魔女、来る
洞窟の奥より響く若い男の声。
二人分の影が足音と共にゆっくりとこちらに近づいて来る。その影は松明の灯りによって不吉に揺られていた。
「あら、こんなところで会うなんて奇遇ね」
現れた魔女はこちらを見るなり白々しくも言い放つ。
その顔には勝ち誇ったかのような笑みが。いや、事実、もうすでに勝敗はついてしまっているのかもしれない。
ここへ、このタイミングでやって来たのは、やはりリムステラとリオンの二人だった。本来の主のもとへと戻ったリオンが杖を携えて魔女の斜め後ろに控えるなか、リムステラは目を細めて笑っている。黒いドレスに、黒いヒール。真っ赤な唇と、左右異なる瞳の色が、暗い洞窟の中でやけにはっきりと目立つ。コツコツと、靴底を鳴らしながら向かってくる魔女の足取りからも余裕が感じられる。
「なんでアンタがこんなところにいるのよ!?」
シャンテの叫び声に、ニーナはハッとした。
そうだ、ここは知らないふりをしなくてはならない。すでにロブが魔法を使ってしまった以上、リムステラに勝てる見込みがあるとすれば、一瞬の油断をつくしかない。油断を誘うには敵意を剥き出しにして睨みつけるのではなく、うろたえて見せないといけない。上手に弱者を演じるんだ、とニーナは自分に言い聞かせ、後ずさりながらあちこちに視線を泳がせてみる。
「ふふ、いい反応ね。そういう顔が見たかったの。長い間待っていた甲斐があったわ。まああの子たちにはちょっと失望したけれど」
リムステラは氷漬けにされたままの三人をちらりと見る。助けてください、とそのうちの一人が弱々しく訴えたが、魔女はその願いを無視した。
「質問に答えなさいよ!」
「ええ、いいわよ」
答えてあげなさい、とリムステラはリオンに説明を促すと、彼は一度頭を下げてから、魔女の前へと進み出る。
「アンタもどうしてここにいるのよ。ルチルに仕えていたんじゃないの? それともルチルも含めてみんなグルだったっていうの?」
「それも含めていまから僕が説明しますよ」
やれやれとばかりにそう言うと、リオンは口元に微かな笑みを浮かべた。そして数か月にも及ぶ計画の全容をつらつらと語り始める。
その内容はレオナルドを通じてルチルから訊いたとおりだった。現在エストレア家を人質に取っていることも彼は嬉々として語った。そしてエストレア家に対する恨みを口にするとき、リオンの口調は一段と激しさを増す。
「あの家の者たちは揃いも揃って無能だった。人知を超えた力を、悪魔の力を人の手で操ることの素晴らしさを、彼らはまるで理解しようとしなかった」
「そんなの当たり前じゃない。悪魔の力なんて人間にとって害でしかないわ」
「君もわからない人ですね。別に僕は悪魔の力を軍事利用するだなんて一言も言っていませんよ。僕は世界のエネルギー問題を解決しようとしただけなんです」
え、とニーナは眉間にしわを寄せた。悪魔の力とエネルギー問題。二つの事柄がニーナのなかで結びつかなかった。
「君たちエルトリア王国に暮らすものにはわからないでしょう。特に世界樹からほど近いクノッフェンではマナが豊富に溢れていますからね。しかし世界樹から遠く離れた場所に位置する国ではそうもいかない。気候によってはマナの木が育たず、そのため体内で魔力を生み出すことすら難しい地域だってある。世界から見ればごく一部の狭い地域でしかないからあまり知られていませんが、人が人として暮らすための最低限の魔法すら使用するのをためらってしまうような地域はたしかに存在する。だからこそ、マナに代わる魔法の源が必要なのです」
「それが悪魔の力だというの?」
「ええ、その通り。君たちから奪った<幸福エネルギー>も研究の一環として生み出したもの。そして人が持つ感情の力というのもまた、エネルギーとして利用できるのです。なので例えば罪人を捕らえたとして、悪魔による地獄のような拷問で罪人を追い詰めたなら、きっと彼らから極上の<負の感情エネルギー>を取り出せることでしょうね」
「……最低ね。エストレア家の判断はなにも間違ってなかったわ」
「例え話だと言ったでしょう? 悪魔が体内に保有する魔力を直接エネルギーとして利用した方がよほど効率的なのですから、そんなことをするつもりは毛頭ありません。まあ、なんの生産性もない罪人どもから負のエネルギーを取り出すことについては、ぜひ世界中で検討してもらいたいと思いますが」
