天使のリュックサック
どれほど時間が経っただろう。
毛布にくるまって床にふせていたニーナはむくりと立ち上がる。
泣いた。気の済むまで泣きはらした。けれどニーナは夢を諦める気なんてない。むしろ決意を新たにしたぐらいだった。
(いいもん。勝手に家を飛び出してやる。お金だけはちょっと心配だけど、でも、本気になれば私だって……)
母や姉の言葉が辛く感じたのは、二人の指摘が正しいとニーナ自身も思っていたから。お金も技術もないニーナが、凄腕の錬金術師たちが切磋琢磨するクノッフェンで通用するはずがないと、ニーナも心の奥底では感じていた。ダンやテッドの考えだって、恐らくは正しい。賢く生きているのは二人の方だ。
(でも、そんな賢さなら私はいらない。お前には無理だって言われても挑戦してやるんだ!)
ニーナは毛布を脱ぎ捨てると、部屋の片隅に置かれたリュックサックを手に取る。大きめのベージュ色のかばんには、その側面に折り畳まれた白い翼のようなものが取り付けられている。これこそがニーナが錬金術師を目指すきっかけともなった<天使のリュックサック>である。
それはニーナが今よりずっと幼かった頃のはなし。学校に通うからと、ロマナが親に新品のかばんを買って貰ったのを見て、ニーナも自分だけのかばんが欲しいと駄々をこねた。そんなニーナを見かねたおばあちゃんがくれたのが、このベージュ色のかばんだ。
元々はおばあちゃんが使用していたもので、譲り受けたときにはすでに使い古されていた。もらった当初は翼もなく、見た目だってお世辞にも可愛いとはいえなかった。だからニーナは「こんなの嫌だ。もっと可愛いのが良い」と、せっかくもらったかばんを投げ捨ててしまった。
当然、両親にはこっぴどく叱られた。けれどおばあちゃんはニーナを怒らなかった。むしろニカっと笑って「こんなかばんじゃ嫌じゃよな」と、ニーナの心に寄り添ってくれた。
だからだろう。おばあちゃんはその日から工房に籠った。
かと思えば、その数日後、ニーナが投げ捨てたかばんには真っ白な翼が生えていた。もちろん本物の羽でもなければ、触り心地はただの木の板だ。でもその可愛らしいデザインだけでニーナの心は踊った。さっそく背負ってみて、言われるがままにかばんに魔力を込めてみる。するとどうだろう。白い翼がパタパタとはためくではないか! 決して空は飛べない。ただ羽ばたくだけの無駄な機能だ。それでもニーナは喜んだ。そして思った。錬金術って凄い。私も錬金術を学んで、人を喜ばせたいと。
おばあちゃんが改良したこのかばんは、元は<空間拡縮の錬金術師レンブラント>が開発した偉大なる発明の一つだ。かばんのなかは通常とは異なる空間が広がっており、見た目以上にモノを収納できる造りになっている。重さを軽減する仕組みも備えているから、長旅にもってこいなのだ。
ちなみに、魔法の道具は大きく分けて三種類ある。無条件で扱えるものと、魔力さえ込めれば誰でも扱えるもの。そして魔法使いたちが修練を積んで使用する、知識と魔力コントロールを必要とするものだ。ただ種類こそ三つに分けられるが、人間誰しも少なからず魔力を保有しているので、小さな子供でも大抵の魔法道具を扱うことができる。そしてニーナが志すのは、そんな誰もが気軽に扱える魔法道具の発明だった。
ニーナは拡縮自在のリュックサックに次々とモノを詰め込んでいく。
家に帰ればちゃんとニーナにだって部屋が割り当てられている。けれど実質的には、この小屋こそがニーナの城だった。錬金術に使うものは当然として、お金も着替えもこっちにある。旅に必要だと思われるものも、すべてこちらに揃っていた。
(ありったけの貯金と、何日かぶんの着替えと、台所からくすねた保存食と……)
棚の上に目を向ける。そこには、ニーナがこれまでに錬成した発明品が並んでいる。みんな愛すべき欠点を持った、思い出の品たちだ。
(この村ではどれも馬鹿にされたけど、むしろクノッフェンでは珍しかったりして。それにあそこは冒険者の街でもあるから、村では不用品扱いでも、欲しいと言ってくれる人がいるかもしれない)
