episode 24 代償
オレの左手甲がシュナイベルトの右頬にめり込んだのは、その後すぐの事だった。
不意の方向から殴りつけられたシュナイベルトは、少女の血がべっとり纏わり付いた剣を手放し、枯れ枝のように力なくその場にへたり込んだ。表情は喪失しているものの、虚ろな目は狂気を孕んでいるかのように血走り、赤く精緻な模様を織り成している。
「今は殺さん。何故こうなっているか後で詳しく教えてもらう」
呆けて無言のシュナイベルトをよそにオレはニースへと振り返る。
「この娘を頼む」
傍らに倒れた少女に目をやった。
オレの怒りを察し口を横に引き結んだニースは黙って頷きサクヤの傍で腰を下ろし、上半身を壊れ物を扱うかのように優しく抱え上げゆっくりと膝の上に乗せた。そして顔を上げ「任せて」とも「大丈夫」とも取れる力の篭った目線をオレに投げかける。見届けたオレは足元に倒れている兵士の死してもなお握りしめている水晶の剣をゆっくりと引き剥がしその柄を左の手に収め魔族の男へと体を向けた。
【アレをやるのですね】
「いや、そこまで必要ない。だが『能力』は開放する。『呪』を受け止めてみせろ、クテシフォン」
【了解したのです、マスター】
洞窟内での魔族との遭遇戦。そこでの記憶は途切れ途切れではあるが薄っすらと残っていた。聖剣が『呪』を引き受けてくれていたためと思われる。その記憶から魔族は決して手の届かない所にいる存在ではないということをおぼろげながら理解した。現にそこには血に染まった魔族の姿がある。サクヤの剣は魔族に届いていたのだ。やりようによっては戦える。オレは意識を手放す寸前のところまで『能力』を開放し魔族の男のもとへと歩み寄っていった。
景色が、音が、感触が。全ての感覚が……変わってゆく……。
「すいません……」
掠れ弱々しい声がニースに届いた。彼女は両腕に抱えた少女の声に耳を傾ける。
「戦いを……見えるようにして下さい」
「少し痛むかもしれませんよ」
そう言うとニースはゆっくりとサクヤの体の向きを変えた。
「見えますか? 」
「はい……ありがとう……」
色の失った唇をたどたどしく動かしながらサクヤは一言礼を述べる。それにニースは優しく微笑みかけ小さく首を振った。
「やっぱり綺麗……」
サクヤはじっと二人の戦いを凝視する。そしてそのサクヤを抱きかかえるニースも。だがサクヤの目には、映る光景が自分のそれとは違うのだろう、とニースには思えた。
二剣を振るうクーロンの姿をサクヤはこの時初めて目の当たりにした。そしてそこには自分の知らない新たな世界が広がっているとサクヤには感じた。全ての動きに意味があり、全ての動きが次へと繋がる。その繋がりが幾つもの正円を描く剣筋を生みクーロンの周辺を囲む。そしてその円が流れを作り戦いを支配していく。サクヤは瞬きをする一瞬でさえも惜しむかのように、目線と神経を集中させていた。
「すごいなあ。あんなことが出来るなんて……だれも教えてくれないんだもの」
剣の達人とは到底思えない十四歳の少女らしい言葉を漏らすサクヤをニースは黙って見守る。サクヤは弱々しい笑顔をニースへと向けた。
「見ていて……下さい。もうすぐ終わります……」
ニースは口を引き結ぶ。そして二人の少女は、同時に戦いに視線を向けた。
サクヤの目に映ったもの、それはクーロンの作りだした大きな流れが魔族の男に濁流の如くおし寄せ飲み込んでいく様だった。青白く光る巨大な水晶の刃が背後から魔族の男の首筋へと吸い込まれていく。予定調和ともとれる動きをサクヤは予測し、しっかりと目で追っていた。
首と胴とが分かれた。そしてその場に膝から倒れ、動かなくなる魔族の男。
それを尻目にオレはサクヤの許へと急いだ。
「サクヤッ。無事か? 」
「す、すごく痛いです……」
そこは「だ、大丈夫です」あたりが定石のはずなんだが……この娘はそういう娘だよね……。
ニースに抱きかかえられたままサクヤは蒼白に染まる頬を引き上げぎこちない笑顔を作る。
「そこで大人しくしていろ」
「待って……下さい」
