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かくれんぼ  作者: 大平麻由理
特別編 4
205/210

先生、好きです その1


木戸翔紀視点になります。

村下さくらとの馴れ初め物語です。

「おい、そこの二年生。今日の練習はこれで終わる。さっさと後始末して下校するよう、他の部員に伝えてくれ。これ以上降ったら、交通機関が止まってしまうかもしれないからな」

「監督、わかりました!」


 木戸を前に直立不動になった生徒から、胸のすくようなきびきびとした返答を受ける。


「とにかく、急いで下校するように。いいな」 


 木戸はすみやかに下校するよう念を押し、雪の中に消えていく部員の後姿を見送った。



 もう一度灰色の空を見上げた。次々と止むことなく舞い降りてくるのは目を見張るような大きさのボタン雪。ふわふわの綿帽子がひしめくように重なり合い、いつの間にか茶色のグラウンドが白い世界に変わっていくのが目に入った。


「校舎内外に残っている生徒の皆さん、雪が激しくなってきたので、至急下校して下さい。もう一度繰り返します。校舎……」


 雪が降りしきるグラウンドに校内放送が響く。猛スピードで道具を片付け終えた野球部員が、全身に雪をまといながら校舎に駆け込むのが見えた。走っていた陸上部員も雪がついたトレーニングウェアのまま校舎に戻っていく。


 木戸は全員がグラウンドからいなくなったのを確認すると、頭や肩に積もった雪を払いのけ職員室に向かった。




「先生、木戸先生。待って下さい!」


 こんな時に誰だろう。木戸は後から聞こえる声に足を止め、振り返った。


「あの、先生。実は、その……」

「ああ、村下か。何の用だ? 三年は自宅学習のはずだが……」


 元野球部マネージャーの村下さくらが、髪に雪を絡ませて遠慮がちに彼のそばに駆け寄ってきた。

 三年生は遅くとも夏の終わりには部活動を引退するのが通例なのだが、村下は秋までマネージャーとして在籍し、初めて教師としてこの高校に赴任してきた木戸を支え、助けてくれた生徒でもある。

 指導に行き詰まり頭を抱えている時にも村下は黙々と役割を果たし、影になり日向になり、指導者としての彼と部員の間に立って奔走してくれた、非常に優秀なマネージャーだった。

 卒業式を待つばかりの三年生は、進路相談以外の生徒は自宅学習となっている。木戸は不思議そうに急に自分の前に現れた元マネージャーを見た。


「先生、ここだと雪が吹き込んで来るので。あの……」


 こんな日にいったいどうしたというのだろう。何か悩みでもあるのだろうか。

 今日は雪のせいで練習も早々に取りやめになった。少しなら話を聞いてやることも出来るが、帰宅のことを考えれば急がなければならないだろう。


「じゃあ、校舎に入ろう」


 木戸はそう言ってくるりと方向転換をして、職員室とは反対側にある北校舎に向かった。




「先生、雪、すごいですね」


 雪を避け北校舎の階段下ロビーにたどり着いた時、村下が目も合わせずに、ぼそっとそれだけつぶやくように言った。

 元々口数の少ない生徒だったので、そんな控え目な態度であっても違和感はなかったのだが、やはり不自然さは否めない。木戸はまだ呼び止められた理由がわからなかった。


「ああ、すごい雪だな」


 そう言って、彼女の様子を伺い見る。


「雪、積もりますか?」

「さあ、どうかな。でもこのまま降り続くと、積もるかもしれないな」

「なら、積もるといいな。あたし、雪が……。好きなんです」


 村下は俯き加減で、尚も雪の話を続けるばかりだった。


「天気予報では今夜から雪と言っていたが、まさかこんなに早く降り始めるとは……。もたもたしてたら大変なことになる。村下も早く帰った方がいいぞ」


 こんな話をするために自分を呼び止めたのだとしたら、今はこれ以上ここにいるべきではないと思った。彼女を安全に帰宅させるのが教師としての一番の役目だ。

 さっさとこの場から立ち去ろうと話を終息に向かわせたつもりだったのだが。


「あ、はい。でも、あたしは……」

「ん? 何だ?」


 村下はまだそこから動くことはなかった。今度はこちらに目を合わせて、話し始める。


「あの、自転車通学なので、バスや電車が止まっても、大丈夫なんです……」

「そうか。そうだったな。けど、雪道は危険だ。わかってるとは思うが、自転車は押して帰れよ。滑ったら大変だからな、って、あ……」


 木戸は慌てて口をつぐむ。滑ったらなどと、受験生に向かって言ってはならないことを口にしてしまったではないか。

 教師としてあるまじき言動に失望し、自己嫌悪に陥る。


「すまない……」


 木戸は村下に向かって頭を下げた。それでなくてもデリケートな感情を抱いている受験生に対して、本当に取り返しのつかないことを言ってしまったと、後悔の念にさいなまれる。


「先生。あの……。お願いです、そんな顔しないでください」


 木戸は下げた頭をゆっくりと持ち上げ、村下を見た。彼女は少し微笑んでいるように見えた。自分の失態を許してくれるのだろうか。


「あの、あたし、滑っても転んでも、もう平気なんです。だって、推薦入試で、十二月に合格通知もらってますから」


 たちまち、村下の笑顔が天使のように見えた。そうか、そうだったのか。

 この生徒はすでに合格通知を手にしていて、広島市内の短大に進学することが決まっていたのだ。

 木戸はほっとして大きく安堵のため息をついた。


「ふうーー。そうだったな。安心したよ。前に君から合格したと聞いていたはずなのにな。で、今日は何の用かな? 卒業式のことで何か疑問点でも? それとも、野球部のことで何かあるのか?」

「いえ、そうじゃないんです。そうじゃなくて、あの……」


 村下の声が消え入りそうに小さくなる。この寒空の下、いったい何をするために学校までのこのこやって来たのだろう。言いたいことがあるならさっさと言えばいいものを。

 少しばかり苛立ちを覚えるが、もしかすると自分の風貌が彼女を萎縮させているのかもしれないと思い立つ。上背も有り筋肉質な体格は、小柄な女子生徒にとっては威圧的に感じるのだろう。顔の作りもソフトなイケメンとは対極にあると自覚している。

 木戸は肩の力を抜き、努めて明るく彼女に接してみた。


「どうしたんだ?」


 精一杯優しく問いかけたつもりだ。けれど彼女はますます表情を堅くして、口を閉ざしたまま後ずさる。

 いくら村下が物静かで無口な生徒であったとしても、マネージャーを務めている間は、このような煮え切らない態度を取ったことはなかった。

 必要以上のことはお互いに話さないが、うまくコミュニケーションは取れていたと思っていたのは勘違いだったのだろうか。

 やはり何か悩みがあるに違いない。言いたくてもなかなか言い出せないほどの何かが、彼女を苦しめているのかもしれない。

 ゆっくりと時間をかけて気持ちを吐き出させてやりたいのはやまやまだが、何せ雪は容赦なく降り続いている。これ以上学校に引き止めておくのは得策ではない。

 木戸は内心、焦り始めていた。ところがその時。

 


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