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黄金の帝国  作者: 亜蒼行
会盟篇
27/65

第二〇話「クロイの船」

 おひさしぶりです・お待たせしました。更新を再開します。




 本作は全体が六章で構成されていますが、そのうち前から二章はすでに投稿。中ほど二章の改訂がようやく終わりました。後ろの二章の改訂にはこれから取りかかるところです。

 予定では最後まで改訂が終わってから一気に投稿するつもりだったのですが、思ったよりも時間がかかりそうだし、これ以上間が空くのもどうかとも思い、見切り発車で中ほどの二章を投稿してしまいます。しばらくおつきあいのほどをお願いします。


 毎週火・木・土の21時更新の予定です。

 年も新しくなり、海暦三〇一六年ニサヌの月(第一月)・一日。通常ならスキラは新年の祭で大賑わいなところだが、空前の大戦争を目前としたスキラにそんな余裕があるはずもなかった。

 ナハル川南岸では各種工事が進められている。岸辺では要塞化工事。平地では森を切り払い、田畑を潰して町の建設。そしてゲフェンの丘では仮設政庁が建設されようとしていた。


「力を入れろー! せーの!」


 一隻の船が陸地を移動している。千人以上の人足が集まってその船を引っ張っているのだ。船は傾かないよう台に乗せられ、台の下には何十本もの丸太が敷かれている。人足は力の限り綱を引き、船を丘の上へと引きずり上げようとしていた。


「ルサディルの祭を思い出すな」


 竜也はその様子を眺めて感慨にふけっている。ルサディルの春祭りに参加してから二年足らず。二年後にはスキラで独裁官となり、百万の敵を相手に戦争をすることになるとは、その当時には妄想すらできなかった。


「順調に進んでいますわね」


 竜也の隣にはファイルーズがいて同じく作業を見守っている。竜也は「ああ」と頷いた。


「広くはないけど、調度品を整えればそれなりに快適に暮らせるだろう」


「ご心配なく。ケムトからは船で来たのですから船室暮らしには慣れていますわ」


 それもそうかと竜也は納得する。現在陸上を移動中の船は竜也がルサディルから乗ってきた船である。船底に穴が空いて使い物にならなくなったその船を、竜也はファイルーズ達の行宮にしようとしているのだ。


「他にも廃船にする船や古い船を買い取って、ここに並べて独裁官の仮設政庁にする」


 竜也のその指示に従ってスキラ中から、スキラ近隣の町々から廃船寸前の古い船が集められていた。

 ファイルーズの行宮となる船は翌日には設置作業を完了した。ゲフェンの丘はナハル川と海の双方に面しており、その頂上に安置されたその船は遠く海からでもその姿を認めることができる。その船はスキラを目指す船乗りにとってちょうどいい目印となった。


「おい、あんなところに船があるぞ」


「ありゃ何だ?」


「知らないのか? あれが独裁官クロイの船だ」


 そんな会話が無数の船の上でくり返され、


「よし、クロイの船(サフィナ=クロイ)が見えてきたぞ」


 その船が「サフィナ=クロイ」の名で呼ばれるようになるのにそれほど時間はかからなかった。

 船の設置作業は終わったがファイルーズ達は未だスキラ市内に留まったままである。竜也もまたスキラ市内で独裁官としての執務に従事していた。さすがに「マラルの珈琲店」からは退出し、今はソロモン館に拠点を移している。

 ギーラはスキラ会議の事務局を自分直属の配下とし、自分の官僚として実務に当たらせていたが、竜也はそれをそのまま迎え入れた。独裁官の幕下で実務に携わる官僚達、独裁官の意志を実務面で実現する組織――竜也はその組織を「独裁官総司令部」と名付けている。今、竜也の執務室には総司令部に属する官僚達が顔を揃えていた。


「ギーラの作った都市計画書があったな。あれを元にナハル川南岸を整備しよう。もちろん一足飛びにあんな都市を作るわけじゃないけど、戦後はああいう町にできるように道路の区画はそのまま使って」


「よろしいのですか?」


 と訊ねるのはラティーフだ。調整型の政治家として優秀なラティーフは総司令部全体のまとめ役を引き受けていた。


「よくできている計画だと思ったけど、何か問題でも?」


 不思議そうに問い返す竜也にラティーフは「いえ、何も」と返答した。問題になるとするなら竜也の誇りやギーラに対する反感くらいのものなのだが、竜也にはそういう感覚がすっぽり抜け落ちているかのようだった。


