命がけの鬼ごっこ②
「危ないっ!」
ぐいっ、と手を強く引かれる。
その直後に茂みから男が、つい先ほどまでニーナが立っていた場所目掛けて飛び出してきた。まさに危機一髪。ニーナは心臓が止まりそうなほど驚いたものの、すぐに男の足元に指先を向けて<魔力矢の指輪>を乱れ撃つ。
「いででっ!」
「いまよっ、こっち!」
苦悶の叫びを背後に受けながら、ニーナたちは無我夢中で走った。森のなかは隠れられそうな場所が意外と多いが、それは同時に死角が多いことを意味していた。危険と隣り合わせのこの状況下では、常に周囲に気を配らないと先ほどのように危ない目にあうこととなるだろう。もっと気を付けないと、とニーナは走りながら自分に言い聞かせる。
「いまの騒ぎで周りの奴が寄ってきてるぞ。どうする?」
前を走るロブが周りを見渡しながら言う。
「後ろからも追ってきてるわね。このままじゃ囲まれそう」
それならば、とニーナたちは標高の高い方を目指して走る。足を向けた先に待つのは険しい上り坂。手を使って四つん這いの姿勢となっても進むのに苦労しそうな道のりを、ニーナはワイヤーを駆使することで、木から木へ跳び移るように軽快に登っていく。この方法だと貴重な魔力を消費してしまうことになるが、シャンテとロブを背負っていてもなお普通に走るより圧倒的に楽で、これならばニーナであっても海賊たちより速く坂を登ることができる。
「おいこら、卑怯だぞ! 降りてこい!」
もちろんこういった声は無視である。そのまま傾斜の厳しい坂道を登り切ったころには、海賊たちはまだ遥か後方にいた。どうやらひとまずは逃げ切ることに成功したようである。
「それにしても変ね」
そのまま休むことなく移動を続けているとシャンテが訝しむので、なにがおかしいと思うのか、ニーナは息を切らしながらも訊ねた。
「アイツらみんな素手なのよ。ニーナの後ろから跳びかかってきたやつも、あとから追いかけてきたやつらも」
「遊ばれてるってことなんじゃないかな?」
「まあ理由があるとすればそうなんでしょうけど」
考えてみたってわからないし、かといって海賊たちを捕まえて問いただす余裕もない。
そうして逃走を続けていた三人だったが、やはり相手の数が多すぎた。程なくして、また別の海賊どもに見つかってしまう。
「いたぞ! 他の隊に横取りされんなよ!」
──横取りされるな?
海賊たちはニーナたちを獲物に見立て、狩りをしているつもりなのだろうか。
とにかく、こんな最低な奴らに捕まってたまるもんか。
ニーナたちは必死の思いで逃げるが、そこへ別の一団が追手として加わり、背後の海賊たちと合流する。
ただあとから来た海賊たちは、どうやら先ほどの男が口にした<別の部隊>というやつらしい。海賊たちは逃走を図るニーナたちを追いかけながらも、互いに罵声を浴びせ合い、ついには喧嘩を始める。
「なによアイツら。やっぱりアタシたちで遊んでるわけ!?」
「そうカリカリすんなって。仲間同士で揉めてくれるならラッキーだと思おうぜ!」
「わっ、前からも来てるよ!?」
他の海賊たちと比べてもやけに太ったその男は、待ち構えるように獣道の真ん中で仁王立ちしていた。右手に酒瓶。炎を灯した松明を左手に持っている。
しかしながら、その男はなにを思ったか獲物が近づいてきているというのに追いかけてくる様子もなく、代わりにぐびっと酒瓶を傾けて、中身を口に含んだ。
かと思えば──
「うわぁ!?」
突如、男の口から吐き出される炎。口に含んだアルコールを松明に吹き付けることで、男は前方広範囲に炎のブレスを放ったのだ。
ニーナたちは炎を避けるために、慌てて左に九十度方向転換。道なき道を進み始める。後ろではボケっ、だとか、よりにもよってここで火を吹くな、だとか、そういった罵倒にも似た声が聞こえてきた。
そのまま走っていると急に視界が開けた。木々が伐採され、代わりに畑らしきものが広がっている。栽培されているのはニーナたちの背丈よりも高い植物だ。なにを育てているのかわからないが、身を隠すのに好都合だと、三人は深いことは考えずに畑に飛び込んだ。
がさがさ、ごそごそ。
伸び放題となっている葉を掻き分けながら進むけれども。
「わわっ、ロブさん待って!」
鮮やかな緑色の葉っぱが邪魔で、このままだとロブのことを見失ってしまいそうだった。隠れるのにはいいが、もし仲間とはぐれてしまったらと思うと怖い。
「おおー、すまんすまん。……それにしてもなんでこんなところに畑があんだ? なんか食べるもんでも育ててんのか?」
「それはないでしょ。海賊たちが真面目に畑を耕してる姿なんて想像もつかないわ」
「だよな。でもここは海賊の島だってのは間違いないし、だとしたら誰がなにをなんの目的で育ててんだ?」
