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黄金の帝国  作者: 亜蒼行
逆襲篇
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第四五話「寝間着で宴会」

 今回のアルカサムの月の戦い(モーゼの堰の戦い)でヌビア側が獲得した捕虜は二万に達していた。竜也は例によって白兎族を使って捕虜を分別、一部の協力者と一部の不穏分子を除いて残りの全員を鉱山や開拓地送りにした。

 ベラ=ラフマは銀狼族や灰熊族を動かすが、聖槌軍の損傷具合は今一つ判然としない。「長雨の戦い」に次ぐぐらいの戦死者が出ていることは間違いないが、正確な数は不明である。ヌビア側は「残っている敵兵は一五万以上二〇万以下」と推定している。一つ言えるのは、今回の戦いもまた聖槌軍の将兵を大幅に減らしただけに終わった、ということだ。

 アルカサムの月(第八月)の初旬、戦いから二日後。その日、総司令部の竜也の元をナーフィア商会のミルヤムが訪れる。ミルヤムにはジャリールやワーリスといった、東ヌビアの有力商人が同行していた。


「お久しぶりです、皇帝タツヤ。まずは戦勝、おめでとうございます」


 ミルヤムの言祝ぎを「ありがとうございます」と受ける竜也。


「これでこの戦争は勝ったも同然だろう。兵数は対等に近いし、敵兵は腹を減らした半病人ばかりだ」


「ヌビア軍からの総攻撃はいつやるんじゃ?」


 気の早いワーリス達の言葉に竜也は愛想笑いを浮かべ、次いで表情を引き締めて見せた。


「敵にはまだ二〇万近い兵が残っている、油断は禁物です。我々は『長雨の戦い』の二の舞を演じるわけにはいきません」


 竜也の言葉にミルヤム達は「確かにそうですが……」と気まずそうな様子を示した。竜也は不思議そうな顔をする。


「何か問題でも?」


 竜也に促され、ミルヤムが意を決して告げる。


「皇帝タツヤ、この戦争を一日でも早く終わらせてはいただけませんか?」


「もろちん早く終わるに越したことはないですが、あと二ヶ月も敵を封じ込めれば全滅しますよ? それなら兵も損なわずにすみますし」


 竜也の言葉にジャリール達は「何を悠長なことを」と舌打ちした。


「皇帝、あなたが我々にどれだけの借金を抱えているか忘れたわけではあるまい。戦いが一日長引けば借金はその分増えるのだぞ?」


「正直に言うと儂等も苦しいんじゃ。通常の商売がなかなかできん中で借金の証文ばかりが増えても腹は脹れん。これ以上公債を引き受けろと言われても、もう引き受けられんのじゃぞ?」


「戦争を終わらせ、皇帝タツヤを中心とした国を樹立し、市民から税を集められる体制を確立する――一日でも早くそれを実現しなければ、あなたの軍は借金により潰れてしまうことにもなりかねません」


 愚痴とも脅迫ともつかない説明を終え、ミルヤム達が去っていく。残された竜也は執務室で頭を抱えた。


「ようやく百万の聖槌軍に勝てそうな見通しが立ったところなのに、今度は百万タラントの借金が……」


 なお、実際の借金の総額はその半分くらいである。側に立つベラ=ラフマが解説する。


「これまでは勝敗が定まっていなかったので彼等も皇帝の邪魔になるような行為は差し控えていたのでしょう。ですが、今は我々の勝ちが見えています。遠慮をする必要はなくなった、ということではないでしょうか」


 竜也は頭痛を堪えているかのような顔をしながら、


「……とりあえず、聖槌軍の内部分裂を促すような工作を」


「既に用意は進めています」


 タンクレードか、という竜也の確認にベラ=ラフマが頷く。現在一万の兵とともにスキラの北に潜伏中のタンクレードはアニードを通じてベラ=ラフマと連絡を取りつつ、聖槌軍への分裂工作を進めているという。

 竜也はその工作の内容の説明を受け、それに実行の許可を出した。また竜也はアミール・ダールを総司令部に呼び出し、事情を説明。


「スキラに総攻撃を仕掛けて一気にこの戦争を終わらせる作戦を立案してほしい」


 無理難題だ、と思ったに違いないがアミール・ダールはそんな素振りは欠片も見せず、粛々と竜也の命令を受け入れた。








 アルカサムの月の戦いを乗り越えて、近いうちに自軍の勝利でこの戦争が終わるとヌビア側の誰もが思うようになっている。総司令部の官僚は戦争後を見越した行動を早々と開始していた。


