episode 2 憤怒
男たちの後を追ったカスティリオーネを気絶させてでも連れ戻すべきだったと後悔したのは、それから三時間ほど過ぎた頃だった。
「何度も言うが一度町へ戻ったほうがいいと思うんだがな、オレは」
「くどいぞ! 私は私を陵辱したあの男たちが許せん。刺し違えてでも報復してやる。そんなに帰りたければ一人で帰ればよかろう」
「オレが一人で帰るなんてできないことくらい分かって言ってるんだろ。嫌だね、貴族のお譲ちゃんは」
「今の言葉、不敬罪に値するぞ。ことが済んだら覚悟しておくんだな」
「ことってやつが無事済んだらな」
空が青みがかり景色の輪郭がはっきりと表れてきた頃、隠れる場所のない平原でオレ達は察知されてしまう。全力で逃げ出した男たちをオレ達は追う羽目になった。だが、このまま進めば魔森へと行き当たる。オレはそこで捕捉できるだろうと楽観していた。
案の定、森の境界付近で男たちは先に進むこともままならずオレ達を迎え撃つことを余儀なくされていた様子だった。
「状況が分かっているのかなあ。こっちは十一人、お前たちは二人。あれえ、ひょっとして数も数えられませんかあ? がははははは!」
男の一人が下品に宣う。
「ああ、アンタの言うとおり数は苦手でな。オレでも分かるようにちょっと手伝ってくれ」
オレは双剣を抜き前方に位置していた四人に斬りかかった。
一人目の男が不用意に剣を振りかぶる。オレは低く飛び、そのがら空きになった腹部を右の剣で薙ぐ。と同時に左の剣で二人目の男の斬撃を、剣を斜めに去なした。勢いあまり体勢を崩し倒れこんだ男の延髄に右の剣を振りおろし、その斬り口を充分確認しないまま、背後からの横薙ぎを左の剣を振りおろし弾いた。頭部を曝け出した三人目の男の首に刃をつきたて、向かってくる四人目の男の前に突き出す。距離はあったものの、一瞬躊躇し動きを止める四人目の男。その隙をつき、踏み込み左肩側に躍り出て、前方に剣を構え静止しいていた左腕を斬り落とした。くぐもった悲鳴が雨音を縫いオレの耳へと届く。
その一瞬の出来事に数を減らした男たちがたじろいだ。
「こんなに素直に手伝ってくれるとは思ってなかったよ。催促して悪いがもう少しだけ付き合ってくれ」
そう言い終わるか終わらないかのタイミングで刃がオレを襲う。お頭と呼ばれていた男が突きを放ったのだ。しかも豪雨をものともしない身のこなしは正規の訓練を受けた人間のそれであった。
突きの鋭さもそうだが、ここで突く度胸。何者だ、この男。
「てめえら! 女をさらって森へ行け。俺はこの男を片付ける」
「バカかアンタら。そこの森は普通の森じゃない。止めておけ」
そう叫びながら俺はカスティリオーネへと足を向けた。しかし眼前にお頭と呼ばれた男が立ちはだかる。
「やめさせろ。全員死ぬぞ」
「一対一だ。これで数えやすくなっただろお」
それでも男は間合いを確かめるように足を運んでいた。
「分かってやっているのか、アンタ。随分タチが悪いな」
「こっちもこっちの都合があるんでね。捕まるくらいなら死んだほうがマシってことだ」
カスティリオーネを難なくさらい男たちはそのまま森へと入っていった。
「一瞬で終わらせてやるよ」
やむなくオレは自分自身の心の奥底へと意識を集中した。途端に感覚が鋭くなる。降りしきる雨が肌に当たり痛む。そしてその音が耳を劈く。雨粒の一滴一滴を視認し筋肉の一つ一つの動きを認識する。オレは『能力』を開放した。
緩慢な動きで迫ってくる切先を右の剣で弾き、左の剣をゆっくりと男の腹部へと突き立てた。それで終わった。
そこで『能力』を収める。
「このままくたばっちまうんじゃねえぞ。後でいろいろ聞かせてもらうんでな」
急に戻る感覚をコンマ一秒でその溝を埋め、倒れる男を脇に森へと走った。
『能力』の後遺症の影響で少し頭がくらっとする。しかし休む間も惜しい。オレはそのまま森へと突入した。
