ダンスパーティーとシンデレラ
──こちらニーナ、配置につきました。
なんてことを言いたくなる、夜の九時、少し前。
ニーナは使い魔である猫のシャルトスと共に、クノッフェンの南東部に位置する、舞踏会が開かれる会場の庭に潜入していた。ダンスホールが一望できる大きな大きな窓の、その遠く向こう側に位置する木の上によじ登り、ロゼッタから渡された<オペラグラス>と呼ばれる、金ぴかでお洒落な双眼鏡を片手に持つ。私はこんなところでなにをしているのだろう、なんて疑問に思ってはいけない。できることなら何でもやると言った手前、そして依頼として報酬もすでに受け取ってしまったのだから、お願いされた通りに見守るだけだ。
すでにパーティーは始まっており、ドレスコードを纏った男女が音楽に合わせて優雅に躍っている。ざっと見渡した限り、参加者は百名ほど。会場には料理やお酒も置いてあって、部屋の片隅に集まって談笑を楽しむ者たちの姿もあった。舞踏会とはいえ、必ずしも躍る必要はないみたいだ。パーティーの雰囲気も思ったほど堅苦しくない。
「あっ、来た」
大きな屋敷の入り口辺りを見つめていたニーナの目に、一台の真っ黒な馬車が映る。そこから颯爽と降り立つのは、<大人顔負けグラマラスチョコレート>で華麗に変身を遂げたロゼッタだった。ニーナはロゼッタの姿をもっとよく見ようと、オペラグラスを覗き込む。
「うんうん、白いドレスがとても似合ってますね。さすがは私の発明品!」
ニーナは自作の調合品を自画自賛する。すぐ側にはシャルトスがいたが、どうもこの猫、ニーナのことが気に食わないらしい。どれだけ話しかけても返事が素っ気ないのである。そんな猫が<大人顔負けグラマラスチョコレート>の出来栄えを褒めてくれるとも思えないので、ニーナは自分で自分を褒めたのだった。
ロゼッタが係の者に案内されて屋敷の中へと入っていく。自分がパーティーに参加するわけではないのに、どうしてか緊張してきた。ニーナは知らず知らずのうちに左手の拳をきつく握る。
「そんなに緊張してどうするのさ」
いつの間にかニーナの肩に乗っていたシャルトスが話しかけてきた。
「だって、もしロゼッタさんの恋が上手くいかなかったら悲しいじゃない」
「でもニーナには関係ないじゃん。上手くいこうがいくまいが。それにもうお金だって受け取ったんだし」
「相変わらず冷めた考え方だなぁ。ご主人様の恋なんだから、もう少し興味持ってあげてよ」
ふんっ、とシャルトスは鼻を鳴らした。やっぱりなにか気に食わないみたいだ。
ロゼッタがダンスホールに姿を現した。演奏中ということもあってか、踊りに夢中になっている人が大半で、まだ誰もロゼッタのことを気に留めていない。そもそもニーナは意中のお相手であるグローメルの顔を知らないので、誰に注目すべきかもわかっていなかった。
シャンパンが入ったグラスを片手に、ロゼッタは華やかな会場を優雅に歩き回る。途中、ロゼッタの存在に気付いた男性陣がなにか声をかけたようだが、ロゼッタは小さく手を振るだけの大人な対応を見せた。きっとダンスの誘いを受けたものの、相手がグローメルではなかったので断ったのだろう。
「すごいなぁ」
ため息まじりにそう言うと、なにが、とシャルトスに訊ねられた。
「みんなキラキラしてるというか、大人というか、カッコいいというか。私なんかとは住む世界が違うんだろうなぁって思っちゃって」
「僕はそんなにいいもんじゃないと思うけど、ニーナはああいう華やかなパーティーに憧れてるのかい?」
「うーん、憧れはする、かな。綺麗なドレスも着てみたいと思うよ。でも、実際に連れていってもらえるってなったら遠慮しちゃうかも。なんだか畏れ多いし、作法も踊り方も知らないし、なにより私はみんなみたいに大きくないし」
「胸とか?」
「身長の話だよ。まあ、胸の方もちょっと足りないか」
そんなことを言っている間に、ロゼッタの周りには人垣ができていた。やはりロゼッタの美貌は多くの男性陣の心を射止めたようである。
「注目の的だね、ご主人様」
「そりゃそうさ。あれだけ太っちょだった魔女が絶世の美女に化けたんだよ? みんな気になるでしょ」
言われてみればそうかも。
「あっ、グローメルだ」
「どれどれ? どの人がグローメルさん?」
ニーナはオペラグラスを覗き込みながら訊ねる。シャルトスはロゼッタの使い魔であり、シャルトス自身も魔法が使えるので、ここからでもバッチリとホールの様子を確認できるらしい。
「ほら、あのタキシード着て、ワイングラスを片手に持った背の高い人」
「みんなそうだからわかんないよ。……あっ、もしかしていまロゼッタさんに手を差し出した人?」
「そうそう、そいつ」
その人は優しそうな目をした青年だった。甘く端正な顔立ち。金色の髪は若干癖毛で、不揃いな前髪をさらりと両サイドに流している。目を細めて笑う表情も、恭しくロゼッタの手を取る仕草も素敵で、なるほど、これならロゼッタが恋するのもわかる気がした。
