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女神と魔神と……オッサンと!?  作者: もり
第5章 帝国辺境編
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episode 3 魔剣

 硬質な音が反響する。

 男の後を追うように、橙色の髪をきっちり結い上げた少女は、地下深くへ続くただ石が積み重なった簡素な造りの階段を、一歩また一歩と降りゆく。

 彼女の前を上背のあるがっしりとした体形の男が歩く。男は外套を肩から羽織り、品の良い装飾が施された長剣を左の腰に吊るしてあった。装いも派手ではないものの、金糸の刺繍が施され、所々に光る大粒の宝石はまさに豪奢と言えた。だが、壮年にさしかかろうにも拘らず男のその佇まいは威風堂々、身につけているものにも全く引けを取ってはいなかった。

 少女は思う。男からはいつも威圧してくる覇気のようなものが発せられていた。彼女はそれが苦手だった。だが、今は感じとれない。錯覚であろうが、少し小さく見える男の背中に、言い知れぬ不安を抱いていた。

 男の右手に持たれた手燭の灯りがゆらゆらと揺れ、二人の影を歪める。それが不気味に映り、少女は男の左に体を寄せ、握手の代わりに垂れ下がった袖を小さな右手でぎゅっと握った。男の左腕は肩口で途切れていたからだ。

 父であり皇帝であるカリスティス・ジュピトリスは、この時、迷い畏れていたことを赤毛の皇女スィオネは後で知ることとなる。


 夜のように暗い階段を降りた先には小さな部屋があり、その正面には鈍い鉄色をした見るからに(いかめ)しい両開きの扉が壁の中央を占拠していた。カリスティスはそこで、唯一の光源となった手燭をスィオネに手渡す。そして扉の前に立ち自身の右手をその中央に添え、小さな声で長々と呟きはじめた。呪文の類であろう、そうスィオネは思った。

 最後、仕上げとばかりにカスティリスはふうっと大きく肩で息を吐く。


「スィオネ、本当はなここは継承者だけが入室を許された部屋だ。だがもう、そうも言っておれぬ」


 スィオネは黙ってカリスティスの皺の刻まれた顔を見上げた。そこには憂いを隠し優しく見下ろす父の顔があった。


 添えた右手に力を込める。すると扉はゆっくりと奥へ開いた。鉄の軋む低い音がスィオネの緊張と畏怖をさらに引きずり出す。

 現れた部屋は直径五メートルほどの円柱形をしていた。中央に台座がありそこには二メートルにやや足りない黒い棒のような物が載せられていた。模様も何もなく本当に黒い。まるでそこだけ空間が削り取られているのではないか、そう錯覚させられるほどであった。

 その柱体の形状はほぼ楕円形、太さはスィオネの手でも握れる程度であった。

 スィオネは魔剣に囚われた視線を外し、部屋を見回す。天井、壁、床にはびっしりと文様が書き込まれている。スィオネはそれらが古代語だということはだけは見て取れた。だが何が書かれているかまでは分からなかった。


 カリスティスは台座の前まで歩みを進め、視線でスィオネに自分の横に来るよう促した。少女はおずおずと並んで台座の前に立つ。

 黒棒の禍々しさは、近づいてなお、一切何も知らされていないスィオネにも伝わった。

 恐怖をとき(ほぐ)すかのように、大きな呼吸を数回繰り返したカリスティスは、台座の上に横たわる黒棒に視線を固定しながら、動かしにくそうな口を力ずくで開き、低く掠れた声を出した。


「魔剣クトゥネペタムだ」


 カリスティスは魔剣から目を逸らせずにいた。見惚れるとか吸い込まれるとか、そのような感情では決して無い。胸の奥底から湧き上がる冷たい憂虞、それにより本能が警戒していたのだ。そのため視線を外すどころか、瞬きすら躊躇われてしまったのである。そしてそれはスィオネも同じだった。


 帝国歴代皇帝は左腕が存在しない。父であるカスティリスも例外ではない。その理由をスィオネは理解していた。血族に伝えられる言葉を用いると『魔剣に喰われた』のである。だが少女は、それがいかにして行われていたのか、何のために行われていたのかは知る由もなかった。今、この時までは。


「兄上たちは……」


 スィオネの言葉はそこで途切れた。その場の雰囲気に呑まれ、言葉を紡ぎ出せずにいた。だが、この一言で充分伝わった。


「喰わせた」


 返事はたった一言だった。そしてスィオネもその一言だけで大凡(おおよそ)を悟った。

 皇帝は男子のみとの帝国の慣習法から、自分には皇位継承権は無い。更には、スィオネは第三皇妃の娘であり末子である。故に自分には縁遠いはずのこの場所。彼女は、ここに来る謂れはないのである。なのになぜ自分はここにいる。心がざわつき、身震いをした。


「お主で最後になるかのう」

「なぜです」

「何から話せばよいのかの」


 カスティリスは視線を固定したまま、困ったように少しかすれ気味の声を出した。そして話を続ける。


「歴代皇帝は左腕がないのは知っておるの」

「はい」

「その理由も?」

「知っております」


 父は追い詰められているのだろう、いつもより呼吸が荒い。そうスィオネには感じた。だがどうして。それはこれから知るところとなるのであった。


「皇帝は魔剣に左腕を喰わせる。この儀は単にそれだけの意味に非ず。魔剣に認められるか試すためなのだ」

「はい」

「魔剣の力は絶大だ。もし皇帝以外がその力を手にしたら、帝国そのものが喰われてしまうかもしれん。だから皇帝がこの剣を使えるその日まで、皇族以外には知られぬよう、こうして地下深くに封じてきた。歴代皇帝は皇位継承の証としてここで魔剣を手にする。何もなければ初代皇帝、雷帝エウロペア・ジュピトリスのような力が得られよう。だがそうでなければ魔剣は持ち主を喰らうのだ」


