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女神と魔神と……オッサンと!?  作者: もり
第5章 帝国辺境編
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episode 16 双璧

 机上に散らばり隙間なく覆う無数の羊皮紙。そこには様々な地形が描かれ、細かな書き込みがされていた。インクの匂いが充満し汗の臭いと混ざる。

 机を囲む数人の男たちは、その饐えた臭いも慣れたとばかりに気にする素振りを見せず、討論に明け暮れていた。

 足を組みだらしなく椅子にもたれながら、面白くなさ気に羽ペンの先を何度もインク壺に浸し弄ぶ仕草をとっているは、部隊の最高責任者であり帝国将軍であるヘゲモネ・オットーその人であった。


何故(なにゆえ)、あの砦を落とさねばならぬのだろうな」

「意地、でしょうな」


 答えたのは一人の臣下。苦みばしった表情が二人を交差する。ヘゲモネは理解し難いとばかりに、蓄えた豊かな顎鬚を撫でた。そこにいる八人の男は一人を除き、その仕草を眺め黙考していた。

 国境の小競り合いに端を発したこの大戦は、小川が大河へと流れ海へと続くように肥大化し、既に泥沼の様相を呈していた。両国は疲弊し、とりわけ国力の劣る王国は惨憺たる有り様だった。だが、ここにきて、その王国に状況を覆す二人の男が現れた。それは、若き戦略家と一人の傭兵。二人はそれぞれに戦場を流れ、次々と劣勢を覆してきた。


「『俯瞰者』と『血塗(ちまみれ)』か。どこの誰だか知らぬが、大層な二つ名を付けおって。これでは兵の戦意を削ぐだけではないか」


 机上を滑るヘゲモネの不機嫌な声が、机を挟み、俯いていたカリュケの元へと届いた。顔を上げ見るとヘゲモネは、細身のこの男を凝視し口角を僅かに上げていた。

 男は『塔』を通じ話題に挙がった二人の素性、性質を理解していた。そのことを見抜かれた訳ではないだろうが、ヘゲモネは当たりをつけカマをかけている、そう考えた。果たしてどう答えるが最善であろうか。男は視線に気づかぬ振りを決め込み、立て肘に無精髭が疎らに生えた顎を載せ思考に沈んだ。

 アブ・ヌワス砦。難攻不落にして王国の喉元と呼ばれる要塞は、補給を絶ち孤立させ、戦略的には既に攻略する価値を失っていたはずだった。しかし『塔』の思惑は違っていた。俯瞰者と血塗、王国を裏から操りこの二人をここにおびき寄せ、帝国に始末させる場として新たな価値を見出した。『塔』はこの二人を、自らの存在を脅かす危険な存在として認識していたのだ。さらには、敢えて帝国に難攻不落の要塞を攻めさせることにより、その弱体化をも目論んでいた。

 果たして盤上の駒ように両国が動いてくれるか。カリュケは懐疑的だった。だが、さすがは影に潜み闇を跋扈してきた組織である。ここまでは大凡(おおよそ)思い通りに事は運んでくれていた。

 カリュケが次に顔を上げた時、それは会議が終わりを迎えた時であった。ヘゲモネは再び鋭い視線を送るもカリュケはさっと躱し、軽く一礼、そしてそのまま厚手の布をくぐり天幕を後にした。

 既に『塔』はその目的を見失っている。俯瞰者と血塗、そして帝国の軍事力。どれも魔族に対抗出来うる可能性を秘めている。しかし『塔』は、あの日を境に変わってしまった。滅びの恐怖を植え付けられ臆病になってしまった。まるで戦場を徘徊する幼い子供のように。

 白月がカリュケの足元に影を作る。己の形に象られた闇を見つめ、それはまるで自分のようだと皮肉げに笑った。そして、こうも思った。

 先は長くないかもしれない……。




「何をしておる。何故落ちぬ」


 ヘゲモネの怒声が地を這うように響く。ここまで帝国は様々な策略が功を奏したかに思えた。一見すると、あと一息吹きかければ砦は落ちる。だがその一息がなぜか遠い。

 俯瞰者の掌中か……。皆、そう考えていたであろう。だがカリュケはもう一歩深く考えていた。帝国はここで多大な犠牲を払っていた。もう退くことが出来ないほどに。これこそが俯瞰者の思惑かもしれない。少なくともここに帝国軍を釘付けにすること。それをを狙ってのことだと考えていた。帝国を疲弊させるためか、はたまた……それはカリュケには分からない。しかし、このことは『塔』にとって、取り敢えずは都合が良かった。

 物量を以って砦を落とす。それがヘゲモネの採れる唯一の策となってしまっていた。追い込まれているのは王国ではなく帝国か……。見た目とはあべこべの戦況に、カリュケの顔に浮かぶは苦笑いだけだった。ただ彼には切り札と呼べるものが『塔』から手渡されていた。それはこの状況を帝国側に呼び寄せる類のものではない。単に全てをひっくり返す、そのような代物だった。

 どうにも踏み込めずにいるカリュケ。自分もこの状況を創りだしてしまった一因か、そんな思いが胸を過った。


 数日後、覚悟を決めたカリュケはヘゲモネに謁見を申し出た。すぐさまヘゲモネの天幕に呼ばれたカリュケは、『塔』から渡されたある物を差し出した。それは両手に載る程度の大きさの球状のものだった。一見すると水晶球、だがそれは赤く禍々しく明滅していた。その場にいる人の影がゆらゆらと怪しく揺らぐ。


