episode 8 滑落
コート達が城へと向かって早々、アレンカール調査の報告を終えたバルザックは執務室を後にしようと、ガリアに向かい退室の意味を込めた敬礼をした。
「ちょっと待ってくれんか」
敬礼の意味を悟ったガリアは、バルザックを呼び止める。怪訝な表情で足を止めたバルザックに、ガリアは口をもごもごと鈍重に動かした。
「あの男、コートと言ったか……。奴をどう思う」
あまりに抽象的な問いかけに、バルザックは即座に意図を計り切れず、しばし黙考する。バツの悪くなったガリアは、腹を括り次の言葉を告げた。
「いやな似ているんだよ、ある人物に」
「血塗……のことでしょうか?」
「気付いていたのか?」
バルザックは、ガリアが言わんとしたことを先読みして返答した。なんとも煮え切らない表情を醸し出している己の上官に、そのまま報告の続きとばかりに畏まって言葉を続けた。
「トリスメギスティの兵の一人がそう言ったものでして、もしや、とは思ってはおりました。血塗がどれほどのものか小官は分かりかねますが、コートに関して言えば、恐ろしいほど腕の立つ男であります。上手く説明ができないのですが、剣筋にこれといった型らしきものは見られないのですが、にもかかわらず荒々しさの中に繊細さを内包していると言いますか、剣術の一つの理想の形を見たような気がしました。本人は聖剣の力と言って憚らなかったのですが。先ほどの魔族を倒したと言う話も、あながち嘘ではないのだろうなと聞いておりました。これほどの男が何故アレンカールで傭兵なんかをしているのかと疑問に思っております。そのことはトリスメギスティの兵士達からも話は上がっておりました」
「なるほどな。もしこの話が本当だとして姫様はこのことを知っておられるのだろうか?」
「…………」
仮定に仮定を重ねた要領を得ないガリアの言い回しに、どう返していいものか分からず、バルザックは再び沈黙を余儀なくされてしまう。しかしこれだけは言っておこうと咄嗟に口を開いた。
「それは分かりません。ですが小官の見立てですが、簡単に一言で言いますと彼はいい人です」
偏屈だとか堅物とかで通っている部下の素っ頓狂とも言える発言に、ガリアは思わず目を丸くする。そして呆けて半開きになっていた口を大きく開け高らかに笑った。
「ははははは! 何を言うかと思えばいい人ときたか。お前にしてはらしくない物言いだな。ははははは」
大声で笑われてムッとしている部下に、先ほどとは打って変わってキレの良い口調で言い放った。
「お前がそう言うのだから間違えはないのだろう。わははははは」
己が城主の身を案じていたのだろう。心配事が杞憂になりそうな兆しが見え、ガリアは遠慮なく笑い続けた。何がおかしいものか。バルザックはそう口にしなかったものの、損ねた機嫌を隠そうとしている様子はうかがえなかった。
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ボレリアス城は質実剛健を形にしたような城だった。華美な装飾品は鳴りを潜め、だがしかし実用的な美しさ、機能美とも呼べるような雰囲気がそこかしこに感じられた。この城の合理性があの町を形作ったのだろう。ボレリアス領の発展の一因を垣間見た気がした。
オレ達は城に着くなりすぐさま応接室へと通された。カスティリオーネは部屋から部下を遠ざけオレ達三人だけになると、当主の雰囲気からやや緊張が解れ少し柔らかいものへと変わっていた。やはり二十歳そこそこの女性が当主という立場を維持するためには、気を突っ張らざるを得ないのだろう。
「かの御方が準備できるまでしばらくかかるそうだ。丁度良かった少し話そう」
「かの御方とかって何勿体つけてるんですか? 姫さん」
あえて『姫さん』と呼んでみたところ、今度は拒否さることはなかった。ただ困ったような嬉しいような、複数の感情がちゃんぽんされた表情を浮かべられてしまった。
「まあそう言うな。向こうも一応お忍びってことになっているんだ。こっちもこっちで事情があるんだよ」
