トゥルーエンドを目指して
──ガタンっ!
音を立てて揺れるテーブル。カップのなかの紅茶は波うち、ソーサーの上に液体がこぼれ落ちる。
──好きなわけないだろっ!
真っ赤なリップが発した声はあまりにも大きく、店内中を凍り付かせるには十分だった。グローメルは端正な顔立ちが台無しになるほど両目を見開き、酸素を求める金魚みたいに口をぱくぱくとさせている。ロゼッタも巨体をぷるぷると震わせており、白磁の容器ががちゃがちゃと音を立て続けている。波打つ紅茶の表面はまさにロゼッタの心そのものであった。
このような状況だというのに、<お喋りリップシール>の舌はこれでもかというほど滑らかによく回る。
『これまで俺は二十人以上の女をたぶらかしてきたけど、そのなかでもロゼッタは下の下の下。最底辺なんだよ。こんなブタみたいな女、金持ちじゃなけりゃ視界に入れることすら苦痛だってのに、そうとも知らずに終始ニコニコしちゃってさ。まったく呑気なもんだよね。言っとくけどさ、俺からすれば性格なんてどうでもいいの。美人でさえあればいいんだよ。だからさ、そんなにも俺とお近づきになりたいんなら、まずその無駄な贅肉を精肉店に売り払ってから来なよ』
「やめて……もうやめて……」
むせび泣くロゼッタの肩に、そっとニーナは手を置いた。こうなることを覚悟してここへ来たとはいえ、あまりにも聞くに堪えない言葉の数々に、ニーナ自身も耳を塞ぎたくなる。
──こんなの、あんまりだよ。
信じたかった。どんな魔法も敵わないと思えた、あの日の夜の美しい光景を。それがこのような形で裏切られてしまうなんて悲しかった。
『しっかしチョロい女だよな。褒められ慣れていないせいか、ちょっと優しい言葉をかけてあげるだけでなんだって買ってくれる。ブタもおだてりゃなんとやら、ってやつ? それに秘密諜報員なんて嘘にもころっと騙されちゃって。あっ、一昨日買ってもらった時計は家で大切に飾ってあるってさっき言ったけど、あれも嘘ね。速攻で売り払って、本命の女のプレゼント代に消えたから』
「違う違う! こんなのでたらめだ!」
グローメルは豊かな金髪を振り乱し、血が出るほど手の甲を掻きむしってはシールを剥がそうとしている。
「こいつら全員僕をねたみ、陥れようとしているんだ。そうだろ? そうなんだろう!?」
シールを剥がすのは不可能だと悟ったグローメルはまったく別の行動に出る。その場で立ち上がったかと思えば、向かいに座るロゼッタの方へ身を乗り出し、胸に手を当て、さながら舞台役者のように大げさに訴え始めたのだ。
「ロゼッタ、僕の目を見て! こんなインチキで胡散臭い魔法の道具ではなく、僕のことを信じてくれ! 付き合い始めてまだ数日とはいえ、あんなにも二人で笑いあったじゃないか! たしかに感じたはずの幸せを思い出して!」
『まあ金目当ての俺に取っては退屈な時間に過ぎなかったけどさ!』
ロゼッタの瞳が揺れ動く。なにを信じたら良いのか分からず、戸惑っているのだ。
そこへ、気丈にもシャルトスが声を上げる。
「もういい加減目を覚まして、主さま! こんな最低な奴の言うことに惑わされちゃダメだ!」
「でも、でも……!」
躊躇う主を見たシャルトスは、今度はグローメルの方を向き直る。
「どうしてもニーナの発明がインチキで、自分の方が正しいというのなら、いまから君の家に連れていってよ。そして主さまがプレゼントした時計が本当に大事に保管されているのか、証拠として見せてよ!」
『ああ、そりゃ困るね……』
なんとか誤魔化そうと演技を交えて嘘を並べたてたグローメルも、これには唇を結んで黙り込んでしまう。顔中を怒りで真っ赤に染め上げ、きつくこぶしを握り締めるが、なにも反論が浮かばないのか、次第に表情にあきらめの色が混じる。
