episode 14 神鎚
豪雨さながら叩きつけられる抑圧感のなか、まるで王侯貴族か何かのような、ご立派な話っぷりの男の声が響き渡る。
「人間。もうそれくらいにしてはどうだ」
数多の使徒がオレを睥睨していた。その中の一体、その髪と同色である金色のこれまた立派な王冠のようなものを被り、一本脚の見るからにゴツイ使徒が、主神と何やら目配せのような素振りをした後、尊大な態度でオレを見下ろす。声の主はその男のものだった。
「同感だ。アンタらと遊ぶのは、もう飽きちまったんだ。お家に帰ってはくれねぇモンかなぁ」
体中の痛みに肩で息をしながらも、それを悟られるのを拒みふてぶてしく嘯く。だが、蓄えた金色の口髭が動く度に、オレの全身からは冷や汗が吹き出し、奥歯からはガチガチ音がした。蔑むように俯瞰する一本脚の使徒は、見透かしているのであろう。呆れたように肩を竦めた。なるほど、人の仕草が板についている。人を苛立たせる仕草がだ。だがその行動は、あまり意味がなかったと言えよう。苦痛と、そして恐れのあまりオレの感情は冷えきっていて、それどころではなかったからだ。
「泡沫が如き存在よ。己のちっぽけさに嘆いておるのだろう。目を見ればわかるわ。可哀想に」
「お見事だ。アンタ、オレの下着の色まで分かってるんじゃないだろうな」
「下らぬ。それに屠るべき相手は、儂じゃあない。ほれそこにおる」
オレの悪態を一言のもと切り捨てた。男が右手に持つは、濃紫の宝玉を嵌めた杖のようなもの。その先端でニースを指す。嫌な眼差し。精一杯強がるオレを、おちょくる眼差しだ。
「よく聞くがよい。お主は勘違いしておる。不幸の源は儂らではない。そこに横たわっている女神ニースこそ歪んだ世界の元凶なのだぞ」
「話はあらかた聞いたよ。アンタらがニースをここに送り込んだそうじゃねぇか。で、手に負えなくなって丸投げしておいて、よく分からねぇが、大方この世界に利用価値ができたってとこだろ? 途端にわらわらウジ虫のように集まってきやがる。とんだお笑い草だ」
能書きを垂れながら、ニースとカイムの話を想い出していた。ニースは已む無く、この世界を歪ませたのだと。そして世界を支えるために、苦悩に耐え永いことこぢんまりと生きてきたのだと。凍てつき氷のように固まっていた感情が、一気に沸騰しだした。好き勝手に振る舞い見下すヤツらに、一泡吹かせたくなった。思い通りにいかないことがあることを、教えてやりたくなった。そんなこと、オレでは到底不可能としか思えなかったのだが。
「有象無象の分際で、不敬極まりないとはこのことですね。理解していないのかもしれませんが、我々はあなた方の言うところの神と言われる存在です。崇拝し祈るべき対象です。本来なら言葉をかわすことすらおこがましい立場なのですよ」
「崇拝ってのは、そうやって自分で求めるものなのか? オレにとっちゃあ神殿の置物のほうが、余程手の合わせ甲斐があるように思えるんだがなぁ。アンタらと違って黙って静かにしているし、なによりオレに危害を加えたことはないからな」
「愚かな……死す以外、救いようがないな」
別の使徒が、鼻につくような丁寧な喋りっぷりで、お偉い神官サマのような説教じみたこと言い出した。神官サマでも帰りには、砂糖菓子を配るんだ。アンタは一体何をくれるってんだ? と、皮肉めいて子供じみた考えが、怒りに支配されたオレの頭を掠める。そして感情を高ぶらせながらも、傍らのニースに目を配った。
今度こそ、もうダメだと思っていたんだが、そんな時には、決まってアンタが頭ン中に現れる。そして諦めかけたオレのケツに、遠慮無くムチをくれる。無体な女神サマだ。この期に及んでまで、楽することを許しちゃくれないらしい。面倒くせえ。今までお布施をしなかったからか? 生きていたら有り金全部くれてやるよ。なんて、自分に嘯いてしまっていた。
「なぜ故、平伏さぬ」
「平伏して、どうなる?」
相変わらず偉そうに振る舞う一本脚の使徒に、逆らう。しかしその返答は、気が利いているとはとても思えないものだった。
「余は寛大なる神。貴様のその腐った魂でも、有意義に使ってやろうと言うのだ。悪い話ではなかろう? 素直に諦めよ」
「ムリだね。体はまだ動くし、目も見える。こうして口もきける。それにオレの両手には二つの剣。頭を下げない理由なんざいくらでもあるさ。違うか? 神サマ」
「戯言を……」
俺は意固地に強がってみせた。一本脚の使徒が最後に小さく呟いたその時、空気が一変する。大地どころか空までもが震えるような、すさまじい怒りを浴びせられる。誰だ? 寛大だって言った奴は。
覚悟を決めたオレは、オレのせいで巻き込まれることになってしまった右手の聖剣に、一声掛けた。
「と言うこった。嫌なら捨てていくがどうする? クテシフォン」
【フンッ。たかがオッサンのくせに、生意気なことを抜かさないで欲しいのです。ここで頼らなければ、一生恨んでやるところだったのです、ヘンクツ】
「はははっ。そりゃあ大変だ。アンタの一生は長そうだからな。じゃあ遠慮はしねえ。また世話になるよ、ナマクラ」
【当然なのです。マスター】
そして、左の魔剣に顔を向ける。
「アンタもだ。どうする?」
【あいと同つだ】
