失敗だらけのレシピブックを広げて
素材屋から帰宅したニーナは、さっそく買ったばかりの素材が入った瓶をテーブルの上に並べる。紙とペンも用意し、それから今朝がたイザークから借りた<魔術師ココが教えるレザークラフトの世界>という本を手に取ると、椅子に座ってそれを開く。気持ちとしてはすぐにでも調合に取り掛かりたいけれど、今回ばかりは絶対に失敗できない。だから慎重に慎重を重ねて、念入りに準備してから調合に臨むつもりだ。少なくとも今日一日は手順の組み立てと見直しに集中するつもりである。
そうして椅子に座ったまま一時間、二時間、三時間……
シャンテが夕食づくりに励んでくれている間も、ニーナは本を読み続けていた。白紙だった紙には、いまやメモした文字でびっしりと埋まっている。ここから手順をまとめて、オリジナルレシピを創作しようという魂胆だ。
素材は既に購入済みであり、ある程度の工程は頭のなかで組み上がっていたが、やはり先人の教えは参考になる。新しい閃きもあった。素材を買い足す必要にも気付けたので、シャンテには内緒で明日こっそりと買いに行こうと思う。(手持ちのお金で間に合いそうで本当によかった)
夕食を取ったあと、先にお風呂に入らせてもらう。
ここでもニーナはレシピのことで頭がいっぱいだった。浴槽のお湯に浸かりながら、あれやこれやと小一時間。いつまで入ってるのよ、と怒られるまで同じ姿勢で考えごとをしていた。おかげで若干のぼせ気味である。
お風呂から上がり、パジャマに着替える。二階に上がって、窓を開けて、夜風で涼む。あんまりにも体が熱いので、近くにロブがいないことを確認してから、胸元のボタンをいつもより多めに開けてみたりする。
それから部屋の隅の小さなテーブルの前に座り、引き出しから手帳を取り出す。家から持ってきた、自分だけのレシピブック。これまでの調合の記録が記された、失敗だらけの、けれど大切なレシピブックだ。
ニーナはペンを取ると、考えに考え抜いた調合法を手帳に記していく。今回作ろうと思っているのは、坂道をすいすい楽々登れる魔法の靴、名付けて<ハネウマブーツ>だ。材料や投入タイミングを記入し、余白には完成イメージ図を描く。初めての調合なので、完璧な見通しは立てられないけれど、だからこそ頭のなかで何度となく調合を繰り返し、成功する自分を思い描く。そしてまたレシピブックを見返しては修正を重ねるのだ。
大丈夫。落ち着いて取り掛かればきっと成功するよね。
ニーナは眠る直前まで<ハネウマブーツ>のことを考え続けた。
◆
ぼふんっ!
もくもくと上がる黒い煙。
それは紛れもなく、錬金術の失敗を表す色。
調合に取り掛かっていたニーナは、その煙を顔面から受け止めてしまう。目の前は真っ黒。それは煙の色か、はたまた失意からくる色か。ニーナはその場に座り込み、がっくりと項垂れる。
すると、どういうわけだろう。
クスクスと、どこからともなく笑い声が聞こえてくる。
「ほら見ろ。やっぱり失敗した」
「あらあら、また黒い煙を」
「やっぱりニーナは<ガラクタ発明家>という名前がお似合いだな」
──うるさい、うるさい、うるさいっ!
ニーナは両手で耳を塞いで顔を伏せる。
馬鹿にする声なんて聞きたくない。誰の顔も見たくない。
「夢ばかり追ってないで、そろそろ現実を見ろよな」
「もういい年なんだし、ニーナもわがまま言ってないで家業を手伝ったら?」
「優れた素材を手にしても、調合するのがニーナじゃ失敗は目に見えてたよね」
どれだけ耳を塞いでも聞こえてくる、馬鹿にしたような笑い声。
もう聞きたくない。やめて。酷いこと言わないで。失敗したからって馬鹿にしないで。それ以上言われると、私、私……!
「もうやめてぇぇっ……!」
ニーナは叫び声をあげた。
薄暗い部屋のなか。カーテンの隙間からは、僅かに朝の陽ざしが差し込んでいた。
「はぁ……はぁ……」
大きく息をする。周りを見渡し、自分の手のひらを眺める。パジャマは汗びっしょりだ。
「も、もしかして、いまのは夢?」
手を胸元に当て、大きく息を吐きだしてみる。
あれは夢。そうだと知って心底ほっとしたけれど、心臓はまだバクバクといっている。
「なに……どうしたの……?」
二段ベッドの上で眠るシャンテが顔だけをのぞかせる。どうやら大きな声をあげたせいで起こしてしまったみたいだ。逆さを向いたまま、眠たそうに片目をつむっている。長く伸びる藍色の髪は、だらんと、重力に従い垂れさがっていた。
「ごめんね。ちょっと変な夢を見たの」
ただの夢じゃなくて、それはもう酷い悪夢だったけど。
「ふーん、変な夢ねぇ。調合に失敗でもしたの?」
「あ、あはははは……」
朝から鋭い。まさにシャンテの言う通りだった。
夢を見た。それもニーナにとってこれ以上ないほどの悪夢である。夢のなかでニーナは朝早くから錬金釜と向き合い、杖でぐるぐるとかき混ぜていたのだが、その途中から錬金スープの色が濁り始めてしまった。それでも諦めきれずに涙ながら最後まで工程をやり遂げ、仕上げに使う<神秘のしずく>を一滴垂らしてみたのだけれど──
ぼふんっ!