「幸運を吸い取られたら不幸になるのは身をもって経験したからわかりますけど、感情のエネルギーを取られた人はどうなるんですか?」
ニーナはつい気になって訊ねた。
「しばしのあいだ無気力になる。そして奪いすぎると鬱になる。だからエネルギー利用には最大限の注意が必要です。が、例えばどうしようもない怒りに胸のうちが支配されたとき、あるいは立ち直れないほどの悲しみに襲われたとき、そのエネルギーを効率よくつかえたなら素晴らしいことだと思いませんか?」
「思わないわね。怒りも悲しみも人間にとっては必要な感情だもの。それに使い方を誤れば鬱になってしまうような技術だなんて危険すぎるわ」
「使い方を誤らなければいい。どんな技術も使い方次第で人を豊かにもすれば、人を苦しめる道具にもなる。エストレア家が出資した<大陸間トランスポートシステム>だって、使い方によっては世界中のどこにでも軍隊を派遣することができる。奇襲もやりたい放題。国家間の戦争だって簡単に起こせてしまうことでしょう。君はそれでも<大陸間トランスポートシステム>が安心安全な技術だと言えますか?」
「それは……」
ニーナは、リオンの言っていることが少しだけ理解できた。道具や技術には何の罪もない。問題はそれを扱う人。正しく扱えば人の暮らしを豊かにしてくれるし、悪意を持って間違った使い方をすれば多くの人を不幸にしてしまう。
それでも、だ。
ニーナはリオンの言葉に同意できなかった。予測できる危険は最大限、取り除く努力をしなくてはならない。利便性と危険性は天秤にかけられなくてはいけない。ニーナが他の人に<ハネウマブーツ>を売らないのも、<絶対快眠アイマスク>が抱える問題点を解決するために苦心したのも、すべてはリスクを考えてのことだった。
そしてシャンテもまたリオンの言葉を否定した。
「それでもアタシはアンタの技術を認めない。だって現にアンタはリムステラに加担して悪魔を人を殺すための道具に利用してるもの。正しく扱えば世界の役に立つだなんて妄言を信じろと言う方が無理よ」
「残念です。人口悪魔の力を二度も目の当たりにした君たちだからこそ、この技術の可能性を理解してくれると思ったのに」
「技術力だけは認めるけどね。アンタを野放しにするのは危険だってわかったから、ここでなんとしても捕まえさせてもらうわ」
「それは無理でしょう。なにせこちらには魔女様がいる。ですよね?」
振り返ったリオンに対し、リムステラは微笑みを返す。
そしてまた魔女が一歩前へと出た。
「私があなたたちを狙う理由は別に話さなくてもわかるわよね?」
動機はロブに対する逆恨み。理解はできないけれど、確かに話してもらわなくても理由は知っている。
「別に逃げたっていいのよ? まあ逃げ道は一つしか残されていないし、その道もすぐに行き止まりにぶつかるでしょうけど」
「ニーナ!」
シャンテが叫ぶ。それは予め決めていた応戦の合図だった。
ニーナは手元に隠し持っていた<バケツ雨の卵>をリムステラの足元へと投げつける。固い地面に当たった卵は割れて、そのなかから黒いモクモクとした雨雲を発生させる。
その雨雲は本来であれば空高くまで上るはずだった。けれどこの洞窟内ではそうないかない。たちまち辺り一面を黒い靄が覆った。
「煙幕のつもりかしら?」
無駄なあがきね、とばかりにリムステラは周囲に風を巻き起こし、漂う雨雲を一瞬にして消し飛ばす。
けれども、その一瞬こそがニーナたちが狙うリムステラの隙だった。黒くて分厚い雨雲を隠れ蓑にして、シャンテが槍を前面に押し出しながら突撃を仕掛けていたのである。
しかしながらリムステラの対応も早かった。いや、予測していたのかもしれない。ともかくシャンテの突撃に素早く反応したリムステラは魔法の蔓を足元から繰り出し、シャンテの片足をからめとってしまう。
前のめりにつんのめるシャンテを見て勝ちを確信したのだろう。魔女はにんまりと笑った。
ところがその表情は一瞬にして崩れる。シャンテの突撃も実は囮。本命は、ほんの僅かだけ余力を残していたロブによる魔法の一撃だった。




