ノルマ達成☆
「幽霊とは、その性質上文明ともっとも身近な魔物と言えるだろう。なにせそれらは死した人間から生じるものだ。未練を残した人間が死ぬと幽霊が生まれるというのが定説だけど、ある程度の魔力を有していることも条件の一つになる」
湖のほとりで、ニケ先生は講義を開く。
受講生は俺と柚子白とミーシア。三人揃って草地に座り、ふんふんと大人しく話を聞いていた。
「とは言え、適切な死体処理を行うことで幽霊を生じさせない手法ははるか昔から確立されている。この手法とは何か。ミーシアは知ってるかな?」
「お葬式ですか?」
「そう、正解。命の女神もちもちに死者の救済を乞う儀式、それが私たちの知るお葬式だ。適切な手順で弔ってやれば、大抵の場合では幽霊は生じない。だけど、極稀に女神の救済を拒絶するほど強い魔力と怨嗟を持つ人間がいる。そういう人間は、死後にリッチという強力な魔物になるんだ。これがもう面倒な魔物でね、強力な魔法を使うわ他の幽霊を使役するわ、挙句の果てにはエクトプラズムを取り込んでデミリッチに進化するわで、とても手がつけられないんだよ」
ミーシアは真面目に聞いていたが、俺と柚子白は半分聞き流しだ。知っている話なので。
「さて、幽霊に話を戻そう。幽霊の体は一般の魔物と違い、変質した魂で構成される。この魂というのがまた難しくてね……。私たち人類はもう長いことこの魂ってやつとつきあってきたんだけど、いまだにその全容は解明できていない。ひとまず、生き物には魂というものがあって、幽霊化する時に魂が変質してエクトプラズムという物質になることだけ覚えておいてほしい」
「先生、そもそも魂は非物質ですよね。でも、エクトプラズムになると触れられる物質になる。これはどういうことでしょう?」
「良い質問だ、枢木少年。それについては研究者の間でも議論が重ねられていて、決定的なことはわかっていない。だけど、現時点での主流派の意見によると、現世にとどまろうとする未練が、魂を固着化させる術式のように働いていると考えられている。だから、その術式を発動するだけの魔力がなければ幽霊は生まれないわけだ」
へー、そうなんだ。これは普通に知らなかった。勉強になるなぁ。
「少し話を変えるけれど、君たちは陰陽五行思想というものは聞いたことあるかな?」
俺たちは三人揃って仲良く首を振った。知ってるけどね、こういうのはライブ感だ。
「東洋で生じた、自然科学の観点だ。万物は陰陽、および木火土金水の五行に分類することができるという考え方だね。今となっては元素や原子に取って変わられてしまったけれど、魔法学の分野ではいまでも陰陽五行説は親しみ深いものだ。柚子白少女、どうしてだと思う?」
「原子論は唯物論、つまりは物質以外の存在を認めないという考え方に通じるものです。精神的な要素を多く扱う魔法学の分野において相性の悪い考え方だったからでは?」
「百点。君、実は知ってただろう」
「ユズ、むずかしいことわかんないです」
ニケは苦笑いをしていた。急に難しいことを言うな柚子白、困ってらっしゃるぞ。
「幽霊は、陰陽五行思想で言うところの“陰”、および“水”の属性に分類されるものだ。つまりは暗くてじめじめした場所が好きってことだね。だから、水辺にはよく幽霊が棲んでいる。こんな人気のない場所ともなればなおさらだ」
ニケ先生の講義は続く。
「だけど、幽霊は人間から生まれた魔物でもあるんだよ。ゆえに、生前の習慣に引きずられてある程度の文明を好む。こんな山中に大規模な幽霊のコロニーがあるというのは通常では考えにくい。墓場や廃墟みたいな場所ならまだしもね。なのに、現実はこうなっている。それがおかしいんだよ」
ニケは水底を指差した。
あらためて見ると、湖の底には白くもやもやしたエクトプラズムが堆積している。それはつまり、多くの幽霊がここにいたということだ。
「ひとまず、ここまでの説明で謎の一つは解けた。エクトプラズムは幽霊同様に“陰”と“水”の性質を持つ、とても冷たい物質だ。これだけの量が水底に堆積していれば、そりゃ水も冷たくなるだろう。魚も逃げだすってわけさ。