「へいへい。左様でございますか」
「ところでコート、シンメー。改めて礼を言わせてもらう。ありがとう。部下の命を助けてくれて。そしてアレンカールの危機を教えてくれて」
領主はその紅髪を蓄えた頭を下げ礼を欠かない程度に、優雅な一礼を投げかけた。オレ達もそれに合わせ返礼する。
「そういうのはもう無しにしましょう。姫さんの時に比べりゃ随分と楽ちんなものでしたから。はっはっはっは!」
「その話はよしてくれ」
底意地の悪いオレの言い回しに、顔をその髪同様紅葉の色に染め苦笑いを浮かべたカスティリオーネの抗議の言葉は、やや弱々しいものだった。
「何があったんだ? 気になるなあ」
カスティリオーネが嫌がっているのを察しているであろうシンメーだが、それでも好奇心が勝ったと見えて余計な詮索をしてくる。一応領主だぞシンメー。とか言いつつ言い出しっぺはオレだけどね。オレは彼女に少し気遣い軽く返答するに留めておいた。
「昔な、どこかのお転婆なお姫さんが、無茶して魔森に入りやがったんだ。まあ、そんなとこだ」
「本当にすまなかったな。あの時は」
「よく無事でおられましたね」
アレンカールの慣習で魔森で『無事』と言うことは『生きている』ということを意味する。ただアレンカールの人間でない彼女には、いまいち通じなかったようだ。
「無事ではなかったさ。ただコートが命がけで助けに来てくれた」
「止めにしましょう。せっかくの再会がしんみりしたものになってしまいます」
「そうだな」
オレは彼女の言葉の隙間を突いて声を滑りこませた。彼女は目を閉じ俯き加減で薄っすら笑みを浮かべ、つぶやくように一言分だけ口を開いた。
その雰囲気を引きずってしまいしばらくの間、部屋は沈黙によって支配されてしまった。つ、都合が悪い。何か喋らなければ……。
「そ、それにしても姫さん。しばらく見ない間に、立派な身体付きになりましたな」
違うだろーっ! 立派なのは身体付きじゃないだろーっ! 滑り落ちた自身の言葉に盛大にツッコミを入れる。
【は〜……マスターは最低のクズなのです】
居たのねあなた……。オレはクテシフォンに心の中でひっそりと告げる。さてクテシフォン、マスターとして最後のお願いだ。この状況を打開するための献策を所望する。
【フンッ! 知るわけがないのです】
拒絶の言葉に冷気が感じられる。意を決し、おずおずとカスティリオーネに顔を向ける。そこには満更でもない表情……なわけがない。俯き握りしめた両拳をプルプル震わせている紅髪紅眼、ご立派な身体つきの領主がそこにいた。
援軍を乞おうとシンメーに顔の向きを変える。で、速攻目を逸らされた。永世中立の姿勢を貫くつもりのようだ。
「い、いや、そういう事でなくてだな、何と言うか貫禄が出てきたっていうか、胸をどーんと張ってきたというか……」
俯いているカスティリオーネの目がきらりと光った。しかもこの光はまさしく魔獣が放つ赤い光。敵とみなされている。
そして彼女は口を大きく開けて…………笑った。
「あはははは。コート、今のは侮辱罪が適用される。刑はそうだな禁錮百年がいいとこだな。ははははは」
「なるほどな。立派なご領主様になられたもんだ」
オレを指さし判決を下す。その紅の瞳には大粒の涙が溢れていた。
「あなたのような無礼な人間は見たことがないよ。ただそれもここまでだ。これから会う御方は、このような冗談は通じないと思って欲しい」
「ああ、活きの悪い肝だが銘じておくよ」
大笑いしていたのも一転、最後には真顔で諭された。オレは背中を丸めて小さく返事をする。その時ドアをノックする音が聞こえた。カスティリオーネは入るよう指示する。
「ご歓談中のところ失礼いたします。準備が整いましたとの報告を受けました」
「よろしい。今行く」
ピッと顔を引き締めたカスティリオーネは、オレ達を目で促し部屋を後にした。オレ達二人は彼女に続いて歩き出す。彼女は大股の歩みを緩めず前を向いた視線をそのままに言葉を発した。
「あなた達は命を張った。今度は私が張る番だ」
な、何を張っていただけるんでしょうか……。




