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女神と魔神と……オッサンと!?  作者: もり
第6章 神の宴編
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episode 10 嫉妬

 魔術師なのは明らかだった。ヤツらが、切り裂かれたオレの(はらわた)を交代で弄っていた。暗い灰色のローブが頬をかすめる。とにかく痛い。ぐちゃぐちゃ音を立てながらヤツらはオレの内臓を弄ぶ。中には刻印を刻んでいるヤツもいた。魔術が発動した瞬間、耐え難い激痛が全身を駆け巡った。だが、その痛みなど序の口。それ以上にオレを支配する感情があった。オレはヤツ等に恐怖しきっていたのだ。


「憶えてはおらぬじゃろう」


 と、老人の声。確かにそうだ、憶えてはいない。幼少時の記憶なんてそんなもんだろう。


「そうじゃない。嫌なこと、痛いこと、あんたはわしに全部押し付けたのじゃ」


 押し付けた? どう言うことだ。と、老人に尋ねようとしたが、声が出なかった。にも拘らず、オレの思考は老人に筒抜けのようだった。


「あんたがわしを生み出したのじゃ。嫌なことから逃げるためにの」


 無表情に淡々と言葉を発する。が、溶岩のような熱く粘り気のある怒りがこもっていた。老人が言葉を終え口を閉じると、突如、景色が溶け周囲が一変した。


 女の裏返(うらがえり)が、両手に枷を嵌められ床に鎖で繋がれていた。乱雑に、ひっきりなしに暴れている。鎖がじゃりじゃり音を立てていた。うるさい、耳障りだ。そして何故か悲しい。助けなければ、と思った。が、オレは檻の中にいた。叩けども齧れども、ビクともしない。そうしているうちに、裏返の足元が濃紫に光りだした。魔術の光だ。周囲がざわつく。何を言っているのかわからない。だが「……実験……」その一言だけ認識できた。


「ようく見ておれ」


 またしても、老人の声がした。何を、と問いただしたが、聞こえていないのか無視しているのか、それ以上は何も言ってはくれなかった。

 濃紫の光が複雑な文様を成す。魔法陣である。途端、裏返が苦しみだした。やめろ、やめてくれ。そんな感情が流れこんでくる。オレの体はオレの意思とは関係なく、檻から出ようと必死に抗っていた。

 裏返は悲鳴のような雄叫びを上げ、そして、消えた。消える寸前、オレを見たような気がした。その瞳は柔らかく、優しく思った。

 どさりともぐちゃりとも取れる湿った音がした。オレは無意識にその方向へと視線を向けた。そこにはすり潰されたような肉の塊があった。「……失敗……」そんな声が聞こえた。肉塊からは赤い液体が流れだし、水溜りのようになっていた。それが広がり、オレの爪先に触れた。その時だった。何をしても無駄に思えた檻が開いた。


「あんたが産んだわしは、これで完成したのじゃ。檻から開放され、あんたの言う『(のろい)』になったのじゃよ。母親の命と引き換えにの。ふぉっふぉっふぉっふぉっ……」


 老人の笑いには自嘲が込められているように感じた。その笑いが収まる頃、再度景色は変わった。


 そこは、強い夕日が差し込まれていた。眩しさに目を細める。視界が回復した時に映った光景に息を呑む。

 ―― イスキエルド峡谷 ―― オレは心の中で呟いた。歴史上、最悪などと言わしめた撤退戦が頭に浮かんだ。逃げる王国はその過程が、追う帝国はその結果が、どちらも最悪の単語にふさわしかったのだ。


「よく憶えておったの。大したものじゃ」


 老人は皮肉を垂れるも、どこか満足気だった。あの惨劇、忘れるはずがあろうか。オレは恐る恐る辺りを見回した。無残に横たわる無数の骸、その中には見知った顔が幾つもあった。笑いあったヤツもいた、言葉をかわしたヤツもいた。戦争だから、傭兵だから、作戦だから仕方がない。普段はそう思い納得してきた。だがこの時だけは、そうは思えなかった。やり場のない怒り、それが全てを滅茶苦茶にしてやりたい衝動に変わる。目の前の檻が、開いた。


「恩義を感じてもらってもいいのじゃが、そこまでは思っておらぬよ。わしゃあわしの衝動に任せただけなのじゃからな」


 老人の声を聞きながら、新たな骸が折り重なっていく様子を見ていた。その骸に王国兵も、帝国兵も、傭兵も、正規兵も、何も関係無かった。怒りにまかせ向かってくる者も、恐怖に煽られ逃げまどう者も関係なかった。近づく者は皆平等に斬られ、倒れ、血に塗れ、命の灯を消していった。