その一方で、どうして幽霊たちはこの場所で二度目の死を迎え、エクトプラズムに還ってしまったのかという疑問が生じる。これは状況からの推測なんだけど、傷ついた幽霊たちがこの場所に逃げてきたからなんじゃないかな」
傷ついた幽霊。逃げてきた。そのワードに、何かが引っかかった。
「おそらく近隣に大規模な幽霊のコロニーがあったんだろう。だけど、誰かがその場所に踏み入って、除霊を行った。とても荒々しく乱雑な除霊だ。それによって傷つけられながらも棲家を追われた幽霊たちは、この場所に避難してきた。傷を癒やすことができた個体もいたんだろうけれど、それができなかった個体は残念ながら死んでしまい、エクトプラズムになった、と。だいたいそんな筋書きなんじゃないかな」
頭の中で情報が繋がった。あー。マジか、そういうことか。うっわ、やっべぇ……。
(枢木、これって……)
(そういうこと、だよな……)
柚子白と念話で認識を共有した。
思い当たる節がある。あの古城だ。先日俺たちは、バアルバアルが眠る古城に突入するために、大規模な神聖術をぶちこんで幽鬼種の魔物をまとめてふっ飛ばした。
急いでいたがゆえのゴリ押しだったけど、そのツケがこんな形になって出てくるとは……。
(どうしよう。これって私たちのせいじゃない)
(だよな。このままにはしておくのはさすがにちょっと)
(でもどうする? 水底のエクトプラズム。これ、思ったより難敵よ)
どうやってそれを除去するか、という話だ。
一応燃やせば消滅するけれど、水底にあるものをそのまま燃やすわけにもいかない。なんとかして汲み出す必要がある。だけど、どうやって?
「何か、思い当たるところがありそうだね」
ニケはにやにやと笑っていた。
「私の講義はこれで終わりだ。後は君たちで考えるといい。ギルドに戻って報告だけして終わりにするもよし、なんとかしようとしてみるもよしだ。先に言っておくけれど、私は手を貸さない。相談には乗るけどね。ちなみに、時間制限あるから気をつけて」
ニケは浮遊魔術を使い、ひょいんと太い枝に腰掛けた。紅葉がさわさわと揺れる中、足をぱたつかせて地上を眺める。宣言通り見物に徹するつもりらしい。
「えっと……。どうします?」
ミーシアはこてんと首を傾げた。
「何かお二人で相談してたみたいですけど」
「ああ、すまん。ミーシアにも共有しておく。ちょっといいづらい話なんだけどな……」
今更隠すことでもない。俺は、バアルバアルの古城に押し入る時に、神聖術をぶちこんで幽鬼種の魔物を蹴散らしたことを話した。
「思いっきり元凶じゃないですか」
「返す言葉もない」
「じゃあ、どうにかするんですね。まさか放っておくわけにもいかないですし」
それはそうだ。このまま帰ってしまうのは、さすがにちょっと忍びない。
「でも、そういうことなら思ったより簡単ですね」
「どういうことだ?」
「だってクルさん、神聖術が使えるんでしょう? もう一度、今度は丁寧に除霊してあげましょう」
それはそうなんだけど……。
神聖術を行使すれば、エクトプラズムを取り除くことはできる。ただ、残念ながら縛り違反だ。神聖術は初級魔法の範囲を逸脱している。
「あー……。神聖術はちょっと、できればあんまり使いたくなくって……」
「どうしてですか?」
「ええと……」
楽しみたいから縛ってます、とは言えないよなぁ……。そんな説明で納得してくれるわけがない。
「あのね、神聖術って魔力じゃなくて信仰心を消費するんだ」
言葉に詰まった俺の代わりに、柚子白が説明する。
「神聖術、使えなくはないんだけど、ユズたちの信仰心ってそんなにないから。できれば温存しておきたいの」
「意外ですね。教会育ちなら、てっきり信仰に篤いと思ってました」
「うん。神様なんて、だいっきらい」
やめとけ柚子白。お前、往来でそんなこと言ったら異常者だと思われるぞ。この国の女神信仰は、崇めるのが当然なくらいまでに浸透してるんだ。
「じゃあ……。どうしましょうか?」
幸いにも、ミーシアは柚子白の言葉をスルーしてくれた。