「それでどうやって町を作るかだけど、当面は掘っ立て小屋でも何でもいいから避難民を受けている建物がとにかく必要になると思うんだ。問題はそれをどうするかだけど……」


 途方に暮れたかのようになる竜也の前に、一人の男が進み出た。年齢は三〇代に入ったばかり。セム系と思しき白人である。少し垂れ目なところが愛嬌の、なかなかの色男だ。その男はバリアという名前のアシュー人であり、ギーラの命令でギーラ=マグナ建設計画を立案した張本人だった。


「独裁官のご指示通り、ネゲヴ全土の商会連盟に協力を要請して中古船・廃船をスキラに集めるよう手配をしています。これらの船は主にゲフェンの丘に配置して政庁の建物代わりに使う予定です。次に、同じく商会連盟に協力を要請してネゲヴ中の木材を確保しようとしています。木材がなければ小屋すら建てることもできませんから」


「木材ならちょっと南に行けばいくらでも生えているように思えるけど……」


「切り出したばかりの木材は大量の水分を含んでいます。しっかり乾燥させなければ割れたり変形したりしてしまうのです」


 そう言えばそうだった、と竜也は赤面した。竜也はごまかすように、


「それでも、調達できる木材には限りがあるんじゃ?」


「もちろんその通りです。そこで、スキラの建物を解体して南岸に移設します。これが主要な建物の供給方法になるでしょう。当面はスキラだけですが先々はスファチェやハドゥルメトゥムの建物の移設も必要になるかと思います」


 その案に竜也は難しい顔をする。


「……建物をそっくりそのまま移設なんて、時間的にも費用的にも不可能だろう? そうなると、要するに人が住んでいる建物を解体して使える建材を取り出して使えない部分は捨てる、ってことになるんじゃ?」


 竜也の懸念にバリアは「まさしくその通りです」と頷いた。竜也はますます難しい顔をする。


「そうなると、どんなに楽観的に計算しても二軒の家を解体して建てられるのは一軒の家。スキラより西からも避難民がやってくるわけだから、そこに何家族も暮らすことになるわけか」


 竜也の予想にラティーフが「おそらくそうなるでしょうな」と頷いた。竜也は暗澹たる表情となってしまう。


「スキラ市民に、それをどうやって納得させる……?」


 ラティーフ達は竜也と似たような表情を見合わせた。少し間が空いて、バリアが提案する。


「やるべきことはいくらでもあります。できることから手をつけて、難しいことは後回しにしましょう。まずは道路と区画整備からです」


「そうだな。それと同時にナーフィア商会等の大商会に自力で移動してもらって」


「利に敏いバール人が移動するのを見れば市民も『避難しなければ』と思うようになるだろう。そうなれば市民の納得も少しは得やすくなるはずだ」


 バリアやラティーフ達の結論を竜也は「判った、それでいこう」と受け入れた。


「ああ、一つ付け加えておくけど、聖槌軍がこの町に到着したなら船を造ってナハル川を渡ろうとするだろう。それを阻止するためにもこの町に木材や木立を残したままにはしておけない」


「判りました、それも手配しておきます」


 ラティーフの返答に竜也は一応の満足を見せた。竜也は続けて、


「それで、次に必要となるのは?」


「金です。金が足りません」


 そう言い出したのはアアドルという初老のバール人である。アアドルはスキラ商会連盟の金融部門に長年勤めてきた金融と財政のプロであり、その経験を買われて総司令部に招かれていた。


「南岸を要塞化するにしても、中古船や木材を集めるにしても、スキラの建物を移設するにしても、とにかく金が必要です」


「各町の商会連盟や東ネゲヴの各町に資金供出を要請していると思うんだが」


 と竜也は首を傾げ、アアドルは首を横に振った。


「順調に供出されるとは限りませんし、供出されたとしてもそれがスキラに到着するのに一、二ヶ月。場合によってはもっとかかるでしょう。下手をするとその頃にはすでに聖槌軍がスキラに到着しているかもしれません」


