episode 21 密命
周囲を取り囲むおどろおどろしく明滅する赤い光とドロっと纏わりつくような空気の感触。関所が迫るにつれ雰囲気が徐々に不快なものに変わってきている森の様相に、思わず顔を顰めてしまう。
右手に持つ鋼棒は何度も魔獣に叩きつけたため既に直線部分はほぼ確認することができず、気難しそうな芸術家の彫像の様相を呈してしまっていた。左手に持つ長剣も元の持ち主が門番だけにそれほど良い物を支給されてはいなかったのだろう。魔獣を十数回斬りつけただけというのに早くも刃が滑り斬れ味が明らかに落ちてきている。また剣身自体も歪み緩く弧を描いていた。限界早えよ。
サクヤと別れた、と言うよりサクヤを置き去りにしてきたオレはまともな武器も所持しないまま、関所が近づくにつれ一層激しさを増す魔獣の猛攻を茂みに身を隠し木々を盾にし、何とか誤魔化し掻い潜り傷を負いながらも少しずつ関所へ一歩また一歩と近づいていった。
鬱蒼と茂っていた樹木の密度が減少し隙間から関所にしては大層厳しい灰色がかった石壁が見え隠れしてきた頃、脳内に懐かしくも耳障りと言うか頭障り? 脳障り? な甲高い声が響いた。
【マスター、お久しぶりなのです。まずそちらの状況を教えて欲しいのです】
相変わらず挨拶もそぞろに前置きもなく、最優先であろう必要事項だけを質問してくる現実志向の塊、聖剣クテシフォンに妙な懐かしさを覚える。これじゃあご近所付き合いは上手くはいかないだろう。申し訳ないが状況を知りたいのはこっちも一緒である。彼女の言は一旦棚上げさせてもらうことにして逆にオレが彼女に問いかけた。
「久しぶりだな、そっちの居心地はどんなもんだ。ご立派な桐箱に大事に保管されてるんじゃねえか? っと本題だが悪いがこっちの質問を先にしてくれ。ニースはどうしてる。生きてるか? それからアンタは今どこにいる」
クテシフォンとは心話が可能なため発声する必要はない。しかし未だそれに慣れていないオレの場合、声を出さないと雑念が多くそれが邪魔をして自分の考えが相手に伝わりにくいようなのだ。便利なようでいてなかなかに不便なものである。当のクテシフォンには未熟の一言で切り捨てられる始末だ。
【ニースは無事なのです。ですが距離が離れてしまったので今ニースの状況は分からないのです。ワタシはアナタの正面辺りにいるのです】
「正面は城壁なのだが」
【アホなのですか。なら城壁の向こう側に決まっているのです。あと居心地は最悪なのです、アホ】
アホが。発言をアホで括るんじゃねえ、アホ。
【聞こえてるのです、アホ。とにかくマスターはそのままワタシのところに来るのです】
「そうだな。そうさせてもらう」
得物が心許ないオレは早いとこクテシフォンと合流し、装備を充実させる必要がある。仮にも聖剣だけに厳重に保管されてはいるだろうが、この混乱に付け込めばどうにかなるかもと、若干どころか猛烈に甘い考えを骨子に行動を起こしていた。状況が全く分からない今、策の練りようがなかったからである。
移動中も心話で罵詈雑言を散りばめながらも互いの状況を確認しつつ魔獣を何とか躱し城門近くまで辿り着く。そこは瓦礫と死体、そしてそれに群がる魔獣で埋め尽くされていた。商隊かなにかの一団がここから脱出を試みたのであろう。
オレは既に武器としてなんら機能していないものを捨て、そこらに転がっていた長剣を二振見繕い拾い上げると、城門をめがけ駆け出した。久しぶりのまともな武器を両手に握り、気分を高揚させながら二振を交互に振るう。使い慣れていない剣だけに若干の違和感を感じつつも、数回振った後にはそれでも何とか馴染んでくる。徐々に消失していくストレスが感情の高まりを加速させ、門を通り過ぎる頃には不謹慎にも口元から歯をのぞかせていた。その場に誰かいたなら、アブない人と口角をピクピク引き攣らせていたに違いない。
数分後、必要最低限の戦闘だけをこなし聖剣の近くへとたどり着いたオレの目に映ったものは、魔獣の集団に囲まれ今にも瓦解寸前にまで追い詰められていた輜重兵の連隊と見られる一団だった。一台だけ他と雰囲気が異なる豪奢な馬車に目をつけたオレは、乱雑に繰り広げられている戦闘のど真ん中へと突っ込む。行動を阻む魔獣だけをなぎ払い、一体の大型の魔獣を足場に飛び上がる。兵士の頭上を越えたオレは、すれ違いざまにかけられた兵士からの制止の言葉を無視して目的の馬車に窓から飛び乗った。
中には若い女性兵が一人中腰の姿勢でオレを睨み腰の剣に手をかけようとしていた。しかしオレの顔を確認するとその女性兵はおそるおそる口を開き始める。
「もしや血塗クーロン?」
「オレのファンならもうちょっとばかし嬉しそうな顔したらどうなんだ? が、生憎今ちょっとばかし急いでるんでね。握手ぐらいしかしてやれん。悪く思わんでくれ」
戯言の類である。当然握手の手を差し出すことはしない。向こうもそれを承知しているようだが、残念なことにクスリともしなかった。愛想笑いの一つでも浮かべてくれたのなら、これほど心が冷え冷えせずに済んだものを。