途端に襲ってくる魔獣を紙一重で躱し一歩進む。その先には魔獣の一団が次々と男たちを襲っていた。
魔獣と人と木々の隙間から泥にまみれ燻したような赤髪が炎のように振り乱される姿を認識したオレは、傷を負いながらもそれらを躱し彼女の華奢な腕を取った。
「姫さん、このまま戻るぞ」
彼女は完全に呆けていた。現在の自分の置かれている状況を飲み込んでいないのだろう。声をかけても虚ろな目に力が戻ることはなかった。
引き上げてもへたり込むカスティリオーネを右脇に抱え、オレは迫り来る魔獣だけを相手取り最短で森の出口へと向かう。しかしそう上手く行くものではなかった。触手のようなもので足を払われ体勢を崩した隙に右から突撃された。オレは体を捻りカスティリオーネと魔獣の間に体をねじ込ませた。巨大なハンマーのような衝撃がオレの背中を襲い瞬間呼吸を忘れる。大きく息を吸った時にはカスティリオーネを抱えたまま倒されていた。
真上から迫る魔獣に剣を突き霧散させるも、木々をなぎ倒しながら大型の魔獣が横から迫ってきた。身を屈め攻撃を去なしながらすれ違いざまに剣を刺す。しかし動きがやや落ちたものの大型の魔獣が構わずオレたちに向き返り二度目の突進をかましてきた。双剣を交差させ魔獣を受け止め上空へと弾く。
「姫様〜! 無事なら返事して下さ〜い!」
その時聞き覚えのある声がした。カスティリオーネの従者のものか。死体と足跡を辿ってここまで来たのだろう。
「姫さんならここにいるぞ!」
三人の従者が駆け寄ってきた。夜通し探しまわったのだろう。その顔は疲れを顕にしていたものの、自身の主人を目にしてホッとしたような表情を浮かべた。
「姫様! 姫様!」
従者の呼びかけにもカスティリオーネは反応らしい反応を見せることはなかった。
「こんな様子だ。連れ去られて監禁されて魔獣に襲われりゃあ仕方がない。誰か姫さんを背負ってくれ。森から出るぞ。オレが道を開く」
オレは傷を負い打たれながらも魔獣を次々と屠っていった。森の隙間から溢れる光が徐々に増してくる。
「先に行け。後もう少しだ。気を抜くなよ」
「ああ。お前もな」
森の様子から境界が近いことを感じ取ったオレは、従者を先に殿に就いた。そして後に向き後方の魔獣と対峙する。
「よくもまあここまでウジャウジャと。ムサい男で悪いが姫さんが逃げる間くらいは付き合ってもらうよ」
そうしてオレは向かってくる魔獣を尽く相手していった。だがさすがに数が多い。一体がオレのすぐ脇を抜け、カスティリオーネの背中に喰らい付こうとした。そこに従者が身を挺して魔獣を防ぐ。肩を喰いちぎられ跪いてしまう従者。その決定機を逃すはずもなく狙いすましたかのように魔獣が次々と従者の男に食らいついてきた。
「俺はいい。逃げてくれ。姫様を頼む」
襲われた従者は同僚に悲痛な叫び声を上げた直後、群がる魔獣に覆われその姿が見えなくなる。カスティリオーネを背負った従者はその声の主に歪めた顔を向けた後、振り返り無言でそのまま走り去った。既に事切れたであろう従者を置き去りにオレもカスティリオーネの後へと続いた。
いよいよ森の境界に辿り着こうというその時、カスティリオーネを背負った従者が彼女を巻き込み倒れこんだ。見ると右膝辺りから下が魔獣に喰い千切られ失せ去っていた。
「自分はここでお別れのようです。後は姫様、自分の力で歩いて下さい」
従者は、なお呆然とした表情を変えないカスティリオーネの頬を張った。
「あなたは多くの民草のために生きなければならない人なんです。あなたが死ねばボレリアス家は家督を失います。あなたが死ねばボレリアス家は滅びるのです。我々兵士はボレリアス家のためなら喜んでこの身を捧げます。気を確かに持つのです、姫様! 我々の死を無駄にしないで欲しいのです!」
カスティリオーネは虚ろな表情を浮かべながらもおのれの脚で立ち上がった。だがその場を動く気配は感じられない。
