追って、追われて②
「なんで蜂がこっち来るのよっ!?」
それはたぶん、雷撃が蜂の巣に当たってしまったから。
……などと悠長に説明してる時間はない。逃げよう、とシャンテの手を取って、元来た道を引き返す。懸命に手足を動かして大木の下を潜り抜けようとする。
「ちょっ、こんなことしてたらすぐ追い付かれるわよ!」
「いいから早く!」
なんとか潜り抜けて立ち上がると、シャンテに「この木を燃やして!」とお願いした。道を塞ぐ大木が轟々(ごうごう)と燃えてくれれば炎の壁となる。そうなれば蜂だって追うのを諦めてくれるはずだ。もしも他の木々に燃え移りそうになっても、ニーナには<バケツ雨の卵>がある。激しい雨で鎮火させることも簡単なはずだ。
「どうなっても知らないわよ!」
シャンテは穂先に炎を点火すると、二度、三度と、倒木を一文字に大きく斬りつけた。そこへさらにニーナが雷撃を加えると、乾いたマナの木はたちまち勢いよく燃え上がり、狙い通り炎の壁ができあがる。
「なんとかなったみたいね。やるじゃない」
シャンテは安堵のため息をつく。
「でしょ! ……って、あれ、シャンテちゃん大丈夫? 汗すごいよ? もしかして……」
「ああ……うん、たぶんニーナが心配してくれてる通りよ」
シャンテはポシェットから小瓶を取り出した。いつも持ち歩いている<メンタルポーション>である。魔力欠乏症のシャンテはこの水薬が手放せない。
「……ふぅ。もう大丈夫」
「ほんとに? 今日は無理せず戻る?」
「馬鹿言わないで。この前と比べたらまだ全然大丈夫だから。少し休憩したあと、予定通り<トトリフ>を探しながら南のベースキャンプを目指しましょ。兄さんも回収しなきゃだし」
「そうだった。大丈夫かな、ロブさん」
「たぶん平気でしょ。いざとなったら変身できるし……って、うわぁ……」
どうしたんだろう。
シャンテが露骨に嫌そうな顔を見せたので、その視線の先をニーナは追ってみる。
──うわぁ……あれ、なんですか。
向こうからのそのそと歩いてくるのは白い毛で覆われた熊だった。ただ不吉なことに、その両腕と口元は赤い血で濡れていた。如何にも「つい先ほどまで獣の肉を喰らってました」と言わんばかり。もうお腹いっぱいだったらいいんだけど。ニーナはポシェットからハンターズブックと虫眼鏡を取り出して、レンズ越しに熊の姿を捉える。
「名前はバトルベアー。別名<血を血で洗う熊>という異名を持つ非常に好戦的な猛獣で、常に腹を空かせている。もしも遭遇したなら下手に騒がず、静かに後ずさるようにして逃げるように……って書いてあるけど、ど、どうしよう」
逃げようにも後ろは火の海。ただ<バケツ雨の卵>を使えば、すぐにでも土砂降りの雨を降らせることはできる。シャンテも万全ではないし、頼みの綱のロブともはぐれてしまったから、ここは戦わずに逃げた方がいい気がする。
──よし、ここは逃げよう。
ニーナは肩からリュックサックをずらして<バケツ雨の卵>を準備しようとするけれど。
「うえぇ、も、もう来た!?」
好戦的という情報に偽りなし。特に刺激した覚えはないのに、バトルベアーが四つ足でこちらに迫りくる。その荒ぶる姿がゴンザレスに襲われたときと重なって、ひぃっ、とニーナは小さく悲鳴を漏らした。
「ちっ……!」
シャンテが前に進み出て、槍で熊を威嚇する。十分に距離をとりながら巧みに突きを繰り出して、あわよくばバトルベアーの首を狙おうとするのだが、バトルベアーは槍をものともせず、穂先を手で弾き飛ばしながら距離を詰めてくる。
それならとシャンテは穂先に炎を灯すと、さすがのバトルベアーも後ずさった。いかに猛獣とはいえ、炎は怖いみたいだ。
が、しかし、シャンテの魔力量は多くない。だからこの均衡は長く続かない。シャンテが時間を稼いでくれている間になんとか逃げ道を探さなくては。ニーナは回らない頭で必死に考える。
