episode 12 少女
心が……震えた……。
それはほんの数秒の出来事だった。最初は怖かった。怖くて足がすくんだ。人を斬った事のある人間特有の淀んだ気配を漂わせ、一帯を圧倒的な力で蹂躙する。それなのに徐々にサクヤは戦いを忘れそれに見とれてしまっていた。
鬼か悪魔を思わせる、人知を越えた男の戦いっぷりに美しさを感じてしまっていた。繊細でもない。華やかさもない。ただ純粋に美しく、そして悲しく思えたのである。
ふとその時、男の口から声が漏れ、我に返る。
誰かが……死ぬ?
このままだったらみんなあの男に殺されてしまう。
ダメ……イヤだ……そんなこと……私……させない!
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檻が積載されていた荷車に閉じ込められ一晩が過ぎた頃、オレは手枷と目隠しをされたまま外へと出された。歩く度に繋がれた鎖のジャラジャラとした音。押し寄せる苦みばしった現実を嫌なくらい実感し気分が萎える。しかし早朝特有の朝露が混じったような、心地よい湿り気を帯びた空気が肺に侵入してくると、先述の嫌な気分も少しだけ中和された。ただ目隠しがされていて、実のところ朝かどうかは分からん。
辺り一帯に何となしに覚えのある、妙な殺気が充満してきた。その時、その場の空気に似つかわしくない少女の、悲しげな声が聞こえる。
「ごめんなさい、クーロンさん。抵抗しないようにお願いします。じゃないと痛い思いするだけですから」
優しい娘なのだろう。きっと両親が愛情をたっぷり注いで、大事に大事に育てたに違いない。そう思うとちょっと泣けてくる涙腺の弱い中年男子。目隠しの奥では……。
いやいや、と首を振る。そんな感傷に浸っている場合ではない。少女の声を無視して、オレは周囲を挑発する。
「おいおい! かよわいオッサン相手に、今までさんざんボコボコにしておいて最後にこれか? 特殊部隊? 精鋭部隊? なんだか知らんが、昔はこういう仕事はもっと下の連中に任せていたはずなんだがな。時代も変わったもんだ」
奴らにとっても不本意な任務なのだろう。気配が二つ、研ぎ澄まされた殺気から、乱雑なそれへと明らかに変わった。集中が乱れた証拠だ。
その一つに狙いを定め、方向と距離を推測する。手持ちの武器は、後手に組まされた手枷とそれにつながれた鎖。普通ならどうにもならん状態だが、これでどうにかするしかない。
オレは呼吸を整え気配を一瞬消すと、瞬時に腰を屈め、狙いをつけた右正面へと突進した。
揺れる空気に風切り音が混じる。剣を振り下ろしてくる。そう直感したオレは左足を踏み込み、半歩右へと移動した。
今の今まで、オレの体があった場所から届く風圧。オレはそのまま体を左に旋回させ、相手に背中を向けた。地面に振り下された剣の軌道上を、遠心力で飛ばされた鎖の軌道が直交するはずである。カウンターを取られたであろう男に、避ける気配は感じられなかった。
鎖に抵抗がかかった。仕留めたか、それとも受け止められた?