「皇帝、こちらの計画書に認可を」


 と帝都建設総監のバリアが持ってきたのは、ゲフェンの丘に行政機関の庁舎を再建するための計画書である。以前総司令部が設置されていたゲフェンの丘は「長雨の戦い」により焼け野原となったままだが、そこに新政府の行政機関をまとめて設置することをバリア達は企画していた。


「……ガリーブさんの設計か」


 計画書に目を通した竜也が呟く。庁舎は総石造りの四階建て。行政機関が全て収まるだけの広大な床面積を確保している。「クロイの船(サフィナ=クロイ)」の名に相応しく、船をモチーフとした斬新なデザインとなっていた。


「――いいだろう。ただし、半分だけだ」


 竜也は計画書の書類のうち前半を受け取り、残り半分をゴミ箱に捨てた。計画書の後半に記されていたのは皇帝の宮殿の建設計画だったのだ。バリアが顔をしかめる。


「しかし皇帝、国主とあろう者があまりに慎ましく暮らすのは決して望ましいことではありません」


「その理屈は判らなくもないが、今は金がないんだから仕方がない。俺が住むところは、また中古の船でも引きずり上げてくれればそれでいい」


 バリアは納得したようには見えなかったが、竜也の意志が固いことを悟って無言のまま引き下がった。バリアと交代で何人もの官僚がそれぞれの計画書を持ってやってくる。


「皇帝、即位式典の計画書です」


「新政府の組織と人事の叩き台の確認を」


「各町の人口調査計画に認可を。それと新政府の税制案と徴税計画です」


「公債の借り換え計画とその返済計画に署名をお願いします」


 さらにはアミール・ダールとその息子三人がやってきて、


「聖槌軍の再来に備えてヘラクレス地峡に要塞を建設すべきです。その計画案がこちらに」


 と計画書を提出した。さすがに竜也が苦笑する。


「将軍、いくら何でもそれは気が早すぎないか。聖槌軍はまだスキラに二〇万近くも残っているんだぞ」


「確かにその通りですが、こちらの計画も早く実行するに越したことはありません」


 アミール・ダールはあくまで生真面目に答えを返した。


「聖槌軍の蹂躙により西ヌビアの国土も人心も荒廃しています。要塞により防衛を固め、軍を派遣し人心を安定させることで、国土の復興も早まるのです」


「確かにその通りだが、スキラの聖槌軍が片付かないことには軍をこの町から動かせない。要塞建設については、予算と人員は確保しておく」


 竜也の回答にアミール・ダールは一定の満足を見せ、野戦本部へと戻っていく。一人になった竜也は執務室の壁に貼られた大きな地中海世界の地図と向かい合った。


「西の方はそれでいいとしても……問題は東だな」


 竜也の視線は地図の上のケムトへと注がれていた。








 ゲフェンの丘に総司令部と竜也の公邸があった頃なら、一旦公邸に戻ってファイルーズ達と夕食を食べてまた総司令部に戻って仕事を続ける、という真似は何一つ珍しいことではなかった。仕事が忙しければ毎晩のようにそうしていた竜也だが、今ではそれは不可能だ。公邸代わりの船は港に係留され、臨時総司令部は町中にある。両者の距離は近くはない。

 最近忙しい場合は総司令部内で夕食を摂るのが常であり、調理を担当するのはカフラであることが多い。総司令部内にもメイドや小間使いは何人もいるが、竜也が食べるものはカフラが手ずから料理していた。


「ご馳走様。今日もおいしかった」


「いえ、とんでもない」


 料理が割と得意なカフラからすれば、竜也は非常に腕の振るい甲斐のない相手だった。よほどのゲテモノでもない限りは出された物は何も言わずに食べるが、本当に好んで食べる物はごく限られている。一ヶ月くらい毎晩同じ料理が続いても文句一つ言わないのは間違いないし、もしかしたらそのこと自体に気が付かないかもしれない。そもそも食に対する関心や欲望が非常に薄いこと、奴隷をやっていた経験で「食事ができるだけで幸せ」という意識があること、この世界の食事が基本的に口に合わないこと、等がその理由だった。

