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女神と魔神と……オッサンと!?  作者: もり
第6章 神の宴編
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episode 9 黒夢

 オレは子供との距離を詰め魔剣を突く。左手に伝うは確かな感触。見ると子供は、右手で覆うように左肩をしっかり押さえていた。隠したいようだが、靄に隠れながらも、そこだけごそっと消え失せている。魔剣に喰われた痕であることは明らかだった。


「なあボクちゃん、駄々をこねるのもそれくらいにしてはくれないか。急ぐんでそろそろ終わりにしたいんだがなぁ」


 オレは構えを解き、皮肉った。だが当然と言えば当然だが、子供は立ちふさがる。譲る気はないようだ。口惜しさに口元を歪め黙り、全身を毒蛇の尻尾のように小刻みに震わせている。怒りか恐怖かは判断がつかない。ただ、そのうち体中からガラガラ音がするのではないかと、呑気に考えていた。すると、


「許さない……」


 震える声。子供は呟くように言葉を発し、じりりと一歩前進した。


「許さない……」


 もう一歩。


「許さない……」


 更に一歩。覗く土色の両眼には後ろ向きな決意のようなものが感じられた。魔術師が追い詰められた時に見せる、全てをご破算するあの眼だ。何度も見た、そしてつい最近も見せつけられた心底嫌な目つきだった。

 突如、黒い霧のようなものが漂い、濡れた長い黒髪のようにオレに纏わりつく。足元から徐々に這い上がる霧に、オレは強い嫌悪感と針先で刺されたようなちくりとした恐怖心に駆られた。堪らず魔剣を一つ薙いだ。腐った泥のような臭いがした。だが形のない黒い霧は黒刃が通った跡は消え失せるものの、再び繋がり一つの塊となってオレに襲い来る。これじゃあ切りがない。シーロンとの戦い以降こんなのばっかりだ、とオレはうんざりしながら斬っては繋がる霧を、それでも斬りつけていた。他にすることが思いつかなかったからだ。


「クックックッ、いい気味だね」


 子供はその生意気で勝ち誇ったような言葉とは裏腹に、苦悶していた。どう苦しんでいたかは定かではない。ただ苦痛を感じているのだけは分かった。見ると、腰あたりから下は黒い霧となり消失している。どうやら捨身でオレを虐めにきたようだ。


「アホか、アンタは。そんな顔をして、声を上ずらせながら言うセリフじゃねえよ」


 オレは吐き捨てるように言い放った。と、子供は自分の愚かな行為が悟られたとでも言うように、子供らしさとは程遠い己を嘲る皮肉げな笑みに変わる。オレはくだらん意地にしか思えなかったが、逆にあの子供の立場ならそうしたかもしれないとも思った。


「うるさいな。キミだけは絶対許したくないんだ」


 子供は胸までもが消失していた。それに比して子供の顔の歪みも深く濃くなり、黒い霧がオレの胸までをも包む。その霧に触れている部分が溶けて無くなってしまう気がした。既に脚の感覚は薄い。だが動こうにも、何故か霧が邪魔で動けなかった。焦りで脈が強く打たれる。煩わしい。下手くそな打楽器のようだ。オレは無駄だと分かりつつも魔剣をひたすら振っていた。

 ふと、右にも剣を持っていたよな? となんだか変な閃きが頭を過る。思い過ごしか、とその閃きに抵抗する思いもある。本当に奇妙だった。そう奇妙なのだ。まずこんなヘンテコな世界を、オレが受け入れている事自体がおかしい。自分を『(のろい)』と言ったあの子供は、おそらくはオレが能力を発動した時に現れる別人格、フチクッチの言うオレから分離した『闇』であろう。なぜ子供の姿で、なぜ霧になんかなれる。そもそもここはどこで、オレは何をしようとしている。そして子供は、なぜオレを阻む。思考が纏まらない。現実味がない。昔、横目で眺めた戦場慰安の演劇の物語の中に閉じ込められたような気分だった。題目は何だったか、見事に覚えていない。ペラッペラな安くさい恋愛物だったってことだけは、かろうじて憶えていた。

 とにかく面倒になったオレは、考えるのをやめた。そして右手に持つ剣を振り下ろした。いつものように。そうだ、いつものようにやればいいんだ、こんな時は。そう漠然とした思いを巡らせながら。

 一瞬にして黒い霧が晴れた。体に纏わり付いていた霧も、言葉のごとく霧散した。それに変わって辺りに蒼い光が差す。見慣れた光。いつも口うるさく厭味ったらしい煩わしい光。そして何度もオレを救ってくれた澄んだ光だった。


