episode 1 苛立
【そりゃまた、迷惑したのっ!】
【フンッ! 分かればいいのです。田舎者】
赤く発光し、ひっきりなしに襲い来る魔獣の群れ。この際それはいい。それ程苦も無く対処できる。だが、それと同時にひっきりなしに脳を突く甲高い声と低く掠れた声。これには、ほとほと頭を悩ませていた。
【このずるすけが。なんぼまた憎たらしい口ばり喋るんだして。すたことばりしてねぇで、すかすかど紐っこ出して、みんな片付てまれ】
【アナタこそ、そこらの魔獣、全部平らげたらどうなのです。ゲテモノ喰い】
【喰ねじゃよ、あったもん。はんかくせんでねな】
言い争う聖剣と魔剣。そして改めて思う。魔剣の言うことは全く分からん。
【お前、耳、聞けねんずな】
と、その思考に反応し、オレにも牙を向けているようだが、残念なことかはたまた幸運なことか、とにかく意味不明である……。オレは、今いる深い森の中の様相に似た、どんよりとした溜息をついた。
プロスペロー砦を後にして五日が過ぎた。オレ達は来た道、と言うか森の中をひたすら進んだ。一度だけ、春先のみぞれ混じりの冷たい雨に見舞われ半日ほど足止めされる。だが、森を大きく迂回し街道を通ればよかったと思わせるほどに、行程がお世辞にも順調とは言えなかったのは、そのせいだけではなかった。
── 帝都へ行って魔剣を手に入れてねぇ。後から行く……
クテシフォンから聞いたカイムの最後の言葉。それが頭にちらつき、オレを煩わす。
運よく魔剣を手に入れた。さて、あの男はこれをどう使うつもりだろうか? 自分の身体を取り戻すために必要なのだろうか。それとも別の意図が……。いくら考えても答えの出るような、そんな代物ではない。深みに嵌りそうな思考を一旦棚に上げ、周囲の魔獣の掃討に意識を傾けた。
鈍い風切り音と共に巨剣がオレの鼻先を過り、魔獣が一体、拉げ消える。オレは不敵に口角を吊り上げ、熊のような男を見上げた。挑発してやがるのか、しゃらくせえ。オレは足元に襲いかかってきた小型の魔獣を男に向かい左足で蹴り上げ、軸足をそのまま踏み込み左に握りこむ魔剣を突き上げた。細身、漆黒の直刃はその場の誰もが反応できない速度で魔獣を穿き、男の頬を掠める。眼前の魔獣が霧散し顕になるイオカステの顔。驚き見開いた目を徐々に吊らせ、怒りに色づき始めた。
「魔獣に襲われそうな、か弱いオレを助けてくれたんだろ? 今のはそのお返しみたいなもんだ。お礼を言いたい気持ちは分からなくもないが、そこまで気にしなくていいよ」
皮肉られ、わなわなと怒りに震えるイオカステ。その後ろで、蛇の動きに似た十本の鋼糸ニウトが着々と赤い光を捉え、巻き付き、切り刻んでゆく。
カリュケが無言で淡々と魔獣を狩る、傍目にはそう見えたであろう。だが、そうではないことをオレ達は知っていた。暫くすると、カリュケは急に膝を突き肩で大きく息を始める。同時に鋼糸が動きを止め、微かな音を立て地面に落ちた。
「これで何回目だと思ってる。闇雲に戦うのも加減にしろっ!」
巨剣を地面に叩きつける冴えない金属音と怒声。イオカステが太い眉を顰め、野太い声でカリュケを罵る。これでまたしても、足止めの憂き目に遭うのだから当然と言えよう。
「同感だ。後先考えずに魔術をぶっ放しやがって。大の大人をお守りしなきゃならねえ、こっちの身にもなってみやがれ」
と、オレもイオカステに追随した。当のカリュケは、口元だけで吹き出すように小さく笑う。
「別に置いて行っても一向に構わないんだけどね。それに連れて行けと頼んだ覚えもないよ」
オレはこの上なく苛ついていた。理由ははっきりしていた。今も脳に響いている二振の剣の罵り合い。イオカステの鼻につく生意気な言動。そしてカリュケのバカにしくさった態度。どれもが確かに苛つく。だが、それは些細なことだった。このカリュケの世捨て人のような雰囲気が一昔前の自分と重なり、それが癪に障った。昔と言ってもせいぜい十年程度のことではあるが。
感情に任せ大きく一つ地面を踏めば、夜の暗さに紛れ黒い泥が撥ね、更に苛々が募る。憎々しげにカリュケを睨みつける。が、その先に薄っすら見えるは、魔獣が警戒する時に発光する赤い光りに淡く照らされた、気の抜けたような黒い瞳。それがどこを見るともないように、ただ暗がりに視線を固定していた。
「どこまで性根が腐ってやがるんだ」
小声で、だが聞こえるように吐き捨てた。が、当の本人はどこ吹く風とばかりに、まるで気に留める様子もなく黙る。そんなヤツの素振り一つ一つが、妙に癇に障った。
カリュケに襲いかかる一体の魔獣。だがそれは、唐突に宙に浮かび出た波紋を思わせる空間の揺らぎに捉えられ、動きを止められた。間髪入れずにイオカステが巨剣で叩くように斬る。いや逆だ。斬るように叩いた。魔獣は振り下ろされた巨剣と共に、地面にめり込み、霧と化し、消えた。
「どういう理屈で、その波紋を出している?」
突然の大男の、その体躯に見合ったぶっきらぼうな大声に、オレの肩が小さく跳ねた。