「悪いなクトゥネペタム。出会ってそうそう、こんなところまで付き合わせちまって」
【なんたかんた、やねばまねんだべさ。わとお前の仲だ。好きにしろじゃ】
「アンタの言ってることは訳が分かんねえなあ。だが、下手に縁起をかつぐよりかは頼りしてるよ、ガラクタ」
そして、オレは空を仰いだ。桁糞悪いものが、オタマジャクシのように忙しなく犇めき合っている空を。
「クテシフォン! クトゥネペタム! ニースを護る。オレの力を受け止めろ!」
二振の剣に、そして自分にも言いきかせるように叫ぶ。
【了解なのです……】
【了解だば……】
二つの声がオレの脳内で重なった。
【マスター】
【ダーリン】
「…………優先攻撃対象を変更。高度生命体・一から使徒ニースに更新します」
主神とやらの声が響く。その抑揚のない話しっぷりが、不意にオレを気付けさせた。どれほどの時間が経過したのだろうか。いや、おそらくはそれほど経っていないのだろう。その時のオレは呪文でも唱えるかのように、同じ言葉をぶつくさと繰り返していた。
「邪魔だなあ。邪魔だ、邪魔。アンタら本当に邪魔だ」
体力、気力の限界に声が掠れている。オレは何をしていたんだっけ? ああ、そうか。そうだった。使徒だかってへんちくりんな奴らに、囲まれてたんだっけかな。で、囲まれて……いったい。
土手っ腹に何かが突き刺さってやがる。痛ぇ。
【やっと正気に戻ったのですか、スケコマシ】
抑揚のない甲高い声は低い声と共に、薄い意識の中、絶えずオレに呼びかけていたようだった。オレは、自分の体を確認する。また、こっぴどく傷めつけられたものだ。乾ききっていた血は再び滑りけを帯び、折れていたであろう脚は完全に非ぬ方向に曲がっている。右肩がだらりと下がっているのは、構えをとっているのではない。振りかぶることが出来ないためだ。血も足りていないのだろう。耳鳴りが絶えず、視界はいまいち焦点を合わせられずにいた。
やたら怠く、やたら寒い。よく立っている。意地か矜持か。とにかく自分のことながら呆れた。
ニースに迫る危険を察知したオレは、幾つもの波紋で彼女を覆った。そして、情況を観察した。オレの周囲には、使徒のものであろう斬られた躯が数倍になっていた。そしていつの間にか、波紋が使えるようになっていた。これは、主神とやらが回復に専念したためだと何となくわかった。おそらくはそのようなやりとりを、オレは聞いていたのだろう。使徒は、相変わらず睥睨したままだった。だが、その様子は少し変化していたように思えた。
「余は神ぞ。それなのに何故抗える。貴様は何故、絶望せぬ」
耳障りな雑音の隙間に、一本脚の使徒の横柄な口調が捩じ込む。余計耳障りだ。
「何回か、しかけたよ」
力無き返答。思いの外、オレの声は小さかった。どうでもいい言葉なのに、聞こえたであろうかと、しょうもないことをオレは気にしていた。
「人を超えしその力。何者なのだ、貴様」
「さあなぁ。もう、オレにもよく分からん」
その時すでに、使徒はニースに仕掛けていた。『式』による衝撃に耐えていた波紋に、数体の使徒が纏わり付く。そのうちの一体、不自然なくらい鮮やかな青い髪と青い瞳の使徒が『式』を組みながらであろう、引き千切るように波紋をこじ開け始めた。仕留めたいのはやまやまだが、思考がオレの脚に届いていないかように、ぴくりとも動いてくれない。聖剣を握る右腕もだ。握ったまま固まっている。仕方ない。オレは足元に波紋を拡げ、狙いを定め、そこに弾く力を加えた。オレの体が弾け飛ぶ。臓物までもが弾けるように揺れた。しかし、苦痛に耐えたお陰で、目論見通り青髪の使徒との距離は詰まった。
ヤツの周囲を波紋で囲む。体のいい波紋の牢獄ってところだ。いや、大きさから言ってアレは箱に近いものだった。歪んだ狭い空間の中で藻掻き暴れる使徒。こじ開ける時間なんざ与えない。オレは勢いのまま、魔剣を突き刺した。ほぼ動かない獲物だ。今のオレでも容易に仕留めた。使徒は箱の中でぐったりとなっていた。
オレは糸の切れた操り人形のように、手足をぷらぷらさせながら宙に投げ出され、そして落ちた。転がり仰向けになる。
「また、面白くなさそうなことをやりやがって……」
そのとき目に飛び込んできたものは、お天道様のような眩しく光る大きな何かだった。そしてそれがゆっくりと降りてくる。ニースに向かって。
「『神鎚』発動します。軌道上から速やかに退避して下さい」
神聖な光ってもんを絵に描いたらこのようなものなのだろうが、オレにはそれがとてつもなく禍々しいものに思えた。使徒の皆様方は、依然遠巻きに静観している。オレはいても経ってもいられなくなり、ありったけの波紋を上空に敷いた。幾重にも重なり連なる歪んだ空間は、さながら半透明なでっかい花束が空に浮いるようだった。だが光は何事もなかったかのように、その波紋の集合を素通りし迫り来る。近づく巨大な光球に為す術など何も思いつきはしなかった。だが、ちょっとした達成感もあった。やるだけやったと。いや嘘だ。誤魔化しだ。オレの心の中は、ニースを護りきれない悔しさが燻っていた。
「ザマァ無いわね」
不意の声に顔を向ける。と、女口調の男がカイムの器や魔族の連中とよく似た顔つきで、オレを見下ろしていた。