 厨房の隣の小さな部屋で食事を摂り、食後のお茶の一時をカフラとともにまったりと過ごす竜也。ファイルーズやラズワルドが夕食時に総司令部までやってくることは多くはないし、いつもはミカも同席することが多いが、今日はたまたま不在で二人だけである。だがその穏やかな一時はある闖入者によって破られた。


「こんなところにいましたか。カフラ」


 突然その部屋に現れたのはミルヤム・ナーフィアだ。竜也は目を丸くした。


「ミルヤムさん。こんなところにどうしたんですか?」


「ここは元々わたし共の邸宅。今でも法的にはナーフィア商会の所有物件であることには変わりないのですよ?」


 ミルヤムの皮肉げな言葉に竜也は気まずそうな顔をする。ミルヤムは竜也に構わず、


「カフラ、戻りますよ。わがままもいい加減にしなさい」


「嫌です、わたしには総司令部の仕事があります!」


「あなたの代わりの官僚なら、追加で何人でも商会から出します。ですが、カンゼィールさんの花嫁はあなたしかいないのですよ」


 二人は言い合いをそこで途切れさせ、数瞬竜也へと視線を送る。そして諍いを再開した。


「わたしは戻りません、カンゼィールさんのお嫁さんなんてごめんです!」


「あの方の何が不満だと言うのですか。あの方は一国を買えると言われるほどの金貨を貯め込んでいるのですよ?」


「だからって四〇歳も年上のお婿さんなんてあんまりです! そんなにお金が好きならお母様が嫁げばいいじゃないですか!」


 二人はそこでまた言い合いを中断。再度竜也へと視線を送り、


「……ええっと、次の台詞は」


 ミルヤムがどこからともなく取り出した台本を確認した上で口論を再開した。


「――わたしは死んでも嫌ですよ? あんな情欲で腹を膨らませた豚じじいに嫁ぐなど」


「わたしだって死んでも嫌です!」


 そこまで言い合い、不意に「ひどい台詞ですねぇ」「でも本当のことですよ?」と素に戻って言葉を交わすミルヤムとカフラ。竜也は頭痛を堪えるかのような顔を二人へと向けた。


「……あの、二人とも。一体それは何のお芝居ですか」


 竜也の問いにミルヤムは「ヤスミンさんに脚本を書いていただきました」と素で答え、カフラは、


「タツヤさん、私を連れて逃げてください!」


 と竜也の腕にしがみつき、潤んだ瞳を竜也へと向けた。竜也は疲れたようなため息をつく。


「……話ならちゃんと聞くから、頼むから普通に話してくれ」


 それから少しの時間を置いて、仕切り直しをし。三人が小さな食卓を囲んで座った。


「……要するに、ミルヤムさんが商売上の理由でカフラの結婚相手を決めて、カフラがそれを嫌がっている、ってことですか?」


「手短にまとめればそうなりますが、結婚を決めた理由は単なる商売上のものではありません」


 ミルヤムはそう断って竜也に経緯を説明した。


「先日わたし達が皇帝に戦争の早期終結を督促したこと、お覚えでしょう?」


 ミルヤムの確認に竜也は「もちろん」と頷く。


「これが裏目に出てしまいました。わたし達の商会に対する信用不安が発生しそうになっています。商会に預けている現金を引き出そうとする動きが広まっているのです。特にナーフィア商会は他のどの商会よりも強力に皇帝と総司令部を全面支援してきた経緯があります。どこよりも先に財務上の限界が来ているのです。我が商会が所有する五万タラントの公債のうちある程度を現金化しなければ戦争の終結を待たずに我が商会が破綻するかもしれません」


 頭痛が深まったような顔をする竜也にミルヤムが続ける。


「カンゼィールさんが公債の買い取りを申し出てくれています。その交換条件がカフラを妻に迎えることなのです」


「……事情は判りました。それで、俺に何をお望みですか?」


 もしカフラがカンゼィールに嫁ぐしか方法がないのなら、カフラやミルヤムが竜也の前で三文芝居を演じる必要などないのだ。竜也の確認にミルヤムはアルカイックな笑みを見せた。


「皇帝にはカフラを皇妃としていただきたいのです」


 一方竜也は表情をなくす。ミルヤムはそれを気にしないまま説明を続けた。


「今必要なのは、ナーフィア商会が決して潰れないという世評です。正式な発表は後日でも構いません。『カフラが皇妃として内定している』、それを否定しないでいただきたいのです」


