episode 2 封印
中央広場には更に多くの人々が集まりその行く末を案じていた。
壇上には人一人がすっぽりと入るような、大きな壷のようなものが用意され、その傍らでニースが両手両足をベルトのようなもので拘束されていた。そして体中にびっしりと古代文字が記された包帯のようなものを巻きつけられ、頭には鉄の仮面が被せられた。
最後に、簡単に外されないよう、至る所に厳重に留め金がかけられた。
ニースは仮面を被せられる寸前、多くの群衆が見守る中、涙を流しながら自分を見つめているペギーを見つけた。ニースは自分は大丈夫というメッセージを込めて、いつも姉のように優しく接してくれた憧れの女性に力強い笑顔を向ける。
その様子を固唾を飲んで見守るヤーンの横で、ペギーが嗚咽まみれの声を上げた。
「何なんだよ、あれ。ニースが何をしたっていうのさ。あの娘はさ普通の女の子なんだよ。どうしてこんな目に遭わなくちゃいけないの」
最後は彼女自身の泣き声に邪魔され、言葉になっていなかった。ヤーンはそんなペギーに俯き、黙っていることしかできずにいた。
最後に見せたニースの笑顔。それを見たペギーはその気高く美しい姿に息を呑んだ。そしてやはり彼女には敵わないのだと、嫉妬にも似た感情がちらりと顔をのぞかせる。この期に及んでそんなことを考える自分が嫌で嫌でたまらなくなり、ここから逃げ出しそうになってしまった。
しばらくすると、ヤーン達の耳に大きなどよめきの声が聞こえてきた。ヤーンはそれに釣られて顔を上げる。
そこに映っていた光景は今まで見たこともないほど残酷なものだった。呪符で簀巻きにされたニースの足首にロープが結わえられ、高く吊り下げられた。そして先ほど用意された壷に頭から入れられてしまう。ニースは最後まで抵抗らしき行動は一切取らなかった。壷の中にニースが収まるにつれ、中に満たされていた黒い液体がどろりと溢れ出る。そのあまりに無情な情景から目を背けたペギーは、ヤーンの袖を掴みその場で座り込み肩を大きく震わせていた。最後、壷は蓋を閉められ三人の魔術師により厳重に魔術で封がなされた。
一連の儀式を終えた魔術師の一人が集まった民衆に向かって大声を発する。
「ここに魔女は封印された。皆の協力に感謝する。我々はしばらく様子を見てからトリスメギスティ領へと戻る。貴様らは決してつまらぬことを考えぬように。以上」
そう言い終えると数人がかりで魔女が封印されたとする壷を持ち上げ庁舎へと戻っていった。ある者はざわめき、またある者は沈黙した。多くの人達がしばらくその場を離れず後味の悪い残響に心を痛めていた。
「ふ〜ん、キミ達こそつまらないことを考えついたものだねぇ」
遠く屋根の上でカイムはひとりつぶやく。その表情にいつもの穏やかさは見られなかった。
これが後に魔女裁判と呼ばれることとなった事件の一部始終である。
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オレは真っ暗な闇の中、佇んでいた。傍ではニースが眠っているかのように目を閉じゆらゆらと揺蕩っている。そこでこれは夢だということを確信した。
夢だということはアレだ。自由なのだ。ここでの遠慮は必要ない!
そう思い至り、とりあえずニースを両腕で力強く抱きしめた。残念ながら己の欲望に対しては自由ではいられない。
「ニ……ニース……」
ふと気づけば目を覚ましていた。ここで終わってしまうのか? ここからがお楽しみだというのに。絶妙な寸止め感が、オレの視床下部を容赦なく撃つ。クソッ! 寸前までいっておいて何にもできなかったじゃねえか。どこにもぶつけることができない邪な感情が少しの間オレを振り回し、思春期のあのドロドロと青臭かった日々を思い出してしまった。
この日からしばらくの間オレは毎晩この夢のようなものを見ることとなる。そして毎朝口惜しさにうなだれることとなる。
【いつまで惰眠を貪っている気なのですか、この変質者】
変質者って……はっ! ひょっとして今の夢、見られちゃった?
【夢の内容まではわからないのです。ただ夢の中でマスターが考えていたことくらいは解るのです】
夢まで監視されているとは、トホホ。早くこの剣手放したい……。誰かマスター変わってくれ。って、ん? マスター?
