episode 9 捕縛
燈明の油が火を爆ぜ、チリチリと小さな破裂音を鳴らす。その音にいちいち気を触れながら、ガリアは誰もいなくなった総督府の一室で思いに沈んでいた。
彼はボレリアス家がまだ領土を持たぬ頃から仕える宿将であった。中央の役人となった今でもボレリアス家に忠義を尽くし、主君と仰ぎ見る人物も当代のカスティリオーネでかれこれ三人目となる。
長いこと仕えたものだと蓄えたあごひげをなでる。
「まったく姫様も困った御仁を……」
大きな溜息と共に独り言ちる。コートがもし血塗クーロンその人であるならば、彼の立場上拘束しなければならない。だが自身の主君とみなす人物は断固として反対するであろう。おそらくはバルザックも。そして先ほどの会見を終え、己自身も同じような気持ちになっていたことを自覚するのであった。
ガリアはもう一度大きく溜息を吐き、こめかみを押さえ首を左右に振った。
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カスティリオーネに案内された一室はボレリアス城にしてはらしくなく豪奢に飾り付けられ、まるで誰かの誕生日かよと思わせる空気を醸し出していた。オレはは思わずシンメーを指さしたが、違う俺じゃないとばかりに首と右手とを交互に振った。妙に器用な振る舞いだ。そしてシンメーにも同じ行動を返され、オレも素早く首を振る。
【アナタ達はアホですか】
サスガに……ですよね……。聖剣の的確な指摘に少しシュンとなる。
その時部屋の中心に佇んでいた身なりの良い優男が大げさな仕草を擁して、その顔に劣らず砂糖菓子のように甘ったるい声を紡ぎだした。アリンコ寄って来そう……。
「こんばんは。僕の名前はカドゥケイタ。第四王子カドゥケイタ・メルクリウス二世だ。どうかお見知りおきを」
【…………っ!】
聖剣から強い感情が伝わってきた。そう言や第四王子ってそんな名前っだったっけな。心の中であのカドゥケイタなのか? と聖剣に問う。
【まったくもって別人なのです。当たり前なのです】
ですよね……。背中に括りつけられた聖剣から、今までにない静かな怒りが伝わり少し怯んでしまう。物凄く居心地が悪い。やっぱどっかに置いておこうか。オレ達のそんなやりとりは周囲に伝わるはずもなく、話は淡々と進められていった。
「お忙しい中失礼いたします」
「いや構わないよ」
【…………】
カスティリオーネは緊張の面持ちで声を発し深く伏した。さすがにオレも緊張を隠せずに、その行動に倣う。シンメーは視界の外にいるため確認できないが、ガッチガチの雰囲気は伝わってきた。ってか聖剣さん、いちいち目くじら立てないでいただけます? 目、無いけど……。
「こちらの者はアレンカール住民、コートとシンメーと申すもの。彼らは現在、危機的状況に陥ったアレンカールの情報を携えた者であります。直接彼らからお聞き頂いた方が現状を理解しやすいと思い、誠に勝手ながら連れて参りました」
一息で言い終えた後、カスティリーネはこくっと小さく喉を鳴らした。目の前の王子は、甘い視線をすうっと足もとに移動させる。
「カスティリオーネ。君は今二つの罪を犯した。一つは僕の前に平民を連れてきたこと。一応あいさつだけはさせてもらったけどね、彼らはもう口を開かなくてもいいよ。もう一つは領内のゴタゴタを僕に持ち込んだこと。一応ゆくゆくは僕の領土になるのかもしれないけれど、今は関係ない。その時が来たら綺麗にして引き渡してもらうから、そのつもりで」
【あんな輩がカドゥケイタ様を名乗るなんて、おこがましいにも程があるのです。マスター、今すぐあの男を肉片へと変えてしまうのです。さあ! さあ!】
相変わらず物騒だな、聖剣。
そんな中、オレは部屋の片隅に存ずる一人の従者に目を奪われていた。そしてその男もどうやらオレを虎視し警戒していることが明らかだ。そのためオレは聖剣の怒りも第四王子と領主のやりとりも、頭の隅に追いやられてしまっている。
これはひと暴れすることになるかもしれない、面倒な予感が頭を過る。銀剣は入室の際預けたが、ここには聖剣がある。あとは誰にも被害が及ばないように……いやいやダメだ。どう立ちまわっても手詰まりだ。さて、どうしようか。
話が纏まりかけている? いやそうではない。話になっていないのだ。必死でアレンカールの救出を訴えるボレリアス城主に対し、どこ吹く風とばかりに聞く耳を持たない第四王子の構図がそこにはあった。