考える間もない。オレは、真正面から殺気を浴びせられた。不格好な殺気だ。オレの予想外の抵抗に驚いているのだろう。足音も雑だ。
オレはその殺気めがけて、肩から体当たりを仕掛けた。巻き込まれた男はオレに押される形となり、男は倒れこんでしまう。態勢を崩しながらもオレは闇雲に膝を突き落とした。男のうめき声と共に右膝の皿に柔らかい肉の感触。どこに当たったのか確認する術はないが、手応えはあった。オレは一歩離れ次に備え態勢を立て直した。
しかし先ほどまでの押し寄せてくるような気配は一旦鳴りを潜める。と、そこに黒髪の男の声が響いた。ちっ。仕切り直しをするつもりか。このまま浮き足立っている隙に、一気にたたみこもうと思っていたのだが。
「目隠しして手枷を嵌めた一人の男に、ここまで翻弄されるとはな。さすがは血塗れクーロンと言ったところか。だがもう、その抵抗もここで終わりだ」
「試してみろよ、若造」
黒髪の男の気配がオレとの距離を一気に詰める。他には殺気は感じない。一騎打ちのつもりか。いい心がけだコノヤロー。
揺らぐ空気に乱れはない。突きか。おそらく勝負どころはここだろう。時間は一秒。オレは『感覚の拡張』『思考の加速』同時に二つの『能力』を開放した。
耳をかすめる風切音。その音の進行方向を予測し、後手を添わせる。金属同士のぶつかる音が耳を劈くと同時に、両肩に抵抗を感じた。そのまま大地を踏みしめ駆け抜ける。するとフッと両肩が抵抗から開放され、オレの両手に久しぶりの自由が戻った。透かさず能力を収め、距離を取り目隠しを外す。
「おいっガキども! よってたかって年寄りを虐めてはいけませんってママに教わらなかったのかい? アンタらには再教育が必要なようだな。アンタらの親代わりに優しいオッサンがケツ叩いてやる。一人ずつこっちへ来な」
不敵に笑い嘯くオレに、全員何か恐ろしい者を見たような目つきで剣を構え、ジリジリと後退していく。
「オレは今機嫌がすこぶる悪いんだ。お仕置きしたくってくってウズウズしてるんだよ」
見渡すと全員見たこともない剣を握っている。長さから長剣の部類に入る。装飾はないが丁寧に作られているのが分かる。剣身は薄く幅広く、半透明で薄ら赤い光を発している。先程から感じた妙な殺気は、あの赤く発光する剣からのものだろう。減らず口を叩くおかしな武器を思い出し、思わず苦笑いを浮かべてしまった。
しかし、そんなことを気にしている余裕はない。不利な状況に変わりはないのだ。変わりがないとは言え、場の空気を支配しているのは、ヤツらにとっては残念なことだが、今はオレである。悪いが利用させてもらうしかない。
「グズグズしてるんなら、こっちから行く!」
敢えて宣言することで威嚇したオレは、一番気の弱そうな男との距離を一気に詰めた。なりふり構わず剣を振ってくる男の振りかぶりを狙い、その剣身に鎖を絡める。一本いただきである。
ところが、絡まっていた鎖がいとも簡単に両断された。なんすか? その切れ味。紅に光る剣身は、そのままオレの首もとへと迫ってきた。咄嗟に身をかがめて躱すが髪がごそっと舞い上がった。貴重な髪が……もったいなひ……。
何でもいい武器はないか。オレはそのまま男の脇を抜けた。そして膝裏を軽く蹴りつける。たまらずバランスを崩した男はオレへの追撃を諦め、剣を正中に構え直した。
別の男が横から剣を薙いだ。飛んで躱したオレはすれ違いざま髪を掴むと、そのまま男を後に倒した。この衝撃で剣を離してくれればよかったのだが流石は精鋭、そうは問屋が卸さない。
オレはそのまま自分が運ばれた荷車の檻の一本に手をかけた。そこにサクヤが近づいてくる。
「ダメだ! サクヤ」
黒髪の男が叫んだが間に合わない。サクヤはオレに斬りかかりオレはそれを躱した。勢い余ったサクヤはそのまま檻まで斬り裂いた。
そのおかげで檻を構成していた鋼の棒が一本、オレの手元へと収まった。下だけ固定し上ははめ込んだだけの簡素な作りは、昨晩確認済みである。オレを護送するためだけに突貫で作ったものかもしれない。随分とまあ手間を掛けてくれたものだ。
