episode 22 悶着
【マスターと離れてからワタシは一人では何も出来ないことをつくづく思い知らされたのです】
「はっはっはっは! いい心がけだ。アンタ一人だとリンゴの皮も剥けないもんな」
先ほどまでの罵声が急に鳴りを潜めしおらしくなるクテシフォンに追い打ちをかける言葉を吐いた。彼女の気持ちも分からなくもないが認めてしまっていい考え方とは思えなかったからである。
「まあ似たようなもんだ。アンタがいなかったおかげでホレ、このザマだ。はははははっ。笑ってくれ」
とオレは前髪をかき上げ横真一文字に引かれた額の傷跡を見せ笑いとばした。その傷跡は以前サクヤとの戦いの時のもので、クテシフォンと別れてから負った最大のものである。
【……不甲斐ないのです】
「アンタのせいじゃない。アンタはアンタで出来る事と出来無い事がある。刃物がなければリンゴの皮も剥けないのはオレも同じだ。一人で一から十まで出来る事なんて手前の排泄くらいなもんだよ。だから聖剣にはマスターがいる。違うか? とにかく元気出してくれ。そんな態度を見せつけられちゃあ、次捨てる時に躊躇してしまう」
【捨てることを前提にしないで欲しいのです。半殺しにされたいのですか、低脳】
本当は、ただ単に自分一人で全部おっ被る必要はないことを、伝えたかっただけだった。年輪を重ねた一種独特の偏屈さを、ここぞとばかりに発揮してしまうのはしがない中年男の性というものか。この遠回しな言葉は伝わっていないかもしれないが、彼女はオレの思考を読むことが出来るので大丈夫……って待て、今の思考も全部駄々漏れ? は……恥ずかしすぎる。
【マスター、一応ありがとうなのです。でも……マスターの歪みっぷりもつくづく思い知らされたのです】
返す言葉がありませぬ……。
若干の気まずさを残しつつ、オレはクテシフォンを携え関所中央の巨大な建物へと向かった。暗色でまとめられた大理石が貼り詰められた外壁は、華やかながらも重厚な外観を更に強調し見る者を圧倒させていた。元要塞として活用していただけにこの威容を前にすると余程の戦力でもない限り戦う気を削がれてしまう。西方守備の要としてよくも考えられたものである。
【マスター、ニースを見つけたのです】
「どこにいる?」
【南東の方角。おそらくはこの建物内にいるのかと思われるのです】
東側の入り口周辺のことだろう。内部の構造を把握していないオレは、建物外周から回りこむことを選択した。行く手を阻む魔獣と瓦礫と死体。募る焦燥に乾いた唇を舐めた。
東口周辺に巣くう魔獣を全て霧散させたオレは急ぎドアを開け放つ。瞬間、時の刻みが止まってしまったかのように足を止め見入ってしまった。
それは不思議な光景だった。重々しい石壁は大きく崩れ大理石の床には所々ヒビが入っている。多くの人が倒れその体を朱に染めている。周囲はそれ以上に多くの魔獣が空中を魚が泳ぐかのように漂っていた。
その陰鬱で凄惨なありさまにもかかわらず、ニースだけが正面中央に位置する大きな階段の踊り場でただ一人満面の笑みを浮かべ見下ろしていた。そしてこの瞬間、オレがここから現れるのが分かっていたかのように視線をオレへと向けている。彼女の佇む一点だけは現実とは乖離した世界が展開しているようだった。周囲の人間、いや人間だけではなく魔獣ですら戦いを忘れ、その姿を見上げ、見惚れ崇めてしまっている。その場にいた王国第三王子カドゥケイタですら、恍惚に表情を歪め震えていた。混じりっけのない喜びの感情がニースから溢れだし、その場を満たすかのような不思議な光景。本当に神の力を失っているのか? オレにはそう思えた。
「チッ」
小さく舌打ちしニースから目を逸らし天井を仰いだ。彼女の柔らかく慈しみに満ちた笑顔を真正面からまともに受けてしまったオレは、そうもしなければ年甲斐もなく溢れ出てくる涙を抑えることができなかったからである。
「私はもう、一人ではないようです。そうですよねクーロンさん」
それでもニースはオレの気持ちなんかお構いなしに、いやむしろ煽っているかのようにオレへと手を差し伸べる仕草を取る。到底届く距離じゃないというのに……。ただその仕草はとても神々しく一切の淀みも感じられないほど自然体だった。
その時である。遠くから大きな爆発音が聞こえた。と、共にだんだんと瘴気が薄れてくる感覚にとらわれる。ニースも同様の異変を察知したのだろう。表情をもとの静かな笑みへと戻す。同時にニースに惹きつけられていた周囲の人々も我へと返る。瘴気が薄ければ存在を維持できない魔獣は、漂いながらもその勢いを失い一体一体徐々に消失していった。
そう言えばニースを護るよう頼んだカイムの野郎が居ない。ヤツのことだからここにいないということはこの異常な瘴気の発生の原因を突き止めに行った、もしくは既に突き止め対処しているということは充分考えられる。なら、この爆発音はカイムの仕業なのかもしれない。カイムの所在を問おうと再び踊り場のニースへと視線を向ける。するとものすごく冷たい目つきと、憮然とした表情でオレを睥睨する女神の姿がそこにあった。ひょっとしてなんか怒ってます……?