 その後、次々と場面は移り変わっていった。術師が操り、はるか遠くの出来事や過去、未来を映しだすと言われる『物見の水晶』の噂を聞いたことがあるが、もしそれが実際あるとしたらこういうものだろう、と思いながら眺めていた。アブヌワス砦で、ブラマンテの魔森で、湖の洞窟で、オレは魔族と戦っていた。そして、雪山での四体の魔族との戦闘を終え、カイムと対峙、最後に弱々しいニースの笑顔が映り込んで、ようやく終わりをむかえた。

 周囲はまたも、光のない鬱屈した世界に戻る。オレはじっとり汗ばんでいた。そして怠かった。気持ちを切り替えるために、溜め息ともとれそうな大きな呼吸を数度繰り返した。肺腑の空気が入れ替わるのが分かる。ここの生温い淀んだ空気でも、それでも幾分気分は落ち着いた。その間、老人は探るようにオレを見ていた。もう一つの何かも、オレを見ているようだった。


「アンタが今のを仕組んだのか? で、こんな茶番を見せつけて、結局何がしたかったんだ」


 老人はオレに向けた目をそのままに、じっと黙りこくっていた。その意図は掴めない。しつこく食い下がっても良かったのだが、面倒なのでやめた。オレは老人に背を向け、もう一つの得体の知れないモノと向き合った。


「さっきからチラチラ見ているようだが、そんなにオレ達が気になるのか?」


 それは姿形ははっきりしないものの、禍々しいと感じた。だけどどこか、懐かしい感じがした。オレの問いかけに、大人の女の声が返ってきた。だが言葉を覚えたての子供のように辿々しい。だからと言って可愛げがあるわけではない。辿々しいだけだった。


「りっぱ、に、なった。とて、も。うれ、しい」


 何を言っている、と聞き返したくなった。言葉は何とか通じた。だが立派とはどういうことか、何が嬉しいのかが疑問だった。オレは口を開きかけたまま、動かすのを止めた。なおもそれが話を続けたからだった。


「あの、こ、まだお、さな、い。ゆる、して」

「オレはどうとも思っちゃいなかったんだがな、敵意を向けられたんだ。ああするしかねえだろ? それに幼いって言うが、オレにはジジイにしか見えんよ」


 オレは徐々にではあるが、コレが何者か理解し始めてきた。途端、その光は輪郭を帯びてきた。そしてオレは、ようやくこの世界の仕組みの一つを理解してきた。なるほどオレが認識したり受け入れたりすれば、ボヤケていたものが、はっきり見えてくるって寸法だ。

 そして、目の前には手枷を嵌められ鎖に繋がれた、一体の女の裏返が無造作に座っていた。ボロを着せられ、そこから鼻を突くような饐えた臭いが発せられていた。伸び放題の深い茶色の髪は、脂でも塗り固められたような鈍い光沢を帯び、幾つもの束に纏まっていた。足は裸足。細く青白い太腿には紫斑が点々と浮き出ている。濁った目。だがそれは優しく、そして愛おしいとさえ感じた。オレは一歩一歩を確かめるように、ゆっくりとそれに近づいていった。石でできた床を踏む度、硬質な音が鳴る。その音が五回響いた時、オレはそれの真ん前で見下ろしていた。オレから目を離さなかったそれは、逆に少しずつ顔を上げ今や見上げている。強い視線を浴びることに少し嫌がったオレは、ふいっと横を向いた。


「あの子を責めないでおくれ。あの子はずっとここに閉じ込められていたのだから」


 裏返りの唇が人間のように滑らかに動く。オレはこの裏返の言葉に、なぜだか無性に腹がたっていた。ムシャクシャしていた。だが、込み上がる怒りは方向性を見失っていた。どこに矛先を向ければいいのか分からなかった。


「こんなところでぬくぬくと生きていたんだろ? アレは。なのに肩を持つのかよ、アンタは」


 辛辣な言葉が咽から出ていた。少し覗いた黄ばんだ歯が、曇った瞳が、乾いた薄い唇が、青白い頬が、そのどれもが癇に障った。ここにある全てを闇雲に否定したかった。


「外が天国よろしくいい所だと思っているようだがな、とんでもない誤解だ。こっちのほうがよっぽど天国に近いよ。信じられないようなら、アンタが行って確かめてみるんだな。手伝うくらいなら、喜んでやってやるよ」


 裏返は黙ってしまった。心底すまなそうに頭を垂れていた。その姿も鼻についた。

 だがオレは同時に、ある言葉を心の中で反芻していた。それは、澄んだ秋風のような涼しげで悲しい声が紡ぎだしていた。


―― あなたの心の奥底には小さな光が存在します。それを信じて下さい ――


 ベッドにもたれるニースの寂しげな笑顔が頭に浮かんだ。

 なあニース、これがアンタの言っていたその光ってヤツなんだろう? そしてこれが何なのか、アンタはどこまで知っていたんだ? オレは、この場にいない女神に問いかけていた。

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