 それじゃ意味がないだろう、と竜也は憮然としつつ、


「なら、どうすれば?」


「てっとり早いのは借金です。独裁官名義で公債を発行し、各商会、商会連盟、各町に買わせます。先々には供出金と相殺ということになるかと思いますが」


「判った、それでいこう」


 竜也は即答するが、アアドルがそれに反応するのに若干の間が空いた。


「独裁官名義の公債、と言えば聞こえはいいですが、要するにクロイ・タツヤ個人名義の借金ですよ? 先々には精算するといっても」


「構わない。それでやってくれ」


 だが竜也の姿勢には何らの変化もなかった。アアドルは深々と頷き一歩退いた。








「タツヤ様、夕食の用意ができましたわ」


 ソロモン館の執務室で書類仕事を続ける竜也の元にファイルーズがやってくた。竜也はファイルーズの案内で食堂へと向かう。食堂のテーブルに並んでいたのは香辛料を利かせた鳩の丸焼きやビール等、豪華絢爛な料理の数々。それらはファイルーズが自分の女官に用意させたものである。


「さあ、たくさん召し上がってください」


「あ、ありがとう」


 竜也は頬を引きつらせながらも笑顔を見せた。竜也は、


「一人じゃ食べ切れそうにないからみんなで一緒に食べよう」


 とファイルーズだけでなくミカやカフラ、サフィールやラズワルドを呼んで食事を共にさせる。さらに、


「今は戦時なんだからあまり無駄遣いするのは……食事なんて飢え死にしなければそれでいいから」


 やんわりとながら釘を刺すのも忘れなかった。


「……まだ半月も経ってないけど、今のところ大きな問題はないみたいだな」


 竜也は冷や水を舐めるように飲みつつ一同に確認する。


「評判いいですよ、タツヤさん。『ギーラさんのときには全く進まなかった物事が急に進むようになった』って、皆さん口を揃えています」


 と我が事のように喜んでいるのはカフラだ。カフラは美味しいビールを飲んで上機嫌のようだった。


「比較の対象が悪すぎるだけですが、それを抜きにしてもよくやっている方だと言えるでしょう」


 とミカは辛口ながらも竜也を評価した。口にしているのも香辛料で辛口となった野菜スープだ。


「仕事をしているのは総司令部のみんなだし、俺は報告を聞いて書類に署名しているだけなんだけど」


「些末なことは部下任せにすればいいのです。タツヤ様のお仕事は決断をすることと、責任を取ること。その二つだけですわ」


 ファイルーズは柔らかく微笑みながらなかなか過酷な要求を突きつけてくる。竜也は引きつったような笑いを浮かべていた。ファイルーズが食べているのは果物だ。サフィールは野性に帰ったかのように鳩肉を貪っているし、ラズワルドは砂糖と蜂蜜をふんだんに使ったパンケーキに夢中である。

 カフラが言うように、ギーラが臨時独裁官だったときには滞っていた様々な事業、業務がここに来て一気に進むようになっている。ギーラが得られなかったアミール・ダールやマグド、バール人商会や商会連盟、各町の全面協力が得られるようになった要因はもちろん大きい。ギーラの代は官僚達も次から次へと湧いてくる無数の問題に振り回されるばかりでまともに対処できなかったが、竜也の代にはその失敗や試行錯誤の経験を生かして問題に取り組めるようになった、という要因もある。だが最大の理由は独裁官名義で公債を発行できるようになったことだった。


「ギーラさんの名前じゃ誰も公債を引き受けようとはしませんでしたからね。それにそもそも、いくら必要だって言われてもギーラさんは他人のために自分名義の借金をしようとはしませんでしたし」


「ですが、むしろそれが普通です。わたしだって同じことを要求されたらためらいます」


 先物取引で得られた利益と、西ネゲヴでの金品預かり事業。それが「竜也に返済能力がある」と判断される背景である。竜也自身もその二点があることを理解した上での公債発行の決断なのだが、