垂らした腕に力を込めその手をゆっくりオレへと差し出す。傷がひびくのだろう。クッと歯を食いしばる姿が何とも痛々しい。
「クーロンさん、そのいやらしい目つき、やめたほうがいいですよ。それとお風呂もちゃんと入って、髪も切ったほうがいいです」
弱々しい声。下らんことを。オレは暫く黙ったあと、口を開きかけた。そんなオレの言葉を待たずに、サクヤは苦痛に顔を歪めながら、更に言葉を続けた。
「やっぱりクーロンさんは……人を斬ったらダメな人だと思います」
途切れそうになりながらも自分の意志を伝えようと必死で紡ぎだす言葉の重みに、オレは両拳を握りしめ押しつぶされそうになる心を気力で堪え平静を装った。
「あんな綺麗な剣筋で人を斬るなんてもったいないじゃないですか……。もう誰も傷つけないで下さい。約束です」
そう言い終えるとオレの返事も待たずにサクヤは全身の力を弱め静かに目を閉じた。オレは思わずサクヤから目を逸らした。視界には垂れ下がってしまったサクヤの腕の向こうで力なく跪くシュナイベルトの後姿があった。オレは近づき背後からシュナイベルトの首筋へと切先を向ける。当のシュナイベルトは一切の抵抗も見せず呆けた面で空を見上げていた。
「何故サクヤをこんな目に遭わせた。アンタあの娘に助けられたクチだろ? どうしてだ。答えろ」
「………………」
返事など期待していなかった。どう答えようがオレが次に取る行動に影響を及ぼすことはなかったであろうからである。オレはシュナイベルトの首筋に添えた刃をそこから一旦離し聖剣を大きく振りかぶった。
「ダメです。今彼女との約束を違えれば、絶対後に引きます」
振り下ろす剣筋の軌道上にニースが大きく左右に両腕を広げて立ちふさがった。ニースの空色のドレスが血に染まっている。それだけにとどまらず頬も腕も所々赤くくすんだ色が塗りこめられていた。あのニースさん……サクヤはどしたの? ちらっと横目で確認するとニースに付き従っていた兵士が追い付いてきたのだろう。彼女を優しく抱きとめていた。
「約束なんてした覚えはない。あの娘が勝手にほざいただけだ。それになオレはあの娘に言ったんだ。敵に慈悲をかけるなとな。だがそのオレが敵に慈悲をかけたばっかりにあの娘は斬られた。だから落とし前だけはつけさせてもらわなければ顔向けできん。分かったらそこをどけニース」
「どけません。あなたの言い分は分かります。正しいとも思います。それでもこの約束は守るべき約束です。ですから、どけません」
「クソがっ! 」
オレは振り上げたままの聖剣を力いっぱい地面へと叩きつけた。だが何の抵抗もなく石畳がスパッと切断された。なまじ切れ味良すぎます……。ストレス解消になりませんでした……。
「お……俺が一番だ。俺が一番強いんだ。あの娘がいなければ俺が一番なんだ」
シュナイベルトが突然震える声で呟きだした。オレもニースもハッとして彼に顔を向ける。当の本人は特に誰に話しているのではなくただ漠然と声を発しているだけのようだった。が、今なおその表情は相変わらず腑抜けた状態を維持していた。
「とんだ王国一の剣豪様だ。自己満足を満たすためだけにサクヤを斬ったのか。くだらんな。どうせアンタは一番だ。ははっ。どうだこれで満足だろ? だがなアンタは斬る価値もねえ男だよ」
オレは剣を収めサクヤの許へと歩き、近づき表情を窺うわけでも手を優しく取るわけでもなく、そのままの姿勢で彼女を睥睨した。既に意識のないであろう彼女は、色を失った顔に苦悶の表情を浮かべ肩を上下させていた。保ってあと一時間ってとこだろう。楽にさせてやろうか。だが普段であればためらうことなくやっていた行動が今は出来なかった。オレは人を斬ることなくここまでの高みに到達した彼女の才能を惜しんだ。それ以上に剣士でありながら人を斬ることを拒み続けた彼女の高潔さを惜しんだ。血塗られた手でこの娘の最期を穢してはいけない、その思いがオレを躊躇させてしまっていた。