「……例え本当にカフラが皇妃となろうと、公金を使って特定の一商会を支援したりはしない。それが皇妃の実家ならなおさらだ」


「それでも構いません。ですが『皇帝がナーフィア商会に力を貸す』、世間がそう誤解するのは自由というものでしょう?」


 竜也が一呼吸置いてミルヤムに確認する。


「ナーフィア商会に支援が必要ならアアドルさん達と相談して方法を考える。それじゃだめなのか?」


「二つの理由で受け入れられません。まず、ナーフィア商会が財務的に行き詰まっていると公に認めることになります。我が商会に対する取り付け騒ぎが起こり、数ヶ月先の危機が明日明後日の危機に変わってしまうことでしょう。


 二点目は、皇帝には思い違いがあるようですが、仰々しく皇帝を名乗ろうと今のあなたは公的にはただの傭兵指揮官でしかありません。総司令部に財務上の保証を与えているのはわたし達大商会であって、その逆ではないのです。そのあなたや総司令部が我々に財務上の保証を与えるなど……他者の背に乗っている者が下の者を持ち上げようとするようなものではありませんか。


 今の皇帝の保証には意味がありません。ですが、近い将来あなたは一国の国主となり、カフラが皇妃となる。その未来図こそが『ナーフィア商会が潰れない』という保証を世間に与えるものなのです」


 ミルヤムの説明が終わり、沈黙が一同を包んだ。その小さな部屋に緊張感が張り詰める。


「――それで皇帝、ご返答は」


「断る」


 竜也が冷たく即答し、その答えが信じられないミルヤムは中途半端な笑みを見せた。


「……ナーフィア商会が皇帝と総司令部を支えるのにどれだけ力を尽くしてきたか、お忘れになったわけではないですよね?」


「もちろんそれは判っているし、感謝もしている。支援が必要ならできる限りのことはする。でも、それとこれとは別問題だ。俺はそんな理由で誰かを皇妃にしたりはしない」


 ミルヤムの表情が氷点下のそれへと変貌していく。カフラが思わず身震いした。


「……ナーフィア商会が潰れても構わないと皇帝が言われるのであれば仕方ありません。我が商会も存続のために必要な行動を取りましょう――五万タラントの公債全てを売却します」


「脅迫する気ですか」


「いえいえ、そんなつもりは」


 竜也とミルヤムが殺気をぶつけ合い、二人の間で空気が歪んだ。もしナーフィア商会が五万タラントもの公債全てを売却すれば――市場に放出すればどうなるか。公債価格は大暴落し、公債は不良債権化するだろう。公債を買った市民が破産し、公債を引き受けた商会が破綻し、東ヌビア一帯が経済的に破滅する。政治的に見れば、それはナーフィア商会が総司令部を見放したという意思表示に他ならない。他のバール人商人も総司令部への支援を停止するだろう。また、総司令部で働く官僚の大半はバール人商人の出身だ。彼等もまた総司令部から逃げ出し、総司令部の業務は完全にストップしてしまう。

 総司令部にとってバール人の存在は、背骨であり神経であると言える。背骨と神経を失った人間が生きていけないのと同様に、バール人に見捨てられた総司令部は戦争に負ける前に内部から崩れ去るのだ。


(ここまで強行策に出ているのはミルヤムさんだけのはずだ。殺すか? 殺して代わりの当主にカフラを据えて、総司令部から操るようにすれば……いや、いきなり殺さなくても、薬でも飲ませて総司令部に監禁しておけば。カフラが代理の当主にならなくても、ラズワルドやベラ=ラフマさんの力を借りればその誰かを操るくらいは難しくないだろう)


 既に八〇万の敵を始末してきた竜也が、八〇万と一人目の「敵」をどう処分するか思考を巡らせている。それを感じ取ったのか、カフラが慌てて立ち上がった。


「タツヤさん、ごめんなさい! わがままを言ったわたしが悪かったんです!」


 カフラが目に涙を溜めながら「わたしがカンゼィールさんに嫁ぎます」と二人に告げる。ミルヤムは、


「そうですね。それなら八方丸く収まります」


 と表情を和らげた。が、竜也は狼狽する。


「待ってくれ。そんな本人の意志を無視して結婚を進めるなんて」


 だがミルヤムは冷たい視線を竜也へと向けるだけだ。


「わたしがカフラに好き勝手を許してきたのも、道楽みたいな商売に巨額の資金を出してきたのも、このような場面で役に立ってもらうためです。これは家庭内、我が商会内の問題です。皇帝であろうと口を挟まないでいただきたい」


