ミーシアさん。(まおうさまモード)
俺は落ち葉掃除をはじめた。
今の水面は紅葉で覆い尽くされてしまっている。一見して鮮やかな光景だが、生態系としてはあまりよろしくない状況だ。植物性プランクトンが光合成できなくなると、湖の酸素濃度は低下する。水源地の異変を解決するという本来の趣旨に沿うなら、こういうところもちゃんとした方がいいだろう。
なので、魔法で風をちょちょっと吹かせて、落ち葉を湖岸に寄せている次第である。
「くーくん、真面目だね」
「まあ、他にやることないしな。ユズの方はどうだ?」
「うん。エクトプラズムはだいたい釣り終わったよ。もうちょっとで綺麗になりそう」
「えらいぞユズ」
柚子白は柚子白で、湖底に残ったわずかなエクトプラズムを水流で引き寄せては、ちょっとずつ丁寧に釣り上げていた。俺たちの地道な清掃活動のかいあって、湖は少しずつ元の生態系を取り戻しつつある。
「いい天気だね、くーくん」
「ああ。来てよかったな、ユズ」
「みーくんは楽しそうだね」
「楽しそうというか、あれはもう狂喜の域だな」
ミーシアは恍惚の笑みを浮かべて、デミリッチとのターン制魔法バトルに全力で没頭していた。
魔王様はデミリッチが知る魔法の全てを奪い取るつもりらしい。ヤツが放った魔法を片っ端から奪い取り、次々に己のものへと変えている。デミリッチが一度見せた魔法を使おうとすると、打ち消し呪文で発動を阻止するような入れ込みっぷりだ。
あれはもう、戦闘と言うよりも調教と言うべきかもしれない。何もかもを搾り取られているデミリッチに、さしもの俺も同情を禁じ得なかった。
「もしも、ミーシアの知識欲が俺たちに向けられてたらさ。あのデミリッチは俺だったかもしれないなって、ちょっと思うんだよね」
「間違いないね。そしたらみーくん、すっごく楽しそうにユズたちで『お勉強』してたと思うよ」
「泣いて謝ったら許してくれるかな」
「もうお家に返してくれないかも」
好奇心は猫を殺すと言うが、彼女の知識欲は悪魔だろうと頭からバリボリ貪り尽くす勢いだ。なんというか、もう、こわい。こわいよミーシアさん。
冗談のようで冗談ではない未来予想図にぷるぷる体を震わせながら、俺たちは楽しそうなミーシアを湖岸から見守る。いい天気だな。生きて帰れるかな。
「お、おかしい……。こんな、こんなはずでは……」
魔王ミーシアの新たな扉を開いてしまった立役者、大ポンコツのニケ様がふらふらと俺たちの隣に座りこんだ。
「本来ならデミリッチは君たち二人の実力を見るためのものだった……。なのに、どうしてこうなった……? なぜ私の愛弟子は一人であれを完封している……?」
「優秀なお弟子さんですね、ニケ先生」
「やめるんだミーシア、その辺にしておいてくれ……! まだ君には覚えてほしくない魔法なんて山ほどあるんだ……!」
乾いたスポンジのように魔法を吸収していくミーシアに、ニケはふらふらと手を伸ばす。
「そう思うなら止めればよいのでは?」
「だって……【魔王】が魔法を習得する手法のサンプルはほしいし……。あの習得メソッドを解き明かし、他の人でも使えるようにできたら間違いなく魔法史に革命が起きるし……」
「教育者と研究者の間で揺れてしまったのですね」
「どっちかと言えば研究者よりかもしれない」
「ダメな大人だ……」
そうこう言いながら、ニケは食い入るようにミーシアの戦闘を見守る。気がつけば映像を録画する術式なんかもそこかしこに張り巡らされていた。この人はこの人で楽しそうだ。
「まあ、よしとしよう。君たちの実力を知ることができなかった以上、作戦は失敗と言わざるを得ないが、得るものはあった」
「いい感じですか」
「うむ。実にいい感じだ」
いい感じならよかったなと思う。ミーシアはあの通りだし、ニケもニケで得るものがあった。俺と柚子白もなんだかんだで楽しくすごせているので、結果的には全員大勝利である。デミリッチを除いて。
「ちなみにですけど、こうなる運命ってことは視えなかったんですか?」
「運命視は完全じゃないからね。視たいものを視れるわけじゃないんだ。それに視たってどうせ変動しちゃうから、使い勝手は劣悪の一言に尽きる」
「それは残念。便利そうだと思ったんですけど」
人生を千回繰り返しても、すべてを知ったわけではない。大賢者ニケの奥の手ともなると、俺たちでも知らなかった。
「言っとくけど教えないよ。使い勝手は悪くとも、悪用の仕方なんて山ほどあるからね。これは私だけのオリジナルだ」
「俺たちの仲じゃないですか、先生」
「君が一番エグい使い方をするだろう」
肩をすくめる。実際にニケが運命視の魔法を使っているところを見ても、俺の目では術式の組成までは暴けない。この魔法を知りたくば、それこそ【魔王】の瞳がいるだろう。
「知ってるかい、枢木少年。古来、魔法とは人間にはなしえない神秘のことを指していたんだよ」
楽しむミーシアを遠目に眺めながら、ニケは返事を求めるでもなく呟いた。
「まるで魔法のようという言葉は、今でも理解できないものに対して使われているよね。そんな力の秘密を一つ一つ解き明かし、私たちは己の手中におさめてきた。だけど、魔法の本質は今でも変わっていないと思うんだ」
基礎魔法理論を一人で生み出した、生ける伝説の言葉だ。不思議な重みがあった。
「神秘を解き明かすのは研究者としての宿業だよ。しかし、すべての神秘を解き明かすには人類はまだまだ弱すぎる。神秘には恐れと敬意があって然るべきだ。そこを履き違えた人間には、やがて破滅が訪れるだろう」
誰よりも神秘の領域を自在に歩む人は、今まさに神秘をその手に掴み始めた少女を、厳しくも優しく見守っていた。
「ミーシアには、これからいろんなことを教えないといけなさそうだ。この力とどう向き合っていくか、きちんとね」




