episode 5 含羞
魔獣が先に狙いをつけたのは、トリスメギスティ家の兵士だった。オレとの戦いで生き残った四人の兵士は全員生きてはいるものの、馬は魔獣に次々と喰い尽くされ早くも死に体であった。
「クソッ!」
オレは一声上げると、シンメーに指示をだした。
「シンメー、オレは向こうの兵士を助けに行く。二人でどうにか凌いでくれ。すぐ戻る」
「おい、待てよオッサン!」
返事も聞かず魔獣の塊に突っ込む。魔獣は、オレが先ほど斬り伏せた男の亡骸に群がっていた。
「魔獣の狙いは死んだヤツらだ。今のうちにこっちに来い!」
トリスメギスティ兵との間に塞がる魔獣の集団を、聖剣の一振りで霧散させる。そして兵士の間をすり抜け殿に就いた。
「向こうはまだ魔獣が少ない。早く行け」
「あ、ああ。分かった」
「後は気にするな。任せろ」
オレは兵士達をシンメーの許へと促す。兵士達は魔獣を警戒しながらゆっくりと移動を開始した。後方から襲いかかってくる魔獣をオレは次々と葬っていく。今はまだ保つ。だがこのまま魔獣が増え続けると、オレ一人では手が足りない。全員仲良く魔獣の胃袋に収まってしまうことは明白だった。どうする? オレは藁をもつかむ思いで、クテシフォンに泣きついた。
「教えてくれ。どうしたらいい?」
【マスターも分かっているはずなのです。シンメー以外を見捨てるのです】
彼女らしい答えが返ってきた。いや、少しだけ意外だった。シンメーの身を案じていたからだ。
「却下だ。ここは全員で乗り切る。何か知恵はあるか?」
【そう言われるのは解っていたのです。あの方々には精々自分の身は自分で守ってもらうしか無いのです】
「なるほどな。ああ、そうだな」
全員を守ろうなんて欲深いことを考えるから考えが詰まる。無理が生じる。何のことはないヤツらも戦闘のプロなのだ。オレはヤツらが生き延びるのを少し助ける。それだけでいい。
【マスターはとんだ下衆野郎なのですが優しすぎるのです。その優しさはいつか自分の身を滅ぼしかねないのです】
「肝に銘じておくよ、可愛い軍師殿」
【…………】
口を滑らせてしまったおかげで、またも貝のように口を閉ざしてしまったクテシフォン。彼女のことは、ひとまず置いておくとして、オレはシンメーの許に走った。
魔獣が跋扈する中を、縦横無尽に駆け抜けるオレの姿に、兵士たちは怪物でも見ているかのような顔つきになっている。すまんね、怖がらせるつもりはちょっとしか無いからね。
「シンメー、オレじゃあここは乗り切れん。アンタが仕切ってくれないか」
「はあ? 無理に決まってるだろ! そこに職業軍人がゴロゴロしてるんだぜ。そいつらの方が適任だろ」
当然の反応だ。無理もない。オレでも同じようなことを言うだろう。だがここで上手く尻を拭えるのはこの男しかいない、そんな確信がオレにはあった。
「いや、ここはいつもヤーンの傍にいたアンタしかいない。ヤーンは将の器だ。そこいらにいるヤツらとは格が違うんだ。ヤーンならどうするかアンタなら解るような気がするんだがな」
ここで尊敬するヤーンの名前を出され、シンメーは苦笑いを浮かべる。
「はっ! ここでその話かよ。オッサンもまあ姑息だな」
「よく分かっているじゃないか。何ならニースの名前も出してやろうか」
やれやれという感じで肩をすくめ首を振っている。
「チッ! 分かったよ。ただ俺じゃあヤーンの足元にも及ばないぜ」
「そんなこと無いさ。頼んだよ。俺もアンタに従う。いいように使ってくれ」
シンメーは、にやりと意地悪く口角を上げた。
「なら話は早え。そこの集団に突っ込んできてくれ。五分以内に片付けてくれればいいぜ。あと一匹も逃すな。逃したらそこで終わりだ。終わったらしばらくは好きにしていいぜ」
