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黄金の帝国  作者: 亜蒼行
死闘篇
36/65

第二九話「皇帝の御座船」





 海暦三〇一六年ダムジの月(第四月)・一一日。

 ルサディルの惨劇から四ヶ月、ソロモン盟約締結から三ヶ月余り。聖槌軍先鋒のトルケマダ隊がスキラに到着したのが前日のことである。聖槌軍とヌビア軍がナハル川を挟んで対峙している。両者の激突が、血で血を洗う死闘が始まるのはもう間もなく――と思っていたらまだ始まらなかった。


「……攻めてこないな」


「そりゃ向こうにも準備とかあるだろう」


 総司令部で、野戦本部で、櫓の上で、船の上で。ナハル川南岸のあちこちで、似たような会話が数万回はくり返されただろう。

 竜也は情報を把握するために野戦本部に詰めている。そこに、北岸に偵察に送り出していたサドマ達が戻ってきた。


「連中、今日はスキラの町で略奪に忙しいようだ。とは言っても金目のものなど残っていないから町中に散って家探しにいそしんでいるらしい」


 サドマの報告に竜也が「なるほど」と納得する。


「連中が攻めてくるまでもう何日か必要かもしれないな」


 竜也の言葉にアミール・ダールが無言で頷いた。

 ……そしてそれから八日ほど後。

 聖槌軍と竜也の軍団が川を挟んで対峙している。両者の激突は、血で血を洗う死闘は、実は未だ始まっていなかった。


「……攻めてこないな」


「……いい加減待つのにも疲れたな」


 総司令部で、野戦本部で、櫓の上で、船の上で。ナハル川南岸のあちこちで、似たような会話がおそらく数十万回はくり返されたことだろう。

 普段はゲフェンの丘の総司令部で書類仕事をしている竜也だが、一日一回は野戦本部にやってきてアミール・ダール達から状況を報告してもらうのが最近の日課となっていた。竜也はアミール・ダール達とともに、北岸から戻ってきたダーラクから報告を聞く。


「聖槌軍が続々とスキラに集まっている。渡河のための船を造ろうとしているが木材が手に入らなくて苦労しているようだった。西の方に木材を集めに来ていた部隊を俺達で蹴散らしてやったが、追加の敵が次々とやってきたので逃げてきた」


「その辺はこちらの作戦通りか」


 竜也の言葉にダーラクが頷く。聖槌軍が到着する前に、スキラ市内の木造家屋はほとんどが解体されてサフィナ=クロイに移設され、スキラ周辺の木立は全て切り払われ、材木はバール人商会に引き渡されている。だが、スキラから少しばかり西に足を伸ばせば木が生えている場所はいくらでもあった。


「敵は今は渡河の準備に専念しているということか」


 アミール・ダールの言葉にダーラクが「ああ」と頷き、


「それでどうするのだ? 木材を採取しているときを狙って森に火を放つとか、攻撃のやりようはあると思うが」


「いや、それはまだだ」


 とアミール・ダールが首を横に振る。


「その攻撃はもっと大部隊を相手にしたときに使うべきだ。当面は現状を維持、敵に対しては嫌がらせ以上の攻撃は必要ない」


 ダーラクは面白くなさそうに肩をすくめるが、抗命するつもりもなさそうだった。

 ダーラクが退室した後、アミール・ダールが竜也に提案する。


「皇帝タツヤ、敵の様子を見に行きませんか」


 竜也はそれを受け入れ、二人は野戦本部を出て歩いていく。川沿いでは歩哨の他、数千の兵が群れ、北岸を望んでいる。道中竜也は歩きながらその兵の様子を注意深く伺った。

 竜也達は櫓の一つにやってきてその上に登る。見張りの兵には下りてもらい、櫓の上には竜也とアミール・ダールの二人だけとなった。


「――望遠鏡を使ってもスキラの様子は判らないな。敵の姿も見えない」


 ナハル川の川幅は一番狭いところでも一〇スタディア以上(約二キロメートル)ある。櫓の上からでも北岸の川岸はただ灰色に見えるだけだった。


「ですが、噂は嫌でも耳に入ります」


 竜也の呟きにアミール・ダールがそう応えた。


「スキラに入った聖槌軍の総数は十数万に達し、すでに我が軍を越えているだろうという話です。このまま敵兵が二〇万、三〇万と一方的に増え続けるのを待つことしかできないのか――将兵に焦りと不安が広がっています」