用意した駒の全てを出し尽くしカスティリオーネが諦め退出しようとしたその時、オレは仕掛けることを決意した。大根役者の三文芝居である。しかし、一世一代の晴れ舞台でもあった。
オレは背中の包みを開け聖剣を掲げた。不審な行動を始めた平民に、近くにいた従者の一人が止めに入ろうと動いた。しかしカドゥケイタ二世は左手を正面に翳し、従者に留まるよう指示する。振り向くとその場にいる五人の従者全員が柄に手をかけていた。
「カドゥケイタ様、これが聖剣です」
カドゥケイタの右の口角が、オレの仕掛けた釣り針に上手いこと引っかかったようにピクリと動いた。オレの考えが正しければ、これでこの男は腹を減らした雑魚のように食いつくはずである。あと問題は後に控えている従者だけだ。
「これはブラマンテの森の奥深くに眠っていました。この聖剣を三百年間ずっと所持していたのが女神ニースです」
カドゥケイタの表情が訝しいものへと変わる。それはカドゥケイタだけではなかった。特にシンメーの表情は「ニースを売ったなコノヤロー!」という感情がありありと浮かび上がっていた。言葉が悪いがそのとおりだ。精々高く買ってくれよ、第四王子様。
「一平民の言葉を信じろと?」
「オレの言葉なんか信じなくてもいい……です。ご自分で確かめればいいんじゃないですかい? 今その女神ニースはトリスメギスティの兵隊に封じられているようです。何やら魔術的な封印なんでしょう。薬液の満たされた壷に沈められ、普通の人間じゃあとても生きてはいけない状態にあるようです。もし生きていたのならば本物の女神、そういうことになるでしょう。女神も聖剣も王家と共にあるもの。本来ならこの聖剣を携え直接王都へ出向き、このことを報告すべきところですが、これも何かのご縁。お力をお貸し願えればアレンカールの民共々、殿下にさらなる忠誠を誓うでことしょう」
「本当に女神だとして危険はないものなのか?」
がぶりと食いついてきやがった。汗がブワッとふきでた。ここで間違えれば全てが終わりである。口内に溜まった唾液を、ごくりと飲み込み、何喰わぬ顔を装い言葉をつないだ。
「女神は文献の通り久しくその力を失ってございます。そのため簡単に取り押さえられたのでしょう」
そんな文献知るものか。オレはハッタリをかました。文献があればよし。無ければ無いで…………どうにか言いくるめてやろう。
「その聖剣はどうするつもりなのか?」
「殿下がよろしければ、ここにお納めいたしたいと思っております。王都まで持参するつもりでいましたが、カスティリオーネ様が殿下と引き合わせてくれました。ここで責務が解かれることができれば、自分としても肩の荷が下りるというものです」
【…………】
どうやら事が上手く運びそうだ。しかし王族とはいえ随分欲の集った目つきをするものだ。ダメだなコイツは。腹芸一つもできやしない。だがおかげでこうしてニースとアレンカールを救う目処はたった。あとはオレか。いやどのみちオレは助からんだろう。
スマンなクテシフォン。気位の高いアンタはこんな使われ方、本意ではないだろう。オレの心を読んでいるだろうから意味はないかもしれないが、まあ最後だから改めて言っておく。助かった。ありがとうよ。そして楽しかったよ。
【…………】
これで最後だ、そう怒るな。いや、それでいいのかもしれんなあ。アンタとの出会いもこうだった。こういう別れもオレ達らしいのかもしれん。
だがしかし、まだ終わっていない。あとはあの男がどう出るか。そして第四王子の強欲がどこまでのものか。徹底的に足掻いてやる。
「お待ちください殿下。貴様! 良くも抜けしゃあしゃあと!」
そらきた。
「コートとか言ったな貴様。オレは騙されんぞ血塗クーロン」
「どう言う事かな? シュナイベルト将軍」
彼の名はシュナイベルト。王国一の剣の使い手と称される人物である。そのシュナイベルトが発した重く響き渡る声音に、周囲のオレを見る目が驚きに嫌悪を滲ませたものへと変わる。それはシンメーとカスティリオーネも例外ではなかった。
「久しぶりよのクーロン。よもや忘れたとは言わせんぞ」
「お久しぶりです将軍閣下。ご機嫌麗しいようで何よりです」
