episode 5 笑声
〈あらすじ〉
アレンカールの町でしがない傭兵業を営むオッサン、コートは森で魔族の男を撃退した。その時男が消える間際に発した言葉が何故かコートには気がかりに思えた。意識が回復したコートの許へカムランが訪れる。カムランはコートにニースを森に連れて行ってほしいと頼んだ。迷ったものの数日後、コートはニースと町の入り口で落ち合う。
「森には魔獣が出るから決して行ってはいけないよ」
この国に生まれた者ならば、誰しも子供の頃に、それこそ耳にタコだのイカだのができるくらいに、親や祖父母、それから近所のオッサンやオバチャンなどから散々に聞かされていた言葉である。
これは間違ってはいないが正確でもない。魔獣が発生しやすい瘴気の濃い場所は人の手が加えられることが大凡ないため森になってしまうことが多い、ただそういうことなのである。
アレンカールは不思議な町である。通常瘴気の濃いと言われている場所の周囲は月齢、天候、昼夜、星の位置等の様々な条件に影響されるらしいが、その条件が合うと魔獣が発生する。しかしここは周囲が瘴気の濃い森に覆われているにも拘らず境界から内側は一切魔獣が現れないのである。まるで何かに守られているかのように。
なので魔獣の発生しやすい夜だというのに森に入らなければ、何も気にせずこうしてゆっくり歩いていられる。ありがたやありがたや。
ニースは突然歩みを止めた。
「そこに座りませんか?」
月明かりの下うっすらと見えるのは森への中間地点を示す小屋。その脇には腰を下ろすに調度良い高さの大きな切り株があった。
オレ達は互いに背中を向け合いそこに座る。何から話せばいいかと考えているのか、ただ単に話すのをためらっているだけなのか。ニースは未だ俯き黙っていた。
まだ時間には余裕がある。オレは急き立てることはせず、彼女が自分から切り出すのを待つことにした。
森から吹き下ろされるキンッと冷えた風が頬に当たる。妙に心地よい。
ここは、ちょっとした高台になっているため町が一望できる。町を見下ろすとポツンポツンとまばらに点るいくつかの灯りが見通しの悪い星空のように寂しく瞬いていた。
この様子に身を任せ、しばらくすると、静寂を破るニースのか細いがよく通る声が聞こえた。
「私は人ではありません」
何を仰るウサギさん。思わずニースに向く。と、そこにはニースの緊張にこわばらせた顔があった。
面食らったのが顔に出ていたのだろう。ニースの表情が和らぐ。くすりと一つ笑うと、再び姿勢を戻し両膝を抱えた。オレもそれに倣い、再び背中合わせの体制に戻る。
「急にこんな話をしてすいません。信じられませんよね。どう話したらいいかいろいろ考えていたんですけどダメですね。でも本当の話です」
「は、はあ……」
突拍子もない話だ。オレは生返事をするに留まってしまう。
「とにかく聞いてくださいね。じゃあ私の正体はといいますと。そうですねぇ、皆さんが言う、神とか天使とかそういうものに近いかもしれないですね。そう立派なものじゃないんですけどね。フフッ」
「な……なるほど」
先ほどの緊張感はどこへやら。ニースのノリがよくなってきている感じがする。
「で、ですね私は別の世界の住人なんですけどこの世界に目的を持って使わされてきたんですよ。その目的はといいますと」
「目的はといいますと……」
妙な勢いに負けて復唱してしまった。彼女、こんな性格だったっけ。
「魔神の封印です。神世の人々がいろいろ試したんですけど魔神を消滅させることはそう容易くはないってことになりまして、じゃあ封印するしかないかなあ、と」
「お、おう……」
『じゃあ』で封印するのかよ。恐いわこの娘。話が物騒になるに従い心なしかニースのテンションが上がってきているのは気のせいと思いたい。
「え〜。コホン。むかしむかしのことでした。魔族が猛威を振るっていた世界に一人の使徒がこの世界に遣わされました」
「………………」
な、なんとオレの戸惑いを察知したのか、わざとらしい咳払いの後まさかの物語調への方向転換。知恵の輪を無理やり引きちぎって解いてしまったかのような力技にオレは絶句を余儀なくされる。
「使徒は魔神をどうにかすれば世界が平和になると思いました。そして『式』を駆使して魔神を封じ込めることに成功しました」