 竜也はアミール・ダールの言葉を吟味する。


「……こちらから攻撃を仕掛けるべきだ、ということか?」


 が、アミール・ダールは首を横に振った。


「こちらからではありません。敵に戦端を開かせたいのです。それも、一日でも早く」


「それは、難しい」


 思わず竜也は唸った。アミール・ダールも首肯する。


「確かにその通りです。今の時点では時間が味方しているのは聖槌軍の方です。待てば待つほど兵が集結し、敵は一方的に有利になる。こちらは敵が日一日と増強されるのを歯噛みして見守ることしかできない。焦りと待ち疲れで兵の士気は劣化していきます。今の時点で戦端を開く理由など、奴等にはない」


 アミール・ダールは嘆息して首を振った。


「このまま我が軍が待つことしかできず、最悪もし敵が全軍をもって、総力を挙げて渡河作戦を決行したなら……我が軍の将兵は敵の姿を見ただけで総崩れになるかもしれません」


 竜也はその光景を脳裏に思い描き、思わず身震いした。竜也はとりあえず思いつきを述べてみる。


「騎兵隊を使って敵を挑発するのは?」


「考えてみましたが、あまり上手くありません。正直言って、これは軍略というより謀略の範疇ではないかと思うのです。私はそちらは不得手なもので」


「なるほど、確かに」


 と竜也は納得した。


「――判った、こちらでも策を検討する。将軍の方も引き続き頼む」


 竜也の命令にアミール・ダールが頷いた。

 総司令部に戻ってきた竜也は執務室で一人になって、腕を組んでひたすら「うーん」と唸っている。そこにベラ=ラフマが入室してきた。


「皇帝タツヤ、奴隷商人のシャッルが来ています」


 竜也が「あの男が?」と首を傾げ、ベラ=ラフマが「はい」と頷いた。


「私が呼びました。シャッルは西ヌビアでトルケマダ隊と取引をしたことがあり、トルケマダとも面識があります」


 竜也は驚きと喜びを同時に表した。


「おお、そうか! すぐに行く!」


 竜也は執務室を飛び出し、大急ぎで応接室に向かう。数十秒後、応接室では竜也・ベラ=ラフマとシャッルが向かい合って座っていた。


「あなたは西ヌビアでトルケマダと取引をしていたと聞いた。あなたが今からスキラに行ってトルケマダと会うことは可能か?」


「はい、難しくはありません」


 シャッルは断言した。


「私が有する高級娼婦ばかりの娼館船。シジュリにいた頃はトルケマダはそこの上得意客でした。スキラに入港できるなら、トルケマダだけでなく聖槌軍の将軍全員を得意客にして見せましょう」


 シャッルは自信と余裕を持ってそう言い切る。竜也の目にもその言葉は嘘はないように思われた。


「あなたの目には、トルケマダという男はどのように見えた?」


「一見その辺のどこにでもいそうな、冴えない中年男ですが、実際の中身もただの愚物です。知恵も思慮もまるで足りておりません。同僚や競争相手を陥れるときだけ恐ろしく悪知恵が働くような男です」


 トルケマダについて知る限りのことを、竜也はシャッルにしゃべらせた。少ししゃべり疲れた様子のシャッルに竜也が指示を出す。


「……今日は助かった、礼を言う。まずあなたにはスキラへの入港とトルケマダへの接触を。トルケマダに対して謀略を仕掛ける。あなたにはそれに全面協力してもらうからそのつもりで」