 ミルヤムはそう言い捨てて立ち上がり、


「さあ、戻りますよ」


 とカフラの手を引く。そのままミルヤムに引かれて部屋を出て行こうとするカフラの手を、


「――」


 竜也は思わず掴んでいた。


「皇帝、これ以上の口出しは」


 ミルヤムの抗議を竜也が制止する。


「……少しだけ、カフラと二人だけで話をさせてくれ」


 一呼吸置き、ミルヤムがカフラから手を離してその部屋から退出する。その部屋には竜也とカフラの二人だけが残された。

 カフラは祈るように指を組み、期待に輝く瞳を竜也へと向けている。一方の竜也は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。


「……一つ確認するけど。その四〇も年上の何とかって奴よりも俺の方がカフラにとってマシな選択肢なんだな?」


 カフラはそれに答えず、澄んだ微笑みを見せる。竜也は思わず顔を赤らめ、それを悟られないよう努力した。


「……わたしは幼い頃から庶民の人には想像もできないような贅沢や散財を許されてきました。でもその代償として商会の道具としてどこかの家に嫁ぐことはわたしの運命だったんです。一時はそれに反発して自分で商売を興そうとしたりもしましたけど、わたしに商売の才能はありませんでした。


 わたしはお芝居や小説の中の恋物語が大好きなんです。自分には縁遠いものだと思っていましたから。もし良縁に恵まれれば、結婚してからでも恋はできないこともない……そんなかすかな期待は捨てられませんでしたけど」


 カフラが竜也に向き直る。カフラの瞳が竜也を真っ直ぐに見つめた。


「タツヤさん、覚えていますか? わたしがお母様に奴隷として売られそうになって、タツヤさんが助けてくれたときのことを」


「もちろん。あの頃から俺はカフラには助けられてばかりだった」


 カフラが一歩前へと踏み出す。二人の距離はほぼゼロとなり竜也とカフラの身体がかすかに触れ合った。


「わたしはあのときから恋をしています――タツヤさん、あなたに」


 胸を射られたように竜也の身体が揺らぎ、竜也は思わず顔を逸らした。そんな竜也をカフラが熱く見つめ続けている。

 ……部屋の外で待っていたミルヤムが呼ばれ、再び竜也と対面したのはそれからしばらく後である。


「戦争が終わったら総司令部を全面的に改組する。正式な発表はそのときとしたい」


 竜也がミルヤムとカフラにそう告げ、二人はそれを是とする。それは竜也の敗北宣言に他ならなかった。








「カフラを皇妃にすることにした」


 深夜近く、公邸の船に戻った竜也がファイルーズ、ラズワルド、サフィール、ミカ、それにディアにそう告げる。


「はあ。おめでとうございます」


 サフィールにとっては「何を今さら」と言わんばかりの宣言だ。簡単にお祝いを述べ、さっさと一人で寝てしまった。

 一方ファイルーズとラズワルドの二人はどこからともなく「ゴゴゴゴゴ……」と謎の音を発し、全身から紅蓮のオーラを放っている。その迫力に押されてミカとディアは沈黙を選択するしかなく、竜也は焦りながら懸命に言い訳をした。


「ファイルーズとラズワルドが俺にとってかけがえがないことには何も変わりはないんだぞ。皇妃にする以上はカフラもサフィールも大事なことは同じなんだけど同じじゃないと言うか、俺の中での位置づけに微妙な違いはあっても大事なことには変わりはなくて」


 その言い訳に耳を傾けつつ、憤怒を無理に抑え付けたため仮面のような表情になってしまっている――風を装いつつ、ファイルーズとラズワルドはそれぞれの思惑を巡らせていた。


(血迷ったタツヤがどこかの馬の骨を皇妃にするというのならともかく……)


(カフラさんが皇妃になるのは想定済みのこと。政治的にも利益になりこそすれ不利益にはなりませんわ)


 竜也を取り巻く六人の女性、ファイルーズ、ラズワルド、サフィール、ミカ、カフラ、ディア。この六人がいずれそのうち全員皇妃となるのはファイルーズにとってもラズワルドにとっても予想の範囲内であり、すでに心理的に許容してしまっている。この六人にはそれぞれの分野で竜也を支え、共に戦ってきたという仲間意識・戦友意識が働いている。それぞれが持つ事情もよく理解しているし、それなりの信頼関係も築かれている。この仲間内から皇妃を増やす分には、二人ともそれほど問題にするつもりはないのだ。


