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女神と魔神と……オッサンと!?  作者: もり
第5章 帝国辺境編
66/109

episode 1 照準

 くすんだ銀色の巨大な塊が眼前を覆った。なるほどさすがの威圧感である。オレは燻る恐怖心を一呼吸で抑えつけ、右斜(みぎはす)に構えを取りながら、右に踏み込み(すんで)で躱した。

 振り下ろされ、鈍い風切り音を立てながら、体のすぐ脇を通過した巨剣が、踏み固められ岩のような地面を穿つ。振動が地面を通じ足裏に伝わるも、それに構わず瞬き一つせずに相手を見据え、踏み込む足を右に、同時に体勢を角度のついた左斜(ひだりはす)へと変えた。移動した左足から土煙があがる。

 だらりと垂れ下がったオレの両手に握られるは、刃を滑らせた一対の長剣である。左に握るその一振は斬先(きっさき)が地面すれすれに位置していた。体勢を変えた勢いそのまま大股に一歩踏み込み、下段から脛への一撃と見せかけて、今やがら空きとなった腋下から首筋へと弧を描くように(しゃ)に薙ぎ上げる。

 男が両手に持った巨剣は窪んだ地面を支点に下肢を覆っている。丸太のような腕っ節はサスガであるが、力を込める暇は与えない。手詰まり。そうも思ったが、大男は目と口を大きく開き咄嗟に反応した。受けを諦め柄を手放し、急ぎ体を後方へと反らす。いい判断、いい反応である。気分の良くなったオレは、軽快に口笛を一つ鳴らしたい気分になった。

 斬撃を文字通り首の皮一枚で躱す大男。だが、(てい)は完全に死んでいた。詰めが甘い。

 足をよろめかせながらも踏み留まり、不格好なダンスを踊りながらもなんとか転倒を(こら)えたが、反して巨剣ががらんと音を立てた。

 程なく大男はバランスを取り戻す。直後、彼の眉間には、オレの右腕から伸びた長剣の丸みを帯びた斬先が、こつんと添えられた。


 大男は肩を落とし跪く。俯き、そして大きく溜息をついた。纏っていた殺気が削ぎ落とされたのだろう。大きな体躯は一回り小さくなったように感じた。


「ははははっ! よくあれを躱したな」

「寸止めせずに振りぬいていたら、躱せなかった」


 膝をついた巨剣の剣士イオカステは、健闘をたたえたオレを、苦虫を噛み潰したような顔で見上げた。


「よく見えているじゃないか」

「見えてはいない。そう思っただけだ」

「褒めているんだ。素直にハイと言っとけ、若造の分際で」

「オッサンのお前からしたら全員若造だ。堪ったもんじゃない」


 ああ言えばこう言う。


「まあ、いい汗かかせてもらったよ」

「軽くあしらっておいてよく言う」

「そんなことはないさ。実際チビリそうになったしな。用を足してなかったら互いに嫌な思いをしていたよ」


 イオカステは、無言で、面白くなさそうに唇を尖らせた。からかわれていると判断したのだろう。まあ、半分はそのとおりだ。だが残り半分は、割と本気なのだがなあ。

 右に握った剣を腰に立てかけ、跪く大男にその手を差し出す。しかし男はそれを無視し、のっそと立ち上がった。やり場にこまったオレの右手は、宙をまさぐりそのまま頭を掻きむしる。同時に自然と苦笑いが浮かんできた。


「クソガキが」


 クソガキ。体はデカイが尻の穴の小さなこの男にぴったりな言葉である。


「いい大人相手にガキはないだろ」

「人の好意を平気で突っぱねるような奴はガキだよ。それもタチの悪いクソガキだ」


 だがこのクソ生意気な男を、オレは可愛げに思えていた。何気に自分の昔と重なったのである。


 オレは長剣を壁に立て掛け、代わりに、カロリス山脈越えでさんざん世話になった聖剣オウブと、銀剣を腰に差す。そして、手をひらひらと振りながらその場を後にした。

 ちなみにクテシフォンは、口うるさくて煩わしいので留守番をお願いすることにした。はっきり言えば放置してきたのである。一応アレでも聖剣、番犬程度には役に立つであろう。いわゆる番剣だ。



