episode 19 拒否
「なるほどな。教えてくれて感謝する」
数日前、神撃部隊隊長イオビスの意識が回復したと報告を受けた王国西方総督ガリアは、落ち着いた頃を見計い、病室として充てがわれた彼の部屋へと訪れた。そこでガリアは、イオビスの口から事のあらましを聞くこととなった。と、言うのもホレスは隊長の許可がないと言うことで自身が報告することを頑なに拒否していたのである。
静かな口調で淡々と報告する黒髪の青年から次々と顕になってくる驚愕の事実の数々。それらはガリアを震え上がらせるには充分すぎる内容であった。
「王国が揺れるかもしれんな……」
最後にそう言葉を残しガリアが退室した。病室に残ったイオビスは、痛む胸に顔をしかめながら改めてホレスに深々と頭を下げる。
「ありがとうホレス。俺がこうして生きているのもお前達のおかげだ」
「よして下さい。何度も言いますが隊長を助けたのはクーロンの野郎です。奴が敵の集団のど真ん中に突っ込んで隊長を救い上げた時は、そりゃあ痛快でした。はははははっ」
頭を上げたイオビスは、豪快に笑うホレスに笑みを一つ返し、思いつめた表情でゆっくり瞼をおろした。
「チュータとコプリには悪いことをした。遊撃の任務に就いた副長たちも心配だ。生きていればいいのだが……。俺が不甲斐ないばかりに。それとサクヤにも申し訳ないことをしてしまったと思っている」
「いやいやアイツは大丈夫でしょう! 今頃元気にポカやってますよ。そのうちひょこっと顔を出してくるんじゃないですかね。アレに関しては気に病むことはありません」
「そういうことだけではないんだ」
イオビスは傷の治りを確認するかのように胸の辺りを撫でながら、自分がサクヤに取った今までの行動を反芻する。そしてその姿勢のまま瞼を上げて天井を仰いだ。
「俺はずっとサクヤを疑っていたんだ。あんないい娘が間諜のような真似出来るわけないのにな」
「どういうことです?」
ホレスが鼻の頭を掻きながらイオビスに胡乱げな目つきを向ける。
「俺のもとにサクヤの素性はほとんど知らされてはいなかったんだ。経歴も実力も、そして彼女の聖剣がアルビオンということもだ」
「アルビオンって、あのアルビオンですか? 新式聖剣第一号の……」
「ああ、そうだ。手にとって確認した。間違いないだろう」
搔く手を止め驚き目を丸くするホレスに、イオビスは悲痛な表情を忍ばせながら言葉を続けた。
「だから疑った。大事な場面では彼女を使わず、いつも俺の近くで待機させていた。何かあったらいつでも俺はあの娘の背中を斬るつもりだったんだよ。それでもそんな俺にも彼女は笑顔を向けてきていたんだ。そして俺はそのサクヤに命を救われた。皮肉なものさ」
「ははははは。隊長は気にしすぎですよ。だってそうでしょ、隊長はサクヤを斬っていない。事実はそれだけです。ははははは」
豪快に笑うホレス。その傍でイオビスは再び俯きボソッと呟いた。
「そうか……そうかもな」
晩秋の冷たく乾いた風が、木綿のカーテンを揺らした。バサついた黒髪を手櫛で直すイオビスのその口元は、少しだけ笑っている。そうホレスには思えた。
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関所から逃げてきた男の話は、ものすごく要約するとこうだった。
彼らはここの関所の兵で主に門番の任務についていた。そして数日前ここにカドゥケイタ王子の一行が訪れ、現在滞在中にもかかわらず先ほど関所の内外から急に魔獣が発生、逃げ場を失った彼らは追われるように森へと逃げてきたところだという。
と言うことはニースも関所にいる可能性が高い。彼女から離れたつもりだったのだが、以外に近くにいるかもしれない事実に、オレは何の偶然の悪戯だろうか、口をあんぐりさせてしまった。
ならばニースも魔獣の群れの中。そういうことになるだろう。この事態もニースが狙われてのことかも知れない。アイツ、いろんな奴に目つけられてそうだからな。
だが余程のことがない限りニースは大丈夫だろう。カドゥケイタがそう簡単にニースを手放すとは思えない。それにカイムが付いているハズだ。ハズなんだが大丈夫かなあ。オレは気まぐれな魔神に少し不安を覚えた。ちょっくら様子を見に行くことに心を決めた。
「サクヤ。オレはこのまま関所へ行く。悪いな。どうやらここでお別れのようだ」
魔獣を相手取りながらもサクヤは軽く首を傾げ、キョトンとした表情をオレへと向ける。何のことだか理解が及んでいない様子のサクヤだったが、それでも次々と魔獣を相手取り葬っていった。
「関所にオレの仲間がいるようなんだ。そいつらのことが少し気になる。アンタはこのまま王都へ行け。あまり当てにしないで欲しいのだが、もし都合が付いたらオレも王都に向かう」
「クーロンさん、仲間いたんですか?」
あの〜……一つお伺いいたしますが、ソレどう言うことでしょうか〜? 見るからにボッチってことでしょうか〜?
