はい」

「ではリリアをよろしく頼む」

「はい、承りました」


深々と頭を下げた本物のメイドに必要事項を伝え、俺は子爵と馬車へと乗り込んだ。


「本当に王宮に近いのに、静かなところですね」

「ええ、王都は大きな通りから少し外れれば静かなところは意外と多いですから」

「本当ですね。これならばリリィも心穏やかに暮らせるでしょう」


窓の外を見ながら穏やかに話す子爵は、本当に令嬢の事を一番に思っているのだろう。俺の両親は子どもの頃に死んでいるのでよくわからないが、これが親の愛情というものなのだろうか。

うらやましいとは思わなかったが、それはとても好ましいものに思えた。


「それではそろそろ失礼します」

「…王には会って行かれないのですか?」


馬車はすぐに王宮へ着き、中に入ってすぐのところで子爵は馬車を止めるよう言った。

きっと騎士団の方へ顔をだすのだろうが、アルが子爵に会いたがっているのを思い出し子爵に尋ねる。子爵もそれを知っているだろうに、苦笑しながら首を振った。


「いえ、私は簡単に王に会える身分ではありませんので、遠慮させていただきます」

「…王は昔と変わっておられませんよ?」


アルも俺も昔は騎士団にいて、よく子爵にしごかれたものだ。騎士団は身分など関係ない場所だから、アルも他の者と変わらずよく怒鳴られていた。

アルはそれを嫌がるどころか気に入って、よく子爵に懐いていた。


「昔と変わっておられないのなら、尚更会えませんな。もう私が怒鳴れるお方ではないのですから」

「…そうですか」


別に怒鳴ろうが小突こうが人さえいなければ憚られるものでもないのだが。それでもそんな杓子定規な子爵の態度は好感が持てる。


「シェレンベルク侯爵」


話の段落もついたし、別れの挨拶をして執務室へ向かおうかと思っていると、子爵は俺の名前を呼んだ。

思わず背筋が伸びてしまうほどの真剣さと威圧感に、騎士団にいた時の事を思い出す。

だがその時と違い、子爵は怒鳴るのではなく深々と頭を下げた。


「どうかリリィをよろしく頼みます」

「子爵、頭をあげて下さい」

「どんなに手がかかっても、あの子は私の娘なのです。幸せになってもらいたい」

「…わかっています。心穏やかに過ごせるよう、私も手を尽くします。安心してください」

「…ええ、よろしくお願いします」


その後子爵はもう一度頭を下げ、「いきなりすみません。それでは」と短く挨拶をして足早に去って行った。

その後ろ姿は当たり前だが令嬢とは似ても似つかない。だがあの二人は親子なのだなと何故か思った。

愛情を持って育てられた娘を愛情ではなく打算で貰い受ける。俺はもちろん子爵もわかっていたのだろうが、それは予想以上に重たいものだった。

時間は取られないが、心に大きな枷がついてしまった気がする。それとも結婚というもの自体が心を取られてしまうものなのだろうか。

俺の行動は少し浅はかだったのかもしれないと、そこまで思ったところで俺は考える事をやめ、執務室へと足を向けた。

そんな事を考えてもしかたない。もう俺は子爵令嬢と婚約してしまったのだし、変える事は出来ないのだから。

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