「例えそれがあるとしても、何万タラントになるかも判らない借金を個人で引き受けられるタツヤはどこか突き抜けていると思います」


 ミカはそう思わずにはいられなかった。

 夕食はなごやかに終わるが結局用意された食事の大半はサフィールやファイルーズ達が食べ、竜也が口にしたのはごくわずかだった。


「お口に合いませんでしたか?」


「いや、そんなことない。美味しかったよ」


 ファイルーズの問いに竜也は取り繕ってそう答える。だがファイルーズは表情を曇らせたままだった。

 それからしばらくの時間を置いて。女官に夕食の後片付けをさせたファイルーズがもう一度執務室に行こうとする。その途中で食事を運ぶラズワルドの姿を見出した。盆の上に乗っているのはパンと珈琲、干し肉や果物で、ファイルーズの目から見ればウサギのエサみたいに貧相な代物である。その食事を持って、ラズワルドは執務室へと向かっている。ファイルーズは気付かれないよう注意してラズワルドの後を付けた。

 ラズワルドが執務室へと入り、ファイルーズは扉の隙間からこっそりと室内の様子を伺う。見ると、ラズワルドの用意した食事を竜也が美味しそうに食べているところだった。


「助かったよ、ラズワルド」


「ん、構わない」


 食事は五分もかからずあっと言う間に終了する。竜也はようやく充足し切った顔をした。


「タツヤは味付けの濃い料理が嫌いなのに。あの女もタツヤの好みを理解すべき」


 そう言いながら、ラズワルドはファイルーズに見せつけるように嘲笑を浮かべる。


「こっちじゃあの味付けが一般的なんだろ。俺がこっちの味付けに慣れるのが筋ってもんだ」


 竜也のフォローの言葉もファイルーズの耳に届いているが、あまり頭には入らなかった。ファイルーズは身を翻して執務室から離れていく。


「……勝った」


 と小さくガッツポーズを取るラズワルド。


「? 何がだ?」


「ん、何でもない」


 遠ざかるファイルーズの気配を、ラズワルドは勝利の余韻と共に味わっていた。

 一方のファイルーズだが、彼女は自分付きの女官が寝泊まりしている部屋へといきなり乗り込んだ。


「おほほほ、皆様ご機嫌よう」


 突然現れて妙に威圧感のある微笑みを見せる自分達の主人に、女官達は心身を硬直させる。


「ハディージャさん」


「は、はい」


 ファイルーズが今夜の夕食を用意した女官に視線を向け、その女官が大急ぎで起立する。


「明日はスキラ市内を回って、今スキラで評判の料理人の料理を見てきてください。わたしはカフラさん達からタツヤ様の食事の好みについて伺います」


「わ、判りました」


(戦いはまだまだ始まったばかりですよ、ラズワルドさん)


 静かに闘志を燃やすファイルーズを、女官達は呆然としながら見つめていた。








 竜也にとっての仕事の大半は官僚達が提出する書類に目を通してサインをすることだが、もちろんそれだけではない。聖槌軍と戦うため、避難民を救うため、竜也自身が必要と判断するあらゆる手段を尽くしている。

 その日、竜也はガリーブをソロモン館に呼び出していた。


「ゴリアテ号と同クラスの輸送艦を建造してほしい」


「おお、判った!」


 と胸を叩くガリーブ。


「問題点は洗い出した! 設計図も修正したぞ! これだ!」


 竜也はガリーブの差し出す設計図を受け取り、ざっと目を通した。


「じゃあこれで建造してくれ。とりあえず一〇隻」


「お、おお……?」


 ガリーブが戸惑いを見せ、同席しているアアドル達が唖然とした。竜也は構わず続ける。


「納期は一年だ。とりあえず一年で一〇隻」


「いやちょっと待ってくれ」


 さすがにガリーブが口を挟んできた。


「ゴリアテ号を建造するのに二年以上かかったんだぞ? その期間を二〇倍に短縮しろというのは」


「別に一隻ずつ造る必要はない。ナハル川南岸に造船所を造って、五隻くらいを同時に造ればいい。ネゲヴ中の船大工を集めて、手伝いの人間は難民から募って、一隻に千人もいればいいか? それで半年に一隻、一年で二隻掛ける五で一〇隻だ」


 ガリーブは「いや、それでも……」と口ごもるが、竜也は説明を畳み掛けた。


「あくまで軍艦、輸送艦だ。装飾は一切不要だし内装も必要最低限でいい。それと、部品を可能な限り共通化する。あと、俺が元いた場所じゃブロック工法という建造方法が採られていた。船体を部分ごとに分けて同時に建造を開始し、最後に合体させて完成させるんだ。そのままの適用は無理でも考え方は使えるだろう?」