「判りました」


 シャッルは躊躇なく頷き、意気揚々と総司令部を後にした。

 一方竜也とベラ=ラフマは執務室へと移動し、二人で謀略の具体的中身を検討する。


「百万タラントの金貨や一億アンフォラの麦の噂はトルケマダだって知っているだろうな」


「知らないはずがありませんし、評判通りのトルケマダの性格ならそれに目が眩まないわけがありません」


「でも、攻撃してこない」


 と竜也は肩をすくめた。


「確かに即座に戦いを仕掛けてきても不思議はありませんが、それをためらうだけの充分な理由もあります」


「ナハル川の川幅と南岸の要塞、それにヌビア軍か」


 竜也の言葉にベラ=ラフマが頷く。


「今必要なのはトルケマダにそれを乗り越えさせるだけの理由です」


 会話はそこで途切れ、竜也は「理由……」と一人呟いた。


「……百万タラントの金貨や一億アンフォラの麦は理由にはならないのか。噂じゃ弱いのか? この町には金銀財宝が唸っていることを具体的に見せて、ヌビア軍なんて敵じゃないと思わせて、今すぐ攻める必要を作って……」


 少しの時間をおいて、竜也の脳内で謀略の骨子が固まった。竜也はベラ=ラフマにそれを提示、何点かの修正が加えられる。


「――作戦としてはそんなものだろう。実行の手配は任せる。できるだけ早く実行できるよう進めてくれ」


「判りました」


 竜也の指示にベラ=ラフマが深々と頷いた。






 それから数日後の夜、スキラ港。

 その日、シャッルが娼館船でスキラに入港したので、トルケマダは別軍団の軍団長を引き連れてシャッルの船を訪れた。

 スキラにはトルケマダ隊の後続として各国の軍団が続々と到着しているが、それらの各軍団の軍団長は公式にはトルケマダより格上の者達ばかりである。が、異端討伐によりエレブ中に悪名をはせ、アンリ・ボケの右腕を自認し(アンリ・ボケの方は認めていないが)、聖槌軍の先鋒を任されたトルケマダには、彼等を圧倒するだけの権勢が存在していた。もっとも、トルケマダにはヴェルマンドワ伯ユーグのような王者の威風も枢機卿アンリ・ボケのような聖者の風格も、欠片も備わってはいない。


「あれは一種の狂人だ、下手に目を付けられたら何をされるか判らない」


「あの男に逆らったら枢機卿が出てきかねない。とにかく機嫌を損ねるな」


 彼が有しているのは腫れ物扱いの悪名と虎の威だけだが、それでも現時点のスキラにはトルケマダに逆らえる者は一人もいない。だが、それも今しばらくだけの話だった。


「間もなくディウティスク王がこの町に到着する。王弟や枢機卿猊下もいずれは到着するだろう。そうなればもう私の出る幕はどこにもない。今のうちに結果を出しておかなければ……」


 聖槌軍の先鋒として戦い続けてきたトルケマダだが、ヌビア軍に対しては一方的にやられたばかりでろくに戦果を挙げられなかった。金品の略奪でも大した成果は得られず(しかもその大半が食糧を買うためにバール人商会に支払われ、すでに消えている)失意のうちにスキラに到着してしまったのだ。


「できれば今すぐにでも川を渡って敵を攻撃したい。目に見える戦果を得たい、略奪をしたい、異教徒を殺したい。だが……」


 トルケマダにもそれがどれだけ無謀かは理解できる。今のトルケマダにできるのは渡河の準備を進めておくことと、先々を考えて自分の派閥を作っておくこと、それくらいだった。シャッルの娼館船に赴くのに主立った軍団長を誘ったのはその派閥作りのためである。

 誘われた軍団長は五人。モネリー、ポワシー、アールスト、ル・ピュイゼ、ジョフレという名のメンバーである。モネリー達としては、可能であればトルケマダとは距離を置きたかっただろう。だがそれが叶わない今、彼等にできるのは無邪気に大喜びをして見せ、精一杯の追従をすることくらいである。

 トルケマダの年齢は四〇代前後。低い身長と太った身体。髪の薄い、貧相な中年男だ。顔は丸く眼も細いが、容貌に福々しいところが欠片もない。陰険を絵に描いたような面立ちである。


「お待ちしておりました、トルケマダ様」


「シャッルか。今日も世話になるぞ」


 シャッルは最大限へりくだり、トルケマダはひっくり返らんばかりにそり返る。トルケマダとモネリー達五人の同行者を乗せた娼館船はゆっくりとスキラ港を離れ、沖へと進んでいった。船遊び程度に沖に出、湾を半周して翌朝にはスキラ港に戻ってくる予定になっている。