問われて、改めて周りに生える植物をじっくりと見つめる。ハートの形に似た大きな葉っぱに、紫色の小さな花。花びらをよく観察すると、黄色いまだら模様が見られた。果実が実っている様子はない。
──これ、本で見かけた気がするんだけど……
錬金術でよく使う素材なら例え実物を見たことがなくても見分けられる自信がある。ただ、この植物もどこかで見覚えがあるはずなのに、それがどうにも思い出せない。
「おっ、こっちはまた別のやつを育ててるみたいなんだぜ」
「ホントだ。でもこれも食べ物って感じじゃないわね。まだ実ってないだけかもしれないけど」
「あれ、それって<イエローポッピー>の蕾じゃない?」
ニーナがそう言うと、二人はえっ、と声をそろえた。調合素材に疎い二人でも<イエローポッピー>についてはもちろん覚えている。クノッフェンにて戦闘となったムスペルが所持していた違法薬物<デゼディシレーション>の原料となる植物だ。本来は鎮痛剤の原料としても使用されるため栽培が禁止されているわけでもないのだが──
そういえば、とシャンテがなにかを思い出す。
「リムステラが言ってたわよね。薬の実験台になってくれるのはどっちだって」
「それって洞窟で盗み聞きしたときの話?」
「ええ。アデリーナかもう一人の聖職者に薬を試そうとしていたみたいだけど、もしここで育てられている植物が全部薬の原料だとしたら?」
「……ありえるかも。そういうのって高く売れるって聞くし」
そうか、あの紫の花を咲かせる植物の名前が思い出せないのも、調合に使用してはいけない違法な素材だからだ。
「……そうだよ。思い出した。さっき見かけた花は<クシュリナ>だ。五感をとぎすませる違法薬物の原料で、ひとたび摂取すればとっても気分がよくなって満たされた感覚を味わえるらしいんだ。けど副作用が酷くって、幻覚症状や依存症に悩まされることになるんだって」
「そういうの聞いたことあるわ。つまり大麻とかマリファナとか、そういうのと同じ仲間ってことでしょ? ……はぁ、まったくジェラルドのやつも手広くやってるわね。武器の密売だけじゃなく違法薬物まで。ねえ、ムスペルたちが所持していた薬も元をたどればジェラルドが絡んでるのかな?」
「かもしれない。でもだとしたら誰が作ったんだろう?」
「そりゃあ……」
シャンテは言葉を濁してくれたが、あとに続く言葉をニーナはよくわかっていた。
きっと作成者は錬金術師。つまりジェラルドは海賊や魔女だけでなく錬金術師まで味方につけていたのだ。ニーナは錬金術を悪用しようとする存在が許せなくて、小さな両手で握りこぶしを作る。
そんなニーナの姿を見て、まだわかんないんだぜ、とロブが言う。
「作ったのが錬金術師だとしても、そいつが悪人とは限らない。あいつらは人攫いだって平気でするみたいだし、もしかしたら捕らえられた錬金術師たちが無理やり薬を作らされてるだけかもしんないんだぜ」
「そっか、そうだよね」
「ああ、そうなんだぜ」
ニーナは二人の気遣いが嬉しくて笑顔を見せる。なにが真実なのかはわからないが、悪い方向にばかり考えるのは止めようと思った。
「──おい、そっちにいたか?」
近くで海賊たちの話し声が聞こえたので、ニーナたちは慌てて息を潜めた。
「いいや、完全に見失っちまった。もう畑から出ていったんじゃねーか?」
「こんだけの人数で囲ってるんだからそりゃねーだろ」
どうやらまだ捜索を続けているらしく、しかも畑を囲うようにして男たちが待機しているようだ。このままここにいても見つかってしまうのは時間の問題だと知り、ニーナは急に怖くなる。もし捕まってしまったとしたら自分も薬の実験台にされてしまうのだろうか。
けれどこんな状況だというのにシャンテはニヤリと笑って、なるほどね、と呟く。
「ここにある植物はみんな、海賊たちにとってとても大事なものってことよね」
「まあ彼らにとってはそうだろうと思うけど……あっ!」
シャンテが指先に炎を灯す。それを見たニーナは、シャンテがこれからやろうとしていることを理解した。
つまりシャンテは、畑に生育している植物を全部燃やしてしまおうとしているのだ。
「さっ、行くわよ」
そう言ってシャンテは移動しながら次々に火を灯していく。それらはくすぶる程度の小さな火だったが、やがては大きくなり、黒い煙をあげて燃え盛る炎へと発展する。
これに気付いた海賊たちは大慌てだ。ヤバい。ジェラルドさんに殺される。早く水を持ってこい。水だ、酒じゃねーよ。海賊たちは畑に放たれた炎を消すことに必死で獲物を追い掛け回すどころではなくなった。
「こっちだ。いまのうちに逃げようぜ!」
そうしてニーナたちは包囲網から逃げ出すことに成功したのだった。