そしてついに観念したのか、気が狂ったように大声で笑い始めた。
「あー、くそうっ。こんな形で嘘がばれるなんて思わなかったよ」
「グローメルさん……!?」
ロゼッタは信じられないとでも言うように向かいに立つ男を見た。
そう、いまの発言は紛れもなくグローメル自身の口から紡がれたものだったからだ。
しかしグローメルはもうロゼッタのことなど見ていなかった。彼の興味はすでにシャンテへと向けられていたのだ。
「あーあ、どうしてくれんの? もうこの街にいられなくなったから、また引っ越さなくちゃいけないじゃん。そうなったら本命の彼女とも別れなくちゃいけないし。ねぇ、責任取ってよ」
「は? そんなの知らないわよ」
「というか君、よく見たら可愛いね。そのツンと澄ました表情もそそるというか、俺って生意気な女も結構好きなんだよね」
ずいっと一歩前に出るグローメル。シャンテは嫌悪感をむき出しにしながらも一歩後ずさる。
「胸はちょっと小さいけど、そのぶん腰つきは魅力的だし、その柔らかそうな太ももも撫でまわしたいぐらい素敵だよ。というかスカート短めだけど、もしかして俺のこと誘ってんの?」
「そんなわけないでしょ。……って、触らないで!」
胸元へと伸ばされた手をシャンテは払いのける。ちょうど効果時間が切れたのか、右手の甲から<お喋りリップシール>が剥がれ落ちるが、グローメルは気付いていないようで、汚い言葉を並べ続ける。
「いいねぇ、その強気な態度。ますます俺の女にしたくなったよ。そうだな、まずはゆっくりと時間をかけながら性格を俺好みに調教して、それからその小さな胸を大きくするために念入りにマッサージを……っ!」
──ばちーん!
「うぶぅっ!?」
振りかぶり、繰り出される渾身の平手打ち。
しかし、それを放ったのはシャンテではなくロゼッタだった。すっと立ち上がったかと思うと、巨体に見合わぬ素早い動作で、シャンテに迫るグローメルに一撃を浴びせたのである。あまりに唐突だったこともあり、グローメルはまったく反応ができなかった。その場でくるりと一回転しながら崩れるように倒れ込み、そのまま白目をむいて失神。口からは欠けた歯がぽろりとこぼれて床の上にむなしく転がった。
──あちゃあ、これはやりすぎ……でもないか。
同情の余地などあるはずもなく。ふぅーふぅーと興奮気味に荒い呼吸を繰り返すロゼッタは、倒れて動かないグローメルを何とも言えない顔でじっと見つめていた。
「ナイス、ロゼッタさん。いい平手打ちだったわ!」
「わ、私はいったいなにを……」
シャンテに言葉をかけられてもロゼッタは、まだ自分でやったことが信じられないとでもいうように、ぼんやりとしていた。じんじんとした感覚が残る手のひらと、倒れたまま動かないグローメルを交互に眺めて、それでもなお張り倒した本人が一番呆気に取られていた。
「あ、あの……」
おずおずと、ニーナはロゼッタに声をかけると、ごめんなさいと頭を下げた。ロゼッタはその意味が分からず目を丸くする。
「いくらシャルトスの頼みだったとはいえ、<お喋りリップシール>を使えば悲しい結果になることぐらい予想できたのに、勝手なことをしてしまいました。もっとほかにやり方があったかもしれないのに、結果としてロゼッタさんを傷つけることになりました。私の力不足です」
「違うよ、ニーナ!」
シャルトスが慌てて口を挟む。
「ニーナは始めからこうなるかもしれないと忠告してくれていた。それでも構わないと言ったのは僕だ。ニーナが謝ることなんかじゃない!」
「でも……」