 トルケマダと共に来た軍団長達は、まず船に備え付けの葡萄酒や肉・果物を貪った。美しく着飾った娼婦達がトルケマダ達に寄り添い、酌をする。トルケマダ達は鼻の下を伸ばしたが、それでも空腹を満たすことが先決だった。

 たった六人で船の食料を食い尽くす勢いで貪り、酒樽を全て空にして、ようやくトルケマダ達は充足する。食欲が満たされれば次は性欲を満たす番である。が、


「……むぅ、いかんな」


 トルケマダはすっかり睡魔に取り憑かれていた。他の五人はとっくに夢の中に入っている。トルケマダは何とか睡魔に抗しようとした。


「夜はまだ長いです。少しだけ仮眠を取ってはいかがですか? 一刻ほどで起こします」


 娼婦の言葉に「そうか」と頷いたトルケマダはそのまま速やかに眠りに落ちていった。ぐっすりと寝入り、ちょっとやそっとのことでは目を覚ましそうにないだろう。

 眠り薬がよく効いていることを確認したシャッルと娼婦達はその表情を一変させた。愛想笑いの仮面をかなぐり捨て、その下からは獲物を前にした狩人のような、真剣な表情を現している。

 娼婦達が無言のまま視線でシャッルに問い、シャッルもまた無言のまま首を縦に振って返答する。娼婦とシャッル達は立てる物音も最小限に、事前に決められた役割に沿ってそれぞれに行動を開始した。






 次にトルケマダが目を覚ましたとき、そこはシャッルの娼館船の甲板の上だった。


(どこだ、ここは? どうして私はこんなところに)


 声を出そうとして気が付いた。口に猿ぐつわが噛まさせている。慌ててのけぞろうとして気が付いた。手足と胴体を荒縄で縛られ、身動き一つままならない。左右を見回せばモネリー達五人がトルケマダと全く同じ状態に陥っている。トルケマダより先に目を覚ました彼等が呻き、身をよじっている。そしてトルケマダのすぐ横にはシャッルが佇んでいた。


(シャッル! これはどういうことだ!)


 トルケマダが詰問するがそれは声にならなかった。が、シャッルにはトルケマダの言いたいことが理解できたようである。


「いえ、別段難しい話ではありません。今宵、ネゲヴの皇帝はこの湾で船遊びをしているとのこと。皆さんには私が皇帝に接見する際の手土産になってもらおうと思いまして」


 トルケマダは絶句する。モネリー達がわめこうとし、あるいは身体を海老のように跳ねさせた。だがシャッルは冷笑を浮かべてそれを見下ろすだけである。見ると、ネゲヴの軍船がシャッルの娼館船に接近している。それほど間を置かず、両者は接舷した。

 ……それからしばらくの後、トルケマダと五人の軍団長は皇帝の御座船の中にいた。トルケマダ達は乗り込んできたネゲヴ兵により荷物のように担がれ、連絡船に乗せられ、この御座船へと運搬されてきたのである。

 よく見ればその御座船がケムト式の軍船であることが判ったかもしれない。が、夜なので船影くらいしか判らなかったし、トルケマダ達にはそんな区別が付く知識はなかったし、そもそもそんなことを気にしていられる状況ではなかった。

 御座船に乗船したシャッルは玉座の間へと通された。玉座の間の中央で平伏するシャッルの横ではトルケマダ達が縛られたまま土下座の姿勢を取らされている。何とか逃げられないかと左右を見回してみても、玉座の間には槍と剣を持ったネゲヴ兵がずらりと並び、刺すような視線をトルケマダ達へと向けている。この場での逃亡は無謀と判断するしかなかった。トルケマダにできるのはひたすら身を縮めてとにかく生き延びられることを聖杖教の神に祈ることだけだ。

 トルケマダ達の正面には御簾がかかっておりその奥は見えない。御簾の右にはターバンを巻き、整った口髭をたくわえた偉丈夫が。左には右腕のない山賊みたいな男が、それぞれ屹立していた。おそらく口髭の男が将軍アミール・ダール、片腕の男が将軍マグドであるのだろう。そして、