「おいおい、何したんだ王子様。ああ怒っている女神様を初めてお目にかかった。アンタ人を逆撫でる才能あるよ」
ニースが怒る理由は……実は何となくわかる。だが実際これほどの怒りの表情顕なニースを目の当たりにしたのは初めてのことであった。怯みまくったオレはとりあえずその場にいたカドゥケイタに矛先を向けてみようと試みた。無駄だとわかりつつ……。当の王子様は苦笑いを浮かべている。思い当たるフシがあるのだろう。この流れに持っていけばもしや……。
「何を言っているんです? クーロンさん。私はあなたに対して怒っているんです。どうしてこんな所にいるんですか?」
オレの作ろうとした流れは見事綺麗さっぱり断ち切られた。やっぱりオレに怒っている……。底冷えするような声にたじろぐ。
「家に帰る途中ちょっと道に迷ってな。偶然通りかかっただけだよ」
「茶化さないで下さい! あのまま隠れていれば今頃アレンカールで平穏な生活が送れたんですよ。それをいい歳してあっちフラフラこっちフラフラして。どうして大人しくしなかったんですか?」
事を収めようと適当に話を流したオレに、彼女は普段の彼女からは考えられない辛辣な言葉で真っ向から反論してきた。その言葉がオレのか弱い怒りのタガに微かに触れる。オレは正面に居座る人並みをかき分け憤怒しているとばかりに肩を怒らせニースに詰め寄った。
だが、実はそれほど怒ってません……威嚇しているだけだったりします。しかし全く屈する様子を見せずにニースも階段を降りオレへと近づく。
「アンタが人の歳のことを言える立場か? いいか、アンタこそどうしておとなしく出来なかったんだ。オレのことはいいって言ったはずだがな。オレは生きててもしょうがない人間なんだ。オレのために命張るなんて愚かにもほどがある」
「子供じみたこと言わないで下さい。そうやっていつもいつも自分を卑下するんですね。いいですか、あなたは人生を投げ出したりなんかしなくていい人なんです。それくらいは理解して下さい」
ニースと対面したオレは彼女を見下ろし捲し立てた。だが彼女も負けじと人差し指をオレに向け声を張り上げる。しかも彼女の言葉はオレの痛いところを地味に突いてくる。少々どころではなく腹が立ってきたオレも彼女に負けじと声を張り詰った。
「ガキみたいな体型のくせに、人を子供扱いするんじゃねえよ。てめえのことで精一杯だろうが。多くの人間がアンタの隙を窺っている。人間だけじゃねえ。魔の眷属もだ。そんなアンタに他人のことを考えるような余裕があるのか?」
「何も分かってないのですね。あなたこそそうでしょう。あの町以外、どこにあなたの居場所があると言うんですか。それを簡単に自分からふいにして。私はあなたの助けなんかなくてもどうとでもなったんですよ。それをわざわざクテシフォンまで私の傍に置いて」
揚げ足を取りとやかく言うオレに整然と詰め寄るニース。分が悪いと見たオレは静かな声でこのやりとりを絶ち切った。
「もういい。王子様が待ってる。行きな」
「いいえ、もう手遅れです」
オレはニースから視線を外しその場で黙って行く末を見護るかのように立ちすくんでいたカドゥケイタ一行を見渡した。
「そんなことはない。ニコって笑って謝ればそれで済む問題だ。王国だってアンタを必要としてるんだからな」
「そうだよニース。僕はいつでも君を許してあげるよ。僕はいつでも君を受け入れてあげられるんだよ。さあニース、僕と来るんだよ」
カドゥケイタはその甘い顔に甘い笑顔を浮かべ、ここぞとばかりに甘い声で甘い言葉を並べオレに同調する。甘すぎる……。
「そういうことではありません。クーロンさん、私はもうあなたと離れる気はありません。これは軽はずみな行動をとったあなたの責任です。ですから覚悟をして下さい。何か言うことはありますか?」
「どういうことか理解に苦しむんだが」
なんのこっちゃ……である。オレの責任とはなんぞや……理解できん。そして完全にスルー状態のカドゥケイタ。すぐ傍で固まる第三王子の姿がやけに生々しく切ない。女神様、王子様にもう少しだけご慈悲を与えてあげて……。
「あなたに安らげる場所があるのですか」
「そのうちどっかに落ち着くよ。人生なんてそんなもんだ」
キッと睨みつけてくるニースに、やさぐれた笑みを返す。
「無理に決まってます。あなたの帰る場所は私が作ります。それまでは私があなたの帰る場所になります。いいですね」