 カスティリスは自分自身に憤り、無力さに落胆した。目を細め、全身に力を込めた。


「お主を除いて皆、試した。そして皆、左腕を喰われた。シノーペだけは遅れ、半身を喰われてしまった。気の毒なことをした」


 シノーペとは第三皇子のことである。スィオネは『遅れた』とは何なのか、そしてシノーペはどうなったのかを問い質そうとした。しかし、これから自分の身にも起こるであろうことである。聞く恐怖が聞かない恐怖を上回った。それでもカスティリスの話は容赦なく続いた。


「この国は危機に瀕しておる。力が必要なのだ。スィオネ、済まぬがその左腕、父に預けてはくれぬか」

「なぜゆえ力が必要か、伺ってもよろしいでしょうか」

「そうだな」


 そしてカスティリスは訥々と話し始めた。

 彼が異変に気づいたのは二十年ほど前の事だったという。重鎮の一人がなぜか魔術を扱っているのを偶然見かけたのだ。魔術師であることを隠す理由が分からない。掴みどころのない不安が頭を過った。それからはその男を注視するようになった。そうしてどうもその男の他にも魔術師が存在するのではないか、そう疑わせる出来事が徐々に起こっていった。

 カスティリスは誰が味方で誰が敵か見極めるよう務めた。そして数人の腹心を得た。だが行動までは起こせずにいた。自分が気付いていることを知られたら、魔術師共がどう行動するか分からなかったからである。

 慎重に慎重を重ねたものの、何も手を打てず月日だけが過ぎていった。そうしているうちに事件は起こった。腹心の一人が行方をくらましたのである。

 それからというもの、疑っていた人物の様子が変わった。魔術師であることをひた隠し、警戒し過ぎるくらいだったその態度が、緩んだように感じたのである。

 何かが起こる。焦ったカスティリスは息子たちに魔剣の適性を試した。結果は無残なものだった。全員が喰われた。そしてシノーペは帰らぬ人となったのである。

 皇太子達の左腕がないこと、そしてシノーペが行方をくらましたことはいずれ発覚する。その前に、息子たちを帝都から遠ざけなければならなかった。考えたカスティリスは、視察と銘打って、息子たちを次々と帝都から各公国に派遣させた。当然シノーペには替え玉を用意した。

 不自然な一連の派遣に、魔術師と思われる者達から猜疑の目が向けられていることを感じた。しかし背に腹は代えられない。こうなってしまっては先に進むしかないのである。

 スィオネがもし喰われたなら、その時は自分の右腕で試す。そう決めている。そこで話は終わった。


「父上、分かりました。この細腕でよろしければ、差し上げましょう」


 父の右腕を魔剣に喰わせたくはない。その想いがスィオネを一歩前へと踏み出させた。胸元に位置する魔剣をまじまじと目に収める。全身からぶわっと汗が吹き出た。

 しゃりんと剣を抜く音が聞こえた。スィオネは慌てて振り返る。そこには抜剣し、それを頭上に振り上げた父の姿があった。


「何をなさるおつもりですか」


 焦る様子を見せるスィオネに、カスティリスが苦々しく答える。


「魔剣に認められればよし。認められなければ、すぐさま全身を喰われてしまう。その前に左腕を切り落とす」


 ここで初めて、歴代皇帝の左腕の秘密。その本当の意味を理解した。皇族は魔剣に呪われているのではなかろうか。スィオネはそう思った。


 魔剣に恐る恐る手を伸ばすも、あと少しのところで踏ん切りがつかない。深呼吸を繰り返し再度試す。だがどうしても魔剣に触れること、叶わなかった。

 スィオネは傍らに立つ父を、申し訳なさげにそっと見上げた。目が合ったカスティリスは緊張の走った表情を緩め、もう良いとばかりに優しく微笑んだ。

 その時、決心がついた。いや、諦めがついたと言った方が適切であったであろう。

 意を決し、魔剣の柄であろう部分を小さな左手が触れた。


 どす黒い感情が塊となって流れこむ。スィオネの眼球は上下左右と不規則に激しく震えていた。己を否定する感情が、胸懐をぐるぐると渦巻きかき乱すようであった。

 カスティリスは黙って見極めていた。果たしてスィオネが魔剣に認められるか否かを。

 スィオネの手が指先から赤黒く変色し、それが一気に手首にまで広がった。カスティリスは躊躇なく剣を振りおろし、スィオネの既に黒く変色し元の色を失ってしまった左手首を切り落とす。

 赤黒い物体が鈍い音を立て、その場に落ちた。その時、変色は少女の肘を飲み込んでいたところだった。

 乱暴すぎる方法だが、魔剣が体から離れ侵食は止まった。変色した部分は程なくして霧のように、跡形もなく消えていった。

 左の肘から先を失ったスィオネは、憔悴し意識を失いその場に倒れこむ。カスティリスも娘を介抱する余力はなく、倒れるさまをじっと見ていた。

 そして最後、意識のないであろう娘に一言小さな声で呟いた。


「済まぬ……」

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