「皇帝陛下のおなりー!」


 近衛兵の声と共に、正面にかかっていた御簾が巻き上げられる。トルケマダ達はわずかに顔を上げて皇帝の姿を目の当たりにする。そして、衝撃により頭の中を真っ白にした。

 ベッドのように巨大な、豪奢な玉座に皇帝が座り、皇帝に女達が侍っている。ベリーダンスの踊り子みたいな衣装の、肌も露わな、扇情的な、肉感的な女達。ベールにより顔は半ば隠されているが、どの女も美人であることは疑いない。皇帝の背中に、腕に、膝の上に、何人ものそれらの女がその身をすり寄せていた。

 皇帝自身は、未だ若い少年のような男だ。黒い絹の服を着、後頭部から細長い角を生やしている。だがその目は情欲に濁り、見るからに愚鈍だった。「本当に動けるのか」と疑うほどの量の、金銀宝石のありとあらゆる飾りを身につけている。十本の指に数十個の指輪を付けているため指が全く動かせないようだった。そのため侍る女達が手ずから皇帝に果物を食べさせ、葡萄酒を飲ませている。


「お前が、ええと、何とかという商人だな。先日はいいものを贈ってくれたな。受け取ってやったのだから感謝しろ」


 皇帝の面倒臭げな言葉に、


「はい。このシャッル感謝感激の窮みです」


 とシャッルは大真面目に答えた。


「それで? 今日は何を持ってきたのだ?」


「はい、この者達です」


 シャッルは誇らしげにトルケマダ達を指し示す。だが皇帝は怪訝と失望を半々に浮かべるだけである。


「何だ? その小汚いエレブ兵どもは」


「は、はい。この者こそ枢機卿アンリ・ボケの右腕、聖槌軍の先鋒を務めたトルケマダです。私はヌビア軍の戦いに寄与すべく、この者を罠にはめて捕縛したのです」


「なんだ、女ではないのか」


 皇帝は露骨に失望を示した。一方、片腕の将軍は哄笑する。


「ぎゃはははは! こいつは傑作だ! 皇帝、ちょうどいい。景気づけにこいつ等をここで血祭りにしちまいましょう!」


 また一方、口髭の将軍の反応は対照的だった。


「適当なことを申すな! 貴様ごときがどうして聖槌軍のあのトルケマダを捕縛できるというのだ!」


「いえ、それは……」


「大方、その辺で捕まえたエレブの騎士をトルケマダだと偽っているのだろう。――貴様が我が軍に売った麦袋、その下半分におがくずが詰まっていたことを私がもう忘れたとでも思ったのか?」


 シャッルは脂汗を流しながらも愛想笑いを浮かべ、媚びを売った。


「いえ、あれは単なる手違いでして、ですがこの者達がエレブの将軍であることに間違いは」


「貴様の言うことなど信用できるか!」


 アミール・ダールの一喝にシャッルは「は、はい」と平伏するしかない。トルケマダ達は「助かるのか……?」と密かな期待に胸を膨らませた。


「へっ、だがエレブ兵であることには違いないんだろう? なら殺そうぜ」


「下賤の者の血で陛下の御前を穢すな!」


 マグドがトルケマダを殺そうとし、アミール・ダールがそれを止める。二人の一言一言にトルケマダ達は一喜一憂した。


「それだからてめえは臆病者だって言うんだ! 南岸に貼り付いている兵士の大半は血も知らねえ素人ばっかりだ。度胸づけの一つもしないでまともに戦えるかよ!」


「金に飢えただけの傭兵達が何の役に立つか! 戦いが不利になれば真っ先に逃げ出すに決まっている!」


「素人の兵隊なんぞ、戦う前から逃げ出しているじゃねーか! 南岸の要塞なんぞ、見た目が立派なだけのただの張りぼてだ!」


「戦い慣れた傭兵は一万にも満たん。その数でどうやって百万の聖槌軍に抗するつもりだ! 素人の兵でも案山子かかしの代わりくらいにはなる。張りぼてと案山子で敵を怯ませて時間を稼ぎ、飢えにより行動不能なるのを待つ――我々の勝利はこれしかない!」


