出発前夜
予定を決めてからの日々は、それはもう早いのなんの。色々と準備を整えたりレシピ作りに励むうちに、その日はあっという間に迫ってきていた。日に日に強くなる世界樹への想いと、それと同じぐらい膨らんでいく緊張と。そわそわと落ち着かない気持ちで日々を過ごしていた。
目標に向けてやれることは全部やったと思う。だから順調に進んでいると言っていいと思う。ただ一つ予定外だったが、当日の天候だ。
それはいまより一週間ほど前の話。ウェイリー社が発行する新聞に載せられた天気予報を確認していたニーナは、週末に雨が降ることを知って大いに慌てた。その日は登頂から三日目、つまり世界樹の頂上付近で雨に見舞われるということだった。アレクの話では、雨天時の登頂は足元が滑りやすくなるだけでなく、そもそもの雨風が挑戦者の体力を奪うため非常に危険だと言っていた。
「うわ、どうしよう?」
的中率八十九パーセントを誇るウェイリー社の天気予報が外れることを期待するのは、正直無理があるだろう。となれば、予定日をずらすしかないのだけれど。
しかしアレクは孫娘に会える日を楽しみにしている。
いまさら日程を変えて欲しいだなんて頼めない。
「別に後ろにずらさなくても前倒しすればいいじゃない。ちゃちゃっと納品を済ませてしまえば、一日ぐらい予定日を早めても問題ないでしょ。それでもダメそうなら、予定を一月ぐらい後ろに大きくずらしたっていいわ。別に兄さんも元の姿に戻ることを焦っていないみたいだし」
「たしかにその通りだけど、シャンテちゃんはそれでいいの?」
「もちろんいいわ。だってもう他の素材は全部集め終わってるし、<輝く世界樹の葉>を手に入れるのだって時間の問題でしょ? ここまで来たなら気長に待つわよ。……まあ、この前リムステラと会ったときにアイツが言っていた<近いうちに脱獄する>って言葉は気になるけども、いまのところなんの動きも見せていないみたいだしさ。別に大丈夫なんじゃない?」
そういうことならと、ニーナはすぐにアレクと連絡を取って、どうにか予定日を変更してもらえないか頼むことにした。そしてまたアレクに家まで来てもらって、日程について話し合うことになる。
一日前倒しするか、それとも大きく後ろにずらすか。アレクは他にも予定が詰まっていたらしく、どちらの案にも難色を示したものの、最終的には一日前倒しをすることに決まった。
──この、何気ない日程の変更が、のちのニーナたちの行動を、ひいてはクノッフェンに集う錬金術師たちの命運を左右することになるなんて、このときは考えもしなかった。
◆
「おぉ、美味しそう!」
そしてついに来た、出発日前日の夜。
その日の夕食はいつもよりちょっとだけ豪華な食事が並んでいた。具体的に言うと、いつもよりお肉の割合が多い。牛のステーキ肉なんて久しぶりである。シャンテが奮発して買ってくれたのだ。明日からのことも考えて食べ過ぎないようにと量はそれほど多くないけれど、ニーナにとってはじゅうぶん満足のいくだけの大きなステーキ肉が、お皿からはみ出さんばかりに盛りつけられている。
「先に言っておくけれど、お代わりはないから」
と、シャンテがロブに釘をさす。なぜか二人を待たずに先に食べ始めていたロブは、え、とばかりに妹に目を向ける。
「マジで?」
「ええ、大マジよ」
そしてなぜかロブはニーナにうるんだ瞳を向ける。
「え、いや、そんな目で見られても分けてあげませんから!」
肩を落とすロブを横目に、ニーナたちもお肉にナイフを入れて、一口。ソースのかかったお肉はとても柔らかくて、ジューシーで、噛めば噛むほど肉のうまみが口いっぱいに広がっていく。あぁ、いま私は牛のお肉を食べているんだ、と幸せな気持ちに包まれる。大げさかもしれないけれど、ニーナはたしかにそう感じたのだ。
「出会った頃じゃこんなこと考えられなかったよね。ねえ、覚えてる? 初めてみんなで迎えた朝のこと。外食しようぜってロブさんが言って、それにシャンテちゃんが反対して」
「あったわねぇ。あのときはニーナがどれだけ稼げるかわからなかったから、ちょっとでも節約したかったのよ。結局、冷蔵庫に食材がなんもなくて、外で食事することになったけど」
「そうそう。で、オルドレイクさんの家までふらっと遊びに行って、なぜかスパナを投げつけられて、大慌てで逃げ帰ったんだよね」
それがもう一年も前。懐かしくって、でもあっという間だったなぁって気がして。なんだか不思議な気分になる。
それもこれもシャンテとロブと出会えたから。もし二人がいなかったら、今ごろどうしていただろう?
「ねえ、もしこのまま全部が上手くいって、<輝く世界樹の葉>を手に入れることができて、ロブさんも元の姿に戻れたなら、二人はまた旅に出ちゃうの?」
「そういえばその辺のことなんにも考えてなかったわね。どうしよっか?」
と、シャンテはロブのほうを見る。
「そーだなぁ、俺はまったりできたらなんでもいいんだけど」
「だったら、このまま一緒に暮らしましょうよ。ね、シャンテちゃんも。私、これからも二人と一緒にいたいよ」
「まあ、すぐに出ていく理由もないしね」
「そーだな。この際、末永くお付き合いしちゃうか」
「あれ、もしかしてそれ愛の告白ですか? 私ナイスバディじゃないですよ?」
「結婚式のあいだだけ<グラマラスチョコレート>で変身してくれたらいいよ」
「うわ、最低だ。そこは嘘でも<ありのままのニーナでいいよ>と言って下さいよっ!」




