episode 6 移植
「ニース、まあそう怒らんでいいだろ?」
彼女の怒りは矛先を変えた。オレを睨みつけたのがその証拠だ。
「魔族を目にしたら冷静でなんかいられるものか。人間なら誰だってそうだ。誰も悪いことなんてしていないんだ」
支えられた肩はいまだ小刻みに震え、小さく整った唇は強く横に引き結ばれたまま、瞬きひとつせず穿つような視線をオレに向けている。まるで納得がいっていないご様子である。結構いいことを言って諭したつもりなのだが、どうやら効果なし……。トホホである。
人と人ならざる者の認識の違い、そう断じてしまえば話は単純だ。だが、このお人好しで人好きのへんちくりんな女神は、たぶんそうは考えていない。魔に抗うために魔の行いに手を染める。その被害を被った人々にとっては、魔族に襲われようが魔術師の生贄となろうが大差はないのである。いやむしろ魔族によって滅ぼされたのなら苦痛は一瞬、延々と苦痛を与え続ける『塔』の所業に比べ、遥かにご慈悲ってもんがあると言えた。
「ほれ、ワシの体もこの通り刻印だらけじゃて」
そうしてフチクッチは右そして左と順にローブの袖をまくり、自身の枯れ枝のような腕をニースに見せつけた。オレには何も見えないが、ニースには『視える』のであろう。彼女は視線をちらりとその両腕へと向けた。そして首を傾げる。どうやら彼女も『視えて』はいなかったようである……。
その時、フチクッチがすっと左の袖を元に戻した。オレはこの行動に、小さな刺が刺さったような引っ掛かりを感じるも、思い過ごしであろうと感情を誤魔化すことにした。オッサンという生き物は、チクリとした感情を何事もなかったかのように適当に流すことに関しては、お手のモノなのである。
ニースは小さく息を吐く。と同時に強張った体から緊張が解けた。フチクッチはそれを察したのであろう。ニースの細くしなやかな手を、皺枯れた自分の両手に収め包み込んだ。
「ワシは悪魔に魂を売ったのじゃよ。人間はそうしなければ魔族になんか太刀打ち出来ぬ。分かってくれとは言わん。じゃが、愚かな人間を見捨てないで欲しいのじゃ」
老女に懇願された女神に、先程までの沸々と沸き上がるような怒りはもう治まったように見受けられた。だが静かで冷たい怒りは研ぎ澄まされたまま、オレに伝わった。ぐっと手を握るフチクッチに対し、彼女は手を払いのけることはしなかったものの、握り返すこともなかった。
「すいません。こうして良くして頂いていることは感謝しています。ですが、この人にこれほど深い闇を植えつけ、平穏を奪ったことは……もう許すことはないでしょう」
「ニース、オレのことならもう止せ。オレは何とも思っちゃいない。だいたい『塔』で何をされたかなんて、殆ど憶えていないんだ。感謝こそすれ、恨むようなことは何にもないよ」
次の言葉を静かに紡ぎだそうとするニースにオレが割って入る。こればかりは本音である。過去、己の能力を呪ったりもした。だが今は、おかげでこうして際どくはあるものの、ニースを守ることが出来たのである。
「コートさん……」
「もう、クーロンでいいよ。全部吐いちまった。それとババア、アンタも大変だったな」
笑顔を向けると、フチクッチはそっぽを向いた。老女の苦労は並大抵のことではなかったはずである。目に映るは老いて細く小さな後ろ姿。使命を背負い年数を重ねたであろう重みに、畏敬の念すら感じた。
だがそれだけで全てを受け入れられるほど、オレは出来た人間ではない。取り敢えずは労った。なので、心置きなく本題に入ることにした。
「いろいろ疑問が残る話だったが、どうしても分からんことが一つある。『塔』を作り上げたアンタが、どうしてここで野良の真似事なんかしている?」
「逃げてきたのじゃよ、命からがらの。『塔』は既に崩壊してしまったからの」
答えたフチクッチは、そっぽを向いたままだった。
「『塔』の存在自体は小耳に挟んでいたんでな、知っていたよ」
