工房都市クノッフェン
「着いたぁー! うおぉー!!」
ニーナは両手を空に突き出してはしゃぐ。今だけは子供っぽいと笑われたってかまわなかった。
馬車に乗り遅れかけたあの日から、さらに丸一日。ついにやってきた工房都市クノッフェン。そこは錬金術師を夢見るニーナにとって、幼いころからずっと憧れてきた場所だった。
せっかくクノッフェンに来たのだから、ここからは自分の足で歩いてみたい。そんな想いから、特別に街の入り口手前で馬車から降ろしてもらったニーナは、憧れの地に足を踏み入れた喜びから思わず叫んでしまったのである。
「しかもあれ見て、世界樹! 大きすぎて頂上部分が雲に隠れちゃってるや!」
「まったく、いまからそんなハイテンションでどうするのよ」
「だって、だって、ここから夢が始まるんだよ? わくわくしないほうが嘘じゃない! ね、ほら、早く行こ!」
シャンテだって嬉しいはずなのに、まだ素直になり切れていない御様子。
それならと、ニーナはシャンテの腕をとって赴くままに走り出す。その後ろをロブがとことこついてきた。
「いいねぇ、いいねぇ! この抜けるような青空! 海もキラキラと輝いてるし、建物はめっちゃお洒落だし! これだよ、これ!」
いまニーナたちがいる場所はクノッフェンの南西部に当たる。南東方面に海が広がっていて、北に向かうほど標高が高くなっている。つまりここからはひたすら上り坂や階段が続くのだ。
とはいえ、いまのニーナはそんなこと気にならない。坂道だろうと、階段だろうと、なんなら壁が立ちはだかったって背中の翼で飛び越えてやる。それぐらいの気分だった。よく舗装された石畳の上を、ニーナは足取り軽やかに、飛んで、跳ねて、駆け上がっていく。潮の香りがする風が、ココア色の髪を優しく撫でた。
左右に並ぶのは木組みの建物たちだ。木材を骨組みに用い、その間に石材やレンガを埋め込み壁を作っているのである。アイボリー色の温かみのある壁面に、屋根はオレンジ。それらがとにかく海と青空に映える。またこの地域では<フクロウ>が世界樹の守り神として崇められており、民家の軒下や屋根の上など、至る所にフクロウの置物が祀られていた。つい先ほど通り過ぎた民芸店でも、木彫りのフクロウがずらりと並んでいたほどだ。
「ちょっと、ニーナ! これ、どこに向かってるの?」
「わかんない!」
ニーナは悪びれることもなく、あっけらかんと答えた。
「わかんないって、アンタねぇ!」
「でもほら、看板いっぱい出てるし、とりあえず大通りを行けばどっか着くよ!」
「今日の目的は覚えてるんでしょうね!?」
「そりゃあもちろん!」
今日の目的は住む家を見つけること。それはちゃんと覚えている。でも結局どこから探せばいいかもわからないので、まずは観光もかねて、街の中心地で情報を集めてみようと思うのだ。都合の良い解釈だと、ただ観光を楽しみたいだけでしょ、とシャンテは言うかもしれないけれど、別にそれでいいじゃない。ニーナは胸の高鳴りに身を任せて歩き続ける。
ところがそのとき、ロブがついて来ていないことにシャンテが気が付いた。ニーナも振り返って足元を見るけれど、確かにいない。えっ、と思って来た道へと視線を向けると、少し遅れてのんびりと坂を登ってくるミニブタの姿が見えた。
「おー、この延々と続く上り坂、ブタの姿にはちょっとキツイわー」
追いついてくるなりロブが呑気にそう言った。
「なに言ってるの。隙あらば怠ける性格はいつものことじゃない」
「いやー、今回はガチのマジ。もう一歩も歩けな──おっと?」
ここで立ち止まるなんて勿体ない。ニーナは駄々をこねるロブをひょいと担ぎ上げた。歩けないというのなら、私が抱き上げて差し上げましょう。
「おー、こりゃあ快適だ」
「でしょ? さあ、気を取り直してどんどん前へ進んじゃおう!」
「おー」
自分だけ楽してるんじゃないわよ、と怒るシャンテをあえて無視して、ニーナは再び進み始める。大通りには沢山の店が軒を連ねていて、ショウウィンドウ越しに見ているだけでも楽しくなってくる。
(わわっ、<風船ランプ>だ! なんの支えもなしに宙に浮いちゃってるよ! おっ、こっちの赤いリボンが付いた箒。もしかして話題の最新作かな? 空飛びながら音楽が聴けるっていう優れモノなんだよねぇ。まあ私は魔法なんて苦手だし、空も飛べないから関係ないけど……って、こっちのドレス。もしかしてここ、マージョリーさんのお店じゃない!? 凄い! こんなオシャレなワンピース、村になかったよぉ。あー、これ着て海辺を歩いたら最高に気持ちいいだろうなぁ)
ガラスの向こうに飾られた青と白のギンガムチェックのワンピース。いったいおいくらなんでしょう。ふと気になって、ニーナは視線を下げる。
──えっ、一桁間違ってませんか!?