 ───────────────────────────────────



「もうすっかり元気なようじゃな」


 老いて(しゃが)れてはいるものの、滑舌良く堂々とした声音に、ある種の威厳が感じ取れる。

 ゆっくりといたわる老女に、ニースはいつもの笑顔を返した。


「助けていただきありがとうございます、フチクッチさん」

「そう何度も言わなくとも良い」


 春を思わせる季節外れの柔らかな風が、開け放たれた窓から訪れる。その風に揺られ、肩までかかった金色の髪が、ふわり、踊るかのように靡いた。

 広くもない板張りの簡素な部屋。中央に置かれた、木製の上等とは言いがたいものの作りのしっかりしたベッド。そこにもたれ座ったまま、老女を穏やかに包み込むように向ける笑顔と曇のない蒼碧の双眼。

 何も変わっていない。二ヶ月前、フチクッチと呼ばれた老女は、運び込まれた瀕死のニースに目を丸くした。

 そして今、女神のごく自然な美しさに、窓から差す光の眩しさも相まって、深い皺に覆われた目蓋を細めた。


「あの男はどこへ行ったのじゃ」

「あはは……。どこでしょうね」


 フチクッチは口元を軽くしかめ、面白くなさ気にふんっと鼻を鳴らす。その仕草に懐かしさを感じ、ニースはクスクスと笑った。


「変わりませんね」


 笑いながらニースは言う。言われた方は面白くなさ気ではあるものの、悪い気はしていない様子である。


「まあ、良いわ。で、どうするつもりなのじゃ、これから」

「帝都に向かうそうです」


 顰めた顔の深度が増し、皺の形が変わった。

 そこへ、扉をノックする音がした。フチクッチの視線がドアへと向く。


「ババアもいたのか」

「フン、若造が」


 オレがさっき言ったことと同じことを言いやがった。何のデジャブか。なので、先ほど言われた言葉を借りて、ついでに少し味付けを施して返すことにした。


「口を利くミイラみたいなアンタから見れば、みんな若造だろ。まあそこの女神様は別モンだろうがな」


 そう言いながらニースに視線を送る。


「いい天気ですね」


 オレの視線を感じてか、静かな笑顔で一言呟いた。今の話しの流れで天気は関係()えだろ。そんな脳内お天気もとてもよろしそうな女神サマは、窓の外を眺めた視線をオレへと向ける。


「どこに行っていたのです?」

「いつものようにデカブツと戯れただけだよ。クマを飼ったら、こんな気分なんだろうな」

「仲がいいですね」


 ニースはニッコリと笑った。そして静かに言葉を続ける。


「いつ行くのですか? 帝都に」

「じきにな」


 彼女の何気ない一言が呼び水となって、頭の隅に寄せておいた後ろめたさが、どろどろと押し寄せてきた。そんな浮かないオレの顔を、ニースは不思議そうな表情で首を傾げて覗き込む。