そして戻ってきたのはその問題だ。どうやってズル禁止縛りを遵守した上で、エクトプラズムを除去するか。俺たちはそこで詰まっていた。
「湖の中に潜って、バケツでちょっとずつ汲み上げるとか」
「できなくはないが、下手すれば数日仕事になるな」
「水流を操って、エクトプラズムを巻き上げるのはどうでしょう?」
「湖の環境までぶっ壊れちまうぞ」
「わかった、物質変換だ。エクトプラズムを水よりも軽い物質に変換して、湖の上に浮かび上がらせようよ」
「ユーズー? そんな高度な魔法が使えるなんて知らなかったなぁ?」
「じゃあもう、湖の水ぜんぶ抜きますか」
「ここに来て一番のパワー系解決が出たな」
一応なんとかなるにはなるが、これぞという案がない。もっとスマートなやり方がありそうで見つからず、俺たちは頭を悩ませた。
いつもの人生だったなら、こういう時は魔法の力でぱぱっと解決していたんだよな。それを縛ると世の中ってやつはこんなにも難しい。それがもどかしくもあり、楽しくもあった。
「中々いい案が浮かびませんね……」
「でもまあ、時間はあるから。ゆっくり考えれば」
そう、時間はある。古城を攻略した時と違って急ぎではない。めちゃくちゃ面倒くさいが、別にバケツで組み上げたっていいんだ。
「あれ、そうでしたっけ?」
「何がだ?」
「さっき、時間制限があるってニケ先生が」
あー、そう言えばそんなこと言ってたな。でも、時間制限って言ってもそんなに気にするほどのことでも……。
いや、待てよ。時間制限?
「……ニケ先生」
「どうした少年」
「時間制限って、何のことですか?」
「ヒントならもう出したよ」
とっておきのいたずらが成功したような笑みに、とてつもない悪寒が走った。
時間制限。時間が経てば、何かが起きる。それが指し示すものに、一つの心当たりがあった。
天啓めいた閃きを、自分でも信じることができなかった。本当にそんなことが起きるのか? 確かに条件は整っている。だけど、あまりにも偶然の要素が大きすぎる。事前にそうなることを察知するなんて不可能なはずだ。
それでも……この人には、運命視の魔法がある。俺や柚子白の運命を視ることはできなくとも、ミーシアの運命を通じれば、ある程度の未来予測は立てられたのかもしれない。
「前にも言ったけど、運命は観測する度に変動する。かなりの確率でこうなるとは思ってたけれど、最後の最後は運だったね。いやあ、君たち、持ってるよ」
一体、どの時点からこの運命を視ていたのだろう。
思えばこの人は、最初から俺たちを強力な魔物に当てようとしていた。メナヤだの、シンだの、ア・クャバルだの、マグマサーペントだの。俺たちはそれを避けたつもりだったが、結局はこの場所に行き着いてしまったわけだ。
「あの、どういうことですか」
「すぐにわかる。ミーシア、戦闘の準備を。ユズ!」
「あー、そういうことね。にけちゃん先生も人が悪いなぁ」
湖の水面上に、ボロをまとった亡霊が浮いていた。
肉が朽ち、骨となった亡霊だ。魔道士のような黒いローブを身にまとい、手には二メートルもある禍々しい大杖を手にしている。青い幽魂をいくつも従えて、死してなお弱まることのない魔力を惜しみなく晒している。
それは杖をくるんと回し、水面にわずかに波紋を立てた。
次の瞬間、水底に堆積していたエクトプラズムが一斉に立ち上る。ぐるりぐるりと、亡霊を中心に回転しながら上昇し、次々にその体へと吸い込まれていく。
やがてすべてのエクトプラズムを吸収したそれは、先ほどまでとは様相が一片していた。
並の魔物では持ち得ないほど、濃密な魔力。魔王種にも匹敵するほどの強大な魔力量は、そのまま膨大な冷気となって放たれる。
はらりと、紅葉が舞い落ちた。はらりはらりと、紅葉は一斉に落葉する。樹木からは彩りが失われ、落ち葉で埋め尽くされた水面は、まるで鮮血のように赤かった。
「授業参観と称して子どもたちをデミリッチに引き合わせて、いっちょ実力を確かめてやるぜい大作戦、発動。いぇいっ」
ニケは樹上で手を鳴らした。
神をも冒涜する大悪霊、デミリッチ。
桜吹雪のように舞い落ちる紅葉の中、それは冷厳と俺たちを視ていた。