「ええっと、ファイルーズは俺の嫁、ラズワルドは俺の義妹って感じかな。そのたとえでいくとサフィールは幼なじみでカフラは部活の仲間、ミカは委員長でディアは留学生」


 ギャルゲー脳な思考を垂れ流す竜也をよそに、ファイルーズとラズワルドは視線で互いを牽制し合っている。


(この女がタツヤをいじめるなら「側室を持つことも王者の義務」って言っていたのはあなた、ってタツヤを助けてあげて、恩を売る)


(ラズワルドさんがタツヤ様を責めたなら、そもそもあなたが「第二夫人でも構わない」と皇妃を増やそうとしたのでは?と助け船を出しましょう)


 竜也が皇妃を増やすことをこの二人が正面から否定するのは説得力が欠けており、二人は沈黙を選ぶ他なかった。その沈黙を「二人がそれだけ深く怒っているから」と勘違いした竜也は言い訳をさらに加速させる。


「皇妃が増えたからって二人をないがしろにするつもりはない、それは誓ってもいい。正式に皇妃にするのはまだ先だし、皇妃になったからって特別何が変わるわけじゃないだろう? 変わるのは夜の順番くらいで……それはそのー、頑張って回数を増やすから」


 竜也に対し心理的に優位に立つためには簡単に許すべきではない。だがあまり竜也を責めると相手に出し抜かれ、竜也の気持ちが自分から離れてしまう――二人はジレンマに陥った。


「わたしはタツヤ様に無理をすることを望んでいるわけではありませんわ。確かにカフラさんは魅力的な方ですが……」


「あの女だって特別若くはない。いずれは重力に負ける」


 結局、二人は多少の嫌味を言ったくらいで早々に竜也を許してしまった。最大の山場を何とか乗り越え、安堵した竜也はそのまま倒れるように眠ってしまう。ファイルーズとラズワルドが両側から竜也を挟み、三人は床を一つにしてその夜を過ごした。

 その翌日。カフラが皇妃として内定したことは口々に伝えられ、総司令部中に、バール人商人の間に広がっていく。それを耳にした多くの者が、


「今まではそうじゃなかったのか?」


 と、その点に驚いていた。つまり、ほとんどの人間にとっては「何を今さら」な話でしかなく、驚いたり動揺したりすることではない。が、「何を今さら」では済ませられない人間もごくわずかだが存在する。


「一体どうやって皇妃として認められたのですか?」


 その日の夕方、総司令部から公邸の船へと戻ってきたカフラをミカとディアが連れ立って捕まえた。カフラは自分の部屋に戻る間もなく人気のない船の片隅に強引に引っ張られていってしまう。


「あなたがどのようにしてあの強情なタツヤから皇妃として受け入れられたのか、それを教えてほしいのです」


「お前の実家が皇帝を脅した、という噂は聞いている。だが脅しを使うようなお前ではないだろうし、簡単に脅しに屈するような皇帝でもないだろう」


 ミカはいつになく必死な様子を見せ、ディアもまたミカと意志を一つにしていた。カフラは二人をなだめるように、


「聞きたいというのなら、喜んでお話しします。ですけどどうせなら――」


 そして数時間後、その夜。ファイルーズ・ラズワルド・ミカ・カフラ・サフィール・ディアの六人が船の一室に集まっていた。集まった部屋はファイルーズの使っている一番大きな寝室で、そこに二人分の簡易ベッドと布団が追加で運び込まれている(さすがに六つのベッドは入らなかった)。六人とも寝間着に着替え、ファイルーズとミカ、ラズワルドとサフィール、カフラとディアが各々の布団に潜り込んだ。さらにその寝室には葡萄酒・果実酒・菓子・つまみ等がずらりと用意されている。


「……それでカフラさん、これは一体」


「タツヤさんの国の言葉を借りれば『寝間着で宴会』と言うそうです。こうやって寝間着で飲んだり食べたりしながら、女の子同士でしかできない話を夜通しするものだとか」


「はあ」


 判ったような判らないような顔のミカに対し、ファイルーズは実に乗り気で嬉しそうである。


「メン=ネフェルの王宮でも共同部屋の女官達が似たようなことをしておりましたわ。非常に楽しそうだったのですが、わたしがそれをする機会はないだろうと思っておりました」