「マスターってオレのこと言ってんのか? 」
【マスターと呼ばれるのがそんなに嫌ならバカ者でも結構なのです】
「好きに呼べよ。アホ聖剣」
【チッ】
舌打ちしやがった。なんて下品な聖剣だ。
【まあいいです。夢現お楽しみ中の所大変申し訳ないのです。これから楽しくない話をたくさんするので覚悟するのです】
いまどきの聖剣は、皮肉まで仰られるのか。世の中、荒むのも当然である。
【マスター、まず今の状況をアナタがどれほど理解しているのか確認するのです】
クテシフォンの言葉を切っ掛けに、思考を巡らせる。そして朧気ながらも、徐々に記憶が象られていく。そうか洞窟の奥で……。
「ニースは? あれから何日が過ぎた? そしてここはどこだ?」
【ではまずその質問に答えるのです。ニースは麓の町に行ったのです。マスターが魔族と戦ってからまだ一日も経っていないのです。そしてここは小屋の中なのです】
最後の答えはアバウト過ぎる……。
【次に今の状況を説明するのです。シンメーとかいう輩の話によりますと町に軍隊が襲ってきて人間が多く死んだようなのです。目的はどうやらニースのようなのです。それでニースは人間を救うために町に行ったのです。魔神とシンメーは様子を見ると言ってどこかへ行ってしまったのです。ワタシの知っていることはこれ以上ないのです】
クテシフォンは事実のみを簡潔に述べた。実に彼女らしい受け答えと言えた。
「ああ、了解だ、クテシフォン……。ニースは殺されちゃいないだろうな? 」
【わからないのです。ただ急ぐのです。一刻も早くニースを助けに行くのです】
そこで小屋の扉がゆっくり開けられた。オレはその気配を察知することができなかった。
「やあ。探したぜ、片目のダンナ。ヤーンからの頼まれごとがある」
扉の前には、ありきたりな顔で、ありきたりな髪型の、ありきたりな服装をした中肉中背の男が、神妙な面持ちで挨拶をしてきた。アンタ誰だっけ? そうだ、確か名前は……う〜ん……思い出せん。
「町が軍隊に襲われたと聞いた。アンタよく無事でここまで来られたな」
「ああ、何故かオイラは不思議と誰にも気付かれなかったからな」
無事で良かったな。良かったけどなぜだか切ない。うれし涙と切ない涙が同時にこみ上げる。
「とりあえずニースはどうなったか知っているのか。まだ無事か? それとも捕まったのか?」
「ニースは……死んだよ。みんなの目の前で魔女だとか封印だとか言われて殺された。訳がわかんねえよ。ダンナ、ニースは本当に魔女なのか?」
「んなわけあるかよ……。クソッ」
【…………!】
クテシフォンからも強い感情が伝わった。何が起こっている。詳しく知りたい。ニースは、ニースは本当に死んだのだろうか。つい今しがた夢に現れたニースはひょっとしてオレに別れを告げに……それなのに何をやっていたんだオレは。本当に彼女が死んだのなら、さぞかし後味の悪い別れになってしまったことだろう。
オレ達二人はしばらく口を開くことができなかった。しばらくして男が口を開く。
「綺麗で明るい娘だったのにな……オレはニースが好きだったんだ。道ですれ違ってもあの娘だけはオレに気付いて挨拶してくれたよ。オレだけじゃねえ。みんなニースが好きだった。みんな悲しんでた。それにニースだけじゃねえ。大勢の人が死んじまった」
「そうか……。すまんがニースの最期を聞かせてくれないか」
「ああ。包帯みたいなもんでミノムシみたいに簀巻きにされて、それで黒い水が張った壷に沈められちまった。あれじゃあ生きてはいねえな」
「そうか……。確かにワケわからんな……」
「でな、ヤーンから頼まれたんだがこれをボレリアス城の城主に渡してくれだとよ」
男は一通の封書を取り出した。
「ああ……。行けたらな」
「落ち込む気持ちはわかるけど頼んだぜ、片目のダンナ。ダンナが頼りだ。じゃあオイラは町に戻るわ」
男は気配なくすうっと立ち上がる。
「大丈夫か? 」
「夜だし誰にも見つからねえよ」
「そういうもんなのか……」
「そういうもんだ。じゃあな、頼んだぜ」
「ああ、じゃあな……えっと……じゃあな」
男はそのまま街道を堂々と歩いて行った。しかし結局、名前は思い出せないままだった。果たしていつか思い出す日がくるのであろうか?