「なるほどの。その水晶球は瘴気を封じておるわけか」

「そのようなものとお考えいただければ」


 ヘゲモネは髭が蓄えられた顎に手を添え暫く黙り思考を巡らせていた。が、次の瞬間大きく声を張る。


「カリュケ。そなたに命ず。敵中深く入り込み、その水晶球の力を発揮させよ」


 カリュケは深く頭を下げた。この男は全てをご破算にするつもりだ、そう考えた。仕方あるまい、こうも戦況が膠着していれば、頼っていけないものにまで縋りたくなると言うものだ。


 翌朝、帝国軍の行動は迅速だった。王国に気づかれぬよう、本陣だけを速やかに撤退させる準備が整えられた。天幕もそのまま、前線にもこのことが伝えられることはなかった。

 砦をしげしげと眺めるヘゲモネはすっとその視線を切り振り返る。そこには数人の臣下の姿があった。ある者は心配そうに顔色を窺い、ある者は怒りに顔を紅潮させていた。その表情は様々ではあるものの、一様に肯定とは捉えがたい反応を示していた。


 一方カリュケは砦の麓、前線にその身を置いていた。これから起こるであろう惨劇に、ごくり喉を鳴らす。

 ヘゲモネに伝えた策は水晶球を敵中深く投げ入れるものだった。だが『塔』からの指示はそれと違っていた。帝国軍最前線の陣中で水晶球を割れ、と言うものだった。

 カリュケはふっと笑った。自嘲したのだ。王国だけに罰を受けさせるのは、確かに公平ではないな。妙な理屈が浮かんでいた。そしてこうも思った。はたして『塔』はどう罰せられるべきなのか、と。


 最初の犠牲者は……自分だろうな。カリュケは足元に思いっきり水晶球を叩きつけた。ぱりんと甲高い音と同時に一気に瘴気が溢れだす。そのあまりの濃さにカリュケは吐き気をもよおし、右手で口元を覆い俯いた。そして顔を上げたそこは、魔獣が(ひし)めき、地獄さながらの様相を呈していた。

 至るところから悲鳴にも似た声が飛び交った。それには自身の声も含まれていた。気づけば必至でニウトを()り魔獣を葬っていた。

 カリュケは人間の本能の頑なさを身を持って味わっていた。どうなってもいい、そう思っていたはずが、いざ死を目の前にすると恐怖に支配され、抗ってしまう。時間の問題というのに。


 カリュケは堪らず膝を突いた。自身の魔力も底を尽きかけている。体力も然り。所々疵を負った身体を見下ろし、このまま力を抜き仰向けになれば、さぞ気持ちいいのだろうなと、呆けた頭で考えていた。

 異変に気付いたのはその時だった。地響きにも似た地を這うような大きな音が、カリュケの鼓膜を震わせた。ほどなく幾つもの飛礫が辺り一帯に散った。

 カリュケは空を仰ぎ不思議に思っていた。何故、魔獣が消えたのだろう。何故、瘴気が感じられないのだろう、と。

 遠くでは黒煙が上がっていた。その近くで魔術の行使にも似た精神の集中が感じられた。何かが起こっている。何か自分の知らない恐ろしいことが。気付くとカリュケはその方向に向かい、よろよろとそれでも走っていた。

 また一つ、二つと轟音が響いた。近づくにつれ、臓腑までもが振動するように感じた。あれほど生にしがみついていたカリュケの本能は、今やすっかり麻痺し、その機能を失わさせていた。


 高く(そび)える城壁を見上げた。そこには一人の男が立っていた。黒の導師服に身を包み、髪は研ぎ澄まされた刃物のように艷やかに光沢を帯びた銀色、肌は透き通るように白く、まるで魔獣が警戒しているかのように、赤い瞳を爛々と輝かせていた。

 この男が、災害のような状況を作り出したのは明らかだった。なおも男は右手を(かざ)す。するとその先では大きな爆発が起こり、分厚い城壁が瓦礫と化していた。

 そこに一人の男がふらつく足取りで近づいてゆくのが見えた。見ると男は全身を赤く染め上げていた。この期に及んで何をしようというのだろうか。カリュケは黙って行く末を見守った。

 血塗れの男と銀髪の男が対峙したその時だった。血塗れの男が変容した。いや見た目は何も変わらない。だが別の何かに変わったと感じた。

 あれは不味い、銀髪の男どころの騒ぎではない。カリュケの直感は絶えず警鐘を鳴らし、再び恐怖心が鎌首を(もた)げた。


 血塗れの男はふらっと揺らいだように映る。その瞬間、既に銀髪の男の間合いに入っていた。疾い。それ以上に無駄がない。

 銀髪の男は堪らず飛び退ろうとその身を後へと倒した。が、その時、既に雌雄は決していた。血塗れの男は流れるような動きで双剣を操り、脚を斬り、腕を斬り、最後に首を狩った。あっという間の出来事に、カリュケは呼吸をも忘れたかのように微動だにせず、その場に立ち竦んでいた。

 頭の片隅の古い記憶がのそのそと這い出るような感覚に、冷や汗が流れた……。



 ───────────────────────────────────



「それがオッサンだったことは、暫くしてから気づいたよ。恐怖の記憶ってのは、なかなか拭えないものなんだろうね」


 カリュケはオレに無感情な視線を向け、ぼそりと言った。それは感情を無理矢理殺すことで、恐怖を抑えつけているようにも思えた。

 随分と長い話になった。まだ続くのかと、カリュケに問う。


「もう少し付き合ってもらいたいな」


 戦場の真っ只中というのに、落ち着いた空気が流れる。シーロンが捕まったからであろうか、裏返はその気勢を削がれ大人しく蹲っていた。

 カリュケはそんな彼女に横目を向け、小さく、そして優しく笑った。

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