「わたしも話を聞いたときからいずれやってみようと思っていたんです」


 まだ酒を飲んでもいないのにカフラのテンションは既に絶好調だった。


「さて! 生まれも身分も部族も違う六人がこうやって集まったのも何かの縁! どこかの朴念仁を酒の肴にして、大いに楽しみたいと思います!」


 カフラの口上に一同が拍手を送り、こうして六人による「寝間着で宴会」が始まりを告げた。

 真っ先に一同の質問が集中したのは、当然と言うかカフラである。


「……そこでタツヤさんがわたしの腕をぐっと掴んで! お母様に『二人だけで話をさせてほしい』ってお願いをしたんです」


 カフラは皇妃の座をゲットした経緯を隠すどころかノリノリの小芝居付で一同に語り聞かせている。


「……そしてわたしがこう言ったんです。


『――わたしはあのときから恋をしています』」


 カフラの決め台詞に一同が「きゃーっ!」と嬌声を上げた。


「……うーむ、あの皇帝を堕としただけのことはある。そんな台詞をよく恥ずかしげもなく堂々と」


 とディアが唸りつつも感心し、


「わたしにはとても真似できません」


 と赤面したミカが同意した。カフラは「わたしの真似はしない方がいいと思いますよ?」と苦笑する。


「お二人にはお二人のよいところがあるのですから、下手にカフラ殿を真似ずともいいのではありませんか?」


「サフィールさんの言う通りですね。ただそれぞれの魅力で攻めるとしても、タツヤさんの攻めどころはちゃんと知っておくべきだと思います」


 その言葉に「そうです! それを是非教えていただきたい!」と食いつくミカ。ディアもまた身を乗り出していることは言うまでもない。だが、


「わたしの話を聞いていて気が付きませんでしたか?」


 とカフラが答えをじらす。ミカとディアは「うーん」と腕を組んで考え込んだ。そこに、


「……タツヤは政略結婚とかが大嫌い」


 とラズワルドが横から口を挟む。「簡単に答えを言っちゃ面白くないですよ」とカフラが頬を膨らませた。


「なるほど、政略で押し付けられそうになったカフラさんを拒絶していましたね」


「意に沿わない政略結婚をさせられそうになったお前を助けたな」


 と得心するミカとディア。カフラが解答を解説した。


「皇帝になろうと、根本的にタツヤさんの感覚は庶民のままなんです。庶民のままだから奥さんは三人でも多すぎだと思っているし、美姫を集めて後宮を作るなんて思いつきもしない。結婚は好き合った相手とするものだと心底信じていて、本人の意志を無視した政略結婚なんて自分がするつもりは欠片もない。そして、自分に対して誰かをそうさせる――嫌がる女性を周囲が無理矢理皇帝へと輿入れさせるのも嫌悪の対象でしかないんです」


「それらはタツヤ様のかけがえのない美点だと思います。問題もなくはないですが、それはわたし達がフォローをすればいいことです」


 ファイルーズの言葉に「確かにそうです」と頷くカフラ達。一方ミカとディアは困惑の表情を見せた。


「……それでは、わたしはタツヤが嫌悪する方法で皇妃になろうとしていた、ということですか」


「わたしが皇妃の座を望むのは誰に強制されたことでもない、わたし自身の意志によるものだぞ」


「でもその意志は銀狼族族長としてのものでしょう?」


 カフラの確認にディアが頷いた。


「タツヤさんが嫌がるのはその点なんです。タツヤさんが妻として求めるとするならそれはどこかの部族の族長ではなく、ディアという名の一人の女の子なんですから」


 ディアはカフラの言葉を咀嚼し、理解しようと頭をひねり、長い時間を掛けて結局理解が及ばなかったようである。ディアは開き直ったように胸を張った。


「爪先から髪の一本に至るまで、わたしの全ては一族のためにあるものだ。族長の立場を抜きにしたディアナなどという者は存在しない」


 ディアの出した答えにカフラは苦笑するしかない。


「……まあ、ディアさんの事情はタツヤさんもよく判っています。何のかんの言っても身内には甘いですから、決して悪いようにはしないでしょう。あまり焦らず気長に待ってはどうでしょう? ミカさんの方は、割と簡単に皇妃になれると思うんですけどね」