「悪いことばっかりして逃げまわってるんでしょ? 周り敵ばっかりじゃないですか。しかもスケベだし。本当に仲間いるんですか〜?」
心の傷どころか傷ついていない部分まで、グリグリ抉ってくるサクヤ。しかも恐ろしいのは、本人は全くの無自覚というところにある。冗談でもそういう猛毒を含んだ発言、畳みかけるのやめてほしい。心が疲弊して自傷行為に及んでしまいそうになる。
「大丈夫ですよ。理由はどうあれ関所に行きたいんでしたら私も従いていきます」
「いや、ダメだ」
「水くさいですね。遠慮しなくていいですよ」
遠慮とかそういうことじゃない……。本当に従いてきてほしくないのだ。
「これからオレは、事の成り行き次第で王国を敵に回す可能性もある。そうしたらサクヤ、また再びアンタとオレは剣を交えることになるかも知れないんだ。その覚悟はできているのか?」
「はいっ!」
微塵も迷わずサクヤは答える。さ、左様でございますか……。いまどきの若い子って……いまどきの若い子って……。
「クーロンさんが道を誤った時は私が正してみせます! クーロンさんにはこれまでの恩がありますから」
確かにサクヤからは、何かしら恩情みたいなものは感じる。感じるのだが、何かがちょっと違う気がする。
「それだけじゃない。シュナイベルトの野郎もそこにいる可能性が高い。もしあの野郎に見つかったらどうするんだ?」
「逃げます!」
なんじゃらほい。清々しいほど迷いがない。
「ヤツらより先に王都へ辿り着かなければならないんだぞ」
「分かってます!」
ホントかなあ……。とにかくオレの予想を尽く裏切り、尽く上回る爆弾娘である。危なっかしくて連れて行くわけにはいかない。場合によっては最大の障害になる可能性を存分に秘めているからだ。
「なら剣を抜け! サクヤ」
「抜いてますが……」
そうね。魔獣と戦ってる真っ最中だもんね。サクヤのペースに引きずり回され、今日はグダグダだ。もう帰りたい……。
「て……手間が省けてちょうどいい。どうしても従いてくると言うなら、ここでアンタを始末させてもらうしかない。行くぞサクヤ!」
「イヤです! そんな理由でクーロンさんと戦うのはイヤです」
そうかいそうかい……。じゃあここは搦手で話を進めさせてもらう。
「なら一つ任務を与える。オレが戻ってくるまでの間この三人を守ってやってくれ」
「イヤです! 絶対にイヤです!」
見ると男たちはシュンとしょげている。彼女の言葉は相変わらず、さらっと人の心を貫く。もうちょっと言葉を選ぼうね、サクヤちゃん……。
「じゃあ………………」
「イヤです〜〜〜〜〜〜っ!」
屁理屈を言わせまいと、絶叫したサクヤはぎりっとオレを睨みつけた。その深い漆黒の双眸には、涙が今にも零れ落ちそうなほど溢れている。そうしてサクヤはオレを説得するかのようにゆっくりと言葉を綴った。
「そりゃあいやらしい視線を向けられて、吐き気を催すほど気持ち悪いと思ったことは何度もありましたよ」
向けてねえよ……。それと言葉、選べよ……。
「確かに助けてくれた感謝とか恩とかそういうのもあります。ですけど一人で頑張っているクーロンさんを見てると私、クーロンさんの助けになりたいと思ったんです。よくわかんないですよね」
「何だそりゃ?」
そう返したものの直感で動くサクヤらしい裏表も矛盾も、ついでに言うと理屈も理論もへったくれもない純粋な気持ちが伝わった。残念ながらこれはお手上げだ。最初から分かっていたことだった。空へと伸びるイトスギのように太く強く真っ直ぐな思いの前では、どんな詭弁も通じない。
苦笑いを浮かべるのが、観念したオレの最後の、精一杯の抵抗だった。
「なら行くぞサクヤ!」
「はいっ!」
今日一番の返事が返ってきた。彼女の気合に反応したのか両手に握られている聖剣が発光の度合いを増す。
「だが一つだけ忠告しておく。誰であろうと剣を向けた相手には躊躇はするな。相手がオレでもだ。手を抜くと自分か自分の大切な人が殺られると思え。わかったか!」
「はいっ!」
腹に響く大きな声。そして彼女は振り向いた。
「皆さん、ここは私が道を開きます。付いてきて下さい!」
両手の剣を握り直し、桜の花が満開に開くように、上品な美しさを覗かせながらも可愛らしく元気いっぱいに笑うサクヤ。こういう少しだけ大人びた表情も出せるのかとオレは少し驚いた。
そしてサクヤは活力を漲らせ、次々と魔獣を霧散させながら関所の真逆、森の奥へとどんどん進んで行ってしまった……。三人の男たちもサクヤの生命力あふれる勢いに中てられてしまったのだろう、勇んで後へと付き従って行った……。おい……、誰か一人くらい気づけよ……。
とにかく結果良好である。図らずもサクヤを振り切ることに成功したオレは、彼女に気づかれないようコソコソ関所へと向かった。




