島で暮らす老婆
ニーナたちは走った。あの小屋にどんな人物が暮らしているのかは知らない。けれど、それでも火事なのだとしたら放っておくわけにはいかないと思った。
近づいてみてまず思ったのが、その木造の小屋はかなり老朽化が進んでいるということだ。長年にわたり風雨にさらされてきたのだろうか。至る所にガタがきていて、窓ガラスもひび割れている。
その、ガラスの割れた窓枠から室内を覗いてみる。
──あれ、なんともない……?
照明がついていないのか暗くてよく見えないが、少なくとも火の気はなさそうだ。
だとしたら、先ほどの煙はいったい……?
「そんなことだと思ったわ」
「えっ、どういうこと?」
意味が分からず訊ねてみると、シャンテは小屋の屋根を指さした。そこには、遠くからでは死角になって見えなかった、小さな煙突が取り付けられていた。
「黒煙は煙突からのみ。つまりいまのは調合に失敗したときに発生した煙ってことでしょ」
あっ、そういうことか。
自分が真っ先に気付かないといけなかったのに、その可能性を失念していた。まさかこんな島に錬金術師がいるなんて思ってもみなかったからだ。
「まあ、そうと決まったわけでもないし、本当に火事だったら困るから、ここまで来たのなら声をかけてみましょうか」
「大丈夫かな? 変な人だったらどうしよう?」
「心配しすぎよ。それにもしものときは兄さんに働いてもらうから」
シャンテとロブを先頭に、玄関口へと回り込み、ノックを二回。そして少しばかり待ってみる。
するとややあって、扉がぎしぎしと音を立てながら開いた。
「おや、こんなところに来客とは珍しい」
ヤックの言葉通り、姿を見せたのは白髪の老婆であった。
◆
「ああ、そうでしたか。それで心配して見に来て下さったのですね。狭いところでごめんなさい」
どうぞ、と促されてニーナたちは小屋のなかへと足を踏み入れる。テーブルが一つに椅子も一つだけ。棚に置かれた食器も一人分。室内は整理されているが、そもそも物自体が少ない。家のなかも損傷が激しく、屋根にも穴が開いて、雨漏りしたあとが見受けられる。照明も切れかかっており、全体的に暗くて寂しい印象を受けた。
その老婆は、名をアンネリーネというそうだ。髪の長い白髪の女性で、年齢は七十に近いと思われる。肌はしわしわ。声もしわがれている。ただ意外と足取りはしっかりとしており、こちらの話にもきちんと頷きを返してくれる。
そんな彼女にどうしてずっとここで暮らしているのかと訊ねると、返ってきた答えは意外なものだった。
「この島を離れたくても離れられない、そういう呪いをかけられてしまったのですよ」
「それって……どうして、誰に呪いをかけられたのですか?」
もちろんこのときニーナの頭に浮かんだ人物はリムステラである。
しかしアンネリーネは、悪いのは自分だと言った。
「わかりやすいと思って呪いという表現を使ったけれど、正確に言えば<掟を破った>から。だから悪いのは私自身なのよ」
アンネリーネは遠い過去を見るような目で、窓枠の向こうの湖へと目を向ける。
この島から出られなくなるような掟とは、いったいどんなものだろう。それに、どうしてそんなことをしたのだろうか。考えたってわからないが、アンネリーネの横顔はとても寂しそうに見えた。
「掟を破ったこと、後悔してますか?」
「いいえ、ちっとも」
アンネリーネは穏やかな口調で、けれどきっぱりとそう言った。やはり、掟を破ったことにはそれなりの事情がありそうだ。
ニーナは屈んで、ひそひそ声でロブに訊ねる。ロブなら、アンネリーネにかけられた呪いを解けるのではないかと期待したのだ。
「いやあ、期待してくれてるところ悪いんだけどよ、さすがの俺もそれは無理なんだぜ。俺はそもそも呪術師じゃねーからそっち方面は専門外なんだ。アンネリーネにかけられた呪いが動物化の呪いだっていうなら話は別なんだが」
