episode 5 舌打
『その者、巨きな白斑を操り大地を分け隔つ。人は為すすべもなく別離させられたし。悲哀の叫聞きて、怒りここに収まらん。』〜ローレス・第六巻・カイムの嘆きより
神話によるとカロリス山脈はぶっちゃけカイムが人類に嫌がらせをするために作ったものとされている。この話を本人に聞かせてみたところ、反論めいたことは言わなかったものの「濡れ衣だよ。勘弁してよ」と言わんばかりに表情に苦みを含ませ乾いた声で笑っていた。神話ではこの世の悪い出来事はそのほとんどがカイムの所業になっている。この男の嫌われっぷり、ハンパないな……。まあ、自分で蒔いた種といえばそれまでなのだが。
出立前夜、カイムがヤーンの家を訪れた。ヤーンの妻ハレヴィは彼を連日酒を酌み交わしていたオレとヤーンの元へと案内する。
「悪いね。来てもらって」
「相変わらず人使いが荒いよねぇ」
「人じゃねえだろ、ええ? 魔神様よお。ははははは!」
すっかり酔いが回り上機嫌のオレ達はあからさまに嫌がるカイムの肩を無理矢理組み酒を強要した。おそらく人類史上初めて魔神に酒を強いた瞬間である。歴史の一ページに刻んでもいいのではないだろうか。
「どうにかならないのかなぁ、このオッサン」
「呑めばいいよ。はははは」
ヤーンもオレに追随し珍しく大きく口を開けて笑う。
「遠慮しておくよ。ところで話って何かな」
酔っていたように見えたのはフリだったのだろう。ヤーンは佇まいを改めカイムに向き直った。
「魔族って、何? 知っているんだろ?」
数瞬漂う沈黙の中、二人の視線が交差する。真剣な面持ちのヤーンとは対照的にカイムはニヤッと口角を上げた。
「使徒の『器』だよ。答えになったかな」
「何となくは分かったよ。その説明はできる?」
このちょっとしたやりとりにオレは一気に酔いが覚める。尋問と捉えても何らおかしくないヤーンの口調をはぐらかすかのようにカイムは飄々とした態度を崩さない。ただその態度とは裏腹に質問に対する答えは真摯なものだった。
「ボク達神はねぇ現世に干渉するためには『器』が必要なんだ。その『器』を維持するに『存在』が必要なんだけどねぇ。『存在』は前に説明したよねぇ。覚えてるかい?」
二人同時に無言で首を縦に振る。カイムは満足気に話を続けた。
「じゃあ神は『存在』を失うとどうなるか分かるかい?」
ヤーンはゆっくりと首を左右に振る。振りながらも話を寸部も聞き逃すまいと視線はカイムをしっかりと追っていた。
「何のことはない、神世に戻るんだよ。『器』だけを残してねぇ」
笑顔が攻撃的になる。そうまるで怪談話のオチを勿体ぶる時のような笑顔である。楽しんでるな、コイツ……。
「なるほどな。『器』はカミサマの抜け殻みたいなもんか」
「さすがだねぇ。理解が早くて助かるよ」
いやいや、誰でも分かるっつーの……。
「その『器』が放っといたら魔族になったってのか」
「違うよね」
オレの推測に被せるようにヤーンが異を唱える。即否定やめてくれません。ちょっとショックなんですが……。
「そんなんで魔族になんかなったら大変だよ。ボクがねぇ意識を埋め込んで『器』を魔族にしたんだ」
「何故そんなことをした」
遥か過去の行いとは言え、そして廃棄物の再利用とは言え、そのおかげで多くの人が地獄を味わったことは事実である。昂じたオレは語気を荒らげる。だがそれでも人の営みなんてみそっカス程度にしか思ってないと言わんばかりに、カイムの表情は何ら変わることはなかった。
「当時のボクには敵がいたんだよねぇ」
「アンタはいつもいつも敵だらけで忙しそうだな。で、一体誰なんだ。その敵さんとやらは」
「神さ。困ったことにボクを消滅させようとしてねぇ。一体一体はそう大したことがないんだよ。ただ数が数だからねぇ、煩わしくなったんだ」
「アンタ、何やらかしたんだ」
「別に何もしてないよ。ボクが好き勝手やってたのが気に食わないんだよ、あの人たちは」
ここでカイムはやれやれとでも言いたげに肩を竦めてみせる。絶対なんかやったよね。白々しい……。
「話を戻すよ。いいかい?」
「好きにしやがれ」
「ここからは聞かれていないことも含まれるけどねぇ。ついでだから教えてあげるよ。魔族の目的は神の殲滅さ。それはおそらく今も変わらないよ。なぜならそういう意識を組み込んだからねぇ。だから魔族はニースを消滅させようとしている。ついでにボクもねぇ。せっかく作ってあげたのに親不孝な子供達だよねぇ」
ここで少し流れが途切れる。両腕で顎を支えヤーンは暫し目を閉じ考えをまとめている様子だった。そしてその姿勢のままおもむろに口を開く。