「いいえ、シャルトスの言う通り、ニーナさんはなにも悪くありません。むしろ責めるべきはグローメルの本性を見抜くことができなかった、この私。私さえしっかりとしていれば、こうして多くの方々に迷惑をかけることもなかったのです」
その言葉は力強く、本来の調子を取り戻したかのようだった。
しかしそれでも瞳の奥にはまだ寂しさが残っているようで、表情もどこか切ない。そうだよね、そんなに簡単に気持ちを切り替えられるものでもないよね、とニーナはロゼッタの心を思いやる。
ただ、それでも目は覚めてくれたようだ。
「あの、グローメルさんとは今後どうされるのですか?」
「もちろん別れますわ。きれいさっぱりとね」
よかった。心の底からそう思った。ハッピーエンドにはならなかったけれど、このまま騙され続けるよりかはずっといい。それにグローメルの話によれば本命は別にいたようだから、遅かれ早かれ彼に捨てられていただろう。そう思えば、早いうちに別れられてよかったはずだ。と、ニーナは思いこみたかった。
「あーあ、どこかに素敵な男性はいないものかしら」
ぎこちなく笑うロゼッタの表情が、この結末の物悲しさを語っていた。願わくば、近い将来ロゼッタが素敵な男性と巡り合えますように。ニーナは心からそう思った。
◆
あとのことは当事者同士に任せることにして、一足先に喫茶店をあとにした。調合を放り出して依頼を優先させたのだから、ちゃんと遅れを取り戻さないといけなかった。
その帰路の途中、シャンテはロブに向かって言う。
「それにしても今回、兄さんは役立たずだったわね」
「いやー、正直言って俺の出る幕なかっただろ」
「……アタシ、襲われかけたんだけど?」
「でもロゼッタが張り倒してくれたじゃん。それにあの直前にシャンテが拳握ってたの、俺見たぜ?」
「あっ、バレてた?」
シャンテはちろりと舌を出す。どうやら助けるのが遅ければ、それはそれでグーで殴り飛ばしていたようだ。そのことを思えば、グローメルはロゼッタに救われたのかもしれない。顔の形が変わってしまう危機を未然に防いだのだから。
「それに今回の依頼を通して見れば、俺だって財布を取り返す活躍を見せただろ?」
「そうそう、それよ! ずっとおかしいと思ってたの。追い詰めた犯人を逃がすなんて兄さんらしくないなって。ねえ、あのときすでに兄さんはシャルトスが犯人だって気付いてたんじゃない? 兄さんの嗅覚をもってすれば、追い詰めるより前から知っててもおかしくないと思うんだけど?」
「あー、うーん、それなー、うん、まあ……」
「ちょっと、はぐらかしてないではっきりしなさいよ」
「いいじゃん。もう終わったことだしさ」
とんとこと、坂道を走ってのぼるロブ。
その後ろをシャンテが<ハネウマブーツ>を駆って追いかけ、すぐさま兄を捕まえる。そして抱きかかえるようにしてお腹の辺りをこちょこちょくすぐると、ロブはたまらず大きな笑い声をあげた。
そんな兄妹の仲睦まじい様子を眺めながらニーナも、なだらかに続く坂道を駆けあがる。クノッフェンの街は<青空マーケット>の準備が着々と進められており、街の人もどこか浮足立っているようだった。街の中央を東西に横切るミーミル・ストリートでは、旗やポスターなどで飾り付けられ、早くもお祭りムード一色なのだとか。
そう、いまや街の人は<青空マーケット>の開催を心待ちにしている。この期待値の高さは、そのまま錬金術師への期待の表れといっても過言ではない。みんな新たな発明品の登場に、そして何より、次代を担う新たな錬金術師の登場を心から楽しみにしているのだ。
そんな興奮と熱狂と、ほんの少しの陰謀が渦巻く<青空マーケット>の開催まで、あと七日と迫っていた。