オレはシンメーが指した魔獣の集団へ目を向ける。あれを五分以内か……。ちょっと後悔……。
オレは全員にシンメーの指示に従うようにと言い残し、その場を離れ魔獣の群れへと向かった。そして戦いながら、ヤーンについて思索に耽る。
あの男はこうなる事態を見越して、シンメーをオレに寄越したのかもしれない。確かに今の状況は、単純に戦闘力の高いだけのアスケンやオーワでも力不足は否めない。それに単に個の戦闘力だけなら今のオレにはそれ程必要とはしないだろう。この場で最も必要な能力、それは残念ながらオレに欠けている能力。即ち、シンメーのように周囲を見渡すことのできる能力である。ペギーならさらに話は深刻だ。オレが変な気を起こしてしまいかねない。
ヤーンという田舎町のただの農夫の男。しかし素人を寄せ集め自警団を結成しそれを自ら率いて今や大陸屈指の活躍を見せている。思慮が深く間違いを犯したところを今まで見たことがない。底の知れなさに、背筋がうすら寒くなるのを覚えた。
シンメーの的確な指示の下、戦線は安定を見せ始めた。最初こそ互いに不慣れで、どことなくぎこちなさもあった。確かに初対面って緊張するよね。
だが今は、互いが互いを守り合いほぼ無傷で戦っている。
「まるでヤーンがいるみたいだな」
戦いながらオレは一人つぶやく。
【あのシンメーとかいう男、なかなかの人物のようなのです。ヤーンという男はどのような人物なのですか?】
「一言で言うなら別格だ。一廉の人物だよ」
そう言えばアブ・ヌワス砦にいたと言っていた。当時最前線だったあそこには精鋭しかいなかったはずだ。魔族が現れた時、瓦礫の下だったということは砦の中にいたってことだ。二十歳そこそこの平民が司令部に配属されていたってことか? オレは徐々に深みに嵌っていこうとする思考を現実に戻し、シンメーに指示を仰いだ。
「シンメー、オレは次どうすればいいんだろうな」
「だからさっきから言ってるだろ! 好きに動けよ。オッサンの戦闘力は突出しすぎだ。下手に戦列に加わったらそれこそ宝の持ち腐れになっちまうぜ」
怒られた……。ヤーンとは違う……。ヤーンはそんなに怒ったりしない。オレは恐る恐る小声で返事した。
「あ、ああ、了解した……」
「あと、あまりあっちフラフラこっちフラフラすんじゃねえぞ。いいか俺がこの笛を吹いたら三秒以内に戻って来い」
オレは犬あつかいかよ……。思わず「ワンッ!」とシッポ振りながら返事しそうになっちまったじゃねえか。シッポ無いけど……。
気を取り直して魔獣の一団に聖剣を突きつける。聖剣に触れるだけで魔獣は二つに分かれ霧となって消えていく。そのまま足を止め体を軸にコマのように一回転する。消えていく魔獣の姿を視界の隅で確認し残った一体を銀剣で貫いた。
夕刻に差し掛かろうとした時には、瘴気もほぼなくなり魔獣の姿もあらかた消え失せていた。トリスメギスティ兵が一人右腕を骨折しただけで、他に大きな怪我はない。オレはその場にいる全員に労いの言葉をかける。
「アンタらの頑張りでなんとかなった。助かったよ。お疲れさん」
【大したこと無いのです。朝飯前なのです。赤子の手をひねるようなものなのです。余裕のヨシコさんなのです。お茶の子さいさいなのです】
彼女の存在を忘れてた。ってか貝になったんじゃなかったのかよ。随分と恩着せがましい貝だな。とりあえずスマン聖剣、アンタも頑張ったな。そしてムダな語彙多いな。
一瞬穏やかな雰囲気になりかけたがすぐさまその場の空気に緊張が走る。バルザック・ダリオがトリスメギスティ兵の一人に斬りかかったのだ。その場にいたオレとシンメーがすぐさま取り押さえ事なきを得た。いきなり斬りつけるなんて危ねえ奴だ。怪我でもしたらどうするんだよ。