「神々や魔族のことは自分には想像もつかない。けれども、おかしいよね、それは」
ヤーンの抽象的過ぎる物言いにカイムは少し間を置いた。だが何を意味するかをすぐに理解し話し始める。
「ボクは魔神として認められてないんだよ。彼らの中ではニースに封印された『器』が唯一の魔神であり自分の主ってわけさ。分かったかい?」
頷くヤーンを見ると再びカイムの口が滑らかに動き出した。
「だけどねぇ、変わったこともあるようなんだ。もともと魔族はそんな賢く作っていないんだよ。ボクの命令を理解すれば事足りるからねぇ。ただボクのいない間にどうやら切れ者が誕生したようなんだ。これはまだ推測、いやそんな上等なものじゃないな」
「その切れ者って魔族も目的は同じと見ていいのかい?」
「たぶん違うよねぇ」
「聞かせてくれるかい?」
「完全に妄想の類だよ。だけどボクは核心に触れていると思っている。彼はボクの器を狙っているんだ」
「つまりアンタと魔族と魔術師で壮大な椅子取りゲームをおっぱじめてるってことか。その伴奏がニースなんだな。だから誰も彼もがニースを付け狙う。ナルホドな」
「よく分からない下手くそな例えだねぇ。だけどなんとなくそれでいいと思うよ」
悪かったな下手くそで……。
「そしてオレ達はアンタを手伝えと、そういう事か」
オレは今一度酒を呷ろうと一気に酒杯を傾けた。しかし先ほど飲み干してしまったため数滴だけが口の中に滴っただけだった。オレは思わず舌打ちをしてしまう。
「という訳だからね、よろしく頼んだよ、クーロン」
再びオレは舌打ちを繰り返し、そっぽを向いてやった。今宵の酒はすこぶる不味い酒である。
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何度も何度も開いたり畳んだりしたため、皺だらけになってしまった帝国の全土の地図を眺める。この行動にたいした意味はない。単なる習慣だ。そのオレの視界の一部をひょいと横切る絹糸のような金髪が、ついでとばかりにオレの頬を撫でる。むず痒さに顰めた顔を逸し邪魔になった小さな頭を、乱暴にグイッと押しのけた。粗末に扱われたニースは、不満気ではあるもののどこか愉快そうに、その可憐な桜色の唇を尖らせ文句を垂れ始める。
「何度見ても同じですよ。ここから先、道なんてありませんから。どう進んでどこに出るかなんて、それこそ神のみぞ知るです」
その神もよく分かってないようである……。ちょっとした自虐で笑いを取るつもりなのだろうか。
声と同時に発せられた彼女の白い息が、オレの顔に届き心拍の上昇を感じる。きまりの悪さを誤魔化すため、話が終わるか終わらないかのうちに、オレは仮設の小さな天幕を出た。眩しい銀世界が広がるそこには、カイムが遠く北の空を眺めて佇んでいた。そして騒がしいオレ達にいつも彼が見せる鷹揚な笑顔を向ける。
「ニースと何かあった。彼女、最近雰囲気変わったよねぇ」
「そうか? たしかに妙にじゃれついてきてるかもしれんがな。オレにはよく分からん。天幕が楽しいんじゃねえか?」
肩を竦め首を振るオレに、カイムは微妙な表情を返してきた。
「ともあれ、ボクとしてはいい傾向だと思うよ」
【何も気づかないマスターがとてつもなく信じられないのです。ニースが不憫でならないのです】
三人の……いや、一人と一柱と一本のケッタイなよもやま話。そこに当の本人が、天幕から顔を出し参戦する。これで一人と二柱と一本である。何かがおかしい……。
「何コソコソ話してるんですか?」
低く、やや不機嫌な声に、カイムがやれやれと首を傾げた。
いざ帝国へ。北へと進路を取り魔森と呼ばれるブラマンテの森を抜けカロリス山脈の中腹に差し掛かった昨日、この旅二回目の吹雪がオレ達を襲った。丸一日天幕での逗留を余儀なくされたものの、今朝になって天気が回復、再びオレ達は道なき道を進む。
この季節の山越えは凍死に行くようなものだ。しかもここは未開も未開、人類未踏の地。正しいルートなんてありはしない。端から遭難している状況とさほど変わらないのである。こんな厳しい冬を舐めまくった提案をした当のカイムは寒さを凌ぐため厚手の装備に身を包んだオレ達とは異なり、普段から着ている茶色の薄手のコート姿で平然としている。見ているこっちが呆然としてしまう。
だがそのカイムが周囲の瘴気を抑えているおかげで、アレンカールを出てから魔獣と接することなくここまで辿り着いた。こればかりは魔神サマサマである。
そんな折、クテシフォンの発した何気なくはない一言は、オレにとってそれはそれは無慈悲なものだった。
【ニース、昨夜は危ないところだったのです。この男を信用してはいけないのです】
その話、ニースにするのは殺生でござんす。ござんすが、確かに彼女の言うとおりではあった。昨晩のオレは、それまでの溜まりに溜まった疲労や寝不足に後押しされたのか、言うなればベリーベリー調子が良かった。さらに狭い天幕はどうしても体を寄せあい密着させてしまう。彼女がもう少しふくよかだったなら……。いや、考えるのは止そう。ニースもオレも彼女のお子様体型に救われた夜だったと言えよう。
クテシフォンの言葉にニースは最初、意味が分からずキョトンとしていた。オレは黙りこくってこのまま話の終息を願った。しかしそれもつかの間、こういう時の後ろ向きの願いなんてものは叶うことは稀である。彼女はハッと気付く素振りを見せると、イタズラっぽい笑顔をオレへと向けた。その弄ぶような半眼、止めてくれませんかね……。ジミに可愛いんですけど自分が居た堪れませぬ……。
その日はこの季節には珍しく晴れ渡り、気持ちのよい青空がオレ達の遥か頭上を覆っていた。気温も比較的高い。雪崩に注意し出来るだけ斜面を避けつつ先へと進まなければならない煩わしさはあるものの、オレの気分はよい方に流れていた。ひとり燥ぐニースは先行し遠くで大きく手を振っている。まるで子供である。三千歳のババアの仕草ではない。大声は出すなよ。
「彼女の業は深くて重いよ。キミ支えられるかい?」
ニースと離れたこの機を狙っていたかのように、カイムは唐突に意味有りげな言葉を投げかけてきた。ニースのことだということだけは分かる。だが彼の言わんとしていることが何なのか全く予測ができない。それを見透かしたカイムは未だ手を振り続けるニースに視線を固定しながら話を先へと進めた。
「彼女は神世の人々、まあ神だね。その中でも別格なんだ。世界を形成するような大きな『式』っていうのはね長い時間をかけて少しずつ矛盾を取り除きながらゆっくり『力』注いで構築するものなんだよ。だけど彼女はボクを封印したまま世界を隔てる『式』をあと付けでしかも一瞬で構築した。当然矛盾が生じるよ。矛盾はね次の矛盾を生むものなんだ。それが延々と繰り返されるのさ。そして最後に耐え切れなくなって世界は崩壊する。だけどねぇ、ニースは矛盾と矛盾を上手く組み合わせ世界を維持したんだよ。これは彼女しかできないことなんだ。神世の人々にはこの世界はどうして存在できるのか想像もつかない。手に負えないんだよ」
「何故そんな話をする。それがオレと何の関係がある」
勿体ぶった話に辟易する。そう言えばニースも面倒な言い方をすることがある。カミサマ特有のものなのか。神世の国はさぞかし回りくどい話でごった返していることだろう。
「彼女が死ねば不安定だけどギリギリ保っているこの世界は維持していけないだろうねぇ。おそらく崩壊するかな。跡形もなくねぇ」
「怖えな。ニースはそれを理解しているのか?」
「普通に考えれば分かってるだろうねぇ」
思ったより重量のある業でございました……。
「だがこう言っては何だが相当頑丈だろ、ニースは。どうすれば死ぬんだ」
「死にたくなったら死ぬ。ボク達はそういう仕掛けなんだ。魔術師に封じ込められたとき実を言うと危ない状況だったんだ。仮にあれがボクなら、耐えられずもうとっくにここには居なかったよねぇ」
楽しい話はこれっぽっちもないというのにカイムはどこか上機嫌である。カミサマはどいつもこいつもよく分からん。二人しか知らんが。
「でも彼女はよく耐えたよ。キミのために……なんだろうねぇ。彼女はねぇどうもキミに執着している。キミはそれがどうしたって顔しているけど、事は重大なんだよ」
ニースから目線を外しその目をオレへと向けてくる。
「当然ニースは守るよねぇ。それはボクも協力するよ。でもボクでも協力できそうもないことがあるんだ。なんだか分かるかい?」
頭の上のクエスチョンマークを確認したような仕草を見せたカイムは少しだけ表情を硬くした。
「キミは彼女が納得する形で死ななければならないんだよ。言ってること分かるかな?」
朧気ながら理解しぞっとした。だが納得は出来なかった。理由は二つ。死に方にまで口を出されのは心外であること。もう一つは何故ニースはオレに執着するかということである。その時、頭の中ではため息に似た甲高い音がコダマのように何度か鳴っていた。
【情けないのです。ワタシのマスターならその程度覚悟するのです】
聖剣がうるさい。
頭の中で舌打ちする音がひたすら響いた。勘弁……。