「お気楽なことだ。そんな小さな肩でオレを支えきれると思ってやがるのか」
「私を甘く見ないで下さい。あなた一人ぐらいどうとでもしてみせます」
オレの皮肉めいた誹りに、堂々自分の思いを開け広げるニース。彼女の考えを理解するうちに少しずつだが頭が冷えてくるのを感じた。クテシフォンの言うとおりだった。ニースはオレが安寧を護るためだけに魔術師に身を捧げたのだ。だがそこで新たな疑問にぶつかる。彼女にそこまでされる覚えはない。なのに何故そんなことをしたのだと。むしろ逆である。それをオレは伝えるべく諭すようにニースに語りかけた。
「護ってくれとオレに言ったことアンタは覚えているか?」
キンと冷えた寒空にたなびく朝靄に同化していく白い息。青みがかった森から吹く風になびく金糸。そこにやや迷いが混じった笑顔で「私を守って下さい」と桜色がかった小さな唇を動かす女神の姿を思い出す。
「はい……。はっきりと覚えています。ずっとそんなことを考えて……嬉しいです、とても。でもあの言葉はもう無効です。あの時と状況が違います」
「残念だが有効だ」
今まで強さを維持してきたニースの表情が緩む。
「いろいろ考えてくれたことは礼を言う。全部台無しにするようで悪いが、オレには帰る場はもうとっくにあるんだ。護ってくれと言ったあの時から、それがオレの居場所みたいなもんになった。まあいろいろあったが、おかげで死なずにこうして能書きをたれていられる。だからアンタはオレの場所がなんたらとかおかしなこと考えずに毎日ヘラヘラ笑っていろ。それだけでいい」
「そういうことですか。ずるい人ですね。ならもう一度おねがいします」
やっと理解したのだろう、もうオレには生きる理由があることを。ニースは目を閉じ俯く。そしてすぐさまオレの顔を見上げた。その表情は誰もが引き込まれてしまうであろう暖かく澄んだ笑顔だった。
「私を護って下さい」
「ああ、了解だ」
そしてニースはその表情を保ったまま蒼碧に輝く左右の瞳に力を込める。
「もうひとつ。あなたは私が守ります。これが私の居場所です」
「アンタこそ小癪な女だな」
「ごめんなさいクーロンさん。身勝手なのは分かってます。でもそれが私の望みなんです」
そしてニースはそこに居合わせたカドゥケイタに向き直る。
「殿下、そういうことですから私はこの人と……」
「な、何故だニース。何故こんな男と。この男はただの罪人だ。君を護る? そんなこと出来るわけないじゃないか」
言葉を遮り所々声を裏返しながら悲痛に叫ぶカドゥケイタにニースは落ち着き払い言葉を返す。
「この人ならできますよ。私が保証します」
カドゥケイタは歯噛みしまたも硬直する。さぞ悔しいのだろう、クッ、クッ、と小さく漏れる声が聞こえた。
「罪人を庇い立てするつもりかい? なら君も捕らえなければならないな」
「私に人間の法を押し付けないで下さい。私の道は私が決めます」
全ての迷いを絶ち切ったような笑顔がそこにはあった。その笑顔にカドゥケイタは肩を落とし沈黙してしまう。だがここでオレは告げねばならないことがある。オレはカドゥケイタに向き直り跪いた。
「カドゥケイタ様、女神はああ言っておりますが、連れて行くようお願いします。一月もすりゃあ気が変わりましょう」
「はあ? 私を護ってくれるんじゃないのですか?」
驚き顔を引き攣らせるカドゥケイタと、急な角度で眉をしかめるニースにオレは説得を試みた。だが徒労に終わることは分かっていた。まあ、これでダメならもう一度壷にでも突っ込んで、王都まで運んでもらえばいい。とにかくオレの傍にいると何が起こるか分からん。カドゥケイタの言うとおりだ。捕らえられるならまだいい。殺されても文句は言えないのだ。
「護り方もいろいろあるだろ。少なくともオレ一人より安全だ」
「やっぱりあなたは何も分かってません。なんて強情な人」
肩を怒らせプイッとそっぽを向いた。そしてその場を後にしようと歩き出す。その後俺とカドゥケイタ二人で何度か声をかけたのだが、彼女は話す必要はないとばかりに無視を決め込んだ。
その時、力ない声が脳内にこだました。
【ハァ……二人共、よく恥ずかしげもなく人前であんなことが言えたのです……】
で……ですよね……。で、オレの責任って一体全体何だったのでしょう……。