さすがに全部は詰め込めないけれど、自信作は持っていってみよう。上手くいけば誰かの目には止まるかもしれない。そうなれば、ニーナの夢に協力してくれる人だって一人ぐらいはいるかもしれない。ニーナは棚の上に飾られた完成品の中からいくつかを選んでかばんに詰め込む。<つむじ風の卵><バケツ雨の卵><激辛レッドポーション><マジカルミラーZ>、シャーレに入れた<携帯用蚕ちゃん>も持っていってみよう。
それから、それから……
「あとはこれ。かばんには入れないけど<七曲がりサンダーワンド>も忘れずに持っていかないとね」
先端がクエスチョンマークのように曲がった、木目が美しいナナカマド製の杖。これに魔力を込めると、かくかくと、七回も曲がる雷撃を繰り出すことができる。
ただ、曲がり過ぎてニーナにも制御不能なのが難点なのだけれど、護身用には十分だろう。
忘れずにといえば、錬成に使用する道具たちも持っていかなければ。<クモ脚の自動筆記補助具>に<お知らせヤギ時計>、<マナ溶液><かき混ぜ棒><神秘のしずく><妖精の粉>……
「<ヴルカンの炎>はランプごと持っていくとして、さすがに錬金釜は持ち運べないなぁ」
クノッフェンには錬金釜や煙突が完備された家も貸し出していると、ニーナは事前に調べて知っていた。問題は、少ないお金でそこに住むことができるかどうかだ。
(まあ最悪なくても<黒猫印の箒郵便>に頼めばいいよね)
ニーナは実験のあとそのままにしていた錬金釜を覗き込む。内側には錬成に失敗してダメにした材料が、黒いぶよぶよになってこびりついていた。半日近く放置していたから乾いてしまっているのだ。
ニーナは朱色のジャケットを腕まくりすると、大きな錬金釜を両手で抱えて、よたよたと、そのまま水場まで持っていく。蛇口を捻って、ブラシを握って、ゴシゴシと擦って汚れを落としにかかる。向こうでもこの錬金釜を使用するかどうかはまだ分からないけれど、今までお世話になった錬金釜を汚れたまま放置するのは気が引ける。ニーナは真心こめて錬金釜と向き合った。
掃除を終えたニーナはジャケットを脱いで、代わりに床に捨てたように置かれた毛布を取って、ボロボロのソファーの上で横になった。まだそれほど眠たくはなかったけれど、でもいまは少しでも寝ておかなければ。ニーナは家族に内緒で、朝一番に出発する気でいた。酪農家である両親の朝は早いから、それよりも早く目覚めないと。
(そうだ、アラームかけておかなくちゃ)
ニーナは体を起こして、一度はかばんにしまい込んだ<お知らせヤギ時計>を取り出すと、テキトーな紙に「5:00」と書いてヤギに食べさせる。こうしておけば、時間になったらヤギがメェーと鳴いて知らせてくれるのだ。これで安心。ニーナは部屋の灯りを落とし、毛布にくるまった。
◆
翌朝。珍しく<お知らせヤギ時計>がメェーと鳴く前に目覚めたニーナは、さっそく行動を開始する。小さな背中に<天使のリュックサック>を背負い、右手には<七曲がりサンダーワンド>をぎゅっと握りしめる。
お気に入りの朱色のジャケットを羽織り、朱色のベレー帽をかぶる。どちらも小柄なニーナにはちょっとサイズが大きめだけど気にしない。ちなみにベレー帽は羊毛を素材として、ニーナが錬成したものである。
そして最終確認とばかりに<小言うるさいガマ口財布>の中身を確かめる。その中にはニーナがコツコツと貯めてきた、僅かばかりの貯金が入っていた。
「おいっ、これだけか!? 金を、もっと金をくれ!」
「そんなこと言ってもダメ。少ないけど、ここまで貯金するのに苦労したんだから」
ガマガエルが不満そうにニーナを睨む。でもいくら睨まれたって無いものは無い。そのうちちゃんと稼いでお口いっぱいにお金を詰め込んであげるから、いまは我慢してもらおう。
「よし、準備完了! さっそく出発だぁ!」
不安はある。でも期待する気持ちの方がずっと大きかった。
今日から本当の意味で、私は錬金術師として歩み始めるんだ。ニーナは弾む心のままに工房の扉を開けたのだけれど、そこには──
ニーナは酪農家の娘なので、錬成の素材に<羊毛>や<ヤギミルク>を使用することが多いようです