 竜也は設計図を指差しながら部品の共通化とブロック工法について説明した。ガリーブは竜也の説明に目を輝かせる。


「なるほど、確かにそれならかなり短縮できる! それでも半年は難しいかもしれんが、ともかくやってみよう!」


「すぐにでも準備に取りかかってくれ。俺は造船所の建設を手配させる」


「判った!」


 また別の日、竜也の前に並んでいるのは海賊そのものといった凶悪な面相の男達、あるいは歴戦の戦士といった太々しい面構えの男達だ。その日ソロモン館に集められたのはネゲヴ海軍の提督達。髑髏船団のスキラ居残り組、および東西ネゲヴの主立った海上傭兵団、その首領達だった。


「聖槌軍と戦うにはあなた達の力が必要不可欠だ。よろしく頼む」


「いえいえ、こちらこそ」


 そう言ってにこにこ笑うのはハーディという五〇代の男だった。不在のガイル=ラベクに代わって髑髏船団の首領役を務めている人物だが、一見では(十見しようと)海賊や傭兵には到底見えない。第一印象は「温厚な商人」以外の何物でもなかった。


「うちの首領が戻ってくるまでは私が皆さんのまとめ役をやらせてもらっています」


「総司令部が雇った海上傭兵団全体の指揮をハーディさんが担っている、ということか?」


 竜也の確認に「はい」と頷く。周囲の傭兵達も特に不満はないようだった。


「船の能力や団の大きさに応じて役目を振り分けています。まず足の速い船を集めて、東西ネゲヴ・エレブとの連絡網の整備をしています。次に輸送能力の高い船を集めて、避難民の移動や、アドラル山脈方面に逃げた避難民への食糧の輸送を担当します。最後に戦闘能力の高い船を集めて、海上封鎖します」


「聖槌軍にはエレブからの補給を許すな」


 竜也の命令に傭兵達が頷いた。ハーディもまたその笑い顔に何らの変化も示さず「はい、もちろん」と頷く。だがその目は強い戦意を放っていた。

 また別の日、ニサヌの月も中旬のソロモン館。その日竜也はベラ=ラフマとファイルーズを伴い、ある人物と会談を持っていた。テーブルを挟んで竜也の目の前にいるのは三〇過ぎの実直そうな男である。身にしているのはケムト風の装束だ。


「ご苦労さまでした、イムホテプさん」


「いえ、とんでもない」


 ファイルーズのねぎらいにイムホテプは恐縮する。イムホテプはホルエムヘブの代理としてエレブに赴き、今日スキラに戻ってきたところだった。


「西ネゲヴはエレブの勢力圏として認める代わりに東ネゲヴをケムトの勢力圏として認めさせる、そういう協定を聖槌軍と結ぶ――あなたは特使ホルエムヘブからそれを命じられてエレブに行って、戻ってきた」


 竜也の確認にイムホテプは頷く。


「エレブの狂信者どもに媚びを売るのは屈辱の極みですし、私もこんな任務を決して好んで引き受けたわけではありません。ですが、奴等はあまりに強大です。それでケムトの安全が確保できるのなら、宰相プタハヘテプがネゲヴの半分を譲り渡そうとするのもやむを得ないことかと」


「宰相の立場としてはそうするしかない、というのはわたしにも判りますわ。あなたがつらい立場にあることも」


 イムホテプの言い訳にファイルーズが理解を示し、イムホテプは嬉しそうな様子を見せた。その上で竜也が厳しい口調で告げる。


「ケムトが西ネゲヴを見捨てることは自由だが、それなら西ネゲヴが聖槌軍に徹底抗戦することもまた自由だ。それは判るな?」


 イムホテプは硬い表情で「ええ、もちろん」と頷いた。


「西ネゲヴを先に切り捨てた我々に『大人しくエレブ人の奴隷になっていろ』等と言う権利があるはずもありません」


「それもありますが、西ネゲヴが大人しく聖槌軍に隷従するよりは徹底抗戦した方がケムトにとっては都合がいいでしょう。聖槌軍が消耗すればそれだけケムトが有利となりますから」


