主従の少女と二つの依頼7
ケラノヴァ神国を発った俺は、キュックの背中でぼんやりと考えていた。
あのあと、シゼル王子はリーチェになりすましたユーアを貴賓室へ案内してくれた。
『人質とはいえ、他国の姫をあのようなところへ押し込めていると知られれば、我が国の沽券にかかわるのでな!』
とかなんとかドヤ顔で言っていたが、俺が言ったことを少し変えているだけだった。
それに関してはよかったが、問題はユーアのほうだ。
人質扱いであることは、リーチェには言うな、と釘を刺されたのだ。
『ジェイ様。報酬はわたしができることなら何でもいたします。リーチェにはこの件はどうかご内密に……』
王家の生活に憧れていたというのは方便だった。
リーチェを好きでもない王子と結婚させまいとする、ユーアの献身ゆえの発言だった。
リーチェを降ろした湖畔の一軒家が見えてきた。
そこから少し離れたとこに、荷物を曳くオーガがいた。
遠くからでもロックはわかりやすくていいな。
あれならじきに荷物は届くだろう。
「少し休憩させてもらおう」
「きゅ」
俺がそう指示すると、キュックはゆっくりと旋回してリーチェの家の前に着陸した。
「あ。もうユーアを届けてきたの?」
外から俺たちが来るのが見えたのか、リーチェが窓から顔を出した。
「ああ。…………大したトラブルもなさそうだし、ユーアが望んでいた暮らしってやつができると思う」
本当のことを言うべきか迷って、一旦それを飲み込んだ。
「よかった。うち、あがってよ。荷物が届くまで何もないけど」
「そうさせてもらうよ」
キュックをそのままにして、俺はリーチェの家に入った。
「あと少しで荷物が届く」
「順調ね。報酬だけど、荷物の中に宝石があるの。どれでも好きなものを持っていってちょうだい」
「いいのか? 王女サマが持っている物ならかなり高価なんじゃ」
「いいのよ、全然。持っていてもしょうがない物だし、着飾る必要もなくなるだろうし」
「それじゃあ、届いたら選ばせてもらうよ」
そうして、とリーチェは言ってソファに腰かける。
二階建ての一戸建ては、元王女様にしてみれば狭い家なのかもしれないが、一人で暮らすとなると持て余しそうだ。
「こういう……その、静かな生活に憧れていたのか?」
「うん。行く先々で護衛がたくさんついて、メイドもたくさんいて、王女としての公務がたくさんあって、あれはあれで忙しいのよね~」
暇だとは思っていないが、王女は王女なりの苦労があるってところか。
「それに嫌気が差したと」
「うん。ユーアにも語ったことがあるの。王女でもなんでもなく、静かなところで暮らしたいって」
それを知ったユーアが、自分の『憧れ』を口にするようになったってところか。
本音の部分を知らなければ、お互いWIN-WINの関係だと思えるが……。
「あっちの王家の暮らしっていうのは、どういう生活なんだろうな」
リーチェの反応を窺うために遠回しに投げかけてみると、一瞬考えるような間があった。
「他国からやってきた花嫁よ。きっと大切にされる」
ユーアが、今からどんな目に遭うのか――。
予想すれば簡単なその展開に、俺は約束を破った。
「両国の関係を強めるための婚姻なんだろ」
無表情のリーチェは、ちらりとこちらを見る。
「リーチェが言っていただろ。別に好きでもないって。これはいわゆる政略結婚で、花嫁は、国防上の便宜を図るための、ご機嫌窺いの品ってわけだ」
「……」
リーチェは口をへの字にしたまま何も言わない。
「だからユーアが受ける扱いっていうのは、ほぼ人質と同じで――」
「そんなのわかってた!」
胸の奥に留めていたものが吹き出したかのように、リーチェは声を張り上げた。
「わかってた……?」
「そう。ユーアは、あたしのために王女になった……。ユーアは、王家の暮らしに憧れているなんて言っていたのは、嘘よ。あたしが毎日毎日、ぐちぐちぐちぐち文句を言っていたのを、そばで聞いていたユーアが、それに憧れるとは到底思えない」
「気づいてたんならどうして」
「あたしに仕えてきた、プライドのようなもの、って言えばわかる?」
「プライド」
「あたしたちは、姉妹みたいに仲が良かった。だからあたしを苦難から遠ざけようっていう使命感があった。あたしと違って大真面目だから、ユーアは」
仕える主人であり親友のリーチェを助けたいと思う献身性と忠誠心ってところか。
メイドとしてのプロ根性とも言えるだろう。
リーチェは、事の起こりを最初から順序だてて説明してくれた。
「王家の生活に嫌気が差していて、いつも愚痴をユーアに聞かせていたときに、婚姻の話が持ち上がったの」
静かな場所で王女でもなんでもないベアトリーチェとして暮らしたい、という願望を知っていたユーアは、リーチェから半ば冗談で言った入れ替わりの提案を止めることなく、むしろ進んで実行しようと動いたという。
そして、試しに入れ替わって生活をしてみれば誰にもバレない。ユーアはますます入れ替わりに本腰となった。
こういう場所で静かに暮らすことに憧れていたのは事実だったので、リーチェは実現するはずがないと思っていたらしい。
「この家は、こっそりユーアが私の名前を使って手配してくれたの。二人で生活できたら楽しそうねって。そんな妄想を話していて……」
ユーアの本気度や自分の願いを叶えてあげたいという気持ちを汲んで、実質人質扱いで自由なんて何もないことを知りながら、リーチェは入れ替わることにしたという。
いつの間にか、リーチェは声を震わせていた。
ぐすん、と鼻を鳴らし、頬を伝った涙を指で拭う。
「別れてわかった。静かな暮らしがしたいのはたしか。でも、そんなことより、大事なのは、ユーアだった。あの子がいないなら、どこで暮らしても意味なんてないの」
誰にも聞こえないように、漏れそうになる心に蓋をするように、両手で顔を覆った。
「あたしは、ユーアと一緒がいい……」
隣に座った俺は、リーチェの背中をとんとんと叩く。
「それを聞かせてやろう。あの使命感だらけのメイドに」
「そうね。……入れ替わりは、もうやめる。振り回す結果になって、ごめんなさい」
ハンカチで涙を拭いたリーチェは、一度大きく息を吐いた。
「政略結婚で、好きでもない男の物になることは変わらないぞ?」
「王女だもの。覚悟はできているわ。それが、今回はもしかすると、って揺らいでしまったの。ユーアが身代わりになることを選んだように、あたしもきちんと王女としての立場を全うするべきだったのよ」
そう言って困ったように笑った。
「だって、それ以外にどうしようもできないじゃない」
「そんなことはない」
「え?」
リーチェが怪訝な顔をする。
ロックたちが近づいてきたようで、輜重を曳く物音がどんどん大きくなっていた。




