episode 10 決意
ボレリアス城に一時的に設けられたカドゥケイタの居室では、昨夜のクーロン逮捕劇が嘘のように静かに朝を迎えていた。ただ淀んだ空気は依然として留まり続け、未だ重苦しい雰囲気を引きずっている。
シュナイベルトは昨夜遅くに発足されたアレンカール開放に関わる作戦指揮の最高責任者となり、アレンカール領主カスティリオーネ・ボレリアス、そして王国第四王子カドゥケイタ・メルクリウス二世と三人、テーブルを囲んでいた。
「ペンタスの村の関所は何をしておったのやら。なぜこうもいとも簡単に軍隊が通過できたのか、何か聞いておるのか?」
「はい。アレンカールで療養中のヘルマエ殿を迎えに行くという書状は、受け取っておりました。しかしそれは三十人規模と報告にありましたので、それならばと通過を許可いたしました。それがこのような事態を招くとは。その後、役人を調べあげたところ賄賂を受け取っていたことが発覚しました。関わった人数は六十人ほど。当時関所に関わっていた全員が収賄に手を染めた結果となります。わたしの不徳の致すところであります」
「まあそれはいいよ。小冠領主の責任だけではないからね」
シュナイベルトの詰問にカスティリオーネが丁寧に答えカドゥケイタが揶揄した。『小冠領主』とは王国貴族の間で密かにささやかれている現ボレリアス領主の蔑称である。年若く容貌の整ったカスティリオーネをティアラに喩え、見栄えはいいが何ら役に立たないと嘲り嗤ったのである。この場でこの言葉を選択するあたり、第四王子の意地の汚さが見受けられよう。さすがのシュナイベルトもこれには辟易した。
このことからも分かるように会議とは名ばかりで、まったく会議の体をなしていなかった。一言で言うなら縛り上げである。しかしカスティリオーネはシュナイベルトの威圧とカドゥケイタの悪意、この二つの意思を込められた言葉の応酬に二十歳そこそこの女性とは思えない忍耐強さで乗り切った。
会議が終わり部屋を後にして数歩のところでカスティリオーネは目が眩み、従者の肩を借りながら自室へと戻ることとなった。
「さてシュナイベルト。どうすればいいと思う?」
「先ずはトリスメギスティ卿とアレンカールの駐屯部隊、それぞれにアレンカールから出て行くよう勧告します。それと同時に兵を挙げアレンカールへ向かうが最善と思われます」
「勧告後の反応を見てからではなく同時にかい?」
「こちらが本気だということを見せつけるためにもすぐに動くのがよいでしょう」
「それだと兵が先に着いてしまうよ」
「そこで陣を敷きます。ここはボレリアス領、自領に陣を敷くのに誰がお咎め出来ましょう」
シュナイベルトは常道を説いた。それを面白くなさ気に頬杖をついて聞いていたカドゥケイタだが、パッと何かを思いつき幼子のように無邪気に身を乗り出す。
「ところでさ、聖剣の適性者はいた?」
「残念ながら」
「まあ、あれは象徴だからね。あれがあれば人は集まる。でもあれを手にして戦っている姿を見せつけるともっと効果的だよね」
「そのためにクーロンを生かしておいたのですね。あの男は危険です。尽くの王侯貴族が持て余した人物です。それに今の殿下に聖剣はどうしても必要なものではないかと。悪いことは言いません。即刻処刑なさるべきです」
カドゥケイタはシュナイベルトの必死とも思える進言に不敵な笑みをもって答えた。
「彼程度を御せなくてこの国を御せると思うのかい?」
己の野望を隠そうとしない目の前の王族に、シュナイベルトは呼吸を忘れたかのように言葉を詰まらせた。そして仄暗い目を向ける。そんなことには一切頓着を見せずにカドゥケイタは言葉の調子を上げる。
「聖剣と言えばさ、あれだよね。せっかく連れてきた『神撃部隊』も使いたいよね」
「…………お、仰せのままに」
シュナイベルトはその一言を何とかひねり出すと部屋を後にした。彼の考えでは神撃部隊を城に残し、とある目的のために一役買ってもらおうと計画していたのである。その根幹を揺るがすカドゥケイタの発案に無意識に舌を打った。部隊を半分に分けて半分を城に待機させるか……いや殿下はそれを許してはくれないだろう。ならどうすれば……。思考の渦に飛び込んだシュナイベルトの眼前には、気付かぬうちに自室の扉が立ちふさがっていた。
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その数日後、ここ数日は何も動きがなかったアレンカールの庁舎が、急にニワトリ小屋のようにけたたましくざわつき始めた。その様子に住民は密かに不安を覚えていた。
「何が起こったのさ。ヤーン分かる?」
「いくつか考えられるね。自分としてはダンナとシンメーが上手くやってくれたと思いたいんだけどね」
カイムの話からニースが生きていると聞かされ、最初は信じられなかったペギーも信じてみよう、そう思い始めていた。ただ彼女はその言葉に縋るしかなかったのである。しかしニースの命が危ないというのに、悠然と答えるヤーンの態度がどうも気に喰わない。
焦る様子を一切見せないヤーンに彼女はイライラを募らせていった。
「アタシ見てこようか?」
「やめた方がいいよ。こういう時はひっそり待つ。それだけだよ」
「そんなもん?」
ペギーの安易な思いつきに、ヤーンは表情を真剣なものに変えペギーを諌めた。それすらも鼻についてしまったペギーは、言葉尻に刺を忍ばせる。
「下手に刺激したら出て行くものも出て行き難くなるからね。それよりも何でもないと住民を宥める方が大事かな。カイム、病院の様子はどう?」
「人使い荒いなぁキミは。人の出入りは多いよ。今言ったように出て行く準備なのかもねぇ」
ペギーはこの男の態度も、気に食わないと感じていた。ここ最近のペギーは何もかもに噛み付く野良犬のように振る舞い、そのせいで周囲は腫れ物に触るかのように気を使わされていた。しかしここにいる二人だけは違っていた。いつも悠長に構え、自分に対してもニースのことも焦る様子も苛立つ様子も、ましてやいつもふてぶてしさを隠そうとしない自分に気を使う様子も感じられない。それが妙に彼女の心を刺激し我慢ならなかったのだ。
「アタシ一人でも行くし」
「今は動いたらダメだよ」
ヤーンにしては珍しく強い口調でたしなめる。ペギーは少し驚き怯んでしまったものの、しかしここで引くわけには行かない、そう思ってしまった。
「何でよ! ニースはどうなるのさ」
「ニースは助かるよ。たぶんね」
表情、言い回し、落ち着き払った態度、そのどれもが苛つく。こんな男が自分と同じ空気を吸っている、そう思うだけで気分が悪くなった。ペギーはそんな思いを言葉に込める。
「はあ? どうしてそんなことが分かるのさ!」
「庁舎も動いた。病院も動いた。しかもどちらの動きも予定外と言わないばかりの慌ただしさだ。撤収の準備が進められている証拠だよ。これほど早く動きがあったってことは、おそらくダンナはニースを売ったんだ。ちょっと言い方が悪いけどね」
ニースを売った? オッサンが? その言葉に、そしてそれを口にしたヤーンのさも平静な態度に、ペギーの怒りが沸点に達した。激昂したペギーだが、その口調は一転して落ち着き払い、氷を含ませたように冷ややかなものへと変わる。
「なにそれ。売られたニースはどうなるの?」
「どこかの王侯貴族に囲われることになるだろうね。女神の存在、それは象徴になるからね」
「で、ニースが犠牲になって町が安泰ですか」
「そしてニースも守られる」
ニースはどこぞの知らない貴族に守られるなんて、そんなこと望んでいない。男どもには女の気持ちなんてわからないんだ。ペギーの瞳に悔しさの涙が溢れだす。
「いいかい。これが最善なんだよ。彼女が町に戻ってきても町は彼女を受け入れないだろうからね」
ペギーはハッとした。確かにそうかもしれない。あんなことをされて生きていたと知った人達は、魔術師の言葉通り魔女と思い恐れるだろう。それだけならまだいい。肉親や友人を失った人達の中には、ニースを恨む人達がでてくるかもしれない。
「ニースが…………ニースがかわいそうだよ」
八方を塞がれ行き場を失ったペギーの溜まりに溜まった感情が、とうとう決壊した。俯き涙を拭うペギーはもう言葉を紡ぐほど頭の中が整理されていなかったのだろう。しばらくの間ただただ肩を震わせ泣いていた。
ペギーが少しばかり落ち着きを取り戻した頃、ヤーンはペギーの頭に優しく手を添え諭すようにだが力強く告げる。
「落ち着いたかい? そのままで聞いて欲しい。全てが終わるわけではないけど、もうすぐニースが救われアレンカールが開放される。だけど、まだやらなければならない事が残ってるんだ」
「…………なに……それ……」
「コートのダンナには、この方法を採ってもらいたくなかったんだ。ヘタを打てばダンナが救われない。だけどね、本音を言えばダンナならこの方法を取るだろうと、期待もあったんだよ。ずるいんだ、自分は。だから自分は命に代えても、これだけはやり遂げようと思っている。もう手遅れなのかもしれない。だけどもし間に合うのならコートのダンナの逃げ道を作る。そしてこの町に連れ戻す。先は長いと思う。だけど手伝ってくれないかい?」
ペギーは何故ニースが助かるのか。そしてニースを売ったというコートの命が危ぶまれるのか、見当もつかない。ただヤーンがそう言ったのならきっとそうなのだ。今までもそうだったから。腫れぼったい目に力のこもった笑みを滲ませたペギーは、遠く宙を見つめているヤーンを見上げた。そして力なく呟いた。
「……そ……だね…………」
カイムはじっと口を閉じ、自分の思いを隠すかのように鷹揚な笑顔のまま、そのやりとりを眺めていた。