 アミール・ダールの言葉にマグドが沈黙する。そこに皇帝が口を挟んだ。


「二人とも、もうやめよ。その話は何度もくり返したことだ。軍の指揮は将軍アミール・ダールに全て任すが……将軍、やはり恩寵の戦士達はこちらに回してもらうぞ」


「お、お待ちください陛下! 戦い慣れた恩寵の戦士達は南岸の防衛の要です。それを引き抜かれては」


 アミール・ダールはうろたえるが、皇帝はそれを無視する。


「食糧庫と宝物庫をより南に移設する、そのための護衛が必要だ」


「南岸の防衛線を守ることに全力を注ぐべきです。今から破られたときのことを考えるべきでは」


「あと半月もあれば東の町からの義勇兵が到着する。それで埋め合わせはできるだろう」


 アミール・ダールはなおも「しかし」と抗弁するが、皇帝は「もう決めたことだ」と押し切った。

 その時点になってようやく皇帝はシャッルやトルケマダ達の存在を思い出した。


「なんだ、まだいたのか。もう下がれ。将軍はその雑兵どもを処分しておけ」


 了解しました、とアミール・ダールが頭を下げる。御簾が下げられ、皇帝との接見はそれで終了した。


「提督モタガトレス!」


「はい、なんざんしょ」


 アミール・ダールの声に応えたのは、相撲取りみたいな体格の巨漢だった。二メートルを超える巨体を特製の鎧で覆っている。髭を無造作に長く伸ばし、背中の半ばまで伸ばされた縮れた後ろ髪は鯨の背鰭みたいな形に油で固められていた。


「そのエレブ人どもをその辺の海に放り込んでおけ」


 アミール・ダールはそう言いつけて立ち去っていく。言いつけられたモタガトレスは、トルケマダ達を見下ろして嫌らしい笑みを浮かべた。

 ……その後、モタガトレスは兵士に命じてトルケマダ達六人を自分の船に運ばせた。そして今、トルケマダ達はモタガトレスとテーブルを挟んで向かい合っている。

 トルケマダ達を束縛していた縄は切られ、手も足も完全な自由である。テーブルの上には酒の入ったカップが置かれているが、トルケマダ達はそれに手を付けていない。一方のモタガトレスは手酌でビールを浴びるような勢いで飲んでいた。


「どうした、呑まんのか」


「……いや、今はいい」


 一同を代表してトルケマダが答えた。少しの沈黙を挟み、トルケマダが意を決して質問する。


「……何のつもりだ。どういうことだ」


「お前さんがあのトルケマダだというのは事実なのだろう?」


 トルケマダがそれを認めるのにはかなりの時間が必要だった。


「――その通りだ」


「スキラに戻ったならお前達はどのくらいの兵を動かせる? 三万か? 五万か?」


「それを聞いてどうするつもりだ」


 用心深いトルケマダの問いにモタガトレスは淡々と答えた。


「皇帝の軍は、ヌビア軍は聖槌軍には勝てはせん。負けが決まっている雇い主にいつまでもしがみついてはいられんからな。もらうものをもらって逃げることにする」


 モタガトレスがその表情を悪辣な笑みへと急変させる。


「この町の南には皇帝の宝物庫がある。金貨銀貨、金銀の延べ棒、宝石、金細工の貴重品、美術品……捨て値でさばいても数十万タラントにはなるだろう。そこを略奪したくはないか?」


「我が軍に協力すると?」


 その問いにモタガトレスは笑みを浮かべて頷いた。トルケマダの目の色が完全に変わっている。欲望の炎がトルケマダの目を光らせていた。それはモネリー達他の五人にしても同じである。


「お前達の総攻撃に合わせて俺の部下が町の各所に火を放つ。それでアミール・ダールも立ち往生だ」


「明日にでも……はさすがに無理か。だが三日あれば三万は動かせる」


「皇帝は近いうちに宝物を南に移動させる。のんびりとはしていられないぞ」


「我々だけですぐに動くべきだ。こんなうまい話に他の連中を加える必要はない」


「しかし、三万では厳しくないか?」


「宝物庫の確保は我々の任務だが、総攻撃には他の軍団も参加させるべきだろう」


「確かにその通りだ」


 トルケマダ達は作戦について熱意をこめて語り合っている。その胸中で渦を巻くのは煽りに煽られた欲望の炎だ。モタガトレスはトルケマダ達のその姿を嗤いを浮かべて見つめていた。