「何をする! お前達、俺の味方じゃなかったのか」
「オレ達は依頼を請けたただの傭兵だ。その依頼も既に達成したと思うんだがな」
依頼内容は騎兵隊の足止め。一応充分足止めしたと思うのだが。
「なら邪魔立てするな」
「このままだと四対一になるけどそれでよければ好きにすればいい」
「くっ……ならば新しい依頼だ。こいつらを始末しろ。お前の強さなら造作もないことだ」
「嫌だね。殺す理由がない」
見るとトリスメギスティ兵も槍を構えている。俺はバルザックとトリスメギスティ兵の間に入り頭を掻きながら話を続けた。
「ああ、俺に槍を向けたのはまあ理由になるっちゃあなるんだろうがな。でももう時効だ」
バルザックが顔を真っ赤にして詰め寄ってきた。
「お前のやってることは支離滅裂だ。先程は簡単に人を殺しておいて今はどうして守るのだ。自分だけが人の命を左右できるなんて思い上がっているのか」
支離滅裂ときたもんだ。シリメツレツ! その語感だけでケツがむず痒くなってくる。自分の言葉にさらなる興奮を促されたバルザックは、ツバを飛ばしながら言葉を続ける。
「魔獣が襲ってきた時もそうだ。あの時なぜあやつらを助けたのだ」
「ああ、まあ何だ。いいだろ別に。人を助けるのに理由なんかいらないだろ。それにアイツらにも助けられたんだ。違うか?」
「そうかもしれない。だが俺はこの男たちに部下を殺されたのだ。その報いは受けてもらわなければならない」
「バルザックのダンナ! いい加減にしろ!」
ここでシンメーが怒鳴った。そして諭すようにその口調を変える。
「いいかダンナ、武器を持っていたらお互い様なんだ。相手を殺らなければ自分が殺られる。しかも奴らだって仕事だからやったんだ。自分の意志じゃねえ。戦争屋ならそれくらい解るだろ。悔しい気持ちは分かるがな、せっかくこうして助け合えたんだ。ここは恨みっこなしだぜ」
ここでシンメーは大きなため息を吐く。
「それにな、こんなことあんまり言いたくないんだが、オッサンがあの二人を殺した理由は別に敵だからじゃないんだぜ。手前の仲間の命を蔑ろにしたからだ。そうだろオッサン」
「…………」
急に話を振られたオレは無言で俯いた。そんなオレの気持ちを知ってか知らずかシンメーは話を続ける。
「このオッサンはな、自分に刃を向けてきた相手だろうが平気な顔して助けるんだ。誰がそんなことできる」
「自分達の力が必要だから助けただけだろ?」
トリスメギスティ兵の一人が口を開いた。それに対しシンメーは言い返す。
「アンタ本気で言ってるのか? あの時アンタらの力なんてこれっぽっちも必要なかったんだぜ。俺とオッサンがすぐにその場から逃げれば、俺達はそれで終わっていたんだからな。兵士なら分かるだろ、それくらい」
「…………」
先ほどのトリスメギスティ兵が悔しそうに下唇を噛む。
「アンタらこのオッサンが恐ろしくてたまらないんだろ。いつ自分に剣先が向けられるんじゃないかって、ビクビクしてんだろ。違うね。こんなに優しい人がどこの世界にいるんだ」
そしてわざとらしくニカッと大きな口を開けて笑った。
「まあ、とにかくこれだけの数の魔獣を放り込まれて全員無事だったんだ。それでよしとしようぜ」
その場にいる全員がシンメーの言葉に押し黙った。俺の脳内以外。
【あの男、前から思っていたのですがマスターに似ているのです。マスターの背中を見て成長してきたのですね】
いや、アイツはヤーンにそっくりだ。クテシフォンに脳内でそう言い返す。
【それにしては嬉しそうな顔をしているのです。心を読むまでもないのです】
「うるせえよ」
しかしもうすぐ日が暮れる。また再び魔獣が襲ってくる時間が刻一刻と迫ってきていた。