ものの見事に真っ黒な煙が上がり、調合は失敗に終わってしまったのである。高額な素材もすべて台無し。ニーナはその場で泣き崩れてしまい、部屋は瞬く間に黒い煙で埋め尽くされてしまう。
するとどういうわけか、みんなの声が聞こえてきた。リンド村の人々である。ダンやテッドの声も聞こえた。そして馬鹿にされて、また泣いて、ちょっとだけくじけそうになったのである。
これが夢でよかった。
正夢になる可能性も捨てきれないのが恐ろしいところだけれど。
いやいや、村の人たちの声が聞こえてくるなんて現実では絶対にありえない。だからあれは夢のなかだけの話で、正夢になんかなるはずない。そうに決まっている。
「えっと、いまから朝ごはん作ろうと思うけど、もう起きる?」
正夢には決してならないと思っていても、もうひと眠りする気にはとてもなれない。
「うん……そうしてくれると助かる……」
そう言いつつもシャンテはもぞもぞと布団に入り直したようである。
ただシャンテのことだから、朝食ができあがったころには起きてくるだろう。シャンテは朝が若干苦手だが、それでも決して寝坊することは無いのである。ニーナは手早く着替えを済ませると、階段を下りてキッチンに向かった。
◆
「よし、準備完了!」
時刻は午前十時を少し回ったところ。足りない素材の買い出しを終えて、いまちょうどすべての素材を机の上に並べ終えたところである。準備はバッチリ。すでに素材の計量は済ませてある。手順が書かれたレシピブックを見えやすい位置に広げ、<お知らせヤギ時計>もすぐそばに置いた。ただ今回はアラーム代わりにはしない。あくまでも時計として、調合にかかった時間を記録するために使うつもりである。錬金スープの色合いを見ながら、混ぜる時間を微調整する気でいるからだ。
その代わりに<クモ脚の自動筆記補助具>をペンにセットした。面接時にメイリィが使用したものと同じ<昆虫模倣の錬金術師ロクサーヌ>の発明品であり、調合時に気付いたことや、微調整したことをメモするためである。
「ふぅ……。やっぱりいつもと違って緊張するな」
足元の錬金釜はもうグツグツと煮えたぎっている。黄緑色をした<マナ溶液>がぽこぽこと沸き立ち、準備万端であることをニーナに知らせてくる。だからあとは心次第である。
シャンテとロブは外出中。調べものがあると言っていた。おそらくはロブの呪いを解くために、本格的に動き出したのだろう。見守ってもらえないのは少し寂しい気がするけれど、調合に集中できるようにと気を遣ってくれたのかもしれない。それにシャンテたちも目標に向けて頑張っているのなら、自分も負けじと頑張ろうと思えるのだ。
「いつまでも高級素材にビビってるなんて私らしくないよね! ここは一つ、ババンと調合を成功させて、シャンテちゃんたちをあっと驚かせてみせましょう!」
ニーナは意を決して調合に取り掛かる。今朝の夢が一瞬だけ頭によぎったが、かぶりを振って悪いイメージを頭から追い出す。あれは夢。正夢にしないためにも、いまは調合に集中しないと。ニーナは<お知らせヤギ時計>の針を動かし始める。
まずは<メーデスの人喰い馬の革>と、同じく<メーデスの人喰い馬の蹄>を投入し、形がなくなるまでドロドロに溶かす。そのあいだ<かき混ぜ棒>を使って錬金釜の底からしっかりと、焦げ付かないようにかき混ぜる。ニーナの見通しでは十五分と少し。錬金スープの色合いを見ながら、次の工程に移っていく。
「……そろそろかな」
釜の中身をかき混ぜながら額の汗を拭う。ちらりと時計の針を確認し、<クモ脚の自動筆記補助具>を通して時間をメモする。ここまで十七分と二十秒。予想より長くかき混ぜることになったけれど、でも、いまが頃合いだと自信をもって言える。ニーナは今日買い足した素材である<ゴムの木の樹液>を投入して、再び錬金スープをゆっくりとかき混ぜ続ける。
もともとは黄緑色だった錬金スープの色は、革と蹄を投入したことで赤みが加わり、そして段々と灰色に変わっていくのだが……
「あれ? あれれ……?」
──この色、この変化の仕方、夢で見た光景と同じだ。
ドクンと跳ねる鼓動。ニーナは一抹の不安を覚えるのであった。
<クモ脚の自動筆記補助具>は16話で登場した魔法の発明品です。
クモみたいな八つの足がついたリングにペンを通すことで、自動筆記を可能にする道具です。命令を与えることで、紙の上で珍妙なダンスを踊るのが特徴的な人気作、という設定です。