どさり、重く柔らかいものが地面へと落とされる音が、オレの鼓膜を震わせる。服装から魔術師のものだろう。生きているとも死んでいるとも分からない深い灰色のローブを纏った男を乱暴に扱いカイムはいつもの鷹揚な笑みを誰ともなく向けていた。
「こっちも片付いたようだねぇ。ボクとしたことがまんまと騙されてしまったよ。だけど騙されて正解だったかもしれないねぇ」
横目でちらっと目を向けたカイムはその方向へおもむろに歩きだした。そして立ち止まり片膝を突くと足元の魔族の男の亡骸に手を添える。徐々に消えていく魔族の男を前に周囲は唾を飲み込む音さえ響いてしまうかのような静まりを見せる。
「カイム、頼みがあるんだがいいか? 」
「ボクに出来る事ならねぇ」
静寂を破り思いの外響いた声にカイムは背後に立つオレを振り返ることなく返事を返した。
「あの娘を助けてやって欲しい」
なおもそのままの姿勢でカイムは少し考えるように間を置いた。
「傷を治せってことでいいのかな。それとも楽にさせてあげたいってこと?」
「冗談を聞いている暇はない。彼女を生かしてやりたい。出来るか」
「傷を塞ぐことは可能だよ。だけど彼女血を流しすぎた。命の保証までは出来ないねぇ」
「それでいい。頼む」
魔族が完全に消失し作業を終えたカイムはゆっくりと立ち上がり振り返る。そしてオレの目を見下ろし笑顔で告げた。しかしその笑みはいつもの鷹揚なものではなく、どこか酷薄なものに感じた。
「分かったよ。その代わりボクのお願いも一つ叶えてもらうけどいいよねぇ」
「内容によるな」
「大したことじゃないよ。ボクの器を探すのを手伝ってもらいたいだけだからねぇ」
ゴクッと生唾を飲む。この音がカイムに聞こえてやしないかと内心不安に思った。そして互いに強気な態度を崩すことなく話を続ける。
「随分と抽象的な要求だな。その代わりと言っちゃあ何だが、今アンタの首を掻っ切ってやっても別にいいんだがな。どうする? 」
「怖いねぇ。一応ボクに恩があると思うんだけどねぇ。ここまでニースが無事に済んだのはボクのおかげでもあるんだけどねぇ」
「なら、なぜあの時吹っ掛けなかった?」
「ご破算になるのが目に見えていたからさ。ボクがあの時断ったらキミは力ずくでもニースを助けただろ? 違うかい。そしてボク達の関係も終わっていただろうねぇ。だったらあの時は恩を売っといたほうが得だよねぇ。でも今は違う。彼女が誰だかは知らないけれど、キミは彼女をどうしても救いたい。そしてキミはボクに泣きつくことしか出来ない。ボクにとってはやっと巡ってきた有利な交渉の場だからねぇ。簡単に手放すわけにはいかないよ」
カイムは肩をすくめ、当然の事だろうと言わんばかりの表情を見せた。しかしその目は以前オレに威圧してきた時のように獰猛な鈍い光を帯びている。
「アンタは体を手に入れた後どうするつもりなんだ?」
「特に何も決めてないかな。まあ今までとそれほど変わったことはしないと思うけどねぇ」
「信じていいんだな」
「ボクねぇウソは嫌いなんだ。隠し事は大好きなんだけどねぇ」
「アンタがおかしなことを考えたなら、その時はオレがアンタの首を狩る。覚悟しておくんだな」
ここでカイムの表情が少し柔らかく飄々としたものに戻った。オレがカイムの条件を飲まなければ全てが水に流れてしまう。この男はこの男で必死だったのかもしれない。
「念のため確認するよ。交渉成立ってことでいいんだよねぇ」
「ああ、彼女を頼む」
どうせ身の置く場を失った身、ならカイムに同行してもそれほど損な話ではないはず。オレにはそういった打算もあった。いや、カイムはそこにも付け込んでの行動なのかもしれない。やれやれとばかりにオレは数回首を振った。
こうしてオレはこの後願わずも、旅立つことになってしまう。これが世界の命運を背負い込んでしまう旅になるとは……、この時は思いもよらずにいた。
「で、どの娘かな? 」
てめえ、状況も分からずに吹っかけてきたのかよ……。
「冗談だよ」
そう嘯くカイムの笑みはいたく満足気なもののように思えた。
ー 第3章 王国内乱編 完 ー