(どうしよう。ここで<バケツ雨の卵>を使う? でもそうしたらシャンテちゃんの槍の炎も消えちゃうだろうし……)
走って逃げることも考えた。でもここは両側を岩肌に囲まれた一本道。そして後ろは火の海である、
それに、仮に運よくバトルベアーと立ち位置を入れ替えられたとしても、足の速さは向こうが上。そのうち追い付かれるに決まっている。キャンプ場からはまだそれほど離れていないけれど、そこまで逃げ切れる自信はなかった。
「ニーナ、こうなったら戦おう! サンダーワンドで攻撃して! もしアタシに当ててしまっても恨まないから!」
もうそれしかない。ニーナは杖を両手でぎゅっと握りしめる。相手はゴンザレスとは違うのだから雷撃だって効くはずだ。大丈夫、私はできる。ニーナは自分自身にそう言い聞かせると、シャンテの動きに合わせて杖に魔力を込める。
迸る青白い稲妻。一撃目は惜しくも外してしまったが、気にせず即座にもう一発。すると雷撃は今度こそバトルベアーに直撃した。
が、その直後、バトルベアーが吠えた。
雷撃は間違いなくダメージを与えたはずだが、倒すには至らなかったのである。
「いまよ、畳みかけてっ!」
相手の気迫に負けじとシャンテが叫ぶ。穂先と石突、槍の両側に炎を灯し、推進力を得た高速タックルを仕掛けると、バトルベアーの左肩を抉った。
しかし、それでもバトルベアーは止まらない。右手を大きく振りかぶり、薙ぐように振り回してくる。鋭い爪が襲い掛かろかというとき、シャンテは咄嗟に槍を手放して横っ飛びでそれを躱すが、するとバトルベアーは左肩に突き刺さった槍を引き抜いて、遥か遠くへと投げ捨ててしまった。
──バチンっ!
再び直撃する雷撃。シャンテが大きく跳んだ一瞬を狙って、ニーナは雷撃を放っていた。
ところが結果としてこの判断が間違いだった。シャンテという囮がいなくなったことでバトルベアーの注意はニーナへと注がれ、一直線に突っ込んできたのである。
「ニーナっ!!」
シャンテは<魔力矢の指輪>を構えて、背後から乱れ撃とうとする。
ところが肝心なときに胸が急に苦しくなり、シャンテはその場で膝をついてしまった。もうとっくに魔力量の限界を超えていたのだ。
迫りくる脅威。シャンテは逃げてと叫ぼうにも声が出ない。
ニーナは無我夢中で雷撃を繰り出した。しかし焦ってしまったため、攻撃はすぐさま直角に曲がり遥か上空へ。慌てて軌道修正しようにも、もうバトルベアーが目前に迫っていて……!
しかしその瞬間、ニーナたちを巨大な影が覆った。
「ひゃあっ……!?」
叩きつけるような風。目の前で羽ばたく大きななにか。ニーナは咄嗟に手で帽子を押さえる。
──あっ……!
と、思った次の瞬間にはもう、バトルベアーは首元を大きな鳥に鷲掴みにされており、そのまま一気に遥か上空へ。猛獣は一瞬にして捕食者に連れ去られてしまった。ニーナはというと、飛び立つ際の風圧によろけながらも、なんとか両足で踏ん張っていたが。
──もしかして、いまのが噂に聞く<オオユグルド>……?
雄々しき翼を広げたのは世界樹をねぐらとする森の守り神。ニーナよりもずっと大きな猛獣を、さらに大きなフクロウが運び去ってしまった。なんだかとんでもないものを目の当たりにした気がして、ニーナは呆然としたまま空を見上げ続けた。
一瞬だけ目と目が合った。
オレンジ色の目のなかに真っ黒な瞳。
きりりとした眼光鋭い目が脳裏に焼き付いて離れなかった。
そんなニーナの下へ、ゆっくりと落下してくるものがあった。ニーナは両手を空に差し出し、それを受け止める。
手のなかにあるのは灰色の羽。<オオユグルド>が残していった世にも珍しい守り神の羽だった。