 時刻は若干さかのぼって、皇帝の御座船の、玉座の間。


「……提督モタガトレスの連絡船が離れます……離れました。遠ざかっていきます」


 窓から外を確認していた兵がそう報告し、


「皇帝、もういいでしょう」


 アミール・ダールがお芝居の終わりを告げる。途端に、玉座の間に弛緩した空気が流れた。竜也もまた先ほどまでとは違う弛緩の仕方をしている。兵達は凝った肩をほぐしながら、我慢していたおしゃべりを楽しんでいた。アミール・ダールとマグド(を演じていた役者)が竜也の側へとやってくる。


「二人とも、なかなかの名演技でしたよ」


 竜也の賞賛にアミール・ダールはいつもの調子で頷き、もう一方のジェルフという名のその男は「ま、こっちは本職ですからねぇ」と哄笑した。

 ジェルフは元々はガフサ鉱山で奴隷をしていたマグドの配下であり、右腕をなくしたのは鉱山での怪我によるものだった。竜也の屋台で串焼きを焼いていたのだが、ヤスミンの目にとまって一座にスカウトされたのだ。宣伝工作の寸劇でマグド役を演じていたのがこのジェルフであり、今回のお芝居のため竜也はヤスミンから彼を借り受けたのである。

 竜也は身動きしようとして、拘束するように身体中にぶら下がっているアクセサリーに閉口した。なお、それらの貴金属はサフィナ=クロイ南部の宝物庫に保管されている物の一部である。


「あ゛ー、動けねー。とりあえずこれ全部外してくれ」


 未だ竜也に侍っている女達に依頼。その侍女達はきゃいきゃいと嬌声を上げながら竜也の身体からアクセサリーを外していった。その際に自分達の身体をわざと押し付けてくるので、竜也は困惑するしかない。そこに、


「――皆さん」


 と威圧感のある微笑みを見せるファイルーズが姿を現し、侍女達は大慌てで竜也から離れていった。侍女達に代わりファイルーズと、一緒に姿を現したカフラやミカやサフィールが竜也の身体からアクセサリーを外していく。


「まーまー。これも作戦の一環だったんだから」


 と竜也はファイルーズを宥めた。そして侍女達に向かい、


「今日は嫌な役をやらせてすまなかった。それと協力してくれて助かった、感謝している」


 と頭を下げる。侍女達は恐縮の様子を見せた。


「お気になさらず、タツヤ様。どんな形であれタツヤ様に尽くすのがあの者達の役目なのですから」


 とファイルーズ。竜也に侍っていた女達はファイルーズの女官から選抜されたメンバーだったのだ。ケムトの女官は総じて肉感的なプロポーションをしているが、その中でも特にグラマーな者達が選ばれていた。

 未明の時間、サフィナ=クロイの港に皇帝の御座船が入港する。少し遅れてモタガトレスの軍船が入港した。竜也は引き続き玉座の間にいて、その場所でモタガトレスの報告を受けた。


「皇帝にも見てほしかったですぜ! この儂の名演技を!」


 モタガトレスはそう言って哄笑する。


「なんの、本職の儂にはかなわんでしょう!」


「いや、この儂だってヤスミン一座でもやっていける!」


 ジェルフとモタガトレスが妙な対抗意識を燃やしているのを竜也は苦笑しつつ「それはもとかく」と流した。竜也はモタガトレスと共に戻ってきたベラ=ラフマ、そしてラズワルドへと視線を向ける。


「それで、どうだった?」


「作戦は成功です。トルケマダはこちらの意図に全く気付いておりません」


 ベラ=ラフマの言葉に竜也は深々と安堵のため息をついた。だが、


「――『三日後。三日後には何としても川を渡る』。そうくり返していた」

 ラズワルドの言葉に、玉座の間が緊張感で満たされる。


「――そうか。三日後か」


 そう呟く竜也の目は、今ではない時間とここではない場所を見据えていた。





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