 ベラ=ラフマの指摘にイムホテプは回答に詰まってしまう。その指摘はまさに正鵠を射ていたが、おおっぴらにそれを肯定できるほどイムホテプは恥知らずにはなれなかった。

 竜也は「要するに、だ」と不敵に笑う。


「俺達が聖槌軍と戦うことはケムトにとっては有利になっても不利にはならない。あなたが王女ファイルーズや俺達に全面協力しても、宰相プタハヘテプや特使ホルエムヘブにとっては予定の範囲内のことなわけだ」


 イムホテプは胸をなで下ろしながら「はい、その通りです」と頷いた。


「前置きが長くなったが、聞かせてほしい。聖槌軍との交渉はどうなったんだ?」


「今回は結果らしい結果は出ませんでした」


 イムホテプはまず結論を述べた。


「ネゲヴを東西に分割して勢力範囲を決めることを申し出たのですが、エレブ人は『我々単独でネゲヴ全土を占領できる』と強硬な主張を繰り返すばかりで……まあ半分くらいは交渉術の一環でしょうが」


「今回はとりあえず交渉の窓口を作った、というところですか」


 ベラ=ラフマの言葉にイムホテプが頷く。


「聖槌軍の誰と交渉を?」


「フランク王国王弟ヴェルマンドワ伯という男です。時間はかかりましたが何とか最上位の人間を交渉の場に引きずり出すことができました」


「エレブ人は、ヴェルマンドワ伯はネゲヴ情勢についてどの程度知識があるんだ?」


「ネゲヴの町は形式上ケムト王に臣従しているが、実質はそれぞれが独立した自治都市――それなりに正しい知識を持っているようです。ネゲヴの諸都市が合議で独裁官を選出して聖槌軍と戦おうとしていることも知られています」


 竜也は少し考え、また別の質問をする。


「ヴェルマンドワ伯から何か要求は?」


「ケムト海軍による食糧補給を真っ先に要求してきました。それと、モーゼの杖を」


 モーゼの杖?と不思議そうな顔のファイルーズにイムホテプが説明する。


「はい。メン=ネフェルにある聖モーゼ教会、ここには聖杖教徒の聖遺物・モーゼの杖が残っているそうです。同教会から杖を『取り戻す』のは、歴代教皇の永年の悲願なのだとか」


「その話なら聞いたことがある。でもアンリ・ボケだけじゃなくてヴェルマンドワ伯もそれを要求するのか」


 竜也の疑問に答えたのはベラ=ラフマだ。


「ヴェルマンドワ伯は聖戦に対して懐疑的だと聞いています。聖戦の大義の一つであるモーゼの杖を手に入れられたなら、この戦争を適当なところで切り上げることもできる――ヴェルマンドワ伯はそのように考えているのではないでしょうか」


「なるほど。ヴェルマンドワ伯にとっては信仰の対象ではなく、あくまで政争の具に過ぎないわけか」


 竜也の理解をベラ=ラフマは「その通りです」と肯定した。そして、


「同じことは我々にも言えます。食糧補給の要求など飲めるはずもありませんが、杖一本くらいなら要求に応えることも検討すべきかと」


「ですが、その杖はその教会にとっては信仰の依り代なのでしょう? 果たして譲渡していただけるものでしょうか?」


 ファイルーズはそう言って眉を寄せた。


「どこかの王様のところに行って、王冠を寄越せと言うようなものです。普通に考えれば無理でしょう。王命として強引に奪い取ることもできなくはないでしょうが」


「そこまでして要求に応える必要はあるのでしょうか?」


 イムホテプとファイルーズの検討を聞き、竜也が決断を下した。


「……聖槌軍に対する交渉材料は手にしておく必要がある。今すぐは役に立たなくてもいつか役に立つ場面がやってくる」


 竜也の判断をベラ=ラフマとイムホテプは了解した。一方ファイルーズは、


「杖を無理矢理奪い取るのですか? あまり乱暴なことは……」


 その懸念に対し竜也が答える。


「判っている、杖は別に本物でなくていい。聖モーゼ教会にも協力させて、本物そっくりの杖を用意すればいい」


「偽物でだますのですか?」


 ファイルーズが驚きに目を見開き、竜也は悪辣そうな笑みを見せた。


「三千年前の伝説上の人物が使っていた杖が、四百年前に突然見つかったんだろう? だったら今年になってもう一本や二本見つかったって別段不思議なことはない。どんな杖であれ聖モーゼ教会が『これは本物だ』って保証してくれるなら俺達がそれを否定する理由はないんじゃないか?」