「そっかあ。どうにかして力になりたかったんだけどな」
ニーナの言葉に、ありがとう、とアンネリーネは微笑んだ。
「せめて解呪薬の調合法がわかれば、私がどうにかして調合して見せるんだけど……」
ニーナは腕を組んで考え込む。
「えっと、もしかしてニーナさんは錬金術師なんですか?」
「そうですよ。といってもまだまだ駆け出しのひよっこみたいなものですが……!?」
がしっ、と両腕を掴まれた。アンネリーネの瞳は爛々と輝いている。まるで救いの神を見つけたと言わんばかりの笑みだ。そしてそのまま、老婆とは思えないほどの力強さで奥の部屋に引っ張られた。えっ、なになに、と戸惑うニーナの目に飛び込んできたのは、ある意味で見慣れた光景だ。
──あっ、アトリエだ。さっきはここで調合してたのか。
そこは、先ほどの部屋よりも随分とこじんまりとしたところだった。中央に置かれた錬金釜がスペースの大半を埋めている。そのすぐ側の机の上には素材が入った瓶が並べられ、釜の内側には黒くてぶよぶよとした失敗作がこびりついていた。あまりにも部屋が狭いので、シャンテたちは開け放った扉から顔だけ覗かせることにした。
部屋の隅には小さな棚が置かれてあり、錬金術に関する書物が十冊程度並んでいた。ニーナはそこから一冊抜き出して手に取ってみる。とても古そうな書物だ。裏返してみると、初版はいまからおよそ六十年前とある。しかも、ここよりずっと東にある国で執筆されたもののようだ。中身はところどころ破れており、文字は小さくて読みづらい。
「汚らしいところでごめんなさいね」
「いえ、私も調合中はけっこう散らかしてしまうので人のことは言えません。それよりアンネリーネさんが取り掛かっていた調合というのは、やはり解呪薬なのですか?」
「ううん、解呪薬ではないわ。でも呪いを解くためにはどうしても完成させる必要のあるものなの。だからニーナさんにはぜひ、私が開発中のレシピを見て欲しいのよ」
そう言ってテーブルの上に置かれてあったレシピブックを渡してきた。
どうやらそれはアンネリーネ自身が考案した創作レシピらしいのだけれど。
「<エアドロップ>に<人魚姫のパレオ>ですか?」
そこに記されていたレシピは、水中呼吸を可能にするための道具と、水のなかを自在に泳ぐために、腰に巻き付けて着用する衣服だった。
これらが呪いを解くために必要だとは思えない。しかし、この二つの完成無くして呪いを解くことは不可能なのだとアンネリーネは言う。
「呪いを解くためにはいくつかの条件があるのだけれど、そのうちの一つが<紺碧の結晶>と呼ばれる青色のクリスタルよ。それがどうしても必要なの」
鉱石については一通り学んだけれど、知らない名前の素材だ。
ニーナは、それはどこにあるのですかと訊ねた。すると返ってきた答えは意外なものだった。
「海底洞窟の先よ」
「海底って、まさか海の底に洞窟があるのですか?」
「そうなの。正確には海底トンネルかな。そのトンネルの奥に陸地があって、<紺碧の結晶>もその洞窟にあるとされているのよ」
なんでも、小屋のすぐ近くにある湖も、実は海底洞窟から繋がった海であり、この島の地下には無数の洞窟が存在するそうだ。<紺碧の結晶>はそんな海底洞窟を抜けた先にあるらしい。
つまり<人魚姫のパレオ>と<エアドロップ>は、海底洞窟を抜けるために編み出されたレシピというわけだ。
「それにしても、この島でよくこれだけの調合道具を揃えましたね。素材もそうですけど、錬金釜とかマナ溶液とか……これ全部アンネリーネさんが持参したものですか?」