「姫さん、アンタただで忠誠を受けられると思っているんじゃないだろうな。忠誠を受けるってのはなそれ相当の対価が必要なんだ。今アンタが支払うべき対価は生きることだ。走れ! そして生きろ」
その声が耳に届いたかどうかはわからない。ただカスティリオーネは走りだした。なくした表情はそのまま従者を一人引き連れ無言で森から脱出したのである。
「生きているだけじゃあ利息にもならんがな。ところでアンタはどうする」
オレは魔獣と戦いながらも倒れている従者に視線を向けた。
「生きながら魔獣に喰われるのは怖い。慈悲の心があるなら、お前の手でひと思いにやってくれ」
「こっちの手が空いたらな」
「ああ、恐れ入る。あと遺言頼めるか」
「無理だな。オレが頼みたいくらいだ」
「悪かった」
従者の男は最後にそう言い残し魔獣に食いつくされていった。その間、声一つ漏らすことはなかった。矜持か何かか、はたまたオレに気を使ってのことだろうか。
その後、オレは魔獣から逃れようと雨の森を命からがらひた走った。
日も暮れたのであろう。まともに見えるものと言ったら魔獣が警戒するときに発する禍々しい赤い光だけになってしまう。
「今日はまた随分と働くじゃないかアンタら。だがあいにくの天気だ。そろそろどっかで雨宿りしないと風邪で寝込んじまうんじゃないか?」
無意味に毒づくオレに次々と魔獣の群れがいつ止むこと知れず襲い掛かってくる。だからこんな仕事嫌だったんだ。貴族様に係わると碌な事にならん。左手は……動かせねえなこりゃ。なんでこんなに必死こいて戦っているんろうな、オレ。
そう愚痴ったところで、状況が好転するわけでもなかった。オレは月明かりを写しだした水面を覗きこむ。そこに反射したオレの顔は吹っ切れたように、そして獰猛に笑っていた。
「湖の洞窟……。こんなところまで来てしまったのか」
思わず呟いたオレは、生きては戻れないだろうことを悟ったのだった。
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「クーロンと部下のおかげで私はこうして生き永らえることができました。これが私とクーロンのあらましです」
ニースは目を閉じ俯いてカスティリオーネの話に耳を傾けていた。そして話し終えたカスティリオーネに笑顔を向けた。
「大丈夫。あなたは充分報いています」
若くして家督をついだカスティリオーネはその若さゆえ軽んじられ、女性というだけで『小冠』などと呼ばれ蔑まれてきた。領主となってから日が浅いものの、幾つもの困難が彼女の前に横たわった。だが彼女は一度足りとも涙を見せることがなかった。
だがニースの笑顔が、一言が、カスティリオーネのその固まってしまった涙腺を緩め、決壊させた。
父が倒れて三年。その歳月に溜まった涙は、本人の意志を無視し留まること無く目から溢れ、次々と流れ落ちていった。
「しゅ、醜態を晒してしまい……誠に申し訳……ありません……」
嗚咽を混じらせたどたどしく謝罪を述べるカスティリオーネの頭を、ニースは何も言わず自分の胸にそっと抱き寄せた。
「うえ〜〜〜ん」
サクヤも声を上げ、盛大に泣いていた。
落ち着いた頃、しんみり静まり返ってしまった部屋にノックの音が響いた。その音に全員が我に返る。
「どうぞ〜」
目を充血させ瞼を腫らしたサクヤが元気良く答える。
「具合はどうだサクヤって……ニース、それと姫さんまで」
誰も居ないところを見計らって見舞いに訪れたつもりなのだがニースだけでなく、カスティリオーネも来ていたとは。これは早々退散すべきと心の警鐘が鳴らされる。
「私がいれば何か都合が悪いのか?」
「ま、まさか、ク、クーロンさん……私はケガ人ですし、十四歳でそんなことまだ早すぎですし、オッサンは好みではないので困るといいますか……。そもそもケガして抵抗出来ないからって無理矢理ってのは良くないと思います」
何この包囲網。そして真剣に訴えかけるサクヤを見て思う。どうしてそうなる。