 ファイルーズは少し間を置いて「確かにその通りですわ」とにっこり笑った。


「ですが、エレブ人には余計な疑念を抱かれないようにする必要はあります」


 それはもちろんだ、と竜也は頷く。


「聖モーゼ教会には『杖を無理矢理取り上げられた』って言わせろ。『渡したのは偽物で、本物はずっと隠していた』と言っていいのはこの戦争が終わってからだ」


 竜也の指示にイムホテプは頷いた。イムホテプは部下の一人に命令を下し、数日のうちにケムトへと送り出した。








 イムホテプは部下のうち一部をケムトへと送り返し、一部をエレブへと送り出している。そうでありながらイムホテプの部下は増える一方だった。


「本日まででこれだけの者が集まりました。このうちファイルーズ様付きの女官となる者はこちらの名簿となります」


「はい。ありがとうございます」


 宰相プタハヘテプの方針に反発してケムトを飛び出してきた官僚や軍人、ファイルーズを慕ってスキラまで追いかけてきた女官や巫女、西ネゲヴから避難してきた太陽神殿の神官。そんな面々がイムホテプの元に集まっているのだ。


「王女ファイルーズがエレブの蛮族と戦おうというのにケムトに留まっているなど、末代までの恥です! どうか我々も戦列にお加えください!」


「あなた達の助力をありがたく思う。ネゲヴを守るために一緒に戦ってくれ」


 竜也はもちろんそれを喜んで迎え入れた。有能な官僚は総司令部に配属され、優秀な指揮官はアミール・ダールの下に預けられる。ケムト人の一団は総司令部の機能向上とネゲヴ軍の戦力増強に大きく寄与していた。

 ニサヌの月も下旬となる頃にはナハル川南岸の整備も大分進んできたので、またスキラ市民の避難を促すという理由もあり、竜也は総司令部をソロモン館からゲフェンの丘の上に移動させた。ゲフェンの丘には何隻もの船が並んでおり、そこに官僚が書類を、人足が荷物を運び込んでいる。


「これが王女ファイルーズの行宮……」


「まあ住み心地は悪くなさそうですね」


 竜也達は丘の上に並ぶ船の中で一番海に近い場所にある船の前に集まっている。その船ではファイルーズの女官、現地雇いの侍女が大勢集まって掃除や荷物の運び込みを進めていた。船内の飾り付けもケムト風であり、まるでケムトの王宮がそのまま引っ越してきたかのようだった。


「警備の都合もあるからミカにもここに入ってもらう」


 竜也の言葉にミカは頷きファイルーズは「はい、歓迎しますわ」と笑顔を見せた。


「ついでにわたしもここに入っちゃいます」


 と言い出したのはカフラである。竜也はわずかに戸惑いながらも「そうか」と頷き、ファイルーズも、


「ええ、もちろん構いませんわ」


 少なくとも表面上はにこやかにカフラを受け入れた。


「船の外側はともかく内側の警備は女の人がいいだろう? 牙犬族の女剣士を呼べるだけ呼んでもらっている。警備隊長はサフィールだ」


 竜也の言葉を受けてサフィールが一応頷くが、


「それで、タツヤ殿はどこに住むおつもりですか?」


「俺とラズワルドの部屋はそっちに」


 と竜也は総司令部の入っている船を指差し、サフィールは不満そうな表情をした。


「わたしはタツヤ殿の護衛です。そんなに離れていては護衛になりません」


「いや、俺の護衛ならバルゼルさん達もいるし、サフィールには王女を守ってもらわないと」


「わたしでなくても王女の護衛はできます。わたしはタツヤ殿を守りたいのです」


 竜也は困惑しながらもサフィールを説得しようとし、


「さ……」


 サフィールの瞳に涙がたまっているのを見て言葉を詰まらせた。


「……タツヤ殿はわたしがルサディルでどれだけ後悔したか判りますか? ツァイド殿だけでなくわたしもタツヤ殿についていけば、タツヤ殿をあれほど危険な目に遭わせずに済んだのです。あのときわたしは誓ったのです、もう何があってもタツヤ殿のお側を離れはしないと」


 サフィールの真摯な眼差しを向けられ、竜也は沈黙する。どう言ってサフィールを翻意させるかかなりの時間検討するが、結局その言葉は見つからなかった。


(……まあいいか、これまで通りにラズワルドの護衛も兼ねるってことにすれば)


 そう言おうとする竜也を先制するようにファイルーズが提案する。


「それでしたらタツヤ様もこの船に住めばよろしいのですわ」


 竜也が唖然とし、ミカが「え、それは」と焦る一方、


「ああ、それはいい考えですね!」


「そうですね。わたしもそっちの方が都合がいいです」


 カフラは様々な思惑の元に、サフィールは特に考えはなくその提案を肯定した。ラズワルドは何も言わないがその機嫌が斜めどころでなく一気に傾げている。


「ちょっと待て。俺はこの船を男子禁制にするつもりで、それじゃ意味が」


「大丈夫です、タツヤ様以外の殿方はこの船には入れませんから」


 何がどう大丈夫なんだ!と言いたいのを竜也はぐっと堪えた。竜也は深呼吸をして冷静になろうとする。


「……いや、俺がその船に住んだなら下世話な人間に何を言われるか判らないだろう? 王女ファイルーズやミカやカフラにだって迷惑がかかるし」


「わたし達がタツヤさんのお手つきになっているって噂を心配しているんですか?」


 カフラの言葉に竜也はやや気まずそうに頷くが、


「でも、もう遅いですよ? 随分前からそういう風に見られていますから、わたし達」


 衝撃のあまり竜也は顎が外れたような顔をした。その顔をファイルーズやミカへと向けるが、二人ともカフラの言葉を否定しない。


「……まあ、今の時点でそうなっていると思っているのはよほどの下郎だけでしょう。ですが、いずれはそうなるとほとんどの者が思っているのは確かです」


 ミカは気まずさと恥ずかしさを半々にした表情でそう言う。ファイルーズは普段と寸分変わらぬ華やかな笑顔である。


「わたし達もその見方を助長はしても否定はしませんでしたから」


 どうして、と問いたげな竜也にファイルーズはにこやかに説明した。


「それがタツヤ様に必要だからです。わたし達と強いつながりを持っているという事実が」


 竜也が事態を理解するにはその一言で充分だった。


「……ギーラが王女達の身柄を求めたのと同じことか。マゴルで根なし草の俺が独裁官として認められるにはそれが必要ってことか」


 ファイルーズにはケムトの権威、ミカにはアミール・ダールの武力、カフラにはナーフィア商会の財力。彼女達とのつながりがあるからこそ、それを背景にしているからこそ竜也は独裁官でいられるのだ。だが、それと引き替えなのがファイルーズ達三人の評判だった。例えそういう事実がなかろうと、竜也のためにファイルーズ達三人がこの先女として傷物扱いされるのは間違いなかった。


「……俺はどうしたら」


 そこまで理解した竜也は気を沈ませた。全身に何トンもの重りがのしかかっているかのようだ。身体が地面に沈んでいかないのが不思議なくらいだった。


「タツヤ様がお気になさることではありませんわ」


「そうですよ」


 ファイルーズは竜也を気遣うよう笑みを見せ、カフラもそれに倣った。だが満面の笑みで「でも」と付け加える。


「責任は取ってくださいね?」


 竜也は会心の一撃を食らったかのように崩れ落ち、失意体前屈の姿勢となった。サフィールはうろたえているがファイルーズ達は気にも留めていない。ファイルーズとカフラが両側から竜也を抱き起こした。


「それじゃ向かいましょうかタツヤさん。わたし達の愛の巣へ!」


 突っ込みを入れる気力もない竜也をファイルーズとカフラが引きずるように連行し、それに呆れ顔のミカと未だうろたえているようなサフィールが続く。不機嫌さが極まったラズワルドが最後に付いていった。

 ……ニサヌの月が終わる頃、ナハル川南岸に移動した総司令部が機能を開始する。その頃には「サフィナ=クロイ」の呼び方がナハル川南岸に生まれつつある新たな町の名前として定着しようとしていた。





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