オレは気を吐き黒髪の男へと襲いかかった。そしてこれみよがしに大きく振りかぶり、鋼の棒を地面に叩きつけるように思いっきり振り下ろした。黒髪の男は紅の剣でそれを受ける。しかしなまじ鋭い剣は、鋼の棒を受け止めることはせず、そのまま両断した。オレは待ってましたとばかりに、下段から突きへと移行する。鋼棒に胸を打ち据えられた黒髪の男は、地面に伏しもんどり打った。
背後からまた一人、剣を構え近づいてくる。オレは地面に鋼の棒をつきたて、タイミングを見計らい砂を巻き上げた。この場合、訓練を受けた者ほど目を見開く傾向にある。たまらず目を潰された男の側頭部に、鋼棒を打ち込んだ。
何の抵抗も見せずに鈍い音を響かせ倒れる男を背にし、次の男に突きを放つ。その男は既に顔が血で染まっていた。最初に鎖を食らわせた男のようだ。オレの突きに体を横に翻し躱そうとする。隊員全員が相変わらずいい反応を見せてくれる。だがオレは突きの軌道を下へと向き直し地面を突いた。その反動を利用し突きを男の躱した方向へと向ける。若干威力を落とした鋼の棒が男の太ももを捉えた。
たまらず片膝を突き蹲った顎をオレは蹴り上げる。
一瞬のうちに三人が戦闘不能になった光景を目の当たりにして、もう一人の男は及び腰に、そしてサクヤと呼ばれた年端も行かない少女は、呆然としていた。
「ホレス! サクヤ! 一旦引け!」
黒髪の男は咳き込みながらも、残る二人に指示を与えた。ホレスと呼ばれた男は、オレの隙を窺いながら後退を始める。しかしサクヤの耳にその声は届いていないのか、動き出す気配はない。オレは追い打ちをかけた。
「これ以上戦ったらオレかアンタらの誰かが死ぬ。ここで終わりにしたらどうだ。オレの負けで構わんよ」
その時、絶叫とともにただならぬ気配を感じた。
「うああああああっ!」
少女の鋭い突きがオレに放たれる。何とか首だけで去なすも躱しきれず、紅剣が頬を掠めた。そのまま態勢を整える暇など与えてはくれず、サクヤはすかさず蹴りを繰り出す。それを鋼棒で何とか受け止めたオレは、彼女の足首を掴み極めようと試みる。だが寸前、視界の右側が赤い光で覆われた。右足一本を犠牲にして、オレの首を刈るハラである。
たまらずオレは手を離し、距離を取った。
しかしオレの行動は見通されたとばかりに、距離を詰められる。その勢いを保ったまま、彼女は剣を横に薙ぐ。これは躱せない。オレは何とか剣の軌道上に鋼棒を滑りこませた。そのまま棒を斜めに、剣身を滑らせ逸らせようと試みるも、剣の切れ味が勝った。鋼棒が二つになる。
その速度は落ちたものの依然オレへと向かってくる水晶の剣。その腹に下から膝を突き上げそのまま仰け反った。もう一度やれと言われればとてもではないができない曲芸だ。
軌道を変えられた剣筋は、血しぶきを上げながらオレの額を通過し、再び彼女の正中へと戻った。
「もう好きにはさせません。私があなたを仕留めます」
額からダラダラと血が流れ視界が遮られる。だがそれを拭う余裕はない。こいつら、こんなとんでもない隠し球を持っていやがったとは恐れいった。
間髪入れずにサクヤは上段から斬りかかる。ここで躱すのは悪手と判断したオレは、サクヤの動きに合わせ姿勢を低く下げ小さな懐に潜り込んだ。サクヤは柄でオレの頭を打つ。そして膝を突き上げた。尽くを貰ってしまったが鍔迫り合いの形となり、速いサクヤを初めて捉えることができた。
「一体何なんだその武器は」
「新式聖剣。この剣のおかげであなたと互角に戦えます」
互角なんかじゃねえだろ。オレは彼女の言葉尻を待たずに上段に蹴りを放つ。しかし読まれていた。軌道上には剣がふさがる。膝を曲げ既のところでそれを躱し、身を翻した勢いで、鋼の棒を脇腹へと打ちこむ。しかし、柄でそれは受け止められた。
狙い通りである。今のオレは両手に先ほど二つに分断された鋼の棒を持っている。彼女に背を向けたまま踵で柄を蹴り上げる。するとサクヤは仰け反り、腹部ががら空きになった。そこに鋼棒を打つ。サクヤは打たれる方向へと飛び、ダメージを逃がした。
地面に転がるサクヤだが、そのまま立ち上がると落ちていたもう一本の聖剣を手にした。やはりそうか。嫌な予感は当たる。
「私も本当は双剣使いなんです。隊長には止められているんですけど今はそんなこと言ってられません」
「アンタ強いな。今まで会った中では別格だ」
「私じゃなく聖剣が強いんです」
その言葉が合図だったかのように、オレ達は二人同時に踏み込んだ。