「分かれば何のことはないんだがな。残念ながら、アンタのその控えめな脳ミソに理解させられるような言葉、持ちあわせはないよ。まあそれでも簡単に言えば、一つ二つ深い場所を揺らしていると言えばいいんだろうな。まあそんなこと急に言われても、仮にオレならさっぱりだ」
と、跳ねた肩をごまかすように竦める。
不思議なことに、オレはこの現象を言葉ではなく事象として理解していた。それは、聖剣と魔剣、二振の剣が互いに共鳴したかのように暴走したあの時に、オレの体に流れ込んできた『力』が教えてくれていた。しかも、この力は聖剣、魔剣にとってもどうやら初めての事だったらしい。三百年前、この二振が相対した時は『魔剣の波紋』と『聖剣の紐』このような現象は起きてはいないと言う。更にはこのような能力が備わっていたこと自体、剣自身も知らず戸惑っているようだった。
本当に置いていってやろうか、と、これで何度目ともなる考えが頭に浮かんだ。そんな時、カリュケの力無き低い声をオレの鼓膜が捉えた。
「女神が大事と思うなら、遠回りなんかするな。今できる最大の力をもって最善を尽くせ。そして、遠慮せずに自分の思いを伝えることだ」
それは、何の脈絡もない唐突な忠告。この細身の魔術師の思いを測りかねる。
「何だそれ。遺言かなんかのつもりか? アンタをこのまま見捨てることが、今のオレの最善で、遠慮のない思いってやつだと思うんだがな」
だが、やはりと言うべきか返事はなかった。感情が揺さぶられた様子も窺えなかった。それにオレはそんなもん期待はしていなかった。
やれやれ、そんな呆れた思いと安い挑発、二つの意味を込め、短く強く鼻で息を吐く。だがその行動は残念なことに、男にもオレにも何の効果も齎されることはなかった。
それから数日が過ぎた頃、オレはやはりカリュケ、ついでにイオカステも置き去りにするんだったと酷く後悔することとなった。
あと少しでハーシェスの村に辿り着こうというその時、オレは不穏な空気を感じ取り、下草を蹴り木々を掻き分け、カリュケとイオカステを置き去りに、全力で森の斜面を駆け登った。直後、彼女達も気付いたのだろう、蒼黒二つの剣から強い感情が流れ込んできた。
「何体だ?」
オレは走りながらクテシフォンに問う。と、すぐさま感情の乏しい甲高い声が脳に触れ響いた。
【二十くらいなのです】
「なるほどな。魔剣、アンタの見立てはどうだ」
【あいと、同づだ】
「そうか……」
一応クトゥネペタムにも訊いてみたものの、その返答はやはり理解できるものではなかった。
オレの体には小枝や岩で擦れた新たな傷に加え、シーロンに付けられた切創が数カ所開き、至る所で血が滴っていた。だがそんなもんに感けてる余裕は、今の俺にはなかった。そのまま速度を緩めずに走ること数分、更に幾つかの掠り傷を皮膚に刻みながら、オレは森を抜けた。
遮る木々が疎らとなり、見通しが晴れる。オレの視界に入ってきた村の様子は、まるで戦争か略奪なんかがあったかのような無残なものだった。見える三軒の家屋は二軒が倒壊し一軒が燃えカスとなっていた。規則的に並ぶ街路樹も、力任せに倒されたようなものから、鋭利な刃物に両断されたようなもの、強い炎に焼かれたようなものまで様々だった。
だが実際、そんなものは生温いとさえ思えてしまう事が起こっていることを、この時オレは何となく予想していた。いや、確信していた。
村に入る。吹き飛ばされたかのような建物。荒らされた道。抉り取られたように土が剥き出しの芝生。オレは規則的な二拍子を鳴らしひた走る。途中、路肩に倒れている見知った顔の男は、とうに事切れていた。感情が高ぶるは一瞬。目を背けるとすぐに再び元の感情に支配された。
ニースが心配だ。
おそらくは、この惨事の核心に彼女はいる。捷る気持ちに抑えが利かない。だが今のオレは、只々二本の脚を交互交互に動かすことしかできずにいた。そしてそれが、たまらなく不甲斐ない、そう感じていた。
目指すは、フチクッチの屋敷である。歪で気味の悪い建物の様相を思い浮かべながら、オレはそこへと向かう。沈み込むような深い後悔を溜めながら。
どうして気付かなかった。裏返が押し寄せ、シーロンが現れた。止めに魔術師の集団と魔族。これはもう帝国のお国事情なんてもんの域を遥かに越えていた。
奴らの目的、それは当然ニースであろう。フチクッチの秘密と言う解釈もあるにはあるが、ニースが狙われる理由に比べればそっちの線はあまりに薄い。単に女神自体が邪魔者と考えてもいいのだが、普通に考えれば『カイムの器』とその封印に関わる事であろう。ことは明白だった。
「畜生が……」
無意識に吐出された自分を罵る小さな声。心が大きく揺れる。波打つ。全てを後回しにしてでも早急にここへと帰って来るべきだったんだ。何をチンタラしていたんだと、自分を責めに責めた。だが、それ自体今となっては無意味なこと、それは充分分かっていた。