「そういやアンタも居たんだったな。すっかり忘れていたよ、ナマクラ」


 オレは、右手に握る今やはっきりと認識した淡く光る聖剣に声を掛けた。だが魔剣の時と同様返事はない。思考も感情も、微塵も感じ取ることは出来なかった。今はそれで構わん、しっかり働け。オレはそう思いながら、聖剣の斬先を子供へと向けた、つもりでいた。だが斬先の向こうにはオレと同じ年格好の男が、憎らしげに睨んでいた。片目は潰れ、無精髭を生やし髪は鳥の巣のように乱雑。腹回りは少し弛み、ゴツゴツした両手に雑種剣を携えていなければ、先程の子供とは思えないであろう出で立ちであった。


「随分落ちぶれた姿になったじゃねえか、ガキ。いや、もうオッサンか」


 そう強がりながらもオレはたじろいでいた。子供だったはずの目の前のそれは、まんまオレの姿形そのものだったからだ。


「ガキだのオッサンだのって、あんたの言っていることは、さっぱり分からねえよ。意図すら掴めん。寝言でなければいいとこ、おれを騙くらかそうとしているってところだろうが、その手は食わんよ。食ってもちっとも美味そうに思えないんでな」


 やはりヤツとは見えているモノが違うのだと、改めて認識した。言葉遊びでもしているような下らん物言いに興ざめしたオレは、何も言わずに構えをとる。いつもの、いつも通りの両腕をだらり下げた右斜の構えである。相手からひりひりとした緊張が伝わる。どうもその緊張に釣られてしまったようで、無性に喉が渇く。オレは生唾をごくりと飲みこんだ。


「人ん家に勝手に上がり込んで、好き勝手しやがって。あんたのママに言いつけてやろうか」


 黙るオレにヤツはここぞとばかりに言葉を畳み掛けた。だがここで何か別の緊張が走ったような気がした。滑らかに動いていたヤツの口も止まる。何かあると感じたオレは、一気に距離を詰めた。


「おれが何したってんだっ! 寄って集ってか弱い中年を甚振りやがって。いい加減、帰ってくれっ!」


 ヤツが叫ぶ。だが反撃する気配はない。ただ立ちすくんでいるだけだった。


「なら、カカシのように突っ立ってないで実力で追い返してみやがれよ。そんなんじゃスズメにだって虚仮にされちまう」

「あんたこそ小鳥のようにピーチクパーチクほざきやがって。ここはオレの場所だと言っただろ。いい加減にしてくれっ!」

「悪いがオレはアンタと違って無口な方だよ」


 無為な言葉が飛び交う間に、オレは間合いに入り聖剣を横に薙いだ。刃が触れた一瞬だけかかる小さな抵抗、そしてなまじ斬れ味見事な剣身は、空気を斬るかのようにそのままヤツを素通りした。


「痛えじゃねえか、クソッタレ! おれとあんたは一つなんだ。よくもそう残酷なことができるな」

「随分立派な棚に自分を上げたじゃねえか。笑って欲しいのか、アンタは」


 真っ二つになってもまだ口が利けるのか、驚いた。いやいやここに来ては驚いてばかりだ。だがここはこういう世界と無理矢理納得するしか無い。とにかく喋らなくなるまで斬り刻めばいいだけの話、それでダメならその時だ。とオレは単純に結論づけた。迷いを捨て、目的が明確になると集中も高まる。視界の隅で蠢く何かを察知することくらい、今のオレには造作もないことだった。

 それは危険な気配はしない。むしろ好意的な何かを感じさせた。しかしながら、ここの全貌どころか一分も理解していないオレにとって、放っておける事態ではない。オレはその何かに対処すべく、オレと瓜二つのヤツに背を向けた。


「やめろっ!」


 叫声が響く。普通なら一瞥くらいはしていたかも知れないが、オレの行動に影響を及ぼすことはなかった。その声が聞いたこともない嗄れ声でなければ。


「頼むから、やめてくれ」


 再び振り向くそこには、やせ細った老人が一人、四つん這いで項垂れていた。ヤツはどこへ行った。いや、この老人がヤツなのだろう。何故そうなったかは分からない。分かるわけがない。だがオレは確信していた。そして、疎らになってはいたがそれでも充分残っていた頭髪に、ほっと胸をなでおろしたい気分になった。

 オレは立ち止まり改めてその老人を見下ろした。


「わしゃあ、あんたが嫌いじゃった」


 老人は滑舌悪くすこぶる聞き取りにくい声で、訥々と語りだした。


「そしてのぉ、羨ましかったのじゃ」


 窓のないくすんだ石壁。冷たい床。淀んだ空気。鼻につく薬品の臭い。暗灰色のローブを着込んだ男達。いや女もいる。そしてオレは、仰向けに寝ている?

 オレの記憶の隅を突く光景が、今、唐突に広がっていた。

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