助けを求めてニースに視線を送ると彼女はにこやかな笑顔を向けてきた。だが、その笑顔からは癒やされるというよりかは威圧されるといえばいいのか。笑っているようで笑っていないようなそんな感情を感じ取ってしまった。
「クーロンさん、サクヤさんからいろいろ聞かせてもらいましたよ」
思い出すのは森の中。日に日に過激になるサクヤの被害妄想にほとほと疲れ果て放っておいてしまったあの日。あの時面倒がらずに芽を摘んでおけば、この事態はなかったのかもしれない。いや、そんなことはない。
と言うかそんなことを聞くためにニースは毎日足繁くサクヤの許を訪れていたというのか。暇人めが。いや暇神か……。
「おいおい、そんなことクテシフォンに聞けば分かるだろうに。アイツはオレの心を読み取っているんだからな」
ニースが持ってきたのだろう。部屋の壁際には聖剣『クテシフォン』が立てかけられてあった。その横には『アルデンテ』と呼ばれるサクヤの聖剣が並んで立ててある。パスタの茹で加減となんの関係があるのだろうか? 謎である。
【どうだかなのです】
あっさり裏切りやがった……。ボク一応マスターなんですけど……。
「おいおい、聖剣を大切に扱っているマスターにそれはないんじゃないか」
【捨てようとした人が偉そうなこと言わないで欲しいのです】
「ああ。あれは反省してるよ。今度から首輪に鎖でもつないで、離れないように大事に引きずって歩くから許してくれ」
【よくぞ言ってくれたのです。ニース!】
「は、はいっ!」
急に話を振られたニースは驚き肩をビクッとさせた。
【ニース。よく聞くのです。この男はニースの居ない間、夜な夜なスケベな夢ばかり見ていたのです】
ニースは、はっと目を見開く。
「思い出しましたよ、クーロンさん。私が大変だった時にあなたは私の夢に現れては鼻の下を伸ばしていましたね」
やはりあの夢はニースとつながっていたのか……。は、恥ずかしい……。
「おいおいオレの夢だ。さすがにそこに文句をつけられるのは心外なんだがな」
「私の夢でもあります」
更にクテシフォンはここぞとばかりに追い打ちをかける。
【しかもニースが捕まった時、ニースの貞操を心配したシンメーにそんなもん犬にでも食わせてしまえとほざいたのです】
あ、あの〜聖剣さん……話、盛ってません?
【さらにニースが心に傷を負ってしまうことを心配したシンメーに、若い奴らで夜な夜な慰めてやればいいと宣ったのです】
た、確かに言ったかも……。あ、あの時はホラ、オレも焦ってたし……。
【ニース、悪いことは言わないのです。このロクでもない男と縁を切るのです】
石になってしまいそうな笑顔をオレへと向けるニース。その手はわなわなと震えているのが確認できた。ってか石になりたい。石になってこの場を逃れたい。
「クーロンさん。今の話、本当なんですか? 私を何だと思っているんですか?」
凄むニースを初めて目の当たりにしたオレは完全に浮足立ってしまったのだろう。心にもないってことはないが、この場で言ってはいけないことを口走ってしまった。
「い、いや三千年も生きているんだから、その、何と言うか、手馴れていると思ってな……」
ニースは俯き全身を震わせる。そして今まで見たこともないニースを目の当たりにする。
「キーーーーーッ!」
【ニ、ニースがキレたのです……。こんなこと初めてなのです】
少し落ち着きを取り戻したものの、怒りが治まらないニースはその後三日間オレを無視し続けた。
「ははははは。クーロン、今のは全面的に悪いな」
「そうですよ。いくら人でなしのクーロンさんでもそこまで言ったらお終いです。もともと脈のないニースさんに完全に嫌われちゃいましたね」
全面的とか人でなしとかって何だよ。そもそもアンタらクテシフォンの声聞こえんだろ。
【フンッ。私に逆らうとこうなるのです。心しておくのです、マスター】