バラグタスという魔術師を尋問にかけた地下牢の、暗く寂れた風景が頭に浮かんだ。
「ただでさえうさん臭いってのに、もうなくなっちゃいました、とくれば、いくら世間知らずのお姫様にのせられて、ホイホイ帝都に行くような単細胞なオレでも、信じろってのはムシがいいと思ってしまうんだがな」
オレはここぞとばかりに畳み掛けた。だがその話に鋭く反応したのは、フチクッチではなくニースだった。
「クーロンさん、そのお姫様ってスィオネ様のことでいいですか? そのやりとり、詳しく聞かせてもらえないでしょうか? サクヤさんのことといい、その年の頃がお好みのようですので」
ここに来て発動するは、例の威圧的な笑顔である。そっち方面の話は後にしてもらえると、助かっちゃうのですが〜……。
タジタジになっているオレに助け舟を出したのは、意外にもフチクッチだった。そう言っておきながら、ここには三人しかいないので、意外ってほど意外でも無いのですが……。
「その『塔』を滅ぼした人物こそ十人目の『龍』、名をシーロン。彼女は今やおそらく帝国、そして魔族をも掌握しておる」
「なぜ、スィオネの前でその話をしなかった?」
「『塔』の存在は知られてはならぬのじゃ」
オレは嘲るように小さくため息をついた。
「今更それか。あきれるな。他にこのことを知っている奴は?」
「カリュケとイオカステだけじゃ」
「その話、オレにも詳しく教えてもらえるんだろ?」
老女はやや抵抗を感じていながらも、言い淀みながら語りだした。
十四年前に新たに十人目の『龍』が誕生した。彼女は『十番目の龍』を意味する『シーロン』と名付けられた。彼女が『龍』となった経緯は至極簡単、これまでの研究の蓄積から強い赤子を産み落とし、ギリギリ生かす塩梅を『塔』が経験してきたことに他ならなかったからである。
但しシーロンが二歳になる頃には『塔』としても未知の領域に踏み込むこととなった。一転、試行錯誤の日々が続いた。そして、彼女が四歳を迎える頃、すでに虫の息となっていた。延命が施されるも肉体を維持できず、時間の問題に等しい状態と言えた。
シーロンの命の灯火が、緩やかな右肩下がりの小康状態を保っていたある日のこと、彼女にとっては良くも悪くも運命の悪戯となりうる一つの事件が勃発した。例のアブ・ヌワス砦での魔族の撃破である。『塔』は王国、帝国、双方の混乱に乗じて、魔族の遺体を手に入れることに成功した。
そして、少しずつではあるものの、確実に機能を失ってゆくシーロンの肉体に魔族の肉体を植え付けた。だが、最初の二回は失敗に終わった。魔族の組織が壊疽を起こし腐敗し始めたのである。
それでも魔術師は、再び同じことを繰り返した。そして今度は、やけくそとばかりに残った魔族の組織を全て少女の体に植え付けたのだ。これでダメなら諦めよう、そのような空気が流れてのことだった。
今までの倍以上の組織が彼女の体に癒着した。無理やりとも投げやりとも言っていい施術だった。シーロンは連日嘔吐し高熱を上げ、その苦しみは身の内に潜む何かが暴れだしているかのようだった。彼女の黒曜石のような瞳は、怒りを内包したかのように血の色に染まり、瞳の色と同様の艶のある黒髪は、色が抜け落ち光沢だけが残った。
この惨状を目の当たりにして、誰しもが諦めていた。だが峠を過ぎ、症状が治まる頃には魔族の組織はシーロンの体に徐々に馴染んでいった。奇跡。信心深いものもそうでないものも、皆、その言葉が頭の中を過ったという。
かくして、シーロンは魔族の体を己に取り込み、ものの見事に回復していった。そして再び魔術師の遊び道具となる日々に戻っていった。
四年の月日が流れた。
充分に力を身につけたシーロンが最初に自分の意志でとった行動、それは『塔』とそこにいる魔術師達への復讐だった。まず、下準備にとりかかった。言葉巧みに魔術師達に取り入り、互いの不信感を煽ったのだ。彼女はいつしか強力なカリスマを備えるようになっていた。そして魔術師はその性質からか、猜疑心が人一倍強かった。彼女はそこを巧妙に突いたのである。クーロンの直情的なものとは一線を画した少女の報復は、一年程の時間を費やし毒薬のごとく『塔』を内部から侵食していった。