「………………」
目が泳いでいる。これは新たな方向転換、ポエム調が近いかもしれない。
「しかし魔族の動乱は収まるどころか勢いを増していきました。使徒はそこで知ったのです。魔神が魔族を扇動していたのではなく魔族を抑えてくれていたのだと。使徒はならば魔神の封印を解いてしまおうと考えました」
「………………」
続けるのかよ。以外にハート強いな。
「しかし神世の人々が黙っていませんでした。使徒は仕方がないので『式』を変換することにしました。今までその身で受け止めていた魔神の『力』を世界を二つに分けるために使おうとしたのです。それはそれは命がけでした。そして不安定な二つの世界が出来上がりました。そして使徒は片方の世界に魔族を押し込めましたとさ。以上です。ご静聴ありがとうございました。で、コートさん何か質問ありますか?」
か、語りきった。達成感からなのだろうかその顔は演奏後の音楽家のように清々しい。
質問って……はっきり言わせてもらえば質問のオンパレードである。というかそもそも基本質問事項の塊だ。質問塊だ。
まずなぜ物語口調で語り始めたのか聞いてみたかったのだがコレは今さほど重要なことではないだろう。数瞬逡巡した後オレは口火を切った。
「その使徒がなぜここでこうしているんだ?」
我が意を得たり! とばかりに振り返り人差し指でビシッとオレを指す。その後俯き淋しげな表情を浮かべつつ答えた。
「帰れなくなった。それが理由の一つです。『式』の変換で『力』を使い果たしてしまいまして」
「神様だか天使様だかなんだか知らんが、そっちから迎えは来ないものなのか?」
「私が作ってしまったのはちょっとした刺激で簡単に崩れてしまうような歪な世界です。今でもこの世界にはあるはずのない瘴気で溢れかえって、存在するはずのない魔獣が出ています。そんな世界なんです。なので神世の人々はこの世界に干渉して壊してしまうのを恐れているんですよ」
形を成していない、ボヤけた疑問が次々と頭の中から湧き出ては消えていく。今、彼女と何の話をしているのだろうか、理解できない。
ただ心配なことが一つあった。オレはそれを彼女に問い質した。
「今まで長い間、どうしていたんだ?」
「いろいろでした。国や神殿に保護されたり今みたいに町の人になりすましてみたり。ただ三百年くらい前に魔族に見つかりそうになっちゃいまして」
「それで」
「それからはこの先の洞窟でずっと隠れて暮らしていました」
三百年間も……そんじょそこらの引きこもりとは桁が違う。
だがニースの雰囲気は……何も変わらない。彼女はこのことを当然として受け止めているのだろうか。オレは一瞬言葉が詰まってしまう。
「でも長いこと洞窟で一人っきりでいたもので寂しくなっちゃったんでしょうね。ちょっとしたきっかけもありまして。我慢できずに三年前偶然会ったカムランさんにお願いして町で暮らすようになったんですよ」
しかしこれであの事件から疑問に思っていた魔族の言葉、そしてカムランが言っていたニースと魔族との関係がつながった。
ここでオレは核心を突く問いを投げかける。どこぞの名探偵のように。
「そこにこの前の魔族騒動ってわけか」
「はい。魔族は私に気づいたと思います。それに……」
「カイムってヤツのことか」
「察しが良くて助かります。カイムさんにも見つかってしまいました」
「ヤツは何者なんだ?」
「私にもよくわかりません。魔神か、または魔神にかなり近い存在なのは確かなのですが」
「魔族に見つかったらどうなる?」
「殺されるでしょう。そうしたら魔神は復活して世界は元に戻るか……」
「魔族と仲良くお隣さんってわけか」
「ご近所付き合いが上手にできればですけど。ふふっ。それにこの不安定な世界が、維持できればですが」
「なるほどな。別にアンタの話を全部信じたわけじゃない。だいたいこんな話信じることができると思うか」
「あははは。そうですよね」
ニースは少し悲しげに笑っているように思えた。
「まあいい。洞窟に行きたいってのはそういうことなんだな。カムランが言っていたアレンカールが危ないということも」
「はい。あの場所は特別なんです。そこにいれば魔族もカイムさんもそう簡単に見つけることはできないはずです」
「オレを巻き込みたくないと言ってた割にはずいぶんと話したな」
なぜこんな意地の悪いことを言ってしまったのかわからない。また何かに巻き込まれそうになる自分に必死で抵抗していたのかもしれない。もう到底無理なことだとわかってしまっているのに。
「ごめんなさい、コートさん。確かに巻き込みたくないと思っています。でも他に頼る宛もなくて……」
「オレがいなくてもこのまま洞窟へ向かう気なのか?」
オレはさらに追い討ちをかけた。
「それはさすがにもうしませんよ。二、三日前なら瘴気がほとんどなかったのでどうにかなったのでしょうけど。私にはあそこに行くだけの力はありませんから」
「『式』ってやつを使ってもダメなのか?」
「今の私に『式』は使えません」
「そうか……」
正直言って話が大きすぎてよくわからん。なので半強制的に納得してみることにした。いや、もうすでに納得云々なんてそんな次元ではないのだろう。
「なら行こうか」
オレは立ち上がりニースに右手を差し出した。鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして見上げている。その表情がオレへ伝染……はさすがにしない。
「どうしてですか?」
「なんでこんな話をオレにしたんだ」
答えなんて実のところ最初から決まっていた。ただ照れくさいだけだった。歳を取ると気難しくなっていけない。今もニースへの返答を反故にしようとている。
「どうしてでしょうね。よくわかりません。ただコートさんに本当のことを聞いてもらいたかったのはあると思います。コートさんこそどうして……」
「魔神の復活だとか世界の維持だとかそんな現実味のない話オレにはよくわからん。だけどアンタが困っているのはわかった。オレが動く理由はそれだけで充分だ。それになアンタを助けることでこんなオレでも世の中に必要な人間なんだって勘違いすることができるんだ。充分どころか釣りが来てしまうよ」
逃してくれないニースにオレは本心をちらつかせつつ言葉を並べてごまかした。大人のずるいところである。
「それにかよわい女の子が泣きそうな顔をしているんだ。年長者としては手を差し伸べるのは至極当然のことだろう」
ニースはパッと蕾が綻ぶように明るい表情に変わる。そしてオレの手を取り立ち上がると何がおかしいのかクスクスッと笑い始めた。
「うふふ。ありがとうございます、コートさん。あはははは」
礼を言い終わるやいなや左手はオレの右手に添えたまま右手で腹を抱え大笑いしだした。体はくの字に曲がり目には涙を浮かべている。なんだかよく解らないオレは繋がれたままの右手にドギマギしながらも今度は毛が抜けないようやさしく頭を掻きつつ何が起こったものかと呆然としていた。笑いの発作が少し収まった頃ニースは涙を拭い息を切らしながらもなんとか言葉を発した。
「あはは、はぁはぁ。ごめんなさいコートさん。あはははは。勘違いしているようですから一言言っておきますね。あはははは」
オレは訝しい表情を更に強めた。
「私、コートさんよりず〜っと年上なんですよ。あははははは」
ひとしきり笑う美しい少女につられて苦笑いを浮かべる一人のオッサン。オレはここに来るまで考えをこねくり回して難しくしていた。しかし実のところ何のことはなかった。オレはニースが涙を浮かべて笑う姿を見て今のように笑っていて欲しい、ただそれだけだったのだと気付かされた。
アレンカールに来て十年、平穏な生活を送ることができたもののどこか心は荒んだままだった。人との関係にも絶えず一線を引いていた。
そんなオレにニースはいつも土足で踏み込みいつも屈託なく笑ってくれていた。そして妬み、恨み、嫌悪、蟠りが組んず解れつ絡まっていたオレの感情を一つ一つ丁寧に解いていってくれた。オレは知らず知らずのうちにニースから多くのものをもらっていた。ならばすることは一つしかない。
心は決まった。あとは進むのみ。オレはニースをじっと見つめ意気揚々とまではいかないが一言告げた。
「あの〜、笑ってないでもうそろそろ出発しないと……」
しんと静まり返った夜の街道にニースの笑い声だけが響いていた。