二人は互いの手を取りホールの中央へ。そして曲に合わせて踊りだす。見つめ合う二人。なんと絵になる光景だろう。そんな二人の様子をニーナはうっとりとした表情で見つめていた。
──よかった。とりあえず、二人が手を取り合って踊る、そのきっかけづくりぐらいは私にもできたんだよね。
ニーナは木の枝の上に腰を下ろして、背負っていたリュックサックのなかから、シャンテが持たせてくれたサンドイッチを取り出してかぶりついた。帰りが遅くなるだろうからと、夜食を用意してくれていたのだ。
「君もいる?」
「ううん、僕はいいや」
そうしてニーナはパーティーがお開きになるまでのんびりと枝の上で過ごした。途中からロゼッタは会場を抜け出し、グローメルとバルコニーで二人きりの時間を楽しんでいた。すでに二人はどこからどう見ても恋人で、私の出る幕なんてなかったな、とニーナはぼんやりと思う。そもそもどうして見守っていて欲しい、なんてお願いされたんだろうか。ああ見えてロゼッタも不安だったのだろうか。それとも、案外猫ちゃんの子守り役として任命されたんだろうか。
──まあ、上手くいったのならなんだっていいんだけど。
どこからか時を告げる鐘が鳴る。時刻は十二時。華やかなパーティーも終わりの時を迎える。舞踏会を音楽で彩っていた演奏者一人一人に拍手が送られる。ロゼッタとグローメルも室内に戻って拍手をしている。もちろん二人は隣同士で、その距離も近い。とてもいい雰囲気だ。
「なにぐずぐずしてるんだろう。魔法が解ける前に早く戻ってこないと、大変なことになるってわかってるのかなぁ」
シャルトスが不満げに呟く。
「そんなに慌てなくてもまだ大丈夫だよ」
「わかってないなー。こういうパーティーって案外ここからが長いんだよ」
「そうなの?」
「うん。終わりの挨拶がいちいち長ったらしかったり、親しい間柄で会話に華が咲いて、気付いたら一時間ぐらい平気で喋りっぱなしだったり。女って話しだすと止まんないから」
たしかに、みんなだらだらとしているというか、誰も帰ろうとしていない。夢のようなひと時の終わりを惜しんでいるかのようだった。ロゼッタの周りにも人が集まり、特に男性陣はロゼッタのことを引き止めようとしているように見える。
「それってまずいじゃん」
「そうだね。ピンチかも」
「私になにかできるかな?」
「さあ? ちょっとしたパニックでも起こしてみたら?」
突然そんなこと言われても。
いや、やろうと思えば<バケツ雨の卵>を会場内に投げ込んでみるとか、<七曲がりサンダーワンド>で警備員を襲ってみるとか、いくつか方法は思い浮かぶけどさ。
ええい、ここで話してても仕方がない。こうなれば正面突破。普通に会場入りして、腕を引っ張ってでもロゼッタを連れ戻す。もうそれしかない。ニーナは木の上から羽ばたいて緩やかに着地すると、身をかがめたまま、茂みに隠れながら屋敷の入り口までこっそりと近づく。
──うわぁ、やっぱり警備してる人がいるよ。
大きな扉の前に、大柄な男性が二人、腕を後ろに回した姿勢で仁王立ちしている。
どうしよう。できれば穏便に進めたいけど、かといって事情を話している暇はないかもしれない。でも走って横をすり抜けることもできそうにないしなぁ。
「──むっ、そこにいるのは誰だ!?」
見つかった!?
自分では上手く茂みに隠れていたつもりだったけど、様子を窺っている間に見つかってしまった。こうなってしまった以上、もう突撃するしかないのである。ごめんなさい、通してくださいと、ニーナは扉を押して中に入ろうとする。が、しかし、当然のように腕を掴まれて取り押さえられてしまった。
「放してください! ロゼッタさんが危ないんです!」
「なにを言ってるんだ。俺たちからしたら君の方がよほど危険人物だよ。さあほら、下がって」
「でも、でも……!」
「あんまり暴れるようなら騎士に突き出すぞ。いいのかい?」
ニーナは駄々をこねるみたいに暴れるものの、門番の力は強くて抜け出せない。
このままでは間に合わないかもしれない。諦めかけたそのとき、シャルトスが門番の顔に跳びかかり、鋭い爪で頬をひっかいた。そして続けざまにもう一人の顔に張り付いて、爪を突き立てる。これには屈強な男たちも苦悶の声を漏らし、慌てて猫を引きはがそうとするが、その隙をニーナは逃さなかった。
「あっ、こら、待て!」
制止する声を無視して、屋敷のなかへ。きっと会場となっているのは二階の大きな部屋だ。ニーナは急いで中央の赤い階段を駆け上がり始めた。
けれどそのとき、パーティー会場と思しき方向から大勢の悲鳴が聞こえてくる。
──もしかして、間に合わなかった!?
ドクンと跳ねる鼓動。ニーナは転びそうになりながらも階段を昇りきると、正面に見える両開きの扉に手をかけ、それを一気に押し開けた。
「あぁ……!」
不安は見事に的中した。
人垣の中央。自らの醜い体を隠すように蹲るのは、魔法が解けてしまったロゼッタだった。