「まあよい。ワシは戻るよ」


 フチクッチはまた鼻を鳴らし、ゆっくりとした足使いで部屋を後にする。扉を開き一歩踏み出す。その時、思い出したかのように老女は振り返った。


「若造、後でワシのところに顔を出せ。よいな」

「了解だ、ババア。」

「早めにな」

「アンタが天からお迎えが来る前には、伺わせてもらうよ」


 今度こそ部屋を出て行ったフチクッチを見送る。するとすぐ、二人になる機会を待っていたとばかりにニースはオレへと声をかけた。


「何かありました?」


 何のことはない一言である。だがオレは沈黙を余儀なくされた。漠然としていたものの、言わんとしていることは理解できたのだ。

 ニースは微笑みを維持したままうつむき加減で目を閉じ、オレの返答をゆっくり待っているようだった。オレに気遣ってのことだろう。

 少し考えをまとめた末、オレは静かに口を開く。


「なあ、ニース、オレはアンタをこんな目に遭わせてまで、どうしてこんなことしているんだろうな」


 彼女は控え目に笑う。


「そんなことですか。自分で自分が信じられない。そうなのですね」


 目を開き、ゆっくりと視線を再度オレへと向けた。優しい瞳だ。


「大丈夫です。私が代わりにあなたを信じます」


 そして、その視線に力が籠る。


「あなたは何も間違ってはいませんよ」

「まるで他人事ひとごとだな」


 引きこまれそうになるほど、優しく力強い言葉だった。ただその言葉は同時に納得しがたいものでもあった。


「帝国に来た。だが振り出しに逆戻りだ」

「それがどうかしました?」

「帝国の状況は、もうヤーンの思惑から外れている。帝都に行ったところで国なんて興せない」

「だから何なのです?」

「真面目に聞け!」


 何事もないかのように話を流すニースに、苛立ちが募る。それだけオレは焦っているのだということを、改めて実感した。

 怒鳴られ、それでも彼女は穏やかだった。何も変わらない。優しい笑みを浮かべていた。


「聞いていますよ。今、クーロンさんが言ったこと、それは全部ただの結果です。結果なんて些細なことですよ。あなたの行動が正しいことには何も変わりません」


 よくわからない。またしてもオレを見透かし、哲学的な物言いをする。これだから神ってヤツらは気に食わん。


「迷っているんですね」

「そりゃあそうだろ。指標を失った。何をすればいいのかさっぱりだ」

「あなたの気の赴くままに行動をして下さい。前を向いて、胸を張って。それが正しい道です」

「それが分からん」


 僅かな沈黙。だが笑顔は曇ることがなかった。


「大丈夫ですよ」


 子供に言い聞かせるように言う。何が大丈夫なものか。オレも、そしてアンタもだ。


「あなたがこれから取りうる選択、それは全て正しい行いです」

「どっかの教祖様のような物言(ものい)いだな。その辿った道のりのお陰でアンタはこうして寝たきりだ。正しいものか」

「何度でも言います。あなたが悩み、迷い、抗い、必死で見出したその道は全て正しいのです」


 じっとオレを見る。母親の温もりなんてものは知らない。だがおそらくはこういう気持ちなんだろうなと思う視線だ。包まれ(いだ)かれ、身を任せたくなる。

 気づけばオレも彼女の瞳に吸い込まれるように視線を向けていた。


「いい加減教えろ。アンタのその傷、どうしたら治るんだ」


 ここに来てから、何度となく繰り返してきた言葉である。ニースは時にはぐらかし、時に黙り、明確な返答を避けてきていた。だが今日は少し違っていた。笑顔が微妙に歪む。


「力が戻れば、おそらく……」

「どうすれば力が戻る」


 問い詰められ、またしてもニースが黙った。オレはそんな彼女をじっと見下ろしていた。


 しばらくはそうしていた。互いの呼吸音だけが耳に届く。オレは何故かそれを心地良いと感じていた。だが彼女は居心地悪そうに、布団の上に添えた両手をしきりに動かし、それを眺めていた。


「仕方のない人ですね」


 どっちがだ。


「魔神の器の封印を解けば、力は戻るはずです。だめですよ、余計なことを考えては。あれは恐ろしいものです。人の手には負えません」


 オレは大きく作り笑いをしてみせた。それは次第に本物の笑顔へと変わっていた。


「カイムは帝都に魔剣があると言っていたな。どうせ行くつもりだったんだ。ついでにくすねてくるよ」

「相手は『式』を使う使徒です」

「だから何だ。オレの進む道は正しいんだろ? アンタこそ余計なことを考えるのはよせ」

「現金な人ですね」


 彼女はふうっとため息にも似た息を吐いた。だが今、オレは見定まった。女神を守る。オレの目的はもともとそれしかなかったのだ。悪いが後はついでなのだ。


「一言だけ、忠告させてもらいます」


 彼女は重ねた両手をぐっと握る。口元を引き締め、真剣な顔つきでまっすぐにオレを見上げた。


「生きることに意味を見出して下さい。あなたはどうも死ぬ意味を求めているようですから」


 そうして、また再び柔らかく微笑んだ。


「私を守るんでしょう? なら、ちゃんと生きて下さい」


 彼女の笑顔は、この部屋を吹き抜ける風のように心地よく、そして儚く感じた。

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