もう一度数え直してみるものの、何度見てもゼロの数が一個多い。
なんだか見てはいけないものを見た気がしたニーナは、逃げるようにその場を立ち去った。自分でも手が届くんじゃないかと、あの素敵な服を着て海辺を歩けたらなんて、一瞬でも考えた自分が無性に恥ずかしくなった。
(手持ちのお金で買えなくはないけれど、いまは無駄遣いしてられないよね……)
このお金は家族のみんなから貰ったものだ。もし買うとしたら、錬金術で稼げるようになったとき。
(よし、いつか自分のお金であのワンピースを買おう。それを目標に頑張ろう!)
──どんっ!
「わわっ、ごめんなさい! よそ見してました!」
考えごとをしていたニーナは、背中のリュックを男の人にぶつけてしまった。明らかにムッとされて、ニーナは申し訳なさからぺこぺこと頭を下げて謝る。男の人はなにも言わずに遠ざかっていった。
その人を見送ったあと、シャンテが呆れた様子で「気を付けなさいよね」と言う。
「夢中になる気持ちはわかるけど、ここは人通りも多いんだし、旅先でトラブルに巻き込まれたら面倒なことこの上ないんだから、ちゃんと周りを見て歩きなさい」
シャンテの言う通りここは都会だからか、みんな歩くのが早い。人通りも多いし、なんだか忙しそうな人も多い。ニーナは観光気分でのんびりしていたものの、当たり前だがここには働いている人だって大勢いる。ぼんやりしてたら迷惑をかけてしまいそうだ。ニーナは素直にごめんなさいと謝った。
「まっ、それはそれとして、そろそろお昼にしない? ロブじゃないけど、アタシもちょっと歩き疲れたわ」
「おー、賛成賛成。俺ももうお腹ペコペコだわ」
ニーナは視線を上げる。街のシンボルともなっている時計台へと目を向けてみるともうお昼時だった。ちょうどいいので、近くの軽食屋に立ち寄ってみる。ニーナが購入したのは子羊の串焼きに、焼いたジャガイモやアボカドサラダなどがワンプレートに乗せられたものだ。昼食にしてはだいぶお高めに感じたものの、この辺りの軽食屋はみんな似たり寄ったりの価格だから仕方がない。貯金してた分だけじゃ全然足りなかったなと、ニーナはいまになって母親の正しさを痛感する。
ただお会計をするとき<小言うるさいガマ口財布>が、店の人にも聞こえるぐらい大きな声で「結構高いな!」と文句を言ったときは、本気で焦った。
店先のテラスでシャンテと向かい合って座る。ロブは足元に置かれた山盛りのピラフにがっついている。ブタって雑食なんだ。それにしてもいい食べっぷりだな、とニーナは秘かに思う。
ここっていい街よね、とシャンテが唐突に言った。
「景色もいいし、街並みもお洒落だし、若い人も多いし。坂道が多いのは難点だけどね。でも、これまでいろんな街を旅してきたなかでも、ここは特に活気があるわ。これなら家も期待できそうね」
たしかに、この素敵な街並みのなかで自分も生活できると思うと期待に胸が躍る。
「それにしてもこの街、なんだかやたらとフクロウの置物が目立つわね。あれ、なんか意味あるの?」
「あれ、知らない? フクロウは世界樹の守り神として崇められているんだよ。世界樹のテッペン付近には、それはもう人間なんかよりもずっと大きなフクロウがいるんだとか。実際に見たわけじゃないからホントか嘘かわからないけど、とにかくフクロウは神聖な生き物として大切にされているから、街で見かけても安易に触っちゃだめだし、もし死なせちゃったら罪に問われて捕まるんだ」
「えっ、そうなの?」
「うん。マヒュルテの森にもフクロウは沢山生息しているんだけど、もちろん捕獲は禁止。フクロウの羽って錬金術の素材としても優秀なんだけど、売買も禁止されているから素材屋なんかでも売られていないんだ。家で飼うにも特別な資格が必要だしね。シャンテちゃんも世界樹を目指すなら野生のフクロウと出くわすこともあると思うけど、接するときは十分に注意してね」