敢えて慇懃な態度を取り、シュナイベルトを挑発する。この行動にたいした意味はない。オレの計画を妨害しようとするこの男に対する、ただの八つ当たりである。
「フンッ。相変わらずいけ好かない態度を取ってくれる。命が惜しくないと見えるな貴様。殿下、騙されてはいけません。コートと名乗るこの男、かの大罪人、血塗ことクーロンであります」
「本当か? シュナイベルト。貴様、僕を憚ったのか?」
予想していたとおり、八方塞がりな有り様となってしまった。しかしオレの手には今この場を覆すことができるかもしれない切り札、聖剣が握られている。クーロンの名を出したことで場に緊張が走った。この場の空気を利用し支配しろ。オレはそう自分に言い聞かせ、最大限の威圧を目の前に立つカドゥケイタに向け放った。
「シュナイベルト! 奴から聖剣を取り上げろ!」
腰が引けたカドゥケイタは、負け犬がキャンキャン吠えるように大声を張り上げた。オレは取ってくれとばかりに一歩前進し、カドゥケイタの前に聖剣の柄を突き出す。カドゥケイタは恐る恐るゆっくりと、僅かにふるえた手を伸ばす。
しかしその行動はシュナイベルトに遮られてしまった。同時にシュナイベルトは達人特有の滑らかな動きで、右手で剣を抜き放ちオレに切っ先を突きつけた。そしてその態勢を維持したまま、主君の代わりに聖剣の柄に左手を伸ばす。
バチッ! と爆ぜる音が部屋を支配した。シュナイベルトの左手は勢いよく弾かれ、反射的に聖剣の持ち主、つまりオレの首へと剣が振られた。オレは聖剣の柄でそれを難なく弾き飛ばす。あまりに簡単に去なされたからだろう。シュナイベルトの表情に驚きと怒りが滲み出している。
「この剣はどうやら主人を選びます。今のところこれは、オレしか扱えません」
そう言うとオレは聖剣をその場に置き片膝を突いた。
「カドゥケイタ殿下。どうか聖剣をお納め下さい」
「本当にあのクーロンかどうかは後から尋問すれば済むことだ。それに僕はこの男に少し用事ができた。シュナイベルト、この男を捕らえよ!」
カドゥケイタの声が室内に響く。どうやらオレは賭けに勝ったようだった。と言っても少し命が永らえるだけなのかもしれないが。どこかで何かが起こってどうにかなるかもしれない、と恐ろしく他力本願な希望しか残っていないのが現状である。
オレは両脇を兵士に抱えられ持ち上げられた。願わくばそこにいる可愛い女性兵士に抱えていってもらえれば、冥途にいいみやげ話を持っていけたのだがなあ。
【この出来損ない】
頭の中に響くは最後になるであろうクテシフォンの声である。最後までこれかよ。
【腑抜け。野蛮人。とんま。ブサイク。死ね。ドスケベ】
おい……ドスケベだけはやめてくれ……。
【マスターもニースも揃って似た者同士の大馬鹿者なのです。いいですかマスター。言わなければ分からないようなので、はっきり言ってやるのです。ニースはマスターの居場所を守るためにあの行動に出たのです。そしてマスター、アナタもそうなのでしょう。ニースの居場所を作る。メルクリウス王家にニースを守らせる。そう考えているのでしょう。ワタシをそのための手打ちにしたのは、最初から怒ってはいないのです。ただ悲しかっただけなのです。いいですかマスター。ニースと二人で絶対助けに来るのです。それまでは絶対死なないと約束して欲しいのです】
無茶を言う。アンタは早いとこ新しいマスターを見つけてニースを守れ。聖剣の所有者なんて重い立場なんて正直ゴメンだね。と、心の声をクテシフォンにぶつける。
【本心で言っているのが悲しいのです。でもマスターがどう思おうと関係ないのです。ワタシはマスター、アナタがいいのです。聖剣は他のマスターを選ぶかもしれないのです。でもワタシにはアナタしかいないのです。いいですか絶対助けに来るのです。おかしなことは考えないでいるのです】
「そんなの一時の感傷だ。すぐ忘れるよ」
オレは口に出して答えた。声に反応して両脇の兵の腕に力がこもる。そしてオレは変に疑われないよう誰とも目を合わさず、その場から連行する兵士に従った。
オレは地下牢に護送された。護送中シュナイベルトは、ずっとオレの前を肩を怒らせながら大股で歩いていた。この場でオレを処刑するつもりだったであろう男の両握り拳は、悔しさで溢れかえりそうに大きく震えていた。ざまあみろ。はっきり言ってオレの命は風前の灯である。しかしそれにも拘らずオレの溜飲は少しだけ下がった。