「まさか。呪いを解くために、すべて一から揃えたのよ。この島から出られなくて途方に暮れていたときに親切な船乗りと出会ってね。たまたま持っていた錬金術に関する本と、黒猫印の箒郵便を呼ぶための魔法のカードをくれたの」
「なるほど、<お呼び出し名刺>ですか」
扉の側でフラウが納得の表情で頷く。
そういえば同僚がたまにマーレ諸島に荷物を運びに行くことがあると、いまになって思い出したとフラウは言う。
たしかに箒郵便に頼めば、この島でも大抵のものは手に入れられるだろう。
「お金の問題はどうしたんです?」
「たしかにお金には苦労してるわ。でもね、この島は珍しいものの宝庫なの。物々交換には困らないわ。時折あなたたちのような旅人が訪れるから、そういう人たちとも積極的に交換させてもらってるの」
いまの話を訊いてニーナはピンときた。別れ際にヤックが、お金と交換でいろいろ分けてもらえると言っていたのは、まさにこのことだったのだ。
一通りの疑問が解決したニーナは手元のレシピブックに視線を落とす。
アンネリーネはこの島に閉じ込められてから錬金術を学び始めたそうだが、アイデア自体はとても素晴らしいものだと感じた。しかし、そのアイデアを形にする為のレシピづくりにはとても苦労しているようだった。
ノートにはこれまで失敗の記録も克明に記されていた。なにをどのタイミングで、どれだけ加えたのか。そのときの錬金スープの色は何色か。温度や火加減、それに匂いなど、感じたことは些細なことでもすべて記録してあった。ニーナはその記録に目を通しながら、自分が実際に調合しているつもりになってみる。
──あぁ、なるほど。アンネリーネさんには悪いけど、このままじゃいくら繰り返したって成功しそうにないなぁ。
背中のリュックから紙とペンを取り出し、レシピの改善案を箇条書きにしていく。アンネリーネが使用した素材のなかには、いくつかニーナの知らない素材が登場したので、それについては実物を見せてもらった。
「あの、またまた質問なんですけど、ここに書かれてある<ペッギョの鱗>ってなんですか?」
「えっと、それはこれね」
ニーナは渡された瓶のなかを覗いてみる。
「あれ、これ<ギザギザフィッシュの鱗>だ」
「そうなの?」
アンネリーネは首を傾げている。
「ええ、少なくともクノッフェンではギザギザフィッシュの名前で売られてますけど」
「そうだったの。それじゃあ間違えて覚えていたのか、それとも勘違いしていたのかしらね」
アンネリーネは棚から本を抜き出して、ペッギョについて書かれてあるページを開いてニーナに見せた。
「うーん、やっぱりこれはギザギザフィッシュです。でもそっか、地域によって素材名が変わることだってあるのか」
「どういうことかしら?」
「さっきその本を手に取ったときに確認したんですけれど、どうもそれはここよりずっと東にある<ニュクス>という国の書物みたいです。しかも出版されたのは六十年も前。時代や地域によって呼び方が違ってもおかしくはありません」
そうだったのねと感心するアンネリーネの隣で、ニーナは口元に手を当てて考え込む。
<人魚姫のパレオ>も<エアドロップ>も調合の難易度は非常に高そうだが、それでも二人の知識を合わせればなんとかなるかもしれない。それに衣服に関しては、マージョリーの店を出たあとで書物を読み漁り、自分なりにレシピを作ってみようとしていたところ。その知識がここで活かせるかもしれない。
ニーナは後ろを振り返り、ねえシャンテちゃん、と名前を呼んだ。
「皆まで言わなくてもわかってる。挑戦してみたいんでしょ? いいわよ、協力するわ」
「やったぁ! ありがと、シャンテちゃん」
当たり前のように背中を押してくれる。そんな友達の存在がなによりありがたかった。
そして今度はニーナのほうからぎゅっとアンネリーネの手を握る。
「このレシピ、絶対成功させましょうね!」