それから店先のテラスで少し休憩して、気力と体力をチャージしてから、もう一度街の中心地を目指す。途中で街の地図を買って、入り組んだ路地を散策して、二人であれやこれやと言いながら、ようやく家の貸し出しを行っているお店に辿り着くことができた。
「あのー、ごめんくださーい」
木製の扉を開けてみると、奥に見える机の向こう側に、丸眼鏡をかけた男の人が姿勢正しく立っていた。成人男性にしては小柄で、ほっそりとした顔に、ヘアクリームをたっぷり使用したかっちりヘアーである。服装もかっちりしたスーツにネクタイ姿で、とにかく真面目そうだけど、顔に張り付いた微笑がどうにも気になって仕方がない。
(第一印象で人を判断しちゃいけないんだろうけど、なんとなく苦手なタイプだなぁ)
田舎者だと足元見られて、変な物件を売りつけられやしないだろうか。そんな不安がニーナの胸によぎる。けれど他に行く当てを知らないニーナは、とりあえず店員と話してみることにする。
「初めまして、信頼と実績の<オレンジエステート>へようこそ。私はテオドールというものです。お客様、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「えっと、この街で暮らしたくて、それで……」
あっ、ちょっと待って、とシャンテがすぐに会話を遮った。
「アタシと彼女は一緒に来たけど、住む家は別々にするつもりよ。で、アタシは街の北部に近いところで、家具が一通りそろった家を探しているの。贅沢は言わない。広くなくてもいいから、安くておススメな物件を紹介してよ」
「私は……私も北部に近い方が嬉しくて、錬金釜と煙突屋根があるお家がいいです」
クノッフェンの北側には世界樹がある。そして世界樹周辺には豊かな自然が広がっている。珍しい素材と巡り合うなら、森の近くに住む方がなにかと都合が良さそうだと、ニーナはとっさに判断した。たぶんシャンテも同じことを考えて北部がいいと言ったのだろう。
「俺は雨風さえ凌げれば──」
「ややこしくなるから黙ってろ!」
テーブルに飛び乗ったロブの頭上に、どごぉ、とシャンテのげんこつが落ちてくる。喋るブタに驚くテオドールに、気にしないでください、とニーナは苦笑まじりに言った。
テオドールはすぐ仕事モードに戻り、ファイリングされたもののなかから、いくつかの紙を抜き取りテーブルの上に並べていく。いずれも物件情報が書かれたものだ。立地や間取りと一緒に、一月の賃貸料も載せられている。
その数字を一目見て、ニーナとシャンテは絶句した。
高い。とにかく高い。ここはクノッフェンだから、みんなが憧れる街だから、ある程度の家賃は覚悟していたけれど。でもまさかこれほどまでとは。
「──どうなさいましたか?」
二人の顔色を察したのか、テオドールが手を止めて伺いを立てる。
「あの、もう少しお安いところはありませんか? たとえば立地にこだわらなければ……」
ニーナの言葉を受けて、テオドールは嫌な顔一つせずに、ファイルから別の紙を抜き取る。これなんてどうでしょう、とすぐさま別の提案をしてくれたのだが……
「あの……これよりお安いものは……」
「残念ながら、こちらが最安値となりますね。仮に錬金釜をお客様の方で用意されたとしても──」
テオドールがペンで値段を書き換える。けれど、たしかにほんの少しだけ安くはなったものの、これでも漠然と希望していた価格よりまだ遥かに高い。ニーナは自分の見込みが甘すぎたのだと思い知らされた。そしてシャンテもまた、ニーナと同じように苦々しい表情をしていた。
「いかがいたしますか?」
結局二人は、なにも契約せずに店をあとにするしかなかった。外はもう西日が差している。
これからどうしようか。二人のため息は重苦しいものだった。