「それはどういう……」


 と戸惑うミカにカフラが、


「皇帝だとか皇妃だとか、余計なことは考えずに素のタツヤさん、男としてのタツヤさんを、ありのままのミカさんが、女としてのミカさんがどう思っているか。それを素直にさらけ出せばいいんですよ。――男としてのタツヤさんをどういう風に思いますか?」


「……そうですね。客観的に言って、まず外見はかなりのものだと言えるでしょう。あれほどの美男子はそうそういるものではありません」


 赤面して呟くようにそう述べるミカを、一同は生温かい目で眺めている。「ミカ以外から」客観的に見て、竜也の容貌はそれなりに整ってはいるが地味であり、人目をそばだてるほどのものではない。


「……顔立ちが整っているのは認めるが、ああいう女みたいなのはわたしの好みではないな。わたしはもっと強そうな男が好みだ」


 とディアが横から口を挟む。


「例えばどのような?」


「そうだな。バルゼル殿くらいが望ましい」


 サフィールが飲んでいたお茶を吹き出した。


「た、確かにバルゼル殿は二人といないくらいの剣士ではありますが……」


「うむ。あれくらい頼もしい男が一族の味方になってくれるのならわたしも心強い」


 と頷くディア。結局ディアの発想は「一族のため」へと収斂していくのだった。


「まあ外見の評価はそんなところとして。次にタツヤさんの中身ですけど」


「あれほどの男がこの世界のどこにいる?」


「これほどのことを成した者がこれまでの歴史にいましたか?」


 ディアとミカがそう口を揃え、一同が同意する。


「徒手空拳から始めて頭の回転と口先だけで百万の敵を皆殺しにし、三大陸最大の大国を築いてその国主になろうとしているのだ。これほど頼り甲斐のある男が他のどこにいる?」


 ディアがそう竜也を褒め讃えるが、


「……そんなところを評価してもタツヤは喜ばない」


 とラズワルドが口を挟む。カフラもそれに同意した。


「タツヤさんの望みは皇帝の地位や権力を抜きにして、男としての自分を認めてもらい、求めてもらうことなんです」


「……あの男は皇帝の地位を親から受け継いだわけじゃない。あの男自身が何もないところから、一から築き上げたものだろう? 何故それを抜きにする必要がある?」


 心底不思議そうなディアの問いに、


「……よく判らないけどタツヤはそう思っている」


 とラズワルドが答え、カフラも苦笑混じりに、


「……わたしもタツヤさんのその辺のこだわりを完全に理解しているわけじゃないです。でもとにかく、タツヤさんがそう思っていることは知っておくべきだと思います」


 腑に落ちたようには到底見えなかったが、ミカもディアもカフラの助言をともかくも聞き入れた。二人はそれぞれのやり方で一人の男について思いを巡らせていた。


「……ところでファイルーズ様、サフィールさん」


 会話を主導していたカフラがにやにやした笑みを浮かべながら話を変える。


「タツヤさんて、あっちの方はどうなんですか?」


「あっちとは?」


「それはもちろん、夜の営みのことです」


 サフィールが飲んでいたお茶にむせて咳き込み、ファイルーズは「あらあら」と笑ってごまかそうとした。


「そうだな、それはわたしも是非聞いておきたい」


 とディアが身を乗り出し、


「わたしも皇妃になるんですから今のうちに教えていただかないと」


 とカフラが追求する。ファイルーズは、


「タツヤ様は、優しくしてくださいますわよ?」


 と艶っぽい笑みを浮かべた。


「そこはもっと具体的に。――するって本当ですか?」


「むしろタツヤ様は――の方が好みみたいです」


「わたしは村の者に――と聞いたのだが」


 ファイルーズとカフラとディアが猥談に花を咲かせる。ミカは想像でのぼせ上がって鼻血を吹き出しそうになり、ラズワルドは無関心を装いつつもしっかりと耳を傾けていた。サフィールは困ったような顔で赤面し、


「わたしが月の障りのときはいつもサフィールさんが呼ばれていますわね」


「いやいやいやあのその」


「やっぱり相手によってやり方が違うんでしょうか?」


 時折話を振られて往生していた。乙女達の猥談は深夜遅くまで続けられることになる。

 翌朝。朝食時に竜也はファイルーズ達六人と食卓を囲むが、


「……」「……」「……」


「……何かあったか? ミカ」


「い、いえ?! な何もありません」


 六人の乙女達が自分を見る目にどこか意味深で生温かいものを感じる竜也だが、その原因は知る由もないことだった。





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