期は熟したと判断したのだろう。ある日、シーロンは数人の魔術師を引き連れ、力による制圧を開始した。そのころ懐疑的となり互いが互いを遠巻きに牽制しあっていた魔術師は、誰が味方で誰が敵かを区別できずに混乱の極地に陥っていた。そんな状況である。シーロンは容易に、自分にかけられた魔術による『枷』を次々と外し、自分を苦しめた魔術師を次々と葬っていった。
最後の仕上げとばかりにフチクッチに相対したシーロンは、老魔術師に、枷をはめ鎖をつなぎ術を組んだ。そしてこう言った。
「ねえ、知っていることを全部話してくれるかしら?」
フチクッチはあらん限りの抵抗を試みた。しかしそれも虚しく三日後、彼女の知識は丸裸にされてしまった。ただ術を三日三晩行使したシーロンも相当に疲弊していた。その隙を突く形となり、仲間の助けもあってフチクッチは命からがら『塔』から逃げのび、彷徨った挙句、帝国の辺境である、ここハーシェルの村へと辿り着いた。
魔族の肉体を植え付ける。それまでオレの感情の隅に居座っていた老女をいたわる気持ちが、綺麗さっぱり吹っ飛んでしまうほど虫唾の走るような話だった。そして、オレの魔族に対する嫌悪感は、相当なものだったとあらためて気付かされた。
当の老女はというと、ためらいに若干声が鈍っているようだったが、後ろを向いたまま、その姿勢は崩さず更にオレへと話し続けた。
「若造、オヌシも何かしらの能力を身に付けているはず。見せてはくれぬか?」
「何のために?」
「オヌシの力、その秘密を知りたくはないのか?」
オレはフチクッチを睨みつけたまま押し黙った。聞きたい。すごく聞きたいものの、この老女に対する嫌悪感と不信感がオレの好奇心を堰き止めた。
「いろいろ思うところはありますが、フチクッチさん、あなたもクーロンさんの能力に関しては純粋に興味があるのでしょう? 私もです。『式』や術が使えない今、私にはクーロンさんの本質に迫れる術はありません」
黙りこくったオレの葛藤を勘づいてのことだろう。オレに対しての問いかけにニースが答えた。
「クーロンさん、私からもお願いします。能力を見せて下さい。今は意地を張っている時じゃないのですよ」
嫌な感情は取り敢えず棚に上げて、本質に迫る。さすがは年の功とでも言っておこう。いや、言わないでおこう。
例のごとくニースに見透かされたオレは、頭を掻いてきまりの悪さを誤魔化した。
「まあ、見せるだけならお安い御用と言いたいところだがな、残念ながらクテシフォンが手元にない今、数秒が限度だ。後日改めさせてもらった方が、いいと思うのだがなぁ」
「数秒で充分じゃ。それに混じりっ気がない方が、よく視えるというものじゃ」
そういうものか。魔術のことはよく分からん。オレは半強制的に淀んだ心情を払拭させ、自分の心の中の『闇』へと潜る準備を始めた。
「なるほどな。わかった。取り敢えず始めさせてもらうよ」
「待て待て、せっかちじゃのう。こっちも『視る』準備をさせてもらうわい」
そうしてフチクッチは、何やら見慣れない文字のようなものが書かれた、手のひら程度の正方形の札を六枚、懐から取り出し、円を描くように等間隔で床に置いた。その中心にオレを立たせ、なにやらゴニョゴニョ聞きなれない言葉を口の中で唱え始めた。そんなオレ達二人のやりとりをニースは黙ったまま見つめていた。どうも警戒をしている。おかしなことをすれば即、術を解体する腹づもりでいる様子が窺えた。
「待たせたの。始めよ」
ニースと目が合う。まるで、これから起こるであろう出来事を、何一つ見逃さないとでも言いたげな眼差しである。彼女自身はどう考えているかは定かではない。だがオレは見守られているような安心感を覚えた。
呼吸を一つ、そして意を決す。オレは『能力』を順次開放した。