「あなたのことは女神様より聞いておりました」
ジョークが寒いとでもアホ女神に聞いていたのか? 下手に戦うよりこっちのほうが有効だと。寂しいウサギは死んでしまうとでも聞いたのか? だからその態度か? コノヤロー。
「女神様はあなたのことを信頼の置ける方だと仰っておりました」
ただ単にあしらわれただけのようである。これはこれで切ない……。だが彼女は少し表情を柔らかくしたように感じられた。
「私は女神様が救出されてからしばらくの間、身の回りのお世話をさせていただいた者です。女神様はあなたのことを話すときはそれはもう楽しそうにしていました。そして私にお願いされました。自分の身に何かあればあの人が現れるかもしれない。その時は力になって欲しいと」
「何だよアンタ。ニース教の信者かなんかか?」
氷柱のように冷たく鋭い視線を向けられた……。じょ、冗談ですってば……。
「いえ、実を言いますと密かに女神様を護衛するようカドゥケイタ様より命じられております。しかしこの混乱のさなかで私の出番はそう多くありません。そこで不躾なのですが、そこにある聖剣クテシフォンをお渡ししますので女神様の救出と護衛をお願いしたいのです。血塗クーロンは聖剣を使いこなすと聞きました。私どもでは弾かれるだけですから」
見ると鞣した革で簀巻き状にされたいかにも聖剣ですよ〜って形状の物体が座席後方に大事そうに置かれていた。オレは右手に持った長剣をその場に置き、その柄であろう部分を手に取る。
【はぁぁ〜、そこは切先なのです】
ため息混じりの聞き慣れた声がした。逆でした……。改めて柄であろう部分を握り集中する。すると巻かれていた革が刃に触れていた部分から分断され、剥がれるようにはらはらと落ちていく。相変わらずデンジャラスな切れ味である。クテシフォンの忠告がなければ五本の指がスパッといくところだった。アブないアブない……。
女性兵は聖剣のその姿を目にしたのは初めてなのであろう。隙間から漏れる柔らかな光。徐々に顕になる何の曇もなく青白く透き通った刃に惚れ惚れとした目を向けていた。
「ありがたくもらっていく。ニースも世話になったようだし、いろいろ感謝するよ」
「ではこの剣は私がもらいます」
「サインはどこに書けばいい?」
極々ナチュラルにスルーされた。地味にこれが一番効く……。
「私が帯びたのは密命です。表向きは聖剣を奪われたとなるでしょう。そうあっては罪は免れません。無罪とまでは行きませんが軽減するにはこれくらいは必要でしょう?」
そして女性兵はオレが手放した長剣を逆手に持ち大きく振りかぶると、そのまま振り下ろし自分の大腿を貫いた。
目の前の出来事に俺は言葉が出なかった。出そうとしても考えが言葉として構築出来なかったのである。青白くなった額から冷や汗を垂らし、苦痛で表情を歪ませた女性兵はそんなオレを横目にたどたどしく震える声を発した。
「気になさらずとも結構です。密命だけではありません。私は女神様は守るに値すると判断して行動しました。早く行って下さい。あの方はあなたのこと心待ちにしているはずですから」
「ちっ! バカが。魔獣がわんさか湧いている真っ只中で自殺行為だろ。死にてえのかアンタは!」
しかし返事どころではないとばかりに剣を強く握る手が震えていた。歯を食いしばり、体を硬直させ必死で痛みに耐えている。
「無理しやがって。しばらくは外のヤツらが持たせるだろうから、ここでおとなしくしていろ。アンタの馬鹿げた忠誠心が少しでも報われることを願ってるよ」
彼女には最後まで助けに来ると言ってやることは出来なかった。後ろめたさを緩和させようと、大して助けにならないとは分かりつつ馬車の周囲に群がる魔獣を蹴散らしたオレは、ごまかした気持ちに踏ん切りをつけ関所の中央へと向かう。中心部に行けばクテシフォンの心話の範囲が関所の大部分を覆う。ニースの居所を捉える確率が上がるであろう。そう単純に考えたからだった。
久しぶりに手にした聖剣はオレの手にしっくり馴染んだ。聖剣の恩恵により基礎能力が底上げされたオレは、無人の野を駆るが如き速さで魔獣が蔓延る中をつき進む。
【やっと解放されたのです。どうですワタシの力は。もう手放すなんて考えることすらおこがましい気持ちになったのでしょう?】
オレの心を見透かしているであろうクテシフォンは捨てられたことを根に持っているのか、たっぷりと嫌味を含んだ言葉を吐いた。
「ああそうだな。さすがは聖剣だ。ぐにゃぐにゃに曲がった棒っ切れよりかは幾分マシになった気がするよ」
【フンッ! 相変わらずなのです。ぐにゃぐにゃ曲がっているのはマスターの性根なのです】
互いに誹り合いながら二人でニースの元へと向かう。初めて聖剣を手にした時からずっと変わらないやりとりを交わしながらも、今までとは違う何とも言えない信頼感みたいなものを感じていた。
※読んで頂き誠にありがとうございます。
ちなみにこの女性兵、以前ニースのドレスにパットを仕込んだ、ニースと同じ悩みを持つあの女